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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第93回】

安倍改造内閣を診断する

 二階幹事長を筆頭に、要職を留任させたことで先の改造は突っ込みどころ満載になった。また、当然ながら高市総務相再起用のような〝可?もあれば、小泉環境相のような〝不可?もある。この点を吟味すると、〝在庫一掃?とは異なる側面が見えてくる。

突っ込みどころ満載の出来

 どんなに傑出した総理でも、第四次内閣の、しかも再度の改造ということになれば、強力な布陣の組閣ができるとは思えない。〝創業の同志?というべき人材は、すでに起用を重ねていて、いまさら起用しても新鮮味に欠ける。長い在任中に処遇しきれなかった、陣営内の入閣期待組に対する〝滞貨一掃?措置の必要が高まるのも、この段階では避け難い。党派間の議席の争奪戦でも、党内の権力基盤争いでも〝一強?を誇るとはいえ、それは単に競争相手が余りに弱すぎるからにすぎない。安倍自身に〝強運?以外に取り立てて論ずべき、傑出した力量は見当たらない。そうした人物が率いる内閣の、短命に終わった第一次はさておき、第二次、第三次、第四次と6年9か月も連続している政権の、度重なる改造なのだから、大丈夫かね、という気分が先に立つのも、やむをえまい。
 という感じで、まったく期待もしないかわりに、さほど大きな不安も抱かずに見ていた今回の内閣改造は、可もなく不可もない、という範囲を超えた、突っ込みどころ満載の出来具合になった。
 その筆頭が、自民党と内閣の双方にまたがる、政権の根幹をなす顔触れを、揃って留任させた点だ。麻生太郎副総理・財務相の留任を問題視して暗に、しかし誰にもすぐ察しがつくほど露骨に、ノーという答えを期待して留任の是非を問う、世論調査を仕組んだ新聞もある。しかし〝アベノミクス?を連呼するものの、経済運営はまだしも、財政に関しては、定見があると思われないどころか、旧通産・現経済産業官僚べったりで、旧大蔵・現財務官僚の伝統的・正統的手法に対する拒否感情を隠さない安倍に配するには、基本的に財務官僚の意のままの麻生の在任が、落ち着きがいい。ここは評価がわかれるだろう。

〝吉?か〝凶?か複雑な選択

 それにくらべ、二階俊博幹事長の留任は、〝吉?と出るか〝凶?と出るか、見通しが複雑な選択だ。二階はかつての金丸信、古くは大野伴睦のタイプで、彼らとは多くの共通点がある。なによりも党人派の叩き上げだし、入閣歴は多いが、これといって得意とする行政分野があるという評判を聞いたことがない点も、共通している。財政をはじめ経済政策や社会保障政策など、一定の知見なしには踏み込めない政策分野については、自分の限界をよく知っているから、まず避けて通る。そこらが、そうしたチエも働かない、万年野党が有権者国民の錯覚に乗じて政権を手中にしたときの、某々大臣などとは大違いなのだ。
 建設や鉄道を筆頭とする公共事業の分野に少なからぬ関心があるのは明らかだが、水面下の動きが中心で、表で旗を振ることは少ない。〝一つくらい(県内に)あっていいじゃないか?といって東海道新幹線に岐阜羽島駅を作らせた大野は、むしろ異例の姿だった。お世辞にも政策通とはいえないが、そのかわり政局の根回し役・舞台回し役としては、それぞれの時代に余人の追随を許さぬ存在感を示す。総理・総裁と対立する反主流派や、お手並み拝見と斜に構える非主流派を含む自民党内はもちろん、離合集散を繰り返す野党の隅々にまで、パイプが四通八達している。財界主流はいざ知らず、マスコミ・官界・地方政界や、さらに土木・建築・商業・流通などの業界にも、広く目配りがきく。
 得意芸の政局分野でも、政権争奪の主役ではない。形勢を見極める〝洞ケ峠?に位置して、状況を見定めた末にちゃっかり勝ち組につくような、安直な手も使わない。衆に先んじて世間の空気、人心の流れを多角的に捉え、結果を見通してそこに向けた道筋をつける。その観察の鋭さと、粒々たる仕上げを誇る腕の冴えが、共通の特徴といってよかろう。
 とはいえ、当然時代背景の違いはある。大野のころは、一方で政友・民政の戦前の政党政治の相克、戦後の党人派と官僚派の対立、さらに敗戦下の公職追放組とそこからの復活組の対比、といった状況が複雑に絡み合っていたから、主に調整役だった。金丸の全盛期は、なんといっても派閥政治とバブルの時代だ。政治献金・裏の集金に頼る保守、労組や特定団体の資金と、政府与党筋から出る対策費が命綱の野党。それぞれにカネを制するグループが党を支配する時代だったから、あられもない力づくの印象が強かった。
 二階は、世の中の空気がテレビ・スクラムに操作されて一方に偏って吹く、大衆化社会を反映した趣がある。ひとかどのインテリ消息通なら、あり得ないことではないが仮にそうなればロクな結果にはなるまい、と腹の中で鬱陶しく思う点を、ぬけぬけと口にして、その方向にもっていく。総裁任期は3年で再選限り、という党則を三期もOKにしようと提唱し、実現させたのも相当な力業だが、さらに4期もOKのアドバルーンを臆面なくあげて見せるのは、並の腕力や、なによりもツラの皮で、できる芸当ではない。

