2024/11/11
2023年秋、〝企業統治の憲法〟とも言うべき「G20/OECDコーポレートガバナンス原則」が改訂された。国際社会の大きな変動を踏まえつつ中長期的未来に対応した内容として各国からも高く評価され、新たな世界規範となっている。
今回、OECDコーポレートガバナンス委員会の議長として改訂の指揮を執り、各国の複雑な見解の相違を乗り越え、総和的な取りまとめに導いた神田内閣官房参与(前財務官)に、その背景とプロセス、意義について解説してもらった。
内閣官房参与 神田眞人氏
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資本市場における〝憲法改正〟
――本年7月まで3年間にわたる財務官、誠にお疲れさまでございました。また国際的には日本人として初めてのOECDコーポレートガバナンス委員会の議長を2016年11月のご就任以来、約8年の長きにわたり現在も務めておられますね。
神田 はい、世界的な注目度としては「G20/OECDコーポレートガバナンス原則」(以下、原則)改訂動向への関心が高く、それ故に昨年9月にインド・デリーで開催されたG20サミットにおいて原則の改訂が承認されたのは、まさに資本市場における〝憲法改正〟として国際社会に絶大なインパクトをもたらすものでした。
――改めまして原則の位置付け、その改訂がもたらす重みについて教えてください。
神田 この原則は企業統治の分野で唯一の国際基準となるものです。類した基準が他にもあるようにイメージされがちですが、シングル・グローバルスタンダードと呼ばれているように、企業統治に関しては、G20の首脳に承認されて、世界の基準といえるのはこの原則しかありません。G20/OECDと冠せられていますが、両加盟国だけではなく計53の先進国・新興国がこの原則に直接準拠しており、これら準拠国で事実上、世界の資本市場国すべてをカバーしています。また金融安定理事会(FSB)と世界銀行(WB)も、この原則を各種評価に使用しています。日本のコーポレートガバナンスコードも、制定時に、OECDの企業統治課長に金融庁と東京証券取引所による検討会議に入ってもらうなど、OECDコーポレートガバナンス原則に準拠したものとなった結果、一挙に、世界レベルに追い付きました。
この原則が制定される契機となったのは、1990年代後半に発生したアジア通貨危機でした。この時、伝統的なアジア型ファミリーオーナーシップの行き詰まりが指摘され、アジアはもちろん世界でコーポレートガバナンスの重要性が広く認識されたのです。その後1999年に、OECDコーポレートガバナンス原則が設けられ、2004年に最初の改訂を経て、15年の次なる改訂時にG20の承認を得たことで同原則は〝企業統治の憲法〟としての位置付けを確立しました。この時、私が委員会副議長の時にG20からの承認を主導したことで、その後の委員会議長就任につながった、という次第です。私にとってコーポレートガバナンスへの関わりは、ライフワークとも言うべき仕事になりました。
――前回15年の改訂から昨秋の改訂まで8年、期間としてはそれほど長くないようにも思われますが、それでも改訂に踏み切った背景としましては。
神田 端的に言えば気候変動への対応、新型コロナウイルス感染拡大、デジタル化の進展など、国際社会を取り巻く経済社会環境の著しい変化があります。資本市場の動向がこうした変化に影響を受ける以上、企業統治も現状に即応したものであるべきです。
特にサステナビリティが世界的な潮流となった現在、2050年のカーボン・ネット・ゼロ社会への移行を目指していくためには、公的な資金注入だけでは事実上不可能で民間の資金活用が不可欠であると認識されています。そうするとコーポレートガバナンスによってこれを後押しする必要があります。
こうした方向性の下、われわれ委員会はサステナビリティ関連をはじめ、さまざまな調査、データの検証を行いました。例えば、サステナビリティ関連の投資が世界的に増加を続けており、機関投資家のエンゲージメント(企業との建設的かつ目的を持った対話)においてもサステナビリティが極めて重要な論点に位置付けられていました。また2020年に、エンゲージメントにおいて何が重要な点なのか機関投資家にアンケートを取ったところ、メディア等で巷間指摘されるような取締役会の構成や経営陣の報酬よりも、気候変動や人的資本を優先事項とする機関投資家の方が多かったのです。つまり機関投資家のニーズは気候変動を含めたサステナビリティにあることが確認されました。
ところが、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が開示基準の枠組みを整備しているものの、取締役の責務やステークホルダーの役割といった他の主要な論点は対応している機関がなく、それならわれわれOECDコーポレートガバナンス委員会が先頭に立って、取締役会やステークホルダーに求められる役割を含めた網羅的な論点をグローバルに参照する枠組みを世界で初めて作っていこう、と考えたのです。
資本市場の崩壊という世界の実態
――やはり、サステナビリティが最大の改訂要因になったわけですね。
神田 実はもう一つ、あまり一般的に知られていない実態が明らかになり、この点の改善・是正も改訂を要する主因となりました。
