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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第77回】

バッハIOCは要注意だ 平昌・世界卓球の詐術を忘れるな

 今冬の平昌五輪といい、5月の女子団体戦世界卓球といい、北朝鮮と韓国の急造合同チームは、世界のスポーツのルールを無視した悪例と言うほかはない。が、これを裏から指示したと確信させるのがバッハIOCだ。その独善的な手法は、2年後の東京オリンピック・パラリンピックにおいても十分な注意と警戒を要するものだ。

国際政治の道具として

 2年後のいまごろは、東京オリンピックが真っ盛りのはずである。引き続いてパラリンピックも開催されることになる。
 いうまでもなくオリンピックは、単なる国際的スポーツ行事にとどまらない“平和の祭典”とされている。また、政治とは完全に切り離された存在であるともいわれている。
 しかしそうした建前とは正反対に、オリンピックはしばしば戦争や国際間の対立の影響を蒙ってきたし、国際政治の道具としてもさんざん利用されてきた。東京でのオリンピック開催は、いうまでもなく今回が1964=昭和39年に続いて2回目だが、これもいうまでもなく、1940=昭和15年にも皇紀2600年、すなわち神武天皇即位から数えて2600年とされるのを記念して行われることになっていた。しかし、その3年前に起きたシナ事変が長期化したために“返上”された。1939年初秋にヒトラー・ドイツがポーランドに進攻してヨーロッパで第二次世界大戦が起き、オリンピックどころではなくなったこともあり、この返上-中止は日本にとって結果的に大きな傷にならずに済んだ。
 4年を一区切りとするオリンピアードごとに国際的な競技大会を開催するのが1896年のアテネ大会に始まる近代オリンピックの決まりだが、ベルリン開催が決定していた1916年の大会は、第一次世界大戦中だったため中止されている。1940年は二度目の中止であり、続く1944年の大会も第二次大戦継続中だったので、開催地を論議するまでもなく、中止になっている。
 オリンピック競技は戦争終結後の1948年のロンドン大会で12年ぶりにやっと復活したが、敗戦国日本は、同じ立場のドイツとともに、国際オリンピック委員会=IOCから会員資格を停止する処分を受けていて、参加できなかった。その鬱憤を晴らすかのように、日本水泳連盟は戦勝国アメリカが競泳の代表選手を選考する場とした全米選手権大会にぶつけて、明治神宮外苑プールで日本選手権大会を開催した。そこで古橋広之進が400、800、1500メートルの自由形で、アメリカ代表の記録はおろか、ロンドン大会の金メダル記録も大きく上回ることになった驚異的な世界新記録を連発し、敗戦の荒廃から再建・復興に励む国民を鼓舞したものだ。
 次の1952年のヘルシンキ大会には、日本も復帰し古橋も出場したが、彼はすでに盛りを過ぎていて、400メートル自由形で決勝に進出したものの8位に止まった。このときプールサイドから中継放送したNHKの志村正順アナウンサーが、涙声で「日本の皆さん、古橋選手を責めないでください」と絶叫して、ラジオ全盛時代の語り種になった。
 その後も1972年のミュンヘン大会ではアラブ過激派がイスラエル選手団の宿舎を襲う殺傷テロ事件が発生。1980年のモスクワ大会では東西冷戦下のソビエト・ブレジネフ政権がアフガンに軍事進攻したのを非難して、アメリカを筆頭に日本を含む西側諸国がボイコットを敢行。全盛期だったマラソンの瀬古利彦や柔道の山下泰裕が出場できず、次の1984年のロサンゼルス大会で再挙を期す羽目になった。立場を入れ替えてソビエトと東欧衛星国の一部がボイコットしたロサンゼルス大会では、2回戦で足を痛めた山下は決勝で苦戦の末辛くも金メダルを得たが、瀬古は宿願を果たすことができなかった。
 続く1988年のソウル大会のときは、国のメンツを賭けて韓国のオリンピック開催阻止を図った北朝鮮が、各国の選手団に韓国への渡航をためらわせようという狙いで、インド洋上で大韓航空の旅客機を爆破し、墜落させる事件を起こした。その南北朝鮮が、2000年のシドニー大会では、統一チームを結成して競技に臨み、開会・閉会式も国旗ではなく白地にブルーで朝鮮半島の全域を示した“統一旗”を掲げて一体で行進した。彼らのオリンピック政治利用の腹のうちも、利害打算の計算式も、まことに不可解至極だ。