行動様式がギャンブル式

 〝吉?か〝凶?か、というのは、虚実皮膜の間に身を置いて政局の舞台回しとして存在を際立たせようとする二階の行動様式が、いかにもギャンブル式で、雲を掴むようにも見えるからだ。〝安倍4選論?より、自民党東京都議団の怨念を一身に浴びている小池百合子都知事を、東京2020オリンピックを目前に、再選させる機運を広めようとするほうが、わかりやすいだろうが、結果的にそう運んでも、せいぜいテレビの〝ニュース芸人?に〝先見の明?を持ち上げられるくらいの話で、たいした意味はない。再選後の小池の実績がポイントで、それがよければ小池の点数にはなっても、二階の評価にはならない。逆に今回と同様、ロクな実績を残せなければ、小池ももちろん、二階も〝凶?のクジを引いて、政治生命を大きく縮めるだろう。
 大きなリスクを抱えて幹事長を務めているわけで、到底手堅い渡世とはいえないが、それが二階の二階たる所以だろう。任命権者の安倍とすれば、体力面の不安もあって、まだ4選に舵を切っているわけではないが、二階が勝手にリスクを背負ってそういうのなら、そういわせておいても損はない、というくらいの感じでいるのではないか。
 大野や金丸は、明らかに政権が下り坂の、幕引き役の意味合いが強かった。吉田茂は政権当初、〝吉田13人衆?といわれた若手側近に与党の切り盛りを任せていて、大野を起用したのは、彼と戦前の政友会時代から関係が近かった、吉田にとって天敵の鳩山一郎との近さを踏まえた人事だった。中曽根康弘も滑り出しは前任の総理・総裁である鈴木善幸から引き継いだ幹事長の二階堂進、官房長官には中曽根自身の出身元の旧内務省で年次の近い先輩だった後藤田正晴と、ともに金丸と同じ田中角栄派に頼ったが、二人とも金丸とは全然タイプが違う。金丸起用は、明らかに政権の幕引を睨んだ仕切り役の観があった。
 
 二階の位置は、それと通ずるようで、そうではないようで、いわくいいがたいところがある。安倍は、長い雌伏時代を挟んだ第二次内閣の当初こそ、ライバルの石破茂を幹事長に取り込んだが、その後は二階を長期重任させ、守りの姿勢に徹してきた。それは安倍が〝一強体制?といわれるものの、政治的にも統治能力でも自分は決して〝強?というだけの力量はない、という、基本的に守りの構えをとっていたからだろう。内心に長期政権の野心がないわけではないが、それをぎらつかせず、世間や党内外の風の流れを読むアドバルーン役に二階が適役だと見切ったうえで、実質的な幹事長の役割は選挙対策を含め、出身派閥の旧福田赳夫派の流れを汲む現細田派のチームの〝分業?に任せる仕掛けをつくっていた、と見ることもできよう。そこに〝力なき一強・安倍?の、世間が気づかない特質がある、といえるのかもしれない。

