2024/11/06
「平成」から「令和」にかけての狂騒は一段落したものの、それ故にここまでの経過について改めて問題点を検証し、議論しなければならない。退位・譲位や皇籍離脱もすべて改憲を経るべきであるし、何よりあの〝お気持ち譲位〟の放送は、政府系機関にあるまじき法規範からの逸脱というほかはない。
落ち着くのは凩が吹くまで?
「平成」から「令和」に向けて続く長期連休を、数え年なら90歳の高齢者である筆者は、医療機関の長期休診や薬品供給の途絶をはじめ、年金・預金の引き出しや宅配システムの混乱、皇室行事で余儀なくされる警備能力の偏りで生じる市井の安全に及ぼす脅威、さらに〝土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい〟の状態に置かれる人たちへの対処から行楽地中心の交通渋滞まで、社会機能の多くの面で混乱と空白を生む危険を想定して〝魔の10連休〟と命名し、他誌で問題提起してきた。その10連休は幸い大きな波乱なく通過し、テレビ主導で延々と繰り広げられた〝御代替わり〟のお祭り騒ぎも、夏を迎えてようやく一段落した観がある。
とはいえ、秋たけなわの10月22日には世界の国家元首やその名代も東京に集まり、〝即位礼正殿の儀〟が行われる。続けて、天皇・皇后がオープンカーで都心をパレードする〝祝賀御列の儀〟もある。その前後には、テレビが煽り立てる浮き浮きした気分が、再び世の中を覆うだろう。世情人心が落ち着くのは凩が吹き始めてからなのではないか。
それにしても、4月いっぱいまではバーゲンセールからプロ野球のホームランまで、社会事象なにかにつけて〝「平成」最後〟が謳われ、5月に入ると掌を返すように新規イベントから大相撲の金星まで、森羅万象あらゆる話題で〝「令和」最初〟が連呼される狂騒に、手もなく反応するテレビ主導のわが国の大衆社会の軽薄さ、調子よさには、ほとほと呆れ返った、というほかない。
奇妙な状況下で定着した「令和」
「平成」の天皇の〝お気持ち譲位〟に基づく皇位の継承と改元は、一回限りの例外措置とする改正皇室典範の規定に基づき、核心部分は慣例に沿って連続する一体のものとして行われた。ただし、時代の変化に伴って電子化が進む情報処理の混乱を避けるため、新元号は実現の1か月前に閣議決定して直ちに公表し、移行準備に万全を期すことになった。
この措置は、技術変化に対応した妥当な判断というべきだろう。それならいっそこの際、公文書管理を含むデータ処理はすべて西暦で統一すべきだ、という声もあった。考えられる選択だが、その場合は過去に記録され蓄積されているデータを、今後も容易に比較参照できるように調整するための、容易ならぬ労力と費用が不可欠になる。それならあえて波風を立てずに旧慣墨守でいこう、という話に落ち着いたのも、無難といえば無難だったといえるのかもしれない。
4月1日の新元号「令和」の公表から、4月30日の天皇の退位に伴う「平成」時代の終焉、そして翌5月1日の新天皇の即位による「令和」への改元とともに盛り上がった気分が落ち着くまでの間、異様といえば異様な狂騒が生じた理由は、さまざまな観点からの指摘・分析が可能だし、必須でもある。
「令和」という新元号は、世間的には特定の学者が発案者だと、ほぼ確定情報として伝えられている。しかし当の本人は、発案者名は公表しない政府方針に従ったのか、頑としてその事実を否定している。それはそれで尤もな姿勢なのだろうが、一方で彼は、〝令〟は令夫人や令嬢が示す通り〝優れた美しさ〟の謂い、〝和〟は大和であって、万葉集を出典とした〝美しい国・日本〟という意味を持つ、という講釈を多くの場で確信的に述べている。発案者は公式には不明だが、案の意義を権威をもって説明する人物は明確に存在する、という奇妙な状況になっているのだ。