悪例の定例化とIOCの影

 こう並べると古くはドイツ、近くは韓国・北朝鮮がオリンピックのトラブル・メーカーの双璧といえると思うが、韓国・北朝鮮にはもう一つの問題もつきまとっている。
 旅客機の爆破は一人の狂気の独裁者の命令で引き起こすことができる。しかし分裂国家とはいえ、それぞれ国内オリンピック委員会=NOCを組織し、IOCに別個に加盟している二つの“国”が、勝手に合同チームを組んでオリンピックに出場することなど、できるわけがない。IOCが“共謀”しない限りは、少なくともIOCが容認していない以上は、こうした事態は絶対にありえないはずなのだ。ところが、さらにそうしたありえない状況が、すでに1度ならず、2度も起きている。そしてその横車・悪例の“3度目・4度目の正直”、というより“不正直の真打ち”というべき事態が、来るべき東京オリンピックで起きる可能性が極めて高いのだ。
 そう考える、という以上に、そう覚悟しなければならない、十二分の根拠が明白に存在する。2月に韓国の平昌で行われた冬季オリンピックへの、北朝鮮の飛び入り参加だ。シドニー大会で1度目の南北合同チームを演出して見せたものの、その後はずっと韓国を敵視し、核開発・ミサイル実験を重ねて国際的に孤立を深めてきた北朝鮮は、韓国で開かれる平昌冬季オリンピックに対しても当初はまったく無視して参加の素振りも見せず、数々の競技の予選もすべて出場しなかった。ところが開催が迫ったこの正月に、恒例の金正恩の“年頭談話”で、韓国に向けて平和・協調を呼びかけ、平昌大会に韓国と合同チームを組んで参加することもありうる、と表明した。そして開会直前になって、開催国として韓国が出場できる団体競技の女子アイス・ホッケーに北朝鮮が選手を派遣して合同チームを組み、また個人競技であるスキーのアルペン種目の一部にも選手を出場させるだけでなく、開会・閉会式では、かつてシドニーで採用した“統一旗”を掲げて一体となって行進する、と突然表明したのだ。
 その背後に、李明博、朴槿恵と二代続いた保守政権を、朴の不適切な交友関係を責める大衆デモを主導して打倒に追い込み、かつて側近として仕えた盧武鉉・親北左翼政権を継承する体制を復活させた、文在寅韓国大統領の存在があることは、いうまでもない。そこまではだれもが考えることだが、それにしても、当然ながら文在寅の一存で、たとえごく一部に限るにせよ、北朝鮮選手が事実上韓国チームに混じってオリンピックに参加するという離れ業が、できるわけがない。日本の新聞・テレビはおろか、その紙面・画面に始終登場する世界の新聞・テレビや通信社も、この時点ではなぜか納得のいく説明をしていなかったこと自体、不可解であり、奇怪な話なのだが、当初からIOC本部が一枚も二枚も噛んでいなければ、こんな無理が通るはずは絶対にありえなかった。
 アルペンの練習会場に突然追加指定されたのが、金正恩が国民に飢餓と窮乏を強いる一方で、なけなしの資金を注ぎ込んで核・ミサイルと並ぶ二つの“目玉事業”とした、観光客誘致による外貨獲得を狙って開発した“スキー・リゾート”である。独裁者がつくった異様な施設の集客目的を兼ねたお披露目が、仮にもオリンピックの、本競技場でないとしても、関連施設としての使用で行われることも、オリンピックの政治利用・商業利用に加えて、IOC本部との裏取引の存在を感じざるをえない、といえよう。

