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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第153回】

NHK国際放送の驚くべき無責任体質 見事に斬った朝日のリッパな勇み足

 国民の税金を投入して実施するNHKの中国向け国際放送が、会長のクビが飛んで当然の大失態を演じた。
 その報道で公的補助を得た官民〝事業〟のやりくりの舞台裏を正確・適切に解説した朝日新聞だが、その一方で現実無視の未熟・空疎、しかもアカハタ追随の〝裏金〟報道で今年の新聞協会賞を得た。報道の本音と建前の分離、そのものではないか。

夏から初秋の政界混乱

 異様に苛烈な酷暑だったこの夏から初秋にかけ、日本の政界はその異様さに巻き込まれたとしかいいようのない混乱を続けた。発端が岸田文雄首相の突然の自民党総裁公選再選出馬断念表明だったのはいうまでもない。これをきっかけに、トップ人事の時期が一致していたのも手伝い、野党第一党・立憲民主党の代表選、自民党政権の一隅に居座り続ける公明党の代表交替も行われ、騒ぎが増幅された。

 岸田の再選断念自体は、テレビやそこに居着く軽量軽薄なコメンテーターが大仰に言い立てたほど、驚くべきことでも異様なことでもない。これほど無能な、テレビ人気だけを当て込みマトモな政策も政略も持てなかった空疎な人物が3年も総理総裁の座にあり続け、場合によっては再選の野望も遂げかねない状況にあったのが異様なので、筆者が本稿で重ねて論じてきたように、最大限春の通常国会閉幕とともに退陣して当然だった。

3党14人による運動会

 たまたま岸田本人の強欲と自民党内に淀む人材難の相互作用で起きて然るべき政変が起きず、とはいえ客観的な政権行き詰まりの様相は変えるべくもなく、遅ればせながら来るべきものが来ただけなのに、池で惰眠を貪っていた水鳥の群が突如水面を走り回って空に飛び上がろうと羽ばたき始めたように、店晒しになっていた老朽万年候補から有象無象の無鉄砲の売名の徒まで、自民党だけで9人、立憲民主党は4人、公明党はどこぞの暗黙の指示で決まるお決まりの1人だけだが、都合3党で計14人が、それぞれ急仕立てのでっちあげエンゼツで〝ワタシがソーリになったら〟とわめき立てたのだから、政争というよりは余りにも幼稚な、小学校の運動会のような姿になったのはお笑い草だった。

 テレビ世論の支持だけが頼りのキシダが、目の上のタンコブである旧安倍派と二階派の力を殺ぐべく政権延命策の一環としてかつぎ出した派閥解消と〝裏金疑惑〟の作用で、政党人事の基盤である派閥による統制も秩序も規律もなくなり、それ相応の基礎もできていないトウシロを含む混戦・乱戦になった自民党。一定数の配下を持つ元前両代表の一騎打ちだけでは自民党側の賑やかさに較べて格好がつかない、という意図に駆られ、立候補締め切り前夜に同じ容共左翼体質の枝野陣営から配下議員の融通を受けてやっと20名の国会議員の記名推薦という条件を満たし、仲間内で思わず祝杯を挙げバンザイを叫んだ泉現代表。下には下があるというべきか、立候補締めきり時間ぎりぎり一分前に、女性候補も加えて色彩の華やかさを演出したかった野田の手引きで、同じ落第組と談合して彼の推薦者若干名を譲って貰いようやく条件を満たした、売名目的としかいいようのない一年生女性議員も加えて格好をつけた派閥的打算丸出しの立民。まさにマンガ的な騒動になった。

世間に忘れて貰おうとしている問題

 どこぞの意向で甚だ非民主的かつ予定調和式に人事が決まる公明党は別として、これで夏枯れの1か月間のテレビ・ワイドショーのネタができたわけだが、公明を除く自民・立民では、トップは決まっても党を束ねる幹事長と国会対策委員長を軸とした陣容づくりもある。政権と縁のない立民はともかく、自民党にはまず、開会式臨席が定式化している皇室の日程調整に始まり、特別国会を開いて首班指名選挙、そして新総理総裁による組閣が行われなければならないし、それ以前に連立体制の要不要を決め、必要ならその構築をしなければならない。新しい連立体制・与党の党内力学・派閥連合の形が落ち着くまで、スムースに進むこともあるが時間がかかることもありうる。印刷・製本・流通の過程に一定の時間が不可欠で、締めきり厳守が当然の定期刊行物である月刊誌の場合、小回りのきく消費財の週刊誌や、まして一瞬後には宙に消えてなくなるテレビの発言とは違って、読者の手元でバックナンバーを揃えて永く保存され、論議の内容や見通しの妥当さが検証され続けることもあると覚悟して、慎重を期すのが前提だ。すべてが固まり一定の試運転の状況も見届けたうえで、判断・評価を示しても決して遅くない。むしろそれが当然なのだ。

 そこで今回は、まだ総入れ替えの余波が収まったとは到底いえない政界の変動に関する議論は、〝口先政党〟社会党左派の後継というほかない立民の党利党略・派利派略の醜状に対する解明・批判も併せ次号に回し、今回の騒動に紛れて見過ごされようとしている、というより当事者はもちろん業界全体もなるべく早く世間に忘れて貰おうと意図して扱いを避けている、重大な問題を取り上げたい。

意図的な不正〝放送〟、その対応

 前置きