2022/09/15
山際 例えば、今回の座談会のテーマのライフサイエンス分野をはじめ、「グリーン」と呼ばれるエネルギーやごみなどの環境問題など、社会課題を解決していくためには、テクノロジーや社会変革が必要ですが、これらを行うのは、全て「人」なのです。言い換えれば、「人」に投資をしない限り、社会課題は解決しないという非常にシンプルな理由で、人材を早急に育て、スタートアップを通じて成長のエンジンに変換していきたいと考えているわけです。さらに、AI(人工知能)や量子技術、バイオなど国際的な競争になっている領域の「人」も積極的に育て、持続可能な社会をつくっていくというのが「新しい資本主義」の基本コンセプトになります。
池野 つまり、今日的な課題や将来的課題を解決していくイノベーションを起こせる人材を創っていくためにスタートアップを活用していく、と。
山際 その通りです。スタートアップというと、最近の流行り言葉のように聞こえるかもしれませんが、実は、日本のスタートアップ黎明期は、戦後の10年なんですね。1945年当時、焼け野原で何もないところから10年くらいの間に、ソニーもホンダも生まれています。それが世界で誰もが知っているような企業に育ったわけです。
ところが、高度成長期以降、日本経済は、総じて会社の規模拡大に注力をしたために、バブル期以降、スタートアップとして出てきた会社はあんまり注目されないまま来ているわけです。一方、アメリカはIT革命が進み、デジタルのスタートアップの黎明期が2000年に入ってから起き、現在も継続しています。このときスタートアップとして起業されたマイクロソフトやアップルなどは、もはや巨大企業になっています。
ですから、わが国では、スタートアップを起こさない限り、ジャイアントは絶対生まれないわけですよね。さらに言えば、われわれにはスタートアップが生まれ続けられるようなエコ・システムを創ることが、将来にわたって日本が世界経済のけん引役として存在し続けられるという確信がありまして、「今こそスタートアップだ」ということになったわけです。
実際、わが国に才能はいっぱいあって、若い意欲的な人材がさまざまな分野で出てきています。例えば東京大学は相当頑張ってくれていまして、東京大学発のスタートアップが随分出始めました。しかも、その中から、「ユニコーン」(評価額が10億ドルを超えるスタートアップ)も幾つか出始めています。従って、われわれは、この流れをさらに加速させていきたいと考えています。
池野 スタートアップという切り口でいくと、今回の座談会では、モデルナ・ジャパン株式会社の鈴木蘭美社長にも来ていただいています。恐らく、今、世界でモデルナという会社を知らない「人」はほとんどいないでしょう。でも、逆に、コロナ前にモデルナのことを知っていた「人」は、失礼ながら少数派だったと思うのです。
2020年3月にアメリカがロックダウン(都市封鎖)されて、その段階では、既にワクチンの開発が進んでいたわけですけれども、このワクチンは、いつの間にか全世界に普及して、今もって多くの人々を救っています。驚くべき点は、モデルナの創業は、10年だということです。つまり、20年のロックダウンの段階で、創業してたった10年しか経っていないにも関わらず、ある意味、世界を変えたわけですね。もちろん、これは現在進行形だと思いますが、鈴木社長、いかがでしょうか。
鈴木 このような貴重な機会を頂戴し、本当にありがとうございます。私自身は、モデルナ・ジャパンに昨年の11月、代表取締役社長として就任しました。
先ほど池野先生にご紹介いただきましたが、当社は過去10年強、mRNA(メッセンジャーRNA)という技術にのみ注力して、研究開発を行ってきました。現在、mRNAのパイプラインに保有する新薬プログラムの数は、46(2022年7月現在)となっています。2年前の新薬プログラムの数は23、昨年は37、今年の初めは44でしたが、かなりのスピードでパイプラインが拡充されています。このスピード感を持ってイノベーションできるのが、mRNAという技術の強みで、この46のプログラムを、しっかりと日本でも遅延なく開発して、より革新的な新薬、予防薬、治療薬を日本の皆さんにもお届けするというのが当社の役割となります。
池野 mRNAとは、生物の体内にあるRNA(リボ核酸)の一種で、ウィルスの情報を記載したRNAを体内に入れてタンパク質を作らせ、免疫細胞を訓練してウィルスに対する免疫をつける仕組みですね。実は1990年代から研究開発はスタートしていたそうですが、当時は、身体が異物として認識し、RNAが働く前に排除され、医薬品としては使えないという評価だったと言われています。状況が一変したのが2005年で、当時アメリカ・ペンシルバニア大学カタリン・カリコ博士(現・ドイツ・ビオンテックの上級副社長)とドリュー・ワイスマン博士が「RNA中の一部の構造を似た構造の物質に置き換えると、過剰な免疫反応が起きにくい」ことを発表し、RNAがワクチンとして使える見通しが立ち、10年代には、がん治療や狂犬病まで幅広い病気に対する臨床試験が行われるようになりました。
