2022/02/02
中国を発生源とする〝武漢ウイルス〟が欧米を中心に世界で感染爆発しているが、この現状はおよそ100年前の〝スペイン風邪〟を彷彿とさせる。当時の詳細な記録は多くは無いが、現実的に入手し得る書物があるので一読を勧めたい。
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安全を謳った後に感染が広がる韓国
中国・武漢で昨年の晩秋に突発した新型コロナ・ウイルスによる呼吸器感染症は、まず火元の武漢市で医療崩壊を伴う壊滅的な大感染を引き起こし、周辺の湖北省や浙江省、飛び火した温州市などにも多くの感染者・死亡者を出しつつ、越年した。
その初期段階で、最近は日本の企業にとって自動車をはじめ、各種製造業の組み立てや下請け部品の生産・調達などで交流が強まっていた当の武漢からも、他の中国各地と同様に、近隣の韓国や日本に向けて、大衆レベルの膨大な数の観光客や買い物客が押し寄せるようになっていて、大量のウイルスが持ち込まれた。たまたま日本は、札幌最大の恒例行事〝雪祭り〟の時期にぶつかっていたため、札幌が国内で真っ先に武漢直輸入ウイルスの直撃を受けた。それだけでなく道内、さらに国内各地からも、多くの人たちが〝雪祭り〟を目当てに札幌を訪れて、そこで感染した輸入ウイルスを地元に持ち帰ったことで、まず道央から道東までの北海道各地、そして長い国土の対極にある九州に至る、日本各地にも輸入ウイルスによる感染症が拡散した。
例によって例のごとく、我が身と日本を引きくらべて多少とも優位にあると思うと、その〝実績〟を誇示したがる〝奇病〟を持つ韓国は、文在寅大統領が、日本の対応はなってないが我が国は完全に新型ウイルスを封止した、といち早く〝安全宣言〟をぶちあげた。ところがその舌の根も乾かぬうちに、文在寅の不倶戴天の敵、朴正煕・槿恵父娘一族の出身地・大邱の、この国に固有の土俗信仰をキリスト教の仮装で粉飾した新興小教団で、信者の集団感染が発覚した。このために韓国の感染者数はたちまち日本の10倍近い水準に達し、しばらくは断トツの火元・中国に次いで、世界のワースト2位を占めた。
しかし信者数に限りがある新興小教団は、いずれアタマを打つ。感染者数の伸びが落ちると、じわじわ増え続けた日本とくらべて、1日の感染者発生数は韓国が少なくなった。すると文と彼に肩入れする韓国の左傾マスコミは、またも懲りずに、オレたちは日本より早く感染を押さえ込んだ、と威張った。ところがまたまた、その舌の根も乾かぬうちに、こんどはソウルで通信販売のコールセンターや、大邱と同工異曲の別の新興小教団でも、集団感染が発覚し、再び上昇軌道に入った。ただ今回も、感染者が1万人の大台に達する手前でしぶとく持ちこたえ、増勢をスロー・ダウンさせているうちに、形勢が変わった。
冷やかし気分の欧州で観戦爆発
当初〝武漢ウイルス〟感染症が中・韓・日本に広がるのを、まるで異文化圏・極東の珍現象、まったくの他人事、と冷やかし気分で見ていたヨーロッパ諸国で、突如〝武漢ウイルス〟の感染爆発が起きたのだ。商売はもちろん観光でも、ヨーロッパに押し寄せる中国人はこのところ激増していたし、手縫いの高級女性服飾ブランドの生産地である北イタリアには、縫い子として出稼ぎ労働にやってくる中国人女性も多いという。彼らの出入りに加えて、イタリアはバルカン半島の旧東欧圏諸国と並ぶ、習近平の経済的・軍事的覇権主義政策の〝一帯一路〟で、終点ヨーロッパ大陸への橋頭堡に位置づけられ、この関係での中国人の往来も増えている。
当初はそうした中国人を中心に、2桁レベルだったイタリア〝武漢ウイルス〟感染者数は、無警戒なまま地を這う形で国民に広がっていたのが突如顕在化してから、ロケットのような勢いで急増した。他のヨーロッパ諸国もそれに続き、3月末の時点でイタリアは10万人を超え、スペインは9万人、ドイツは6万人、さらに中東から割り込んだイランとフランスがともに4万人、イギリスが2万人、スイス・ベルギー・オランダ・トルコがそれぞれ1万人台に乗った。後述するが、この時点で感染者数のトップはアメリカに移り、火元の中国はイタリア・スペインに抜かれて8万人の4位、韓国はオーストリアにやや遅れて9000人台の後半で、14位だ。ちなみに日本は3月末の5日間で50%も急増したが、それでもまだ2231人に過ぎない。
中国の支配下に置かれたWHO
この段階で、当初は日本は騒ぎ過ぎだ、中国の防疫対策は成功していて心配ない、パンデミック=感染症の全世界規模の大流行になるわけない、とうそぶいていた国連機関のWHO=世界保健機関の事務局長も一転して、いまや明らかにパンデミックに入った、という認識を示さざるを得なくなった。
WHOはかつて日本人がトップの地位についたこともある国際機関だが、今世紀に入ってからは中国の完全な支配下になった。国連機関に共通する、超大国も貧困に喘ぐミニ国家も1国1票という、〝イナカの信用金庫並み〟と嘲笑される悪平等の投票制度を利用して、アフリカを中心に世界の貧困国に〝援助〟と称する実は高利の融資を貸し付け、その代償に国際機関の決議で同調することや、役員人事での協力を求める、中国の手口の最高の成功例になっているのだ。前事務局長は中国系の香港人で、中国が発生源と目されるSARSウイルスによる感染症の流行が発生・流行した直後に、その前の韓国人が急死したため就任したが、極度に中国寄りの姿勢を批判されて、再任されなかった。
現在の事務局長も、多年中国から〝援助〟と称する開発資金融資を受けるばかりか、習の〝一帯一路〟にも地中海を挟んでヨーロッパと向き合う拠点として、アフリカでいち早く賛同した、エチオピアの外相・保健相の経験者だ。習・中国の後ろ盾を常に強く意識していたのは、単にコメントだけでなく、強面の表情から尊大な姿勢まで、明らかだった。しかし〝武漢ウイルス〟感染者が世界規模で急増するのにつれて、前任者と同様にクビになるのを恐れるのか、常におどおどと後ろ暗さを露わにする、暗い表情に変わったのは、滑稽を通り越し哀れの極みというほかない。
彼の習・中国に媚びへつらう態度には、日本の世論だけでなく欧米の官民、特にアメリカのトランプ大統領が厳しく指弾していた。〝武漢ウイルス〟はその北米大陸に、太平洋と大西洋の両岸から上陸し、挟み撃ちする形で急進撃する。太平洋側からは中国人移民が多いカナダ、そしてアメリカ西岸の州で感染が始まり、次いで大西洋側からニューヨークを中心とする東部諸州に広がった。
ヨーロッパより遅れたが、彼らを上回る勢いで感染爆発したアメリカは、現地時間の3月1日の時点ではたった62人とされていた感染者が、20日に1万人に達してからは急増を続け、1日で1万人以上も増えた3月26日には、イタリアも火元の中国も超える8万3000人台になり、世界最悪の感染国家になった。3月末には16万4785人と、世界の2割を占めて、なお増え続けている。
世界に詫びるどころか居直る姿勢
SARSもそうだったが、今回の〝武漢ウイルス〟も、足が4つあるものはテーブル以外なんでも食う、といわれる中国人の、悪食が根源とされる。コウモリが持つウイルスを食物連鎖で体内にとりこんだ野生動物を、強壮剤として食う習慣が、土着有力者層に定着していたというが、今回はその媒介動物が、身体をウロコで覆うセンザンコウだったようだ。海から遠く離れた武漢の〝海鮮市場〟では、熊・猪・鹿や猿・犬・猫・ネズミはおろか、コウモリやクジャク、センザンコウやハクビシンなどの野生鳥獣、そして多種のヘビが、揚子江の川魚と並べて日常的に売られ、食われているという。コウモリを食用にする土地は、ポリネシアやアフリカの一部にもあるとされ、これらも新型の病毒性の強い感染症の〝元凶〟に名指されることが多い。今回も感染症の拡大を受けて武漢市当局が、即座に〝海鮮市場〟の閉鎖を命じたというから、身に覚えがあったことは、明白だ。
それにもかかわらず、こともあろうに中国外務省の報道官が、たまたま発生と時期を合わせて国際的な軍人の運動会的な催しが武漢で開かれていたことを捉え、アメリカ軍が細菌兵器用のウイルスを持ち込んで罪をわれわれになすりつけたのかもしれない、と記者発表の場で公言した。武漢には中国軍の細菌戦研究施設があるとされ、そこから流出したウイルスが〝事件〟を起こしたと伝えられたことが過去にある。今回もそうした疑惑が国際社会でささやかれていたので、中国の報道官はそれを意識して巻き返そうとしたのかもしれないが、〝訴訟大国〟のアメリカでは、あらぬ言い掛かりに怒った民間団体や個人が、中国に対して〝武漢ウイルス〟の発生源責任を問い、懲罰的損害賠償を求める訴訟を起こす動機にもなったという。
世界に大変な迷惑をかけているにもかかわらず、非を認めて詫びるどころか、屁理屈にもならない言い分を並べて居直るのは、習・共産党独裁政権だから、というより、ユーラシア大陸の東端に位置する中・韓の古来の民族性なのではないか、とも思われるが、〝武漢ウイルス〟の感染者数で世界4位に落ちたとされる中国の統計が、正確だという保証はどこにもない。というより、経済統計から社会統計まで、総じて彼らの公表数字は政治的・党派的に操作され実態との乖離が甚だしい、と見るのが世界の常識というものだろう。
データの真偽は東西とも闇の中
〝武漢ウイルス〟では、この感染症の最大の特徴とされる、検査でウイルス陽性と判定されても自覚症状も体調異常もなく、普通に生活し勤労し遊興する一方で、あたり構わず病原ウイルスを撒き散らし、濃厚接触した人はもちろん、不特定多数の人たちも罹患させる〝患者〟の存在がある。そして彼らをどこまで捕捉し、どうカウントするのか、という問題がある。実は陽性なのに、信頼度の低いPCR検査の網に引っかからず、陰性とされたいわゆる偽陰性の感染源者も、他にゴマンといて、この連中の野放しも問題だ。
この点は現に世界共通で解決を迫られる難題になっているのだが、武漢では当初から、検査では陽性でも無症状の感染者は計数から除外せよ、という指示が当局から出ていた、という香港情報があった。また、武漢に存在する八つの火葬場のピーク時の稼働状況に照らせば、公表された8万人という感染者の数は、感染者数でなく死者数だったとすればツジツマが合う、というSNS情報もあった。
後者はともかく、前者については中国中央も、武漢で感染がピークだった2月中旬の時点の、7万9000人という感染者数は、無症状のウイルス感染者4万3000人を除外していたが、4月1日以降は両者の合計数を公表する、と表明し、ウソを白状している。尤も〝武漢ウイルス〟感染者の死亡率は世界的にバラつきがあり、イタリアにくらべてフランスやドイツが低いのは、彼らが高齢者施設の死者を一律に老衰としていて、〝武漢ウイルス〟死の疑いがあっても無視しているからだ、という説もある。東西ともに、真相は闇の中、というほかないのかもしれない。
意外に乏しい、スペイン風邪の記録
ヨーロッパで感染爆発が起きた時点で、7月24日から開かれる予定だった東京2020オリンピックの1年延期が決まったが、こんご衛生・医療水準が徹底的に低いアフリカのサハラ砂漠以南や、これから冬に向かう南米などでの感染爆発も考えると、1年先のオリンピック開催も、必ずしも確実とはいえまい。こうなると、ほぼ1世紀前に世界を席巻し、大正期の日本にも大きな傷痕を残した、第1次世界大戦末期の1918=大正7年3月に始まり、波を重ねて5年ほど続き、当時18億人だった世界人類の3割ないし半数に感染して、少ない説でも5000万人、多い説では9000万人が死亡したとされる〝スペイン風邪〟が世間の話題に浮上するのも、当然の成り行きだろう。
