2024/04/24
――そうすると気候変動対応のように、ネイチャーポジティブにおいても、生物多様性保全に資する新技術の開発やイノベーションが期待されるところですね。
森本 すでに動き始めている先行事例として、キリンビールなどの食品系、住友林業等の林業系など、自然を相手にビジネスしている分野では、おそらくイノベーションの内容も明瞭かと思われます。ネイチャーポジティブに積極性を示すことでビジネスそのものにもプラスに作用し、かつ、企業ブランドも高まることになります。
これら先行事例は、必ずしも自然と密接にかかわる特殊な分野だけの話ではありません。
例えば米国のGAFAは、事業安定性維持の観点から、基本的に脱炭素にも生物多様性保全に非常に熱心なのです。再生可能エネルギーは初期投資がかさむものの、ランニングコストはそれに比して低いため長期的には利益率が高いと捉えているようです。脱炭素で収益構造を確立するのと同じく、生物多様性でも同じモデルを適用しようとするのはごく自然な流れです。このままプラスチックを使い続けて海洋に影響を与えるといつバッシングを受けるかわからない、ならば製品パッケージを紙に切り替える、紙も購買するのではなく自社で森を育てて循環林業を形成する、という迅速な転換に打って出ています。GAFAは複数の森林ファンドを立ち上げていて、自然保護を前面に押し出しつつ長期的には一定の収益が上がることも見込んでいます。
――確かに自然環境保全とビジネスが両立すれば理想ですが、その点はしたたかさを感じる部分でもありますね。
森本 現段階ではTCFDにしろTNFDにしろ、まだ義務感が先行するリスク管理の受け止めが大半ですが、ここにビジネスチャンスが見込まれるとなれば、各種産業分野の企業が自社のガバナンスを高めつつ、長期的視点で収益の可能性を探る動きが活発化してくると想定されます。
――そういう意味では、投資家の動きも大きなカギとなりますね。
森本 23年12月にドバイで開かれたCOP28において、欧州の銀行は化石燃料系の企業には融資しない、と明確な姿勢を示していたとのことです。日米の金融・投資家はまだそこまで極端ではありませんが、いずれにしても企業より投資家が環境問題に敏感に反応することを端的に示していると思います。
やがては生物多様性に取り組んでいない企業に投資するのはリスクである、との認識が広がる可能性が高いでしょう。すでにフランスのBNPパリバやオランダのロベコなど大手運用機関は、生物多様性への取り組みを企業投資の審査案件に組み込んでいます。ひとたびマネーが流れる道筋が変わると、一気にその方向へ動き始めますね。
――TNFDにおいても、マネーの流れがいずれ形成されると。
森本 先行するTCFDでは、企業が温暖化対策に関する情報を開示し、その情報をもとに金融機関が投資を決定するという流れが確立しており、これはもはや不可逆と思われます。したがってTNFDルールに基づく生物多様性保全活動の情報開示状況が投資の判断基準となることでしょう。
――現在、日本における生物多様性保全の状況はどのようなものでしょう。
森本 もともと日本における生物多様性保全は、自然公園による保護、2008年の生物多様性基本法の制定に基づく絶滅危惧種の保護、等々を中心に展開され、2010年には名古屋議定書の採択に成功するとともに日本発の「SATOYAMAイニシアティブ」を策定するなど、日本は自然保護活動に熱心な国であると国際社会に打ち出してきました。
しかしながら、足元で「生物多様性が保全されていない国」の一つだと認識されています。生物多様性があるにもかかわらず人類による破壊の危機に瀕している地域を「ホットスポット」と呼ぶのですが、日本はほぼ国土全域がこのホットスポットとなっています。つまり、制度は整っているが、実態として生物多様性保全が図られていないのが現状だと言えます。日本における絶滅危惧種は3700種類に及ぶのに、種の保存法で保護される対象はそのうち427種にすぎません。
――絶滅危惧種全体の10数%しか保護されていない、ということですね。
森本 そこへ今般、ネイチャーポジティブの概念が広がり始めました。これに呼応するように、関係省庁もネイチャーポジティブに向け動きだしています。
――中核となるのは、やはり環境省でしょうか。
森本 環境省はもちろんですが、農林水産省、国土交通省も取り組んでいます。農水省は2021年に「みどりの食料システム戦略」を打ち出し、食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立、2050年までに農林水産業のCO2ゼロエミッション化の実現等々を掲げています。同戦略が発表されたとき、私も農水省がこうした取り組みを打ち出すとは、と意表を突かれる思いでした(笑)。確かに、化学肥料の使用や生産物輸送にも燃料を消費することから、農業分野からも少なくない量の地球温暖化ガスが排出されるので、ゼロエミッションを掲げるのは非常に意義あることだと思います。
同戦略の策定段階では生物多様性保全の視点がまだ希薄でしたが、2023年に改めて「農林水産省生物多様性戦略」をつくり、その検討内容を「みどりの食料システム戦略」に基づく制度の中に埋め込む方針だと聞いています。温暖化対策からスタートしつつ、生物多様性保全まで視野を広げたのは評価されるべき展開だと言えるでしょう。
また、国土交通省の「グリーンインフラ戦略」も注目すべき重要な施策です。遡ると1993年の旧省庁時代から河川法や海岸法を改正し、従来の治水・防災に加えて環境保全を法目的の2本柱としています。その中で生み出された総合治水の考え方の延長上に位置付けられるのが、現在の「グリーンインフラ戦略」です。ネイチャーポジティブ等の流れをうけ、2023年に全面改訂され「グリーンインフラ推進戦略2023」が策定されました。
――先生から、産業界に対するご意見などはいかがでしょう。
森本 企業の存続、発展のためにサステナビリティの確保は必須となっています。その内容は、気候変動のみならず、人権問題―児童労働、ジェンダー、差別―など多岐にわたり、しかもサプライチェーン全体をいわば管理すること必要とされています。そう考えると生物多様性保全の視点も、必ず企業経営の中に組み込んでおかないと、日本の企業が国際社会で競争できない可能性さえあると考えられます。
EUでは「EUタクソノミー」に生物多様性を位置付け、ESG投資の方向性を誘導、企業の評価・選別につなげようとしており、また、フランスでは2022年に法律に基づき気候変動とともに生物多様性に関する情報開示を投資家に義務付けています。
日本の経済活動は長年にわたり海外から資源を輸入し、付加価値をつけて輸出するという構図で成り立ってきましたが、これからはそのプロセス全体について、自然保護や生物多様性保全への配慮、とりわけ、新興国・途上国が過半を占める原料・資源の生産・採掘の段階も含めて配慮する必要があります。自国だけでなく、関係相手国の自然も保全する、発展に貢献するという発想です。企業活動におけるリスクヘッジ、ビジネス機会の創出の意味からも、生物多様性保全の視点を確立することが不可欠となります。
――国の政策では中核となる環境省に対しては。
森本 ネイチャーポジティブの柱となる30 by 30(2030年までに陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全する国際目標)を推進し、その中核として、企業、学校、NPO、個人の取り組みに着目し、エンカレッジする。その取り組んでいるエリアをOECM(Other Effective area-based Conservation Measures 保護地域以外で生物多様性保全に資する地域)として積極的に位置付けていくという取り組みは、理念、方向性とも非常に良い内容だと思います。
もっと国民全般に対してネイチャーポジティブの重要性についてもっと発信してほしい。その際、生態系は「ネットワーク」なんだということをしっかり伝えてほしいですね。生態系とは分断しては存在しえず、何らかの形でつながりを保つことが重要です。ネットワークを構成する緑は、一般家庭の庭や街路樹などごく身近な日常の緑でもいいわけです。
工場緑地や庭先の植物が広大な生態系ネットワークの一画をなすようにデザインしていくことの大事さを伝えてほしいですね。生活の周囲にある身近な緑を守り、つながりを絶やさないよう呼びかけてもらえればと思います。足元の緑化であれば個人、企業がこれならできると実感でき、かつ未来の自然環境保全に向けて有効なメッセージとなるでしょう。
――本日はありがとうございました。
(月刊『時評』2024年3月号掲載)