池野 では、本題である日本のライフサイエンス分野におけるイノベーション創出について、議論を深掘りしていきたいと思います。先ほど、山際大臣から人材育成に投資を行い、スタートアップを通じてイノベーションを起こしていくとの説明がありました。ただ、アメリカで2000年代に起こったAI、量子技術、バイオなどの領域は、世の中の生活スタイルを大きく変えました。
一般的に、こうした社会の課題を解決する領域は、ディープテック(Deep Tech)と呼ばれています。ディープテックでの実用化は世界に大きな影響を与え、必然的に巨万の富がもたらされます。モデルナもディープテックでの成功事例と言えるでしょう。従ってアメリカにおけるほとんどのスタートアップはディープテックでの成功を目指していると言っても過言ではありません。私が住んでいるアメリカ・スタンフォード大学もカリフォルニア州シリコンバレーにありますが、シリコンバレーで研究されている領域は、ほとんどがディープテックです。
鈴木 ディープテックにおける最近の研究の強みは、AIも活用していますので、複利の効果と言いますか、どんどんスピードアップしている印象です。
池野 その通りですね。実際に、ディープテックを伸ばそうとすると、私は、三つの条件が重要だと考えています。第一に、人材育成をサポートする人たち、つまりスタートアップを起こそうとする「人」たちにさまざまなノウハウを伝えるメンターと呼ばれる存在ですね。第二に、スタートアップに資金を投資するベンチャーキャピタル(VC)も重要です。実際、ベンチャーキャピタルがメンターとしての役割を果たす場合もすごく多いですね。三つ目は、起業後、間もないスタートアップが軌道に乗るような場所が重要です。
山際 となると、日本でスタートアップ・エコシステムをつくろうとすると、少なくともスーパーな「人」を中心にした集団を作らないと、ちょっとかなわない気がするんですけど、どうでしょうか。
池野 そうですね。米国と異なり、日本では専門性を持ったプロのベンチャーキャピタリストがまだまだ少ないというのが現実です。ですから日本のベンチャーキャピタルは金融機関が主流になっています。
山際 ではやはりファイナンスから入る方が現実的なのでしょうか。
池野 ある意味、ファイナンスは、非常に重要じゃないですか。ですから、日本の場合、できるだけ早く、専門性を持ったプロのベンチャーキャピタルを創ることが大切でしょう。ただ、日本の場合、一人の人間が専門の科学などの技術もファイナンスも、全て身につけるのは難しいので、異なる専門性を持った複数の「人」たちがチームを作るのが現実的ではないかと思います。
山際 なるほど。日本人の特徴からして、スタンドプレーはあまり得意ではないけれど、チームプレーは得意ですからね。確かにチームを組んで、組織力でアメリカのスタンフォード発のスタートアップと肩を並べるというのは、何となくイメージが湧きますね。
鈴木 私もチームを組むというのは、良いアイデアだと思います。
山際 本当に、プレーヤーとなる人材は全国いろいろ出ています。成功事例を持つ「人」たちがアドバイスをする、いわゆるメンターになってくれる「人」たちも出始めています。ただ、先ほどの銀行を含めて、バラバラの状態なので、チームが組めるようにしなければなりませんね。
池野 先ほど、鈴木社長からモデルナ創業時に、まだ海のものとも山のものとも分からないmRNAを「世界に革命を起こす、革新的なものだ」と信じてスタートしたとのお話を聞いて、まさに「アメリカらしい発想だな」と思いました。つまり、アメリカでは、「これが成功したらどんなに素晴らしい世の中になるのだろう」と考えます。一方、日本人は、真面目なので、「これをやって失敗したらどうしよう」と考えてしまいがちです。日本とアメリカを比較して、私が何より指摘したいのは、スタートアップを志すプレーヤーのマインドセットの問題なのです。
山際 確かに、プレーヤーのマインドセットが課題だというご指摘に対しては、100%同意します。
池野 例えば、スタンフォードの学生たちに、「君たち、将来、大企業に就職したいか」と尋ねたら、半分は「イエス」と答えますが、残り半分は、「嫌です。自分は大企業になるような会社をゼロから創ります」と言うはずです。もちろん多くの卒業生がさまざまなトライアルをするわけですけれども、やはり周りの「人」がチャレンジしているから、「自分もできるんじゃないか」と。先ほど、挙げた三つの条件で、私が場所を掲げたのは、マインドセットの問題が大きいわけです。