傍流に手を伸ばす策士の目配り

 大野、二階は韓国、金丸は北朝鮮と、やや違いはあるが、ともに朝鮮半島に特化した姿勢をとっていたことも、共通している。本流の外交は本流の人間に任せ、彼らが手をつけない、つけにくい、傍流や伏流に手を伸ばすという、策士の目配りが感じられる。
 尤も今回の改造人事は、日韓関係が退っ引きならぬ正念場にある時期だった。それだけに二階を重任させ、外相と経産相を更迭するのは、文在寅・韓国にあらぬ〝期待?を持たせることにならないか、という懸念もありえた。河野太郎外相を防衛相に横滑りさせ、その後任に対米貿易交渉を一段落させた茂木敏充経済再生相を据え、また世耕弘成経参相は参院自民党幹事長に処遇するという〝論功行賞?人事で、いままでの路線の継続を示しているとはいえ、そこにいささかの不安が残っていたことは、確かだろう。
 だからこそ改造直後の記者会見で、記者団から対韓国姿勢に関する念押しの質問が出たわけだ。それに対して安倍が、〝日韓で積み重ねてきた約束を韓国が守ることが先決だという姿勢には微塵の変化もない?、と断言したのは、当然とはいえ、適切だった。
 参院選勝利のためことさら反韓風潮を煽っている、と文在寅の手口をそっくりそのまま真似たように勘ぐり安倍攻撃をしていた韓国の与党やマスコミは、それでも参院選が終わればいままで通り日本が韓国の意に沿うなんらかの和解策を持ってくるに違いない、と内心ムシのいい期待を抱いていたはずだ。それが空振りに終わり、失望の余り発言の言葉尻を捉えて、安倍はわが韓国をかすかな(微)ゴミ(塵)といっている、と故意か無知ゆえか、日本語の〝四字熟語?を曲解して悪態をついているのが、いかにも笑わせる。

〝可?は高市総務相の再起用

 今回の改造人事の評価に戻って、〝可?の部類に数えていいのは、高市早苗総務相の再起用だ。高市は第三次安倍内閣で3年間総務相を務め、税金まがいの高い視聴料を国民に強制するくせに、偏向報道と番組のとめどない劣化を続けるNHKを標的に、経営の合理化・視聴料の値下げ論を打ち出した。さらにすべてのテレビを対象に、極端な偏向や低劣化があれば、国民の電波を預かる総務相の認可権限で〝停波?つまり放送停止を命ずることもありうる、と強い姿勢を示していた。
 NHKの放漫経営や偏向・劣化は〝高市警告?以降も是正されなかったどころか、むしろ拡大した観がある。その背景には、民放も共通だがテレビ後発国の日本は、クイズ仕立てからバラエティ化まで、アメリカのテレビの番組作りを真似てきた点を、見逃せまい。アメリカのテレビが揃って反トランプでしたい放題をしているのだから、オレたちも盛大に反安倍でいこう、というわけだ。
 しかしアメリカの大手テレビ・ネットはすべて民放だし、草創・発展期が大戦下の民主党政権だったのも作用して、彼らは一貫して民主党寄りだ。アメリカの新聞は支持党派色を強く打ち出すのが常態だ、という風土の違いもある。少なくとも公共放送と称するが元来は国営だったNHKは、アメリカ式にいけばいい、という立場にはないはずだ。
 有線の商業テレビも、分野を細分化した衛星利用の無数の有料テレビもある。SNSが普及して、映像空間が政治的言論から娯楽的側面まで、際限なくアナーキーに広がり、既成の地上波テレビ局の領域が狭まっている。そうした中で民放は経営に苦しみ、視聴率狙いで低俗化に走っている。それに視聴料をとるNHKも加わって低俗の度を強め、報道でも素養も自覚もないテレビマンが、情報力も判断力も乏しいまま、営業左翼の偏向新聞がつくるムードに無批判に追随する状況だ。
 〝NHKの大罪?については、回を改めて別途述べたいと思うが、参院選で〝NHKから国民を守る党?という、率直にいって泡沫集団が、政治的にも政策的にもなんの中身もないにもかかわらず、比例代表で100万に迫る票を得て一議席を握る珍事が発生した。NHKに対する国民の不満が充満している証拠で、NHKから民放に至る、全テレビ業界にメスを入れる必要性は、もはや否定すべくもない。その担い手に経験豊かで確かな知見を持つ高市を再起用したのは、好人事だ。
 高市再起用に対するNHKや一部偏向新聞が抱く反感は、就任直後に高市の政治資金報告書をほじくりかえし、政府調達の対象企業が、そうなる前に30万円の寄付を高市後援会にしていた〝問題?を、騒ぎ立てた。明らかな意図的な狙い撃ちで、報道内容よりこの〝問題?がなぜこの時期に〝発掘?され、どういう経緯でオン・エアされたか、そのほうがよほど疑惑の的になりうる話だ。