ところが、この〝スペイン風邪〟の全貌を系統的・総括的に記述した書物は、必ずしも多くないようだ。憚りながら筆者の家には、平均的な家庭にくらべれば数倍といっていい量の本が、あちこちの部屋の棚のほか、押し入れや納戸にも積んである。狭いが深い関心領域を持つ学者でない、一介の政治記者の身だが、なにが起こるかわからないラジオ・テレビのニュースを、いまの一般的なあり方とは違い、横に女性アシスタントなどを侍らせず、たった1人でスタジオに入り、マイクなりカメラに直面するナマ放送を17年半続けた人間として、広い分野で一定水準の知見を養うに足る本を揃えてきた。本職の政治記者の世界に不可欠な、帝国議会・国会や、明治以降現在までの主要政党の通史的なもの、政治家の日記や回想録・評伝のたぐい、政策理解の基礎になる専門書なども、それなりにないわけではない。それらとは別に、一般的な教養書もある程度は揃え、できるだけ目を通すように努めてきたつもりだ。
〝スペイン風邪〟は、AIDSの登場いらい、いささかキワ物的印象も纏いながら出現したウイルス感染症の解説書、第1次世界大戦をめぐる書物、あるいは大正時代を風俗史的に取り上げた著作や当時の作家や政治家・新聞記者の記録のたぐいなど、触れているものは決して少なくないが、よくて1冊の中の1章とか、場合によってはせいぜい数ページとか、断片的に触れられていることが多い。記述の中身も、実はそう大差ない、表面的な情報に限られている観がある。そこで、もう少しまとまった書籍、ただし専門書ではなく一般的な新書・文庫の類いでは出ていないのか、探してみることにした。
とはいうものの、電子式文房具はワープロ止まりで、パソコンは使いこなすどころか、ワープロ機能を継承することも放棄した、あと半年で満90歳の大台に乗る身としては、データ検索の手段がない。手元の古い出版目録を繰っても、思わしい本は出てこない。大型書店に出向いて既刊本の棚を克明に見ていくことも、白内障手術を勧められながら逃げ回っている目は霞むし、そもそも立っているのが30分が限界だから、到底望めない。
石弘之との縁
そこで奥の手を使い、渋谷の東急百貨店本店7階のジュンク堂書店に電話して、検索して貰った。あまり店員に迷惑をかけたくないが、ここは電話で頼めばしっかり調べてくれて、外商の口座があれば、多少の送料はかかるが、一括で引き落として送ってくれる。そうして出てきたのが、以下の一覧だ。
▽「新型インフルエンザ 世界がふるえる日」(岩波新書 新赤版 在庫なし 出版社品切れ)
▽「インフルエンザの世紀 『スペインかぜ』から『鳥インフルエンザ』まで」(平凡社新書 在庫なし 出版社品切れ)
▽「流行性感冒『スペイン風邪』 大流行の記録」(東洋文庫 在庫なし 出版社品切れ)
▽「インフルエンザ・ウイルス スペインの貴婦人 スペイン風邪が荒れ狂った120日」(在庫なし 出版社品切れ)
▽「スペイン風邪流行とその時代 東北地方と第二師団での流行を中心に」(在庫なし 出版社絶版)
そして、専門書では
▽「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争」(早水融著 藤原書店 重版中 在庫はないが注文による取り寄せは可能)
さらに唯一、店頭で入手可能だったのが
▽「感染症の世界史」(石弘之著 角川ソフィア文庫)。
著者の石は、朝日新聞の経済部記者から論説委員、環境問題の草分け的論客で、国連の環境計画に参画し、東京大学教授も務めた。兄の石弘光(故人)は財政学者で、元一橋大学学長。大蔵省―財務省の財政制度等審議会長を長く務め、万年ヒラ委員・専門委員を25年余続けた筆者とは、審議会・部会のたびによく議論した相手だ。加えて兄弟はともに筆者の中学・高校の後輩で、父君の石三次郎は、筆者の在校時代に校長だった。