不明朗感を強めた世界卓球

 そうした不明朗感は、平昌大会に続いて4月末から5月はじめにかけてスウェーデンで行われた、女子団体戦オンリーの世界卓球での韓国・北朝鮮のやり口で一層強まった。
 韓国も北朝鮮も、当然ながら別々の国際卓球連盟加盟国として、それぞれの代表チームを送り込んで予選に相当する一次リーグを別の組で戦い、ともに上位を占めた。そして八か国の代表が争う決勝トーナメントで、二つの椅子を占めた。
 八か国による決勝トーナメントの初戦は当然四試合、つまりいきなり準々決勝になる。対戦の組み合わせは、所定の方式に従い一次リーグの順位に応じて自動的に決まるルールだ。ここで勝てば準決勝、そこでも勝てば決勝戦だ。この大会は3位決定戦はなく、準決勝で負けた二つの国はともに3位となって、銅メダルを与えられる。別の表現をすれば、初戦で負ければ手ぶらで帰国しなければならないが、ここを突破すれば、色はともかくメダル獲得国にはなるわけだ。
 その初戦で、韓国と北朝鮮がいきなり鉢合わせすることになった。38度線を挟んで対峙する両国のうち、一方は間違いなく準決勝に進出して銅メダル以上が確定する。そして次の準決勝で当たるのが、たぶん初戦で格下のウクライナを破ると思われる日本だ。この組み合わせをどう考えるか。
 どう転んでも、二つに別れた朝鮮民族の国家のうち一つはメダルを取る。結構じゃないか。勝ち上がった側は宿敵日本との決戦になるが、敗退した側もすぐには帰国せず、現地に残ってスタンドから声を嗄らして同胞を応援しよう。こういう考え方もある。というより、それが普通の思考回路だろう。
 しかし朝鮮民族はそうは考えなかったようだ。メンツを重んずる国家・民族として、どちらも負けないですむ妙手はないか。それに因縁の宿敵の日本にはなんとしても勝ちたいが、テキはもともと格上なうえに、このところ若手中心に切り替えて強さを増している。勝つのは容易でない。万一日本に惨敗でもすれば、たとえ準決勝に進出して銅メダルを持ち帰ったとしても、達成感より屈辱感のほうが大きい。韓国なら失望した国民から罵声を浴びる程度ですむが、北朝鮮では責任を問われて監督・コーチ・選手一同が辺境の農場に送られ、労働矯正を命じられることだって、まったくありえないともいえない。
 この窮地はチエをしぼって脱出しなければならない。そこで彼らが考え出したのが、予選は予選、決勝トーナメントは別、という屁理屈だ。韓国も北朝鮮も予選に勝ち上がって決勝トーナメントに臨む資格を得た。そこでこれからは合同チームで臨むことにする。つい先日の平昌冬季オリンピックで合同チームを実現させたばかりではないか。オリンピックでできたことが、世界卓球でできない道理がない。この一点で押しまくろう。
 これなら準々決勝での両国の対戦はなくなる。両国とも三位の扱いになって、揃ってメダルを手にすることができる。準決勝の対日本戦も両国の精鋭を選りすぐったメンバーで戦うのだから、一国で挑むよりはマシだ。テキは準々決勝を戦っていてそれなりの疲労、うまくすると故障を抱えて出てくることになる。一方こちらは初戦をパスして体力を温存し、最高のコンディションで戦うことができる。これだけのハンディがあれば、ひょっとして日本に勝てるかもしれないし、負けたとしても、急造の統一チームだから仕方なかった、と弁明できる。大会の途中でルールを変えるのは許されない、というヤツらは出てくるだろうが、平昌だって直前になって変わったのだ。あっちがよくてこっちが許されないということなど、あり得ない、こう突っ張り通せばいい。
 彼らはこう考え、主張し、行動して、強引に言い分を通した。日本の女子団体チームは毅然としてこれに対応し、まずウクライナを3-0で一蹴。疲れも見せず、韓国2人に北朝鮮1人の選抜合同チームを、鎧袖一触、これまた3-0で退けたのだ。

