2024/06/10
コロナパンデミックを契機として日本の医療の課題が改めて浮き彫りとなりましたが、これらはかねてから指摘されてきた懸案、ということをお話してきました。取り組みが難しい課題でもあった、ということなのですが、その根源的な論点が、日本の医療制度を構成する医療財政すなわち医療保険制度と、医療提供体制の特性に行き当たります。まず、日本の医療保険制度は、①現物給付、②全国一律、③出来高払い、という三つの大きな特徴があり、それぞれ特徴と課題が表裏を成しています。
例えば現物給付。保険証の提示と一部負担金の支払いによって実体としての医療の提供が保証され、必要とされる医療は全てカバーされています。仮に現金給付制度の場合、高額治療では一時立て替えが必要となり、この現物給付が無ければ支払いに窮することになります。一方で、今後さらに高額な治療薬が出てきた場合、〝必要とされる全ての医療〟にどこまでの治療を含めるべきか、という懸念も指摘されています。
次いで全国一律の制度運用は、全国民に平等に対応するという重要な特徴ではありますが、医療提供の実態として、例えば都市部と地方とでは地価、人件費等も大きく異なる中、全国一律の保険点数ということで医療提供者側の不満がくすぶっています。しかし、これらを制度上補正することは容易ではなく、仮に地価等に連動して都市部で保険点数を引き上げると、医師はじめ医療資源が都市部に集中していき、かえって地域偏在を助長し、僻地医療が成立しなくなるという側面があります。実際、過去には地域差を設定した時期もあったようですが、このような弊害を招いた経験から、今日の運用に至っています。
出来高払いに関しては、同制度により過剰供給を起こす側面もありますが、一方で最新技術の提供には、より高い費用を要する場合が多く、一定の報酬を確保しないと医療イノベーションの普及が困難になりかねません。
一方、医療提供体制においても、幾つかの大きな特徴と課題があります。①フリーアクセス、②自由開業・自由標榜、③民間主体、の3点ですが、これらは総じて、医療の受療側・提供側の双方において、極めて自由度の高いシステムになっており、個人の選択を重視し、憲法が保障する基本的人権にも帰結する大原則が反映されているものと言えるでしょう。
まず、患者の自己判断で受診できるフリーアクセスは、医療を受ける受療側にとって極めて利便性が高い一方で、大病院への患者集中や医療の必要が乏しい〝念のため受診〟等の非効率な医療提供を招く要因ともなっています。
次に医療提供側についても、居住や職業選択の自由といった個人の意思に則った勤務地や診療科・診療組織の選択も担保されるなど当然のようではありますが、これらが医療の地域偏在・診療科偏在の背景要因の一つとなっています。さらに前述のように医療機関の8割を民間が占めており、これが医療サービスの質を高めたり、より高度な患者ニーズに応える努力を促したりしているのですが、不採算な医療分野では公的補完が必要になり、また、今回のパンデミック対応で指摘されたように緊急事態でのガバナンスが弱い、という側面は否めません。
特に今回のコロナパンデミックにおける危機対応ガバナンスの脆弱性については、前述の内閣感染症危機管理統括庁発足、医療機関の事前協定締結へとつながるなど一定の前進を見ました。ただ、これらの改革の難しさは、現行制度の特徴と課題という表裏の双方に作用するため、ともすれば課題だけをあげつらって改革を推し進めることで、これまで特徴としていたメリットが棄損されてしまうリスクがある、ということを見失いがちであり、慎重な検討が必要です。
突き詰めれば、われわれ国民がごく当たり前に利用している医療は、大きな困難を伴いながら日々運営されており、現状の改善を図るならばこうした状況を踏まえるべきだとご認識いただく必要があろうと思います。
あらゆる改革には痛みを伴いますが、その痛みを越えた改革の推進には、あくまで社会全体としての合理性、単なる利害調整を超えた「社会インフラとしての医療」をどう整備し維持していくのか、という視点の共有が不可欠です。私たちは今、既存の〝高い自由度〟を生かしつつも、少子高齢化や価値観の変化などを反映した「社会の要請」とバランスを取る仕組みを考えるべき局面にある。これこそがコロナパンデミックによって日本の医療が学ぶべきことの本質ではないかと私は考えています。
コロナパンデミック対応の国際比較・英米政府の認識
最後に、コロナパンデミック対応についての国際比較をご紹介します。2022年6月の「有識者会議報告」では、人口10万人当たりの日本の超過死亡者数について、米国、イタリア、ドイツ、英国、フランスと比較してもかなり低い数字であることが示されており、直近の数値でも同様です。これらの国々に比べ、日本は高齢化率および都市人口割合が高いにもかかわらず死亡者全体を増やさなかった、と言えるでしょう。ただ、どのような施策や要因がどれくらい功を奏して死亡者の抑制につながったのか、その要因や影響度などの明確な結論はまだ出ていません。