敗戦―占領下の学制改革の渦中に彼が着任してきたとき、筆者は旧制中学5年卒で最後の旧制一高入試に敗れ、新設したばかりの新制の高校3年に横滑りで進級したときだ、新任の石校長は、新制高校から新制大学の初入試に挑戦する生徒の個性を知りたい、としてアンケート用紙を配った。そこに趣味という欄がある。関係ないだろ、と反発した筆者は〝受験〟と書いておいたら、面白がって校長室に呼び出した。担任はビビったが、こちらも新米校長の品試しだといってみると、シャレた答えだが来年落ちたらシャレにはならんぞ、という。それも理屈だと思い、多少は勉強のピッチをあげて現役で合格したら、うまくいった、と大笑いした。練達の教育学者はこういう手を使うのか、と思ったものだ。
戦局の帰趨を制した大流行
閑話休題、石弘之の本も〝スペイン風邪〟は序章・全13章・終章の15章構成のごく一部で言及するだけだ。しかしさすがにヴェテラン記者の労作で、筆者の知る範囲では、現に容易に入手できる本で、情報量が最も多彩で精緻だ。〝スペイン風邪〟がどこからどう始まったか、従来の定説では、第1次世界大戦の末期に参戦した、アメリカ陸軍のカンザス州にある基地で発生し、兵士の間で感染が急速に広がって、本土からフランスの前線に送られた兵士から、味方のアメリカ・フランス・イギリス軍と敵方のドイツ軍の双方にわけ隔てなく感染。兵力差で大きく劣るドイツ側がより大きな打撃を受け、戦局の帰趨を制する結果になった、とされていた。
もちろん兵士だけが感染したわけではなく、交戦地域をはじめ各地に急速に広がり、とりわけ戦争で中立だったため情報統制をしなかったスペインで、民衆だけでなく王や閣僚も感染・発病し、それが広く伝わったために、スペインから広がった悪性インフルエンザ、〝スペイン風邪〟と呼ばれるようになった。スペイン政府が否定・抗議したが、だれがどう取り消すという性質の問題でもないため、自然に定着してしまった、という話になっている。
石の著書は、もちろんこの本筋を押さえ、細かい経過にも触れたうえで、定説の1年4か月前の1916年12月にフランス北部の基地で、イギリス軍兵士がインフルエンザ様の症状で入院して感染が広がった、という説を紹介している。また、2013年に発掘・論述された説として、当時イギリス・フランス・アメリカ軍が、兵站輸送や陣地構築のために、密かにカナダ経由で10万人近い中国人労務者をフランス戦線に送り込んでいて、彼らが本国から持ち込んだらしく、軍側の文書に、中国人の〝怠け病〟の記録があることにも、言及している。
この機会にこそ勧める一冊
石は〝スペイン風邪〟はH1N1亜型ウイルスによる鳥インフルエンザだとし、「中国南部の農村」の「庭先には食用の淡水魚を飼う池」があり、「その上に網をはって鶏を飼い」その糞や回りに放し飼いされた豚の糞を「池では魚とともにアヒルやガチョウが」餌にしていたので、「(鳥インフルエンザウイルスの亜型が起こす)インフルエンザの世界的流行の多くは、中国南部に起源があるとされることも納得できる」
と述べ、1781→2、1830→33、の世界規模の風邪の流行や、20世紀に起きた5回のインフルエンザ・パンデミックも、中国南部の鶏と豚の放し飼いと渡り鳥との間のウイルス交雑が作用している、とみる。
この本は、先にも触れたように、必ずしも〝スペイン風邪〟に特化したものでも、まして今回の〝武漢ウイルス感染症〟と直結するものでもない。しかし、ペスト・コレラ・結核などの細菌感染症から麻疹・風疹、さらにピロリ菌やヘルペスまで、古い問題から、最近われわれの身辺で話題になりながらも、正確な知識が行き渡っているとはいえないテーマを、細心・丁寧・精密に取り上げている。この機会に多くの人に一読を勧める。
(月刊『時評』2020年5月号掲載)