ルール変更に対する各紙の対応

 日本側の反応は、急に状況が変わったので戸惑いがあったとか、出場する3人を含めて5人の登録選手が入るようにつくられていた選手席が突然10人が入れるようになって驚いた、といった選手の談話が直後のテレビに現れた程度。あとはせいぜいがワイド・ショーで、毎度お馴染みの“ニュース芸人”や軽量ブンカ人のコメンテーターが、あれはひどかったね、と感想をつぶやくくらいだった。『朝日新聞』の運動面に至っては、“南北合同チーム敗退”と、どこの国の新聞かわからないような見出しをつけていた。それでも、別々のチームから合同チームへの“ルール変更”については“拙速感”があると、さすがに一応は疑問を呈さざるをえなかったようだ。
 それにくらべて『読売新聞』は、「スポーツの原則が置き去りに」という見出しの社説で、“大会前から合同チームで臨むことが決まっていたのであれば理解できる”が“大会途中に”“それも両国が対戦する直前に結成した”のは“明らかに公平性を欠いている”とした。そして、チームの戦力のカサ上げや選手の疲労度の軽減も指摘したうえで、“主催者側がルールを歪めては大会の権威を損ねる”“スポーツの根幹を蔑にした。と言わざるを得ない”と断じた。さらに平昌で“北朝鮮選手の参加を例外措置で認めた”IOCの姿勢が国際的に問題視されたとして、
「世界的に注目されるスポーツ大会から政治色を完全に排除するのは、難しいのが現状だ。2020年東京五輪でも課題となろう」「IOCや競技団体自らが政治に配慮し、ルールをねじ曲げることだけは、あってはならない」
 と断じた。
 まことにその通りだが、社説はあくまで社説であって、論評が主になるから、事実の解明が不十分な感は残る。そこへいくと『産経新聞』は、世界卓球開催地のスウェーデン・ハルムスタードや、IOC本部の所在地であるスイス・ローザンヌ発の共同通信電に細かく目を配って転載しただけでなく、この間の国際卓球連盟やIOCの微妙な動きを追って的確な解説記事を載せていた。

確信犯か、政治音痴か

 それらを時系列的に整理してまとめると、平昌冬季オリンピックの女子アイスホッケー南北合同チームの結成は、北朝鮮の金正恩の“年頭談話”に呼応した文在寅韓国大統領の働きかけにIOCが乗り、開幕直前に決まったようだ。そこまでならまだしも、平昌オリンピック終了後の3月末に、IOCのバッハ会長が平壌を訪問していた。4月27日に南北境界線上の板門店で行われた文・金南北首脳会談後の共同宣言には、今後の南北協調の証として“国際競技への南北共同出場”が謳われていたが、これは両首脳の一方的な願望の表明ではなく、一か月も前にバッハIOC会長から“お墨付き”を取り付けていた、裏付けのある話だったのだ。
 バッハはこの訪朝で、北朝鮮が世界卓球に参加することを勧め、核・ミサイル開発に対する国連安保理の制裁決議で経済封鎖されて外貨の枯渇に悩む北朝鮮に対し、選手12人の飛行機代とホテル代を援助することまで、密約していたという。これは明白な安保理決議違反であり、国際社会が実行している制裁に対する乱暴なスト破り的行動である。バッハが確信犯としてスト破りを敢行したのか。それとも極端な政治音痴で、自分の行動がなにを意味するかを理解する能力が欠けたままに、金銭供与したのか。どちらかだが、二言目には“平和”を口にする団体のトップだ。前者と見て、まず間違いあるまい。
 バッハ会長の訪朝・北朝鮮への金銭供与の事実は、完全に秘匿されていた。5月2日にローザンヌの本部で開かれたIOC定例理事会後の、広報部長による記者会見で、バッハが理事会に報告し了承されたという形で、はじめて表に出たのだ。共同電は明確には触れていないが、そもそもバッハは、一定の側近の理事に個人的に耳打ちくらいはしていたかもしれないが、理事会の正式な決定を得ずに独断で平壌に飛び、独断で資金提供を申し出て金銭を交付し、5月2日の時点になって事後報告で了承を得たものと思われる。
 そうであるなら、バッハの行為は独裁的な組織運営であり、IOC予算の専横かつ乱脈な支出だといわれても、返す言葉はないはずだ。サマランチ会長時代からのさまざまな独善的な運営と、主に発展途上国のIOC委員らが開催地の選定や視察などに絡んで腐敗をほしいままにする多くのスキャンダルが、薬物問題と並んでIOCを揺るがし、その“改革”の現れとして、バッハ新体制が生まれたはずなのだ。しかしこの調子では、IOCの“改革”の進行度・徹底度も、極めて疑わしい、といわざるをえまい。