そうした中で、例の如く〝ニュース芸人〟が旗振りを務めるテレビも、それに追随する新聞も、行政手続き上は元号選定の最終責任者である安倍首相も、「令和」初の国賓として来日したトランプ米大統領も、この説をオウム返しする中で、「令和」は定着した。
好ましい印象の無い〝令〟の字
とはいえ筆者ら、辛うじてだが大正デモクラシーの余韻を残す昭和戦前のプチブル文化生活も、戦時下の軍部・新聞・ラジオから地域の住民組織までが一体化した統制・抑圧の様相も、敗戦による被占領下の米兵や〝第三国人〟の暴状も、掌を返すようにアメリカに迎合した左右の政治家や多くの学者・言論人の醜態も、記憶に深く刻み込んだ世代にとっては、〝令〟の一字は、逮捕令状・捜索令状や、なにより赤い紙に印刷された徴兵令状を連想させる。そうでなくても、マッカーサー司令部・占領軍指令、命令・号令・訓令、せいぜい辞令くらいしか、思いつかない。
それは一知半解というもので〝令〟にはいい意味もある、と講釈されても、令嬢などとはトンと縁のなかった身としては、反射的に浮かぶのは〝巧言令色鮮仁〟という孔子の一語くらいだ。結局のところ、〝令〟の字に好ましい印象は、さっぱりない。
「令和」は、子供に恵まれた若夫婦が、大いに工夫したつもりで当世風の〝キラキラ・ネーム〟を考案したら、双方の親や親族がみんなヘンな顔をして首をかしげた、という印象なのだ。「平成」も、当初は凡庸・平俗ここに極まれり、という感があった。要領を得ないまま、いつの間にか、慣れたというか、慣らされてしまったか、という形だったが、終わってみれば、確かに記憶に残っているのは、大きな災害の連続を除けば〝失われた30年〟だけの、凡庸かつ平俗な時代で、当初の印象は当たっていた、という思いがある。
「令和」の〝令〟には音(おん)や旁(つくり)だけの問題でなく、どこかに〝冷〟と通ずる感じがある。それが〝和〟する、つまり、積み重なる、というわけだから、只ならぬ事態に至るのではないか、という不安な気分に襲われないものでもない。格差拡大で社会の内部にも、また米中による新冷戦発生の兆しで世界全体にも、不穏な風向きが感じられる時勢になってきているだけに、テレビ主導の空騒ぎには、とてもじゃないが乗っていけない、という向きは多いのではないか。
連続して晴れやかな大イベント
それにしても、今回の〝御代替わり〟が、事実としてお祭り気分一色だったことは、間違いない。その理由の第一に、これが一切の暗さも〝自粛〟も伴わない、気楽な気分で行われた、という点をあげなければなるまい。
昔はいざ知らず、〝明治開国〟以降の日本では、「明治」から「大正」、「大正」から「昭和」、そして大日本帝国憲法が日本国憲法に変えられたのちの「昭和」から「平成」への皇位継承と改元も、すべて天皇崩御、皇太子として後継と確定している新天皇の践祚が、一体の連続した行事として行われた。
当然ながらその場合は諒闇、国家的な葬送と国民的な服喪が先行する。祭とはいえ、それは厳粛な有職故実に基づく葬祭であって、騒ぎどころの沙汰ではない。行政行為としての歌舞音曲の停止、民間の自発的行為としての自粛の中で、践祚が行われ、大喪とそれに伴う一連の儀式が厳粛に進行する。それが完結し、しばらくの休止期間を置いた後に、葬祭とは完全に切り離されたものとして、新しい天皇の即位の礼が行われる。そのときはじめて、世間の気分は祝祭に転換するのだ。
なにも日本に限らず、英国やヨーロッパ大陸中北部、アジアに現存する王室も、先帝の葬送と新帝の戴冠は連続せず、別々に行われる。そこに、宗教色を持たざるを得ない葬送の儀式と、政治的色彩を免れない即位・戴冠の行事との、微妙な関係を意識せざるを得ない所以もあるのだろう。
しかし今回の〝お気持ち譲位〟とそれに伴う皇位継承は、荘重な儀礼から華麗な儀式、世間の雰囲気では〝暗〟から〝明〟へと、時間をかけて転換する手続きを全然必要としない、連続して晴れやかな、明朗な気分のもとでの、大イベントだった。ハッピー・リタイアメントがあり、引き続きハッピー・キャリア・アップがある。緊張も意識の切り替えも気分転換も必要としない、大規模なカジュアルなホーム・イベントといって過言でない、穏やかさ、和やかさの中で、進行したのだ。
