2024/11/06
25回、75年の歴史を積み重ねる中で劣化が進んだ参議院だが、その選挙結果を見ると、近年はことに多死人口減少社会が深刻化している姿を露呈している。そして若年層による自民党高支持率が顕著となる一方、ナツメロ型反自民票は、いまや老いて遠からず消え去る運命にある。
索然とした感じが拭えない
参院選にはJ2のサッカーを見るような、索然とした感じが拭えない。選手の中には、近くJ1のクラブに昇格し、いつの日かヨーロッパの名門に移籍することも期待できる若い逸材がいないものでもなかろう。往年の日本代表クラスの名手も、三浦カズを筆頭に少なくない。しかしJ2がセカンド・リーグであることは否定しようがない。スタジアム全体の雰囲気から観衆の声援まで、どこか力感や洗練に欠ける。それに通ずる印象が、政治の場の参議院には、つきまとっているのだ。
政権の行方を直接左右する立場にない第二院の宿命は、当然ある。だがそれだけではない。議場こそ、かつては〝貴衆両院?といわれ、権能面はともかく格式では衆議院と段違いとされ、皇族から華族、天皇が官僚OBや学識経験者などから任命する勅選議員、多額納税者が互選する大地主や企業家、などが議席に居並び、天皇が来臨する〝玉座?を備えた、旧貴族院の議場をそのまま使うものの、議員の素性は往時とはまったく変わった。
設立当初は〝良識の府?というキャッチ・コピーが必ずしも極端な過剰表現ともいえない、それなりに専門領域での実力も社会的発言力も備えた顔触れが、保守・革新、与党・野党を問わず、そこそこ並んでいた。しかしいわゆる〝55年体制?が固まり、〝60年安保?を過ぎたあたりから、地方議会の古手や業界代表、宗教団体・労組の地域ボスが、幅を利かせはじめた。さらにマスコミの支配力が新聞・論壇誌からテレビ・週刊誌に移って大衆社会状況が極限化する中で、本業では食えなくなった元タレントやテレビ・マンなど、政治の場では〝二軍?でさえない〝人寄せパンダ?なのに、〝昔の名前?を振りかざして態度だけはやたらデカい連中が、衆議院より早く、衆議院より多く、横行するようになり、参議院の劣化に輪をかけた。
不本意ながら、まずまず
その参議院の今回の選挙で自民党が多少議席を減らすことは、ほぼ確実視されていた。任期6年、3年ごとに半数が改選される参議院は、選挙の成績は常に6年前の前々回と比較することになる。その前々回は、「悪夢のような」(c安倍晋三首相)民主党政権が鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦と超無能な3代の内閣を目まぐるしく交替させたあげく、無残に崩壊したのを受けて、第2次内閣を組織して返り咲いた安倍首相のもとで、自民党が67議席と単独過半数を制する大勝をした。しかし3年前の改選、つまり今回の非改選組の選挙では、〝悪夢効果?がやや古びたことも作用して、55議席に止まった。
前々回の前々回、つまり12年前の自民党は37議席と、第1次安倍内閣の退陣につながる惨敗を喫し、2年後の民主党の政権奪取に至る道を開いている。安倍にすれば最初は惨敗、2度目は圧勝、3度目の前回は引き分けだったから、4度目の今回こそ決着をつける意気込みだったかもしれないが、大勝の選び直しだからハードルが高いのはやむをえない。その面を考えれば今回の57議席は、安倍にはやや不本意でも、まずまずだろう。
左側通行を常とする一部の新聞や、その論調に追随することを〝ブンカ人?の免許取得と心得るテレビの〝ニュース芸人?には、もちろん衆議院の状況も大きな要素だが、前々回の参院選圧勝を土台に、平成28=2016年の前回の参院選で、自民・公明・維新・諸派に、無所属から自民入りした1議席を加えてやっと実現した改憲発議要件の、衆参両院でそれぞれ改憲勢力が議員総数の3分の2を超える、という体制が3年で崩れた点を、ことさら大きく取り上げている。
とはいえ、現実に両院で3分の2以上を擁していたこの3年間に、事態はピクリとも動かなかった。ひところフランスで左派知識人を揶揄するとき使われた、ハート(心臓)は胸の左側にあるが財布はズボンの右ポケットにある、という表現を真似れば、権力に擦り寄るときは右
寄りだが格好つけるときは左寄り、の池田大作名誉会長仕込みの創価学会・公明党が、足を引っ張り続けていたからだ。
集票力の買い被り
それに、前号のこの項でも指摘したが、改憲の必要性という観点でいえば、今回の公約として安倍・自民党が掲げた、
① 自衛隊の位置づけの明瞭化
② 緊急事態法制の整備
③ 参院の合区解消が示す県の地位の確認
④ 教育環境の整備
の4項目よりも、少なくともそれと同等の比重で、アメリカ占領軍原作の現憲法がぞんざいな規定のまま70年以上も放置した、皇室関係条項の整備が不可欠だったはずだ。
改めて具体的に列挙すれば、今回の〝お気持ち譲位?や、皇族に新しい地位として〝上皇・上皇后?を加えるという、明らかに国の姿の根幹にかかわる重大な問題を、前例としない一回限りの措置として、皇室典範の一部改正で済ませた姑息極まる姿を正し、皇室制度の整備とその運用の基本を、憲法を改正してきちんと規定するのが、緊急課題なのだ。
自民党が結党いらい60年の宿願とはいえ今回の参院選に際して、深く考え抜いたとは必ずしも思えないルーチン・ワーク的な改憲案しか示さないのなら、率直にいって発議要件を満たしても満たさなくても、どうということはない。そんなことよりヌエかコウモリのような、実のところ性根のありかが不明瞭な公明党と距離を置き、若年層の支持で上がり調子の維新の会や、ホソノやナガシマのような旧民主系のそこそこ力のある中堅を自民党に吸収して、改憲に取り組む体勢を構築し直すほうが、急がば回れ、賢明だろう。
900万票に迫り、池田名誉会長が1000万票も目前と胸を張った、創価学会員を総動員した〝F(フレンド)票?集めによる公明党の全国比例票も、900万に乗ることなく息切れし、信者の高齢化・死亡に伴い、700万台後半から中位にとじりじり低下を続け、今回は653万票になった。その実情に照らせば自公体制に固執する自民党は、公明党の集票力を買い被っている印象がある。
25回、72年の歴史
ところで今回の参議院議員選挙は、第25回通常選挙、と銘打たれていた。衆議院議員全員の選挙を〝総選挙?、参議院議員のそれを〝通常選挙?と法律上呼ぶことは、改めていうまでもあるまいが、昭和22=1947年5月3日の新憲法施行を控え、新設の参議院の議員選挙が行われたのが4月20日。衆議院総選挙はその5日後に行われている。
この総選挙で、アメリカ本国から追い出されたニュー・ディール左派が牛耳る占領軍総司令部民政局の後押しを受けた片山哲率いる社会党が、466議席中僅か143議席だが比較第1党になり、片山首班の非自由党(後の非自民に相当する)連立内閣を組織した。この総選挙は、大日本帝国憲法に基づき明治23=1890年7月1日に行われた第1回いらいの歴史を引きいで第23回と呼ぶが、貴族院廃止を受けた新設の参議院は、47年が当然第1回だ。このとき限りの措置で議員定数いっぱいを当選とし、上位半数が正規の6年任期、下位の半数は3年任期として、第2回以降は本則の半数改選になった。その積み重ねが今回25回に達したわけだ。
1回が3年刻みで25回になるには24回の改選が必要だから、参議院は3の24倍の72年を経たことになる。筆者は25回の通常選挙を、それなりに政治に関心を持つ青少年として、政治専門の記者・執筆者として、見続けてきた。いまとなっては25回・72年の全部を見た人間は、ごく少数だろう。