〝不可?は小泉環境相の起用

 今回の改造人事で〝不可?といわざるをえないのが小泉進次郎環境相の起用であることは、否定できまい。冒頭に述べたように、極めて古い人事評の常套句である〝在庫一掃?を使わざるを得ない、13人の新人閣僚を生んだ改造だが、小泉は〝一掃?の対象である〝在庫?ではない。ただし末尾で改めて触れるが、テレビの〝エレキ井戸端会議?が持ち上げるように、彼が〝ポスト安倍?の一角に名があがる存在だとは、当初からマトモな政治記者は考えていなかったはずだ。
 安倍も、改造記者会見で一見リップ・サービスのように、小泉クンは当選3回で議員歴10年、と前置きしたうえで、自分は当選3回・議員歴10年のときに小泉純一郎首相の下で官房副長官を務め、次いで自民党幹事長を命じられた、と語った。テレビの〝ニュース芸人?などは、安倍が義理を感じて息子を取り立てた、という感じで伝えたが、とんでもない話で、安倍が就いたのは内閣と党の中枢のポストだ。小泉に与えたのは環境相という、〝伴食大臣?よりは多少マシで、世間の注目を浴びるポストだが、しかし重要閣僚とはいえない、新人には難易度の高い職務だ。あんなのといっしょにされちゃ困るよ、といったに等しいコメントだが、安倍はそれに続けて、まあ、実績をあげるよう期待してます、とプレッシャーを掛ける発言もしていたが、なにぶんにも当の相手はシロウト同然の未熟さだ。そうしたニュアンスがちゃんと伝わったかどうかさえ、極めて怪しい。
 認証式という宮中日程と不可分の手続きがあるから、いったん確定した日取りを動かすのは至難の業だが、今回の改造人事が、房総半島を襲った台風15号の災害対応のタイミングとぶつかったのは、不運だった。災害担当相、大停電に対処すべき経産相、倒木や倒壊家屋で不通になった道路の啓開と補修に当たるべき国交相、さらに環境相などが揃って不慣れな新人だったうえに、ヴェテランが就任した地方自治を総括する総務相、自衛隊の災害出動を下令・指揮する防衛相も、前任者との引き継ぎの谷間で初動に遅れをとった。