国際社会を敵に回すIOC

 国際卓球連盟のトーマス・ワイカート会長は、決勝トーナメント前日の韓国・北朝鮮チームの突然の合同チーム結成を承認したルール違反を追及した、世界各国からの記者団を前にして、
 「ルールは尊重する。そしてルールは変わる。これが答えだ。今回の決定はルール以上のもので、平和へのサインだ」
 と放言した、と共同電は伝えている。
 一次リーグが終わってそれぞれの順位が確定しなければ、決勝トーナメントのどこで韓国と北朝鮮がぶつかるのか、そもそもどこの国が決勝トーナメントに出るのか、わからない。したがってバッハが訪朝した当初から、世界卓球での合同チーム構想があったわけではないだろう。しかし、アタマ隠して尻隠さず、IOCの金銭供与も含めて、どんな状況になっても北朝鮮の面倒はトコトン見よう、という事前の談合がIOCと国際卓球連盟との間でできていなければ、こうした臨機応変の対応ができたはずがない。まるでどこかの国の“市民”派の泡沫候補の選挙演説のような、ワイカートのチープな政治的発言は、そうした裏事情をゴマ化すにしても、余りにヘタクソなやり方、というほかない。
 IOCの広報部長は、5月2日の前掲の定例理事会後の記者会見で
 「2月の平昌五輪に特例的な参加を認めた北朝鮮に対し、2020年東京五輪に向けても支持する方針を明らかにした」(ローザンヌ発共同=『産経』)
 とも伝えられている。ここまでくると、もはや居直りもいいところで、国連安保理の決議なんかクソ食らえ、核がどーした、ミサイルがなんだ、IOCはダンコとして北朝鮮の同志として国際社会を向こうに回して戦う、と考えているとしか、思えなくなる。

IOCもJOCも一考を

 日本相撲協会にしても、日本レスリング協会にしても、日本大学アメリカンフットボール部にしても、スポーツの世界の一角には、世間的な常識が通用せず、独善・独裁を是とし、可とする体質が、根強く存在しているのかもしれない。それに、思えばバッハもワイカートもドイツ人だ。オリンピックの政治利用といえば、ヒトラーが「民族の祭典」「美の祭典」を演出した1936年のベルリン大会が、嚆矢とされる。盛大な雑音の中に、かすかに“前畑ガンバレ”を連呼する声がしたラジオとともに、この大会を思い出す人は、もう少なくなっているが、これから2年、東京オリンピックが迫るにつれて、無邪気に、あるいは商売気を秘めて、オリンピックを美化する風潮は高まる一方だろう。もともと、ヘイワといわれれば、ヘエと平伏するクセが染みついているのが、敗戦後の日本だ。金正恩・北朝鮮に親近感を持つ国民は決して多くはないだろうが、そこにオリンピックが、IOCが、葵の紋章つきの印籠よろしく二重写しになってくれば、さて、どうなるか。
 それでもオリンピックに期待する向きもいるだろうが、それならオリンピックには横を向こう、という声もあるはずだ。前回にくらべて東京で、日本で、オリンピック熱が盛り上がらないとすれば、それはなぜか。JOCも、IOCも、小川(バッハ)も森(喜朗)も、ちょっとは考えたほうがいいと思う。
(月刊『時評』2018年8月号掲載)