また、主要国における感染者数や死亡者数の推移を見ると、欧米では20年の初期段階から22年冒頭のオミクロン株への置き換わりまでに、感染爆発を招きました。日本を含め東アジア・オセアニアの主要国とはケタ違いの死亡者数を出しています。特に死亡者数が多い英国では、政府のコロナパンデミック対応に関するレビューが現在も続いており、欧米諸国が日本とは法制度や社会の成り立ちが異なるとはいえ、多くの国でロックダウンという手段に打って出ざるを得なかったのも、事態がそれほど深刻だったという証左でもあるのではないでしょうか。
オミクロン株流行前の死者数が、最終的な累積死者数において、東アジア・オセアニアと欧米との間に決定的な差異をもたらしました。結果として、ワクチンや治療薬が登場するまでの間、東アジア・オセアニアの主要国は可能な限り感染拡大を抑制し、その後のオミクロン株以降、社会経済活動を再開させたためにトータルの死者数も抑えられた、と言えるのかもしれませんが、この点は今後の評価を待ちたいと思います。
今回の内閣感染症危機管理統括庁設置に先立ち、米国と英国の同様な立場にある関係者と一連の対応に関して意見交換を行う機会がありました。両国とも今回のパンデミック対応では、平時の感染症対策担当省庁(保健省)だけに委ねず、政府全体としての対応体制を新たに構築して対処していました。
また政府の基本方針としてコミュニケーションを重視した点も共通です。しかし、基本的な感染症対策は国によって態様が異なりました。英国は国営のNHS(ナショナルヘルスサービス)を活用して、新型コロナ感染者に対する全国レベルでの統一的な指示体制・診療情報の集約体制を取ることができました。他方、米国は日本と同様に民間医療機関の割合が高く、また連邦制の中で医療と公衆衛生は州法による統治体制となっており、マスクの扱い等、州による運用の差異が指摘されてきました。一方、国家的対応としてのコロナ対策に関する準備や追加的な諸費用については連邦政府がサポートする点など、日本と似た対応を行ってきています。
そして両国とも、公衆衛生上の対策については、必ずしも上手くいかなかった、という厳しい認識を持っているように感じました。特に米国は、感染初期の検査能力の不足が顕著で、さらに感染実態に関する情報とその集約も不十分で、パンデミック初期における感染拡大の状況が十分に把握できなかった、と認識していました。検査能力については日本も厳しく批判されましたが、検査体制の整備は各国とも共通した課題だったのです。さらに米国では、ネットを中心としたアンチサイエンスやフェイクニュースに大変悩まされたとの指摘もありました。
初期の感染拡大を経て両国とも、感染動向の把握と情報発信に力を入れた、つまり医療DXの実践です。英国ではNHSの強みを生かし、NHS登録番号にひも付けられた豊富な診療データを迅速に収集・分析活用し、ワクチン接種の現場運用等に絶大な効果を発揮しました。
米国では各州の管理下で民間病院が主体、ということもあり、初期段階では診療情報のフォーマットが統一されていないなど情報集約が進まなかったものの、その後CDC(疾病予防管理センター)の指揮の下、情報収集の強化・充実を図り改善していった、とされています。
この点まさに、日本で今後創設される予定の新たな専門家組織である国立健康危機管理研究機構にも、こうした機能とリーダーシップを発揮することが期待される所以です。
日英米とも、感染症危機管理においては、科学者の〝専門知〟をどう生かすかが適切な対策を遂行する上での決定的なポイントである、という認識で一致していました。実際の対応は、具体的な行政組織の構成や立法府との関係からそれぞれ異なっており、米国は専門家を政府組織に内包して対処する形をとり、英国は政府から情報を提供された専門家が科学的論考を政府にフィードバックするという、日本と近い方法を取っていたようです。ただ、英国は各個別分野に関する専門的見解を得る一方で、それらを集約して方向性を見出すのは科学者ではなく、あくまで政府の役割として運用上も分担が明確化されてきた、というこれまでの経験が反映されているようにも見えました。
次なるパンデミックに備えてこれらの点をどう工夫していくべきか、今後も各国が継続して模索する課題であると言えるでしょう。
以上、これまでの経緯から得られた教訓を集約すると、パンデミックを見据えた感染症対策では、平時が重要という意識を持つ、医療体制を充実させる上で、特徴・課題も含めた現行医療制度の特性を認識して対応する、専門知を集約してタイムリーに活用する、が次なるパンデミックに対応するために、欠くべからざる要素だと言えます。
(月刊『時評』2024年5月号掲載)