発言の軽さから見える資質

 それだけでも大問題なのに、小泉進次郎新環境相は、2日前の大災害地・千葉を、直接の担当でないから、と横目で見て、テレビ・クルーを引き連れ、八年半前の大災害地の福島に出掛けた。そして前任の原田義昭前環境相の、被災以降溜まりに溜まった、福島第一原子力発電所由来の、浄化済み排水の最終処理を提起した発言を批判して、〝原発被災と風評被害に苦しむ福島の人たちの心に寄り添う?と、歯の浮くようなセリフを使って、テレビ・カメラの前で先輩を批判してみせた。しかし900基を超える大型タンクの排水の放射性物質は、自然界に存在するレベル以下に除去されていて、残るのはトリチウムつまり三重水素だけだ。トリチウムは海水にも雨にも水道水にも存在する水素の同位元素であって、当然ながらあらゆる飲料の中にもある。韓国・中国を含め、欧米や玄界灘・若狭湾などに面する場所で稼働しているすべての原子力発電所が、福島の保管水より高濃度の放射性物質やトリチウムを日常的に施設付近の海中に放出していることは、よほどの無知・不勉強の徒輩はいざ知らず、ほぼ常識だ。
 韓国の一部の新聞は、その事実を知ってか知らずか、自分たちの周辺の海が福島の保管水とは比較にならぬ高い汚染度にあるにもかかわらず、反日宣伝の一環として、福島の保管水をさらに希釈して海中放出する段階にきている、という原田前環境相の問題提起を、地球規模の新しい大規模環境汚染が始まるかのように、デマっていた。小泉はその韓国政府や韓国の新聞と同じ調子で、原田発言を非難したのだから、論外にも程がある。仮にも国会議員を10年務めて環境相に起用された人間が、こんなことでいいわけがない。そのうえ小泉は、翌週末にはニューヨークまで出掛け、国連環境委員会の場で、〝地球環境問題にはファン・クール・セクシーに取り組むべきだ?と記者会見の場で得意満面でぶち、意味不明・内容絶無と、世界中のメディアの笑いものになった。
 所詮小泉進次郎は、少なくともいまの時点では、大衆受けするつもりで真顔で頓珍漢で中身のない発言をする、テレビの〝ニュース芸人?と組んだナンセンス漫才の相方を務めるのが関の山の、トリック・スターにすぎない、といわれても仕方あるまい。そのレベルから、この在任中に実績をあげることによってどこまで失地を回復できるか、そこに彼の将来がかかっている、というほかない。

ポスト佐藤の先例に見るポスト安倍

 二階の〝4選OK論?はさておき、首相在任連続7年に迫り・不首尾・不本意に終わった第一次内閣を加えると、憲政史上最長の首相になろうかという安倍が、自らの引き時と後継者の具体像を、意識していないはずがない。そのとき、大叔父に当たる佐藤栄作の2797日・7年8か月に及ぶ長期政権の末路を、想起していないはずもないと思われる。
 ポスト佐藤に際して、佐藤の眼鏡に適う後継者は、足元の佐藤派には存在していなかった。田中角栄という歴とした存在があって、佐藤派の内部は、彼を佐藤の後継の総理総裁候補に推すことで固まっていたのだが、佐藤自身は、田中を経済閣僚や党幹事長で最大限利用してきたものの、総理総裁の後継者とは認めず、実兄の岸信介が率いた派閥を継ぐ福田赳夫に後事を托そうとして、足元の総反発を食い、一挙に政治的権威を失墜した。
 ポスト安倍を考えるとき、安倍が属する細田派内に、衆目が認める後継候補はいない。強いていえば稲田朋美、荻生田光一があげられるのかもしれないが、これではいかにも非力だ。そこでテレビなどの俗流メディアは、第二次安倍内閣発足以降、官房長官として一貫して安倍を支えた菅義偉の名をあげ、さらにその後を菅に急接近中の小泉進次郎が引き継ぐ図柄を、まことしやかに描いている。
 しかし筆者は、安倍における菅は佐藤における田中角栄だ、と見ている。安倍の脳裏にあるのは、竹下派所属ということになってはいるが、かつて父親の安倍晋太郎を支えた加藤六月の女婿で、その家名と選挙地盤を引き継いだ加藤勝信。麻生派の河野太郎。そして旧谷垣派を継いで岸田派を率いる岸田文雄。すなわちいわゆる政治的名門の二世・三世たちだろう。使ってやる人間と自分の後を継ぐ人間は違う、というのが、岸・佐藤・安倍の思考回路には、抜き難く組み込まれているはずだ、と思うからだ。
 石破茂や野田聖子は、すでに視野から消え去った。小泉進次郎も確かに四代続く政治的名門の出だが、ワン・クッション置いた先のことまで考える義理も必要もない、と安倍は考えているはずだ。小泉進次郎が名門の出を誇るなら、自力でそれに値するかどうかを実証してみろ、というのが、第一次内閣の絶望的な壊滅の淵から立ち直り、第二次以降の長期政権を築いた安倍晋三の、唯一無二の自恃の根源であり、政治家としての信条だと考えて、まず間違いないだろう。
 小泉進次郎は、つまるところ、苦労が足りなさすぎる。今回の入閣で厳しい試練に晒され、失敗と屈辱に塗れて、そこからの再起を遂げることができて、そこがスタートだ。総理候補なんか百年早い、というほかない。
(月刊『時評』2019年11月号掲載)