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【末松広行・トップの決断】本四道路・酒井 孝志氏

“インフラ経営”の先行事例として、地域をつなぐ役割を担う

さかい たかし/昭和27年10月9日生まれ。京都大学大学院(衛生工学)修士。52年大阪ガス株式会社入社、平成17年同取締役広報部長、18年同執行役員広報部長、19年同常務取締役ガス製造・発電事業部長、21年同取締役常務執行役員リビング事業部長、22年同代表取締役副社長執行役員社長補佐、25年同取締役兼株式会社ガスアンドパワー取締役会長、同顧問兼株式会社ガスアンドパワー取締役会長、平成30年同顧問、6月本州四国連絡高速道路株式会社代表取締役社長(現在)。
さかい たかし/昭和27年10月9日生まれ。京都大学大学院(衛生工学)修士。52年大阪ガス株式会社入社、平成17年同取締役広報部長、18年同執行役員広報部長、19年同常務取締役ガス製造・発電事業部長、21年同取締役常務執行役員リビング事業部長、22年同代表取締役副社長執行役員社長補佐、25年同取締役兼株式会社ガスアンドパワー取締役会長、同顧問兼株式会社ガスアンドパワー取締役会長、平成30年同顧問、6月本州四国連絡高速道路株式会社代表取締役社長(現在)。

世界最長のつり橋である明石海峡大橋をはじめとする17橋の長大橋橋梁群を中心として本州と四国を三つのルートで結ぶ本州四国連絡高速道路(以下、「本四道路」)。その運営・維持管理を担う本州四国連絡高速道路㈱(以下、「本四高速」)は今、新たな取り組みにチャレンジしている。インフラをハード面での利用にとどめることなく、それ自体を観光の目的地に、そして広域観光の拠点として地域活性化に寄与していくという役割だ。まさに〝インフラ経営〟の先陣を切る存在となるかどうか、注目を集める同社の壮大な試みについて、その理念を酒井社長に語ってもらう。


本州四国連絡高速道路株式会社 代表取締役社長
酒井 孝志氏

20世紀末に3ルートの供用を開始

末松 橋梁を経営資源の主体に置いている企業というのは、改めて考えてみると非常にユニークなのですが、まずは御社のこれまでの歩みなどについてご紹介をお願いします。

酒井 日本列島は大きく四つの島によって構成されているわけですが、そのうち四国は、本州とつながる橋梁が無ければ、ある意味で離島とも言うべき存在です。それ故、古くから瀬戸内両岸、わけても四国の皆さまにとって本州との安全かつ確実な往来は長年の悲願でした。

 遡れば1889(明治22)年、香川県内の丸亀から琴平までの鉄道路線の開通祝賀式で、地元の政治家・大久保諶之丞が「これ(讃岐鉄道)を山陽鉄道につなげることが余の夢である」と演説しましたが、当時はまさに人類が月に行くような、文字通り夢物語だと受け止められたのではないでしょうか。以後、さまざまな行政機関でも実現への構想が浮かんだようですが、具体化に向けた動きがでてきたのは1955(昭和30)年になって、です。国鉄(当時)が調査を開始したのとほぼ同時期に、香川県高松港と岡山県宇野港を結ぶ宇高連絡船の「紫雲丸」が霧で貨物船と衝突し、修学旅行で乗船していた小中学生を含む、168名が亡くなるという大変痛ましい事故が発生し、これを機に、本州と四国を結ぶ橋梁建設の機運が高まりました。

末松 その具体化に向けて、公団が設立されたということですね。

酒井 はい、弊社は2005(平成17)年に民営化されましたが、もともとは1970(昭和45)年に本州四国連絡橋公団として発足したのが始まりです。同公団が主体となって、これから本州四国連絡橋を建設していくのだ、と。当初は、橋を架ける候補が5ルートありましたが、最終的に現在の3ルートを建設することになりました。その中で最初に本州と四国がつながったのが、1988(昭和63)年の岡山県と香川県を瀬戸大橋で結ぶ瀬戸中央自動車道でした。瀬戸大橋は、高速道路の下に鉄道が通る道路鉄道併用橋、しかも在来線だけでなく新幹線が通れるだけのスペースが確保されています。

 以後、1998(平成10)年には兵庫県神戸市と淡路島を明石海峡大橋で、淡路島と徳島県鳴門市を大鳴門橋で結ぶ神戸淡路鳴門自動車道が、1999(平成11)年には広島県尾道市と愛媛県今治市を九つの橋で結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」こと西瀬戸自動車道(以下、「しまなみ海道」)が相次いで開通し、四国の方々が〝夢の架け橋〟と呼んだ架橋構想である、本四3ルートを何とか20世紀中にすべて供用することができました。

末松 大久保翁が描いた夢がついに実現したわけですね。その後は主に運営・維持管理を中心に?

酒井 そうですね、99年のしまなみ海道の開通により全社的に運営・維持管理にシフトし、そろそろ四半世紀になろうとしています。05年の民営化時点で道路資産は上下分離となり、他の高速道路会社と同様、独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構が道路資産を保有して、そこから高速道路会社が借り受けて運営・維持管理を行うという方式を採っています。民営化後、経済状況の変転により決して経営状況も順風ばかりとは言えない面もあり、時には出資団体の国、関係府県市やNEXCO各社の支援を受けながら現在に至ります。

 一方、民営化された時に経営理念として、〝 Bridge:Communication & Technology〟、すなわち交流と高度な技術で社会に貢献するという高い理想を、その後2008(平成20)年に〝瀬戸内企業ビジョン〟を策定し、地元に貢献しつつ世界一の技術で橋を守るという理念を掲げてまいりました。とはいえこれまでのところ、なかなか理念を体現するのに手が回らない日々が続きましたが、ここ数年で徐々に理念の実現へ向けた体制が整いつつあると感じています。

末松 では、理念の実現に向けた各種のビジョンについて、ご説明をお願いします。

酒井 一つは長大橋技術をしっかり守ることです。世界はもとより日本でも橋梁などのインフラ設備が老朽化し、各地方自治体が対応に追われる時代が到来しますので、これに技術でもって貢献すること。と同時に瀬戸内地域への貢献を図ること。これを車の両輪として、事業を進め理念を追求することがわれわれの使命であると再確認し、改めてチャレンジしている、という状況です。