2024/09/04
国際状況がパラダイムシフトの過程にある中、経済産業省は今、「経済産業政策の新機軸」を打ち出し、「ミッション志向型」の発想で新たな政策課題に挑もうとしている。その分野・テーマは多岐にわたるが、今回は多田事務次官に、過去の経済産業政策の過程も踏まえつつ、GX、半導体、スタートアップの主要3点を中心に、経産省としての考え方、施策の進め方、今後に向けた方向性などを語ってもらった。
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マクロ経済政策の新たな見方
森信 経済産業省の産業政策は、ウクライナ戦争で世界が分断される中、どのように変化してきたのでしょうか。過去の産業政策の流れを一度振り返ってみて、成果も反省も簡単に総括していただけるとありがたいのですが。
多田 私が旧・通産省に入省したのが昭和61(1986)年のこと、つまり昭和の残る3年間を経験して平成に移行し、30年を経て現在の令和に至ります。この間の日本経済と産業政策を振り返ると、確かにその時々では最善の政策を講じることに傾注してきたのですが、結果としては世上〝失われた20年、30年〟と評されるのが現実です。
私自身、入省当時から、資源が乏しく国土が狭い日本が世界に伍していくには経済力を高めること、貿易で外貨を稼ぐことが必要であると考えて仕事をしてきました。それ故に、現在のような停滞状況に至ったことは忸怩たる思いがあります。官僚人生も残り少なくなった今、すぐに結果が目に見える形で現れなくても、後年効果を発揮するような手立てを講じておきたい、これが私も含めて同世代の公務員の共通した思いではないかと思います。
森信 確かに、時代の転換期こそ今後に通じる政策を打っておくべきですね。
多田 私が官房長を務めていた2年前の2021年6月、産業構造審議会において、マクロ経済政策の新たな見方が生まれているのではないか?という問題意識が提起されました。パラダイムシフトが起こっている社会の中で、政策の方向性も変化に合わせてアジャストさせていく必要があるのはないかと。その視点で議論され、集約された新たな見方が今も引き継がれています。
森信 新たな見方というのは、おおよそどのような点でしょう。
多田 議論当時は大規模・長期・計画的な財政出動、という点のみがメディアで取り上げられましたが、本質は考え方の転換にあります。すなわち、誰もが〝勝ち筋〟の見えない今の時代、特に不良債権処理後の日本はリスクが取りにくくなり、海外投資への指向が増えて国内投資はより一層、結果が得られなくなりました。賃金も上がらず生産性も上がらない社会状況が固着化しています。これを何とか切り替えていかねばなりません。
そうすると、かつては自動車や半導体の振興に力を入れましたが、こうした特定の分野にターゲットを絞って産業を育てるという発想を改める必要があります。これからの社会や国民生活に必要なもの、例えばデジタルを用いて健康長寿やサステナブルな成長を実現するなど、万人に必要とされる〝社会のミッション〟に対して、これを具現化する〝ミッション志向型〟の観点から政策を組んでいくべきだと考えています。
また振り返ると、それまで政府が民間をけん引してきたのに対し、ある時期に〝官民の役割分担〟という名目の下、まずは民間の努力に委ね、一方で民間はどの段階で政府が引っ張ってくれるのか、双方とも様子をうかがうような構図に移りました。私はこれを〝After You〟構造と呼んでいるのですが、これによりお互いにすくみあう状態に陥ってしまったと思います。国として失敗は基本的に許されませんから、これまでは往々にして〝勝ち筋〟を見極めてから行動を起こすという傾向に陥りがちでしたが、それでは時間を要してしまい変化への対応が後手に回ります。パラダイムシフトの渦中にありながら政策が後れを取る場合があり、民間もまた政府の動きを追っているのでさらに後追いが続くという悪循環でした。従って、この構図からも早期脱却が求められます。
恐れるべきは政策の不作為
森信 そうすると、官民ともどのような関係が望まれるのでしょう。
多田 まず政府も民間も、お互いに一歩前に出ましょう、という意識が不可欠です。失敗には市場の失敗、政策の失敗の両方がありますが、いま最も恐れるべきは政策の失敗ではなく、政策の不作為なのです。失敗してもよい、と開き直るつもりではありませんが、ともかくも一歩踏み込んでいこう、と明記したのが、この「新機軸」なのです。
森信 それが〝ミッション志向型〟につながっていくわけですね。
多田 はい、むろん〝ミッション志向型〟を進めるにおいては、まだ〝勝ち筋〟が定まらぬままに踏み込んでいくことになるので、官民ともに暗中模索は避けがたいところです。が、カーボンニュートラル等で〝勝ち筋〟を見出したかように思われた欧州も、今般のウクライナ戦争で軌道修正を余儀なくされているように、最後まで当初の方向性を貫徹できるとは限りません。
それ故われわれは、いわゆる〝フェイル・ファスト(速い失敗)〟の観点に立ち、早く動き、失敗が見つかったら迅速に政策を改めていく、不作為よりは行動する方がより善である、という発想に切り替えていきたいと考えています。
森信 そのお考えは、経済産業省における旧来型の産業政策とはどのような点が異なるのでしょうか。
多田 比較するならば、1985~2008年にかけての構造改革の時代に遡るべきかと思います。86年に示された「前川レポート」は、同じモノの価格が海外よりも国内の方が高いという、現在とは全く真逆の内外価格差の時代でした。以後、規制緩和、自由化の流れの中で多くの分野で民営化が実施され、「小さな政府」の標ぼうの下、市場機能の強化を目指した諸改革が図られました。一方で、〝失われた20年〟の過程で産業政策への期待・関心が世界的にも希薄化した時代でもありました。その後、アジア経済危機やリーマンショックなどの世界経済危機、東日本大震災等を経て現在、その産業政策の新機軸を打ち出そうとしている、というわけです。