山際 池野先生がご指摘された通り、国際的な競争は、ディープテックの領域で多く起こり、だからこそ、絶えずイノベーションが起きて、エコ・システムの構築が必須になると思われます。既存の大企業であろうが、中小企業も含めてイノベーションをこれからどうやって起こすかということを、日々、考えながら業を営んでいかないと生き残れない中、われわれ日本はあまりに保守的と言いましょうか、現状を維持する感覚が強すぎる状況になってしまっていることを認識しておかなくてはなりません。
池野 鈴木社長は、この点、どのように思われますか。
鈴木 難しい質問ですが、例えば、前述したモデルナのファウンダーのステファン・バンセルCEOは、当社がまだアイデアベースだったときに起業しています。10年当時に、同じような起業が私にできたかというと、正直、答えは「ノー」ですね。それは、私自身が弱いからかもしれませんが、私には、「三人の子どもたちをしっかりと育てなければ」とか、「家族を路頭に迷わせてはいけない」などの思いがあって、やはり企業で働くという考えが先にありました。しかし、縁あって、モデルナ・ジャパンの社長になって、私自身、毎日挑戦していることがあります。当社には、「大義を成すためには、必要なリスクは受け入れよう」というマインドセットがあるのですが、これは、あえてリスクを取りに行くとか、人命を傷つけるようなこと、コンプライアンス上、問題があるようなリスクを取るという意味では決してなくて、「ビジネス上、キャリア上のリスクがあるのであれば、それを受け入れる勇気を称賛していこう」という考え方なのです。でも、「言うは易し、行うは難し」ですよね。ですから、このマインドセットを、私は、常に私自身にも課すようにしています。
池野 私もアメリカに行くまでの9年間、静岡県の中山間地で、県庁の職員として地域医療に従事していた、ある意味、保守的で真面目な地方公務員でしたから、先ほどの鈴木社長のお話はすごく分かります。でも、01年から、シリコンバレー、スタンフォードに行っておかしくなっちゃったんですよ(笑)。もう半年ぐらいで自分のマインドセットが変わっていくのが分かりました。それまでの公務員のマインドとは、明らかに違う方向を走り始めている自分がいて、それが段々と心地良くなってきたのです。
池野 もう一つ、私から日本人が持つ独特なメンタリティとして指摘しておきたいのは、日本人は、オールジャパンが好きですよね。と言うのも、私は台湾とイスラエルのディープテック系の「人」たちのメンターを務めているので、気付くのですが、彼らは、常に世界を見ています。言い換えると、日本には、ある程度の市場規模がありますから、どうしても日本の市場だけで完結しがちです。ところが、台湾もイスラエルも、自分たちの国だけでは、十分な市場がないんですよ。ですから、最初から視点がグローバルなんですよね。
これから超高齢化社会を迎え、日本の市場がシュリンクすると予想される中、少なくともディープテックに関しては、マインドセットを世界に向けるべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
鈴木 同感です。ただ、私が見る限り、今の日本の若い「人」たちは、総じて本当に優秀で、かつ自分だけではなくて、世のため「人」のために働きたいという「人」が増えていると感じます。
ですから、もし、彼らが日本の市場を超えるのが難しいのであれば、この際、政府が場を創って、日本の良いスタートアップの皆さんが世界で活躍しやすくなるようなサポートや促進が有効になるのではないでしょうか。れた、海外のマーケットを取りに行く場合の支援策ですね。つまり、政府が若い「人」たちの後押しをするという政策は、ぜひとも実行したいと考えています。思い切ってシリコンバレーに「日本の出島」をつくり、フルに利活用させていくことも検討しています。特に若い「人」たちにとっては、シリコンバレーの空気に触れてもらうことで、良い化学反応が起きるきっかけにしてもらえる仕組みがぜひ構築できればと思っています。特にディープテック系の優秀な若い「人」たちについては、シリコンバレーに半年から1年タームで送り込んで、ベンチャーキャピタリストたちとも激論してもらって、できれば彼らからきちんとお金を出してもらえるようになってほしいと願っています。
この場合、恐らく条件は、グローバルマーケットを彼らがきちんと見ているかどうかというのがポイントになるでしょうから、そこで認められた人材が必ず出てくるはずだと確信しています。もちろん、上場はニューヨークで行ってもいいし、あるいは、モデルナのような海外企業に自分たちの才能を買ってもらうというのも手だと思うんですね。