第1回当時、筆者は旧制中学5年生。4年終了の資格で第一高等学校、旧制一高を受験して落ちた直後だった。2回目は〝戦後学制改革?で一高が消滅した後身の、東京大学教養学部の2年生。第1回と第2回は未成年でまだ投票権がなかった。そもそも当時、敗戦国・日本はアメリカ占領軍の管理下にあって独立国ではなく、選挙にも議会運営にも占領軍司令部の多くの指示・干渉があった。
優生保護法成立の真実
その典型が第1回選出参議院議員の任期早々に起きた、優生保護法だ。主に精神障害や知的障害を持つ人を当局がリスト・アップして、こどもをつくる能力を失わせる断種手術を強制するとともに、人工妊娠中絶を容易にしたこの法律には、人権上の見地から被術者を中心に国家賠償する法律が最近成立した。
その措置は正しいが、このとき多くのテレビ・新聞は、優生保護法をナチス・ドイツの〝民族浄化法?と並ぶ非人間的な軍国主義法制のように伝えたが、とんでもない話で、優生保護法は敗戦に伴う荒廃と経済混乱で食糧難に悩む日本を統治するために人減らしを図る、占領軍司令部民政局の強い意向に沿い、発足早々の参議院の議員立法で第三国会に提出され全会一致で成立した隠れ占領法規だ。
法律には内閣提出の閣法、衆議院の議員提案の衆法、参議院の議員提案の参法の3種があるが、優生保護法は参法8号として六法全書に載った。ついでながら、この法律の制定当時の内閣は芦田均内閣。新憲法施行・第1国会当時の社会党首班の片山内閣が党内抗争で倒れた後継政権で、社会党はそのまま最大与党だった。さらについでながら当時の参院には、作家の中野重治を含む共産党議員が4人、無所属に一時期〝ゲバ棒?を振り回す左翼暴力学生の〝神様?的存在とされた羽仁五郎、参院独自の保守会派・緑風会には良識派とされた作家の山本有三らがいた。実際に賛成したのか、欠席して採決で〝異議なし?と叫ぶのを避けたのか、そこはわからないが、少なくとも彼らがこの法律に反対しなかったのは、全会一致の4文字が証明している。
昭和28=1953年の第3回の通常選挙は、前年にサンフランシスコ講和条約発効で独立を回復した日本がアメリカ占領軍に伺いを立てずに行うことができた、最初の国政選挙シリーズだ、1947年とは逆に、衆議院総選挙が5日先行して参院選が続く、ダブルならぬ二段構えの連続選挙だった。このとき筆者は大阪で新聞記者になった直後で、選挙権はあったが東京から転居して1か月もたっておらず、投票はできなかったと思う。
多死人口減社会の反映
それはさておき、25回の参院選を重ねる間に政治・経済・社会は大きく変化し、それは当然選挙結果に反映した。今回は21世紀に入って7回目の参院選だが、この7回の最初、平成13=2001年の参院選は、有権者数が初めて1億人を超えて1億123万人に達する節目の選挙だった。第1回参院選の有権者数は3700万人に僅かに及ばなかったから、54年間でほぼ2・7倍の勘定だ。
一方で、このころから少子高齢化の影響が顕著に出てくる。その後の4回を挟み前回の平成28=2016年から、有権者年齢が20歳から18歳に引き下げられ、240万人が一挙に加わった。しかしそれでも1億620万2800人余。その前回の1億402万人と比較すると過去の有権者年齢で見れば実質22万人、率にして0・15%の減少で、伸び止まりから下降に向かう状態になった。今回の有権者数は1億588万6000人余で、同条件の前回にくらべて実数で32万弱減り、少子高齢社会が進行して多死人口減少社会が深刻化している姿を露呈している。
この状況を政党の立場で見れば、長く固い支持者が高齢化し、身体が不自由になって投票にいけなくなり、やがて死んでいくのに対応して、若い有権者から新しい支持者をどう獲得し、長期固定票化していくか、という命題と直結する。今世紀になってからの参院選の各党の獲得議席の推移を表示すると、まず