皇室のテレビ・スター化
そのあり方は、「平成」の天皇と皇后の意図したところとも思われるが、その意図は見事に奏功した、といえよう。後段で触れる通り、また筆者がこの2年近くの間に本誌はじめいくつかの場で論じてきたように、〝お気持ち譲位〟とその運び方には、憲法をはじめとするいくつかの法的観点で問われるべき問題点、控え目にいってもきちんと論議されるべき余地が、少なくない。しかしそれとは別の次元で、一連の行事がハッピー・イベントとして企画され、目論見通り進行して、目指す成果をあげた点は、評価されるべきだ。
ただし、万事がハッピーだった、というわけでもない。第二の論点に、今回の〝御代替わり〟がテレビが主導するイベントとして視聴者国民に伝えられ、だからこそ理屈抜きに大衆的関心を集めて、明るい気分をあまねく行き渡らせた半面に、その代償として、天皇・皇后を頂点に置く皇族のテレビ・スター化、皇室全体のポップ化を伴った、という側面があったことを、見逃すべきではなかろう。
なにぶんにも映像の時代である。テレビはあらゆる事象について、多面的で複雑で、さまざまに表象化された意味内容と、注意深く秘められた含蓄を、無知な乱雑さでぶった切り、それらのたった一面だけ、それも〝絵〟になる一瞬だけを、表情や情景を中心に拾って、それがすべてを物語る決定的瞬間であるかのように、記号化し、固定化する。さらにそれらの断片のうちで、とりわけ映像効果の高いいくつかをつなぎ合わせて保存し、ことあるごとに繰り返し流すことで、視聴者大衆の意識下に植え付け、刷り込んでいく。
イメージ操作の弊害は〝お気持ち譲位〟にも
そうしたイメージ操作の弊害は、ことに政治的な問題で顕著に現れるが、今回の〝お気持ち譲位〟も、決して例外ではなかった。
日本の天皇には、故渡部昇一教授が述べたように、プリースト・キング・祭祀王、の面がある。イギリス王室がローマ教会から離れた独自のキリスト教である英国国教の宗家であるように、皇室は日本古来の独自な宗教である神道の宗家としての立場があるのだ。
その立場に基づく務めは、政教分離の日本国憲法のもと、厳しく政治・行政と一線を画され、テレビ映像で世間の視線に晒されることなく、粛々と伝統に沿って行われている。しかしそれは、天皇が天皇であるうえで大きな位置を占め、重い意義を持っているのだ。
「平成」の天皇は、そのことを12分に認識したうえで、80代も半ばに達し、心臓手術や前立腺ガン手術を経験した身が、深更にただ一人、時期によっては寒気を遮るなんの手段もない極寒の神殿で、薄い古代衣装を身にまとい、天皇にだけしか許されない、務められない、秘儀を行うことが困難になった、と感じられたに違いない。いずれ昭和天皇の最晩年に自身が当たったように、代拝を立てざるをえなくなるが、それなら天皇の務めの別の部分である〝象徴〟の面を含む全体を、まだ初老前で二つの責務を十全に果たしうる皇太子に、いまの時点で継がせたい、というのが〝お気持ち譲位〟表明の重要な背景であり、真意だったといって間違いなかろう。
高齢では天皇の主な務めである神事に耐えられない、という事実と、朝日新聞が〝御代替わり〟直前の2月に3回で分載した「平成と皇室」冒頭の、〝兄が80歳のとき私は70代半ば、それからはできないです〟と秋篠宮が語ったという伝聞記事とは、照応していると見るべきだ。この記事は記者の能力の問題か、編集幹部かデスクが立てたプロットに従わされた結果か、高齢化する皇位継承の問題点、退位または即位拒否の自由化、女性・女系天皇の可能性、そして「平成」の天皇の代に範囲が広くなった〝ご公務〟について、〝適応障害〟が尾を引いて〝引きこもり〟状態の継続が懸念される新皇后への〝忖度〟からか、頻度の大幅な削減に言及するなど、テレビのワイド・ショー的話題の範囲に止まっていて、仮にも新聞なら当然に論じるべき核心的な諸点には、踏み込んでいなかった。
