お問い合わせはこちら

能登半島の経験と防災DXの取り組み/デジタル庁 村上敬亮氏

◆デジタル庁防災政策最前線

むらかみ けいすけ /昭和42年1月20日生まれ、東京都出身。東京大学教養学科相関社会科学分科卒業、ミシガン大学大学院修了。平成2年通産省入省、23年資源エネルギー庁新エネルギー対策課長、25年経済産業省経済産業政策局調査課長、26年内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局参事官、29年内閣府地方創生推進事務局審議官、令和2年中小企業庁経営支援部長などを経て、3年9月より現職。
むらかみ けいすけ /昭和42年1月20日生まれ、東京都出身。東京大学教養学科相関社会科学分科卒業、ミシガン大学大学院修了。平成2年通産省入省、23年資源エネルギー庁新エネルギー対策課長、25年経済産業省経済産業政策局調査課長、26年内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局参事官、29年内閣府地方創生推進事務局審議官、令和2年中小企業庁経営支援部長などを経て、3年9月より現職。

 本年1月1日に発生した能登半島沖地震は、過去の大規模自然災害から得た教訓と対策が功を奏した反面、地域特性や被害内容に応じて新たな課題も生じた。今回、主としてデジタルの観点から被災支援オペレーションに加わり、防災に向けたDXのありようを体感した村上統括官に、現場の肌感覚で得られた知見を解説してもらった。

デジタル庁統括官(国民向けサービスグループ長)
村上 敬亮氏

状況は3・11とほぼ同様

 能登半島沖地震は、被災範囲の広さこそ東日本大震災には及ばないものの、被災の深刻さは十分それと比肩しうるものでした。随所で発生した断層や液状化の爪痕は厳しく、例えば市街地のマンホールの多くは、大きく地面から突き出しました。木造建築の大半は、上層階の自重に押しつぶされる形で倒壊・半壊し、市街区域のほとんどの方々が被災生活を強いられました。また多数の上下水道が寸断され、今回の復旧作業を非常に困難なものにしています。

 他方、民間からの協力の申し出は極めて迅速でした。例えば、通信網回復に向けて、通信事業者からはスターリンク(米・スペースX社)のアンテナを、自動車会社からはそれを運べるハイブリッド車の提供をすぐにオファーしていただきました。ただし、道路の亀裂や段差が激しく、ご準備いただいた普通車では現地に乗り込めなかったため、防災慣れした四駆等で駆け付けてくれた専門家の方々が運んでくれたアンテナを現地に届けました。その効果は絶大だったと思います。その後、通信インフラに関しては、船上から電波を飛ばすなどの工夫を凝らし、通信事業者の手により一週間ほどで一定程度復旧しました。

 道路の修繕も焦眉の急でした。地域では、日常的な物資の運搬には軽トラが不可欠です。何とか走れるよう、段差や亀裂一カ所ごとに砂などを活用して補修を行うなど、コツコツと対策を行っていきました。そして、道路の回復と競うように、トイレや食料など必要な物をとにかく必死に届け続ける、最初の2週間は、そういう毎日でした。

 このプロセスではドローンも活躍しました。特に限界集落における避難実態の確認には大いに力を発揮しました。ただし、電波がなく制御信号が飛ばせなかったため、飛行高度が下げられず物資の投下まではできなかった、有視界飛行に拠るためヘリが飛ぶ日は管制上ドローンを飛ばすことが難しかった、などの課題も明確になりました。しかし、結果的にドローンが埋めた対策の隙間は大きかったと思います。

 被災後の市街地の様子はというと、先ほども申し上げた通り、上層階の自重で木造建築が押しつぶされるケースが多数発生し、七尾市以北に入った瞬間、道路脇の風景が一変する、震災のすさまじさを目の当たりにすることとなりました。また、自宅の損壊がない比較的新しい家の場合でも、隣家が倒壊したり、倒壊しかかったりしていると、連鎖倒壊の恐れが出てきます。この結果、古い家屋がモザイク状に点在していた市街地では、エリア一帯が帰宅困難地域にならざるを得ず、避難者の数は増える一方でした。

 大火災については、その爪痕を見るに堪えず現場に行けない被災者の方も多く、結果的に自分が先に撮った写真を被災者の方に請われてお見せするような場面もありました。また、そうした火災被害のエリアの広がりは、見事なまでに、道路の幅が十分確保できていたかどうかに左右されており、当たり前ですが、災害対策は起きてからでは遅い、ということを改めて、強く実感させられました。