そういう意味で旧来は特定の産業分野への志向が強かったのに比べ、〝ミッション志向型〟はテーマを基準に分野横断的な発想が求められると思います。例えば自動車産業においては、脱炭素、少子高齢化の進展、2024年物流部門の人手不足等の各社会課題に対し、EVを進めるべきかハイブリッドに力を入れるべきか、といった狭量な選択ではなく、将来の社会にとって求められるモビリティの姿はどうあるべきなのか、そのために必要な対応、それは技術だったり制度だったりインフラだったりしますが、それはどんなものなのか、といったアプローチで包括的に課題を設定していくことが必要だと言えるでしょう。結果として、それは従来の自動車産業の枠を超えた議論になっていくと思います。
森信 個別分野に対し共通の社会課題でヨコ串を通していく形ですね。
多田 はい、その課題解決を図る過程で結果として産業が萌芽してくるのを期待しています。むろん、産業といっても、いわゆる縦割の個別産業という形ではなく、既にセクトラルを超えて異業種連携などしている先行企業もありますから、産業政策もそういう視点で共に踏み出していきたいと考えています。
森信 思えば小泉政権時代は〝政府の失敗〟が前面に出過ぎて、政府全体がシュリンクしている向きがありましたね。
多田 かといって、それが誤りだったというわけではありません。その時代々々において必要な手立てを講じた結果によるもので、懸案だった内外価格差も解消されました。また、規制に守られていた業種を解き放した意義も大きかったと思います。惜しむらくはその段階で改革が終わってしまい、新しい時代に応じた新しい政策の発案や、その先の展開まで至らなかったのが反省すべき点だと、われわれは今問題意識を持っています。そして現在、GXや経済安全保障など重要な〝ミッション〟において、対応が求められている、という次第です。
GXは〝第三の産業革命〟
森信 では、以上のような政策の変遷を経た上で、今日もっとも重要なテーマの一つであるGXについて概括をお願いできればと思います。
多田 GXはまさに、〝第三の産業革命〟と言われるほど、日本の産業構造にとどまらず社会構造全体を変容させていく、最終的には産業の在り方だけでなく消費者としての活動も変えていく可能性を秘めた大きな流れであると認識しています。
現在、GX実現に向けて、大きく二つの方向性を打ち出しています。
一つは、数字ありきではありませんが、今後10年間における150兆円超の官民投資です。GXのような大きな社会変革に臨むに当たっては、やはり新しい技術開発、イノベーション、インフラ投資は不可欠です。150兆円のうち、20兆円を政府が〝呼び水〟として手当てする、こうした政府の踏み込んだ姿勢がメッセージとなって、民間においてそれまで投資を躊躇していた部分の予見可能性を高める、そういう効果を想定しています。
森信 その20兆円は、GX移行債という形でファイナンスされることになりましたが、通常の国債発行とはどう異なるのでしょうか。
多田 「GX経済移行債」(法案上の正式名称は「脱炭素成長型経済構造移行債」)や成長志向型カーボンプライシングがその具体的方策として、
現在、国会に提出させていただいているGX推進法案の中に盛り込んでいますが、ここで強調したいのは、財源を見つけるためにこれら方策を打ち出したのではなく、順序としては、従来からの排出量取引をめぐる議論なども踏まえながら、国際的な環境の中で、排出量取引と炭素賦課金から成る成長志向型カーボンプライシングの導入を決断したということであり、むしろ財源論は後から付いてきたということです。
脱炭素社会を実現しようとするのであれば、長らく国内投資意欲が低迷している産業界の意識を喚起することが不可欠ですので、カーボンプライシング等の制度導入により数年後には負担増が不可避、という宣言を発する、言わば投資判断に必要な予見可能性をタイムスケジュールとともに示すことで、ならば早めに負担回避のアクションを起こそうというマインドセットの定着を図ったつもりです。
多田 ただ、今般のエネルギー価格高騰の中で、カーボンプライシングを性急に導入するのは産業界として受け入れがたい、ならば、現段階のロードマップでは2028年度を想定していますが、その段階から化石燃料輸入者等を対象とした炭素賦課金(法案上の正式名称は「化石燃料賦課金」)制度を取り入れていく、そしてその先33年度には排出量取引における有償オークション(法案上の正式名称は「特定事業者負担金」)を導入する、というスケジュールを法律に明記して国会で審議していただきます。そうすれば産業界も法制度に応じて然るべき準備を進めていく、これが、われわれが描いた今後の展望です。その上で、最終的には転稼等を通じて社会全体でご負担をいただくところも出てこようかと思いますが、その過程において必要となる投資の裏付けとなる財源については、こうした制度等によって手当、充当していく、これが一つの考え方ではないかと思っています。
もりのぶ・しげき 法学博士。昭和48年京都大学法学部卒業後大蔵省入省、主税局総務課長、大阪大学教授、東京大学客員教授、東京税関長、平成16年プリンストン大学で教鞭をとり、17年財務省財務総合政策研究所長、18年中央大学法科大学院教授。東京財団政策研究所研究主幹。著書に、『日本が生まれ変わる税制改革』(中公新書)、『日本の税制』(PHP新書)、『抜本的税制改革と消費税』(大蔵財務協会)、『給付つき税額控除日本 型児童税額控除の提言』(中央経済社)等。日本ペンクラブ会員。