社民 公明 共産
01 3 13 5
04 2 11 4
07 2 9 3
10 2 9 3
13 1 11 8
16 1 14 6
19 1 14 7
となる。この間に現れて消えた、みんなの党、国民の生活が第一、などはこの際議論の埒外に置くが、ここからわかる点がある。
高位安定に変化した理由
まず〝55年体制?の一方の主役で、現行憲法下で初の首相を出し、久しく野党第1党の地位にあり、前世紀末にも変則的ながら首相や衆院議長を出した社会党―社民党は、前世紀のうちに完全に破綻し、泡沫化していたという点だ。今回も辛うじて税金から交付金を受けられる〝政党要件?を確保したが、それでエビス顔しているようでは前途はない。底固い基盤を持つ強みはあるものの、伸びる余地に乏しい限界政党とされる公明・共産党は、3人以上の改選定数の選挙区で食い込むかどうかが、成績を左右してきた。人口の大都市集中が進み、その反映で対象選挙区は久しく6都府県だったが、いまは9都道府県だ。しかもち東京都を例に取れば、当初の改選定数4が5になり今回6になったように、定数増も加わった。おかげで創価学会員・共産党員の高齢化・減少傾向を、カバーできている面があるといえる。そして、
自民 民主
01 65 26
04 49 50
07 37 64 衆参ねじれ
10 51 44 逆ねじれ
13 65 17 民主惨敗
16 55 32 民進党として
19 57 23 17が立憲民主 6が国民民主
一見してわかる通り、今世紀初頭の10年で自民党は2度続けて大きく後退した。裏側には民主党を中心とする野党の伸びがあったわけで、それが衆議院と参議院で多数派が食い違う〝ねじれ?を生み、総選挙にも連動して政権交替に至ったのだ。
いまは自民党の獲得議席数の変動幅は小さくなり、高位安定的に変化している。その理由は、なんといってもマスコミ主導で実量不相応に期待感を煽った民主党鳩山・菅内閣に対する、有権者国民の失望だ。まず政権交替に直結する衆議院の少数派に転落していた自民・公明両党が、参議院で多数を取り返した10年の〝逆ねじれ?で〝風向き?が変わった。さらに11年の東日本大震災での菅内閣の超無能が、民主―民進党への不信感を一挙に高めて、現在に及んでいるわけだ。
若年層の、高い自民党支持率
尤も民主党政権への厳しい評価と自民党支持は、別の話だ。〝鳩菅ドジョー(野田)?3代の民主党政権がよかったと思う有権者国民は多くないにしても、反自民・反自公は根強く、それが今回はヤケ気味で〝令和?に回った。かつては若者は総じて反自民だが、世間に揉まれてオトナになれば保守化して自民党支持に回る、とされたがいまは違う。今回の参院選のマスコミ世論調査で、自民党支持率が低いのは60代以上の層、年齢別の自民党支持率でトップは最も若い18歳から29歳の層で、次は30代と、各社一致していた。日経調査の、18歳から29歳の自民党支持率が70%、というのには、ほんまかいな、という感を免れないが、朝日の調査でもこの年齢層が最も保守的だという点は同じだった。
それはそうだろう。18歳から29歳の層は、下は中学生から上は大学卒なら就職期、高卒では社会に出た当初が〝悪夢のような?民主党政権で苦労した。彼らに好意的になる理由がない。それに彼らは〝年金だけでは老後資金が2000万円不足する?という説をネタに、年金を上げる、と口から出まかせの〝公約?をしている。だが賦課方式をとれば働く世代の保険料が上がる。財政でやれば税金が増える。国債という名の借金でゴマ化しても返済は将来世代の負担だ。そんなことは情報化社会でネットに揉まれた若者は見透かす。それでも野党に投票するほど、彼らは甘くない。アベノミクスの成否をあげつらう以前に、少子化がもたらす人手不足で、若者の就業環境はかつての就職地獄から一変した。安定した経済・社会・政治環境を変えなければならない理由は、若年層にはない。