天皇の祭祀王としての務めは、テレビに馴染まない。そもそも秘儀である神事の撮影は許されていない。天皇・皇后を頂点に置く皇族のテレビ・スター化は、自然〝ご公務〟とされるオープンな絵柄の、しかも視聴率を稼ぎやすい〝身近な〟シーンに限られる。そして、そのイメージだけが固定される。
こうした映像化は、つまるところテレビ局による皇室の商業利用に過ぎないのだが、内閣も宮内庁も、おそらくは皇室自身も、この面の影響評価を意識していなかったか、軽視していたか、むしろ有用と考えていたか、いずれにせよ、判断を誤っていた。それが国民の皇室に向ける視線を一面化したことは、否定すべくもあるまい。そうした状況の最悪の現れが、「平成」の天皇の在位30年を祝う〝国民祝典〟の場の、ポップ・ミュージック歌手の歌と、ビートたけしの突っかえ突っかえした〝祝辞〟だったのではないか。
改憲を経た上での退位・譲位を
皇室のポップ化といえば、「平成」末期ほど、皇族をめぐって率直にいって芳しいとは到底いえない風説が、少なからず世間の話題になったことも、かつてなかったろう。個別問題にはあえて立ち入らないが、新聞は多少〝忖度〟して控えているものの、大衆メディアであるテレビのワイド・ショーや週刊誌には、前東宮家の妃や内親王の、期待される役割を果たすこと、学業に努めること、で〝適応障害〟に悩む実情や、秋篠宮家の〝海の王子〟がらみの問題など、摩訶不思議(一部は〝真佳不思議〟といえないこともない)としかいいようがない話題が溢れて、少なくとも後者は、当面止まる気配は見受けられない。
皇族は政治にかかわることができないだけでなく、少なくとも現行の皇室典範では、養子をとったり、皇室会議の議決を得ずに皇籍を離脱したり、婚姻関係を結んだりすることは、できない定めになっている。それらは個人の人権に照らせば疑問なしとしないが、それを改めるのなら、国会の両院議員の各3分の2以上が賛成する発議を経て、国民投票にかけて過半数の支持を得て、憲法を改正するのが筋であり、唯一の正しい道だ。
この点は、女性・女系天皇の実現はもちろん、本来なら「平成」の天皇の〝お気持ち譲位〟にも、〝上皇・上皇妃〟という新しい皇族を定めることとも、直接結びつくべきだった。これらの問題はすべて主権・国防と並ぶ国家最高の基本問題であって、それを憲法に精密・精緻に規定しないのは国家・国民とその伝統に対し不誠実だ、と考えるからだ。
日本国憲法には、皇位・皇室に関して
「第二条 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」
という以上には、直接の規定はない。実際面は〝法律第三号〟という一般法である皇室典範に委ねている。今回の〝お気持ち譲位〟への対応も、皇室典範の改正による法律面の整理・整備が行われた。しかし憲法も今回の改正以前の皇室典範も、天皇の退位・譲位を想定していなかったことも、明らかだ。
天皇の退位・譲位が「天皇の国事に関するすべての行為」(憲法第三条)でないという道理は断じてありえない。従って「国政に関する権能を有しない」(同四条)の天皇は、侍従職―宮内庁―内閣官房に非公式に内意を通じて公に「内閣の助言と承認」(同七条)を求めるのが、本来の手続きだったはずだ。
筆者は天皇の退位・譲位は、超高齢化時代になった現在では、当然にありうべきことだと考えている。また、秋篠宮の言葉として伝えられる、〝70代半ば〟となってから、身体的に困難な神事を務めることが必須の天皇への即位を辞退することも、正統の後継皇嗣が存在する場合には、認められるべきだと考える。さらに、皇室会議が承認しない皇籍離脱も、離脱一時金を辞退する前提で自由であるべきだ、と思っている。ただし、それらはすべて憲法に所要条文を追加する形の、改憲を経なければならないと考える。