――どのような実態でしょう。
神田 世界の株式市場では現在、上場企業の株式保有がコンセントレート、つまり過度に集中しているのです。昔教科書で学んだのは、市民株主が公開された資本市場に貯蓄を持ち寄ることで資源分配が具現化されるという構図だったはずですが、実態は全くそうなっておらず、一部の大株主が上場企業の意思決定に影響を及ぼすという構造が、日本はもとより世界中に共通する傾向になっていました。115のマーケットにおける3万1000社以上の株式保有状況を徹底的にリサーチしたところ、2023年末時点で、株式保有数上位3者で合計30%以上の株式を保有している企業が社数ベースで全体の7割を占めること、逆に上位3者が株式保有10%未満の企業は1%しかないことが明らかになりました。つまり、ほんの一握りの株主が企業を支配しているのが、今の資本市場の実態なのです。
――驚きました。これは、もっと国際的に問題視されるべき事案だと思います。おそらく多くの国民がイメージしている資本市場の姿と実態とは、大きく乖離しているようですね。
神田 ごく少数の機関投資家による寡占状態に置かれているわけですが、ならば必然としてその機関投資家をどのようにチェックするのか、親子会社関係をどうコントロールするのか、という問題意識が起こります。これが原則の改訂を行うべきもう一つの要因です。
その他、コロナ禍によりリモート株主総会が急増したことで、情報の共有や匿名性の維持、発言機会の公平性の確保等々、新たな手法に伴うルール作りを要望する声が私のところに数多く寄せられました。
さらにリスクの多様化が急速に進んでいることも影響しています。これまで取締役会レベルの専門委員会は監査委員会、報酬委員会、指名委員会などが既設されているのですが、近年では技術革新委員会や戦略委員会などが求められ、この新たな枠組み作りにも対応する必要に迫られました。
そして最後のポイントがダイバーシティです。多様性について議論する場合、主にジェンダーに焦点が当てられていますが、もちろんそれを含め、しかし、それに限らず取締役構成員の多様性確保に向けた取り組みをどうやって進めていくべきか、これら種々の今日的テーマに総合的に対応するべく、われわれは改訂に臨むこととなりました。
優秀な仲間たちと難局を突破
――なるほど、多様な背景に加え、強い使命感が改訂に向けた原動力になったと。
神田 とはいえ、改訂を行おうという呼び掛けに対しては当初、各国からの反応は肯定的ではありませんでした。気候変動の問題は政治的要素が強く各国間の意見の相違も大きい、それ故調整は非常に難題であると想定されるからです。改訂の必要性は認識されながらもその方向性は一様ではなく、またひとたび国際ルールが改訂されるとそれに連動して、各国において例えば会社法や金融取引法、消費者法などを改めたり、場合によっては刑法まで各種法改正も必要になる。それ故問題意識はありながらも具体的なアクションには消極的になるのも無理からぬところです。
しかし私は、いま原則を改訂しておかないと原則自体が意味を為さなくなる、資本主義、市場経済の根幹が揺るぎかねない、との危機感から、議長として改訂を主張し、21年10月のG20イタリア・ローマサミットで原則の見直し作業を承認してもらい、その後約2年かけて昨秋の改訂承認に至りました。
――しかし、政治的な要素を含むだけに改訂に向けた作業は難航したのでは。
神田 この点、OECDの各国当局の長官、委員長ほかトップクラスが集まる幹部会、あるいは事務局のスタッフなども含めて、非常に優秀な仲間に恵まれました。こうした人々に支えられたからこそ、微力の小生でも陣頭指揮が為し得たと考えています。
また実際に、改訂を求める当局・企業からは大きな要請が寄せられていたのも確かです。こうした現実的な要請に応えることが議長としての使命であるとも強く認識していました。企業統治は資本市場の屋台骨であり、企業が持続的に成長するには企業統治がしっかり機能していなければなりません。世界中の当局・企業が具体的な政策形成や企業統治上の問題解決のためにこの原則を利用しており、改訂によってより一層、グローバルな資本市場の発展に寄与する内容になったと自負しています。
――では、改訂作業を行う上で念頭に置いていた留意点などはいかがでしょうか。
神田 さまざまな要点が混在する状況でしたが、あえて絞ると以下の2点がポイントになりました。
一つは、企業による株式市場へのアクセスが改善を迫られるようになったという点です。家計の運用手段に加え、企業が成長資金を調達するなど、資本の効率的な配分をするのに株式市場は不可欠な存在ですが、現在、多くのマーケットで上場企業が著しく減少する傾向にあります。巨大プラットフォームがライバル企業を吸収したり、規制を逃れて取引自体が地下に潜んだりすることが主な理由です。従って投資家保護を促進しながらも、企業の資本へのアクセスを改善する必要性が高まりました。
二つ目は、企業の持続可能性と強靭性の向上に資する企業統治の強化です。新型コロナウイルス感染の事案を鑑みても、やはり社会・経済活動の変動やリスクに対し事業戦略を柔軟に適応させないと、事業価値を長期的に向上させることは難しいと言わざるを得ません。