池野 「シリコンバレーに日本の出島をつくる」というアイデアは、非常に素晴らしいですね。やはり、私は、自分の経験からも場所、つまり環境を変えるというのは、「人」を伸ばす大きなきっかけになると実感しています。特に、若い「人」は、変われると思うんですよ。そういうような仕組みを国が構築するのであれば、アメリカ人も含めて応援する「人」もたくさん出てくるはずです。
鈴木 楽しそうな企画で、私自身も参加したいと思いました。
山際 ぜひ、参加してください。心からお待ちしています。
山際 実は、わが国の課題として、これまで予算執行に当たって、プロジェクトベースで物事を進めてきた歴史があります。これからは、この考え方も見直していきたいと思います。例えば、ライフサイエンス分野の場合、ゲノムプロジェクトのようなものを想像してみてください。この場合、ゲノムプロジェクトが完結すれば、予算執行は当然、終わりですし、プロジェクトが失敗しても終わりなんですよね。
でも、今回からは、「ゲノムプロジェクトをやります」というときに、例えば、鈴木・池野という二人のプレーヤーが入るとすると、「鈴木さん・池野さんにお金がつきます」という仕組みにしたいと思っています。仮に、「ゲノムプロジェクトが失敗した」としても「違うことに使ってください」という仕組みにしない限り、いつまでも、「失敗したらもう終わり」という話ですからね。
池野 まさに「人」への投資ですね。
山際 もちろん、その評価はきちんと行う必要があります。ただ、先ほど、鈴木社長が、ワクチン開発にあたって、当初はがんや希少疾患のための治療で開発が進められていたmRNAが、想定していなかった新型コロナウイルスに有効で、実際に多くの人類の命を救っているという事実は極めて重要だと思います。つまり、あるプロジェクトが計画通りにいかなかったとしても、この「人」は本当に能力とやる気があって、熱量も高いのであれば、その「人」に賭けてみるというのが国としても本当に大事なことでしょう。
池野 確かに、多くの諸外国は、プロジェクトベースではありませんね。プロジェクトの成功と失敗という尺度だけでは、判断できないわけですね。
山際 将来の日本を展望すると、特に若い「人」たちに「新しいものを創ってやろう」というチャレンジ精神を持ってもらうことが何より重要になるのですが、仮に若い「人」たちがそういう意識を持っても、その芽をある意味、日本の社会は摘もうとしているわけです。
今こそ、日本には「全ての人たちが、イノベーションを起こすことが大切だ」というマインドセットに変わっていくことが求められているのですが、残念ながらなかなかそうはなっていません。
池野 鈴木社長がおっしゃった「リスクを受け入れる」という考え方そのものと言えるのでしょうが、日本では、失敗が受け入れられない国ですからね。山際 そこで、今回は、「イノベーションを起こそう」ということも、われわれの基本的な考え方になりました。つまり、ディープテックの領域だけではなくて、例えば、「既にある知と知を掛け合わせることによって新しい価値を生み出せれば、ビジネスにも十分活用できるので良し」としています。これならば、例えば、現在の企業形態の中から分社化させてスタートアップを生み出すことも可能になると見ています。
池野 まさに、日本全国どこにでもチャンスはある、と。鈴木 せっかくの機会なので、私の夢をシェアさせていただいてもよいですか。
池野 どうぞ。
鈴木 私自身の現在の夢は、最高品質の安全なmRNAワクチンを日本で生産できるようにしていくというものです。これが実現できれば、将来のパンデミック時においても早急に全国民に行き渡るワクチンを供給し、日本の皆さんの命を守ることができます。また、国産体制を基軸に研究開発・データシェア・日本の人材育成にも貢献することができるでしょう。
池野 新型コロナウイルスによって、医薬品は、安全保障上、非常に重要だと位置付けられたわけですが、山際大臣は、鈴木社長のお考えをどのようにお考えですか。
山際 新型コロナウイルスは、変異種が次々と現れている現実を踏まえても、ぜひ進めてもらいたいですね。政府としましても、積極的にサポートしたいと思います。
鈴木 ありがとうございます。
山際 私こそ、皆さんと議論できて有意義でした。今回の議論で、明らかになったことは、日本には、素晴らしい人材や銀行などがあっても、まだネットワーク化されていないということですね。従って、これらを有機的に結合させてチームができる環境を整備したいと思いました。そうすれば、必ずそれらが有機的に結合し化学反応が起きることが期待できるはずです。政府は、年末までにスタートアップ5カ年計画を整備していきますので、よろしくお願いいたします。
池野 皆さん、ありがとうございました。
(月刊「時評」2022年9月号掲載)