放送法上の観点からも問題
今回の〝お気持ち譲位〟は憲法に即して考える以前に、「平成」の天皇による突然のテレビ、それもNHKという、疑う余地のない政府関係機関の通常放送の時間枠内での発言が、〝テレビ世論〟の支持を集めたと認識され、既成事実化されてしまい、内閣による承認と、それを事実上裏付けた皇室典範のいささか〝問答無用〟的な改正で実現した、という点で、法的に適切とはいえなかった。
さらにこの点では、憲法と別に、放送法上の問題点もある。放送法は短い第一章 総則 と、長い第二章 日本放送協会、それよりずっと短い第三章 一般放送事業者、第四章 罰則 という組み立てになっているが、第二章の第四十四条の二という条文は、
「協会は、国内放送の放送の種別及び放送の対象とする者に応じて国内放送の放送番組の編集の基準(以下国内番組基準という)を定め、これに従って国内放送の放送番組の編集をしなければならない。 2 協会は、前項の規定により国内番組基準を定めた場合には、これを公表しなければならない。これを変更した場合も、同様とする。」
と規定している。これはNHKに〝放送の自由〟を保障する一方で、民放と違う一定の自己規律を求める趣旨だが、「国政に関する権能を有しない」(憲法第四条)天皇が、どう見ても〝国政〟と無関係とはいい難いストレート・トークをする〝国内放送基準〟が、NHKに存在しているとは、寡聞にして聞いたことがないし、あるとも考えにくい。
仮に天皇から、是非とも直接国民に向けて話したい、という内意が示され、協会が急遽〝基準〟を設けた場合には、その事実を公表しなければならなかったはずだし、当然のこととして、監督官庁である総務省を通じて内閣も把握していなければならなかった。
それだけではない。これに先立つ第四十四条(の1)の三の3の四という条文は、
「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」、「放送番組の編集及び放送に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない」と明記していて、NHKに対し公正・公平の確保を、固く義務づけている。NHKが〝お気持ち譲位〟という、賛否に関して明らかに国民の間で〝意見が対立している問題〟について、放送法の条文に沿って公正・公平を期したとは、だれも思うまい。
すべての法律は御名御璽を得て公布されるが、だからといって「平成」の天皇が、昭和天皇の時代に公布された放送法の内容を、熟知しているわけがない。また天皇の、仮に法的・政治的でないとすれば私的なストレート・トークを、NHKテレビがオン・エアするという超法規的措置を、宮内庁幹部が知りながら大胆不敵にも内閣に秘匿していた、ということも多分ありえない。もちろん「平成」の天皇が、直接NHKと折衝して超法規的運営を求めたということも、あるはずがない。
今回の展開は、皇族の誰かが出入りのNHKの宮内庁担当の社会部記者に情報を流し、記者が特ダネ意識で先輩・デスク、さらに報道幹部に話して、放送法など頭から無視して〝放送番組〟化に暴走した結果と思われる。
そうだとしたら、これはNHKの重大な放送法違反である。NHKの信じられないほどの無規律、政府関係機関としてあるまじき法規範からの逸脱、である。こうした暴走は、監督官庁が厳しく精査し、責任を追及しなければならない性格の〝事件〟なのである。
放送法はNHKの、あるいはテレビの憲法である。今回の〝お気持ち譲位〟は、憲法・皇室典範にはじまり放送法に及ぶ、徹底的に論議し、正さなければならない問題を持っていた。既成事実が先行したとはいえ、皇室の将来のため、NHKが犯したテレビの暴走防止のため、抜本的論議が不可欠と考える。
(月刊『時評』2019年7月号掲載)