〝造反有理?やゲバ棒時代の意識を引きずるナツメロ型反自民票は、いまや老いて遠からず消え去る運命にある。貧すりゃ鈍する、で劣勢に立てば立つほど左翼的になり、偏向新聞や面白半分のワイド・ショーを唯一の情報源に政権の揚げ足取りに走るだけでなく、なりふり構わず共産党とも共闘する連中を支持する有権者国民は、現にそう多くない。しかも、こうした有権者はこれから減ることはあっても、増えることは期待できないのだ。
見通しが暗い偏向マスコミ
ということで、旧民主・社民系の野党の前途に光明があるとは思えないが。もう一つ、見通しが暗い存在がある。偏向マスコミだ。昨年のモリカケ騒動いらい、朝日新聞・NHKを頭目とする偏向マスコミの反安倍・反自民姿勢は、単なるイデオロギー的攻撃を超え、ストーカー的というほかない度外れた領域に踏み込んでいた。今回の参院選が示す有権者国民の意思は、彼ら偏向マスコミの信用も権威も、はっきり否定したといえる。
尤も朝日といえども、自社調査も含めて世論調査に現れる国民意識の流れを、無視してばかりはいられないのだろう。参院選が近づく春ごろから、不遇な立場にいる若者が〝それでも自民党を支持する?心情を社会面で3回の連載記事にしたし、18歳から29歳の層の自民党支持率の高さも伝えていた。
しかし反自民、とりわけ反安倍の本心は、衣の下の鎧式に、折に触れて出てくる。彼らの隠語的な社内共用語を借りれば〝角度をつけて?人選し、依頼したガクシャ・ヒョーロンカ・サッカの寄稿は、押しなべて反自民、ことに反安倍の主張を強く盛り込んでいた。
それだけではない。朝日が最近異様なまでに多用して入る記者の署名文やコラムも、政治部中堅記者の署名で、民主党政権に触れるとき安倍首相が枕詞に使う〝悪夢のような?という表現を捉えて〝嘲笑する政治?を非難する、記事とも解説ともいえない〝感想文?を典型に、いろいろと手を替え品を尽くした。
中でも、参院選運動期間中の7月9日朝刊一面トップの、ハンセン病患者の家族に対する公的補償を求めた訴訟で、熊本地裁が出した原告勝訴の判決に対し、政府が「控訴へ」と伝えた記事は、波紋を呼んだ。「政府関係者が認めた」としているが、参院選を前に安倍政権の〝薄情さ?を読者に印象づけようとする、根拠の明確でない、〝角度?つきの、記者仲間でいう〝飛ばし?記事の疑いは、極めて濃厚だ。それが配達から数時間もたたない当日午前中に、安倍首相が「控訴しない」と記者団に語り、完全な誤報になったのだ。
率直にいって安倍の〝後出しジャンケン?の気配もあるが、反安倍の朝日が正式決定前にグーを出せば、反朝日で決定権者である安倍がパーを出すのは、わかりきった話だ。さすがに朝日も、同日夕刊で「控訴せず」を凸版横見出しにして一面の大部分を使った訂正記事に加え、〝誤った記事 おわびします?という2段の囲み謝罪記事を出した。さらに翌10日朝刊も、前日夕刊とほぼ同じ1面をつくり謝罪記事も再録、さらに2面の大半を潰して多少の弁解・強弁も滲み出た解説と、3段見出しの〝本社記事 誤った経緯説明します?という政治部長の署名記事を載せた。
筆者の知る限り、昭和25=1950年9月27日付朝刊社会面の〝伊藤律・架空会見記?を30日付の紙面で、2段の謝罪記事で取り消していらいの、全面降伏だ。〝慰安婦問題?の〝虚報取り消し?で見せた、往生際の悪さの、大失態から学んだのかも知れぬ。
それにしても〝NHKから国民を守る党?の1議席獲得は痛快だった。この党も、社会党も、同じ全国比例1議席。NHKは当然ながら、こんご〝国会討論会?などの機会には、放送法の公平規定に立って両党を同格に扱うだろうね。しっかり念を押しておく。
(月刊『時評』2019年9月号掲載)