困難を極めた、避難所の実態把握

 こうした広域災害が起こると、各自治体や関連団体から災害派遣スタッフが集まることになります。実は、こうした災害派遣チームには「常連」の方が多く、現場は違えど同じ関係者が現地で再会するケースが少なくありません。各省庁からのリエゾン、災害派遣医療チーム(DMAT Disaster Medical Assistance Team)、各都道府県からの支援チームなど、それぞれが庁舎内に部屋を構えながら、対策本部で横に連携を取りつつ支援を展開していくことになります。また、普通の装備では入ることが難しい現場が多かったため、今回は特に、自衛隊の方々に、重要な役割を果たしていただきました。

 国と地方の役割分担の在り方についても考えさせられました。というのも、例えば輪島市では、発災直後は3割しか出勤できないくらい、市の職員自身が被災されており、対応することができた職員の方々の負担も過重を極めました。災害対応の基本的な考え方は地方分権。甚大な災害が発生した時ほど、自治体の現場に付与される裁量権は強力かつ幅広くなるのですが、現実には、基礎自治体の職員だけでは、避難実態のある全ての場所まで支援の手は回りません。実際、近年の大災害では、前述のような「常連」チームも含めた、国からのプッシュ型支援が相当程度現場の実務も担うケースが増えてきています。ただし、そうなると、指揮命令系統が曖昧になりがちになる、もしくは一部の方の調整負担が激しくなるなど、現場管理構造がいびつとなりがちで、情報共有にも課題を残す結果となりました。

 その代表的な例が避難所の実態把握です。今回の震災では、道路の寸断も激しかったため、そもそも被災者の方々が定められた指定避難所にたどり着けないケースが多数発生しました。また、危険にさらされている自宅であっても、あえてそこを離れたくない高齢者の方や、何の連絡もないまま広域避難される方などもいて、目の前の避難所にいったい誰が何人避難しているのかを正確に把握することすらとても大変でした。また、こうした中で医療ケアや物資を確実にお届けし、衛生環境を維持することも、難しい作業だったのが実態です。

データの正確性をめぐる諸問題

 ここで新たに課題となったのが、データの品質の問題でした。避難所や避難住民に関するデータが正確性を欠くと、当然、それに基づく支援体制も焦点のずれたものとなってしまいます。水・食料はもちろん、届けるべき服用薬について情報が誤ると二次被害につながる恐れもあります。しかし、被災現場における国の支援は、道路は国交省、医療・医薬は厚労省、電気やガスは経産省、という具合にタテの系統に基づいて活動しています。その結果、ある特定の避難所に関して、各省リエゾンから上がってくる物資要請情報が異なる場合が往々にしてありました。例えば同じ避難所なのに、食料を35人分調達してほしいという情報もあれば、水を40人分ほしいという情報も混在してしまう。しかし、後で蓋を開けてみるとどちらも正しくて、朝は35人だったけれど、人の出入りを受けてか、昼過ぎに別の省が数えた時には40人分必要になった、ということもありました。

 発災現場での正しい数字の把握は大変難しい作業です。同じ悩みに直面した、かつての災害対応では、不正確な数字ゆえにデジタル入力せず、アナログ処理してきた面もあったようです。実際今回でも、県の防災総合情報システムに入力するデータは、一度入力したら変更が難しいですし、正確性もある程度要求されるので、結局、データの正確性を確認した上で、数日後に入力することとなりました。また、毎夕行われる知事の会見では正確な数字を使う必要があったため、そのとき発表に用いる情報の正確性の判断には苦慮することになりました。

 結局、今回は、日々の業務に使うデータを、派遣された民間専門家の力を借りて、その場で作ったシステムで処理し、必要に応じ関係部署との共有を図ることとなりました。この仕組みは、一定程度、現場のお役に立ったのではないかと思います。

 そこで実感したのは、発災直後は、データの正確性にこだわって共有をためらうより、ラフでも良いのでデジタル化したデータを関係者に迅速に共有できる仕組みを確立することが重要だということです。これまでも、現場に入った民間専門家が密かにこうしたツールを作成し裏から提供している実態はあったそうですが、そこで記録されるデータの責任を誰が持つかが決められなかったが故に、正規データ化せず、結局、そうした事情も重なって、災害の現場毎に、毎回違うツールが使われてきました。しかし、数日かけてデータをクレンジング処理した正式なデータベースのデータでは現場の実務には間に合いません。初期2週間の被災対応の実態としては、正確な人数は不明なままでも、足りないよりは余る方が良いという考えで水や食料、毛布などをたくさん送る。だからこそ、まずはラフなデータでも共有できる仕組み作りも併せて考えることが必要だと再認識しました。こうした観点からは、今回、多くの民間専門家が現地入りし、都市部からも遠隔で手伝っていただくことで、必要なデータ処理の仕組みを現場で迅速に開発・運用できたことは、従来と比べ、震災のデジタル対応を一歩前進させたのではないかと思います。ご協力いただいた皆さんには本当に感謝です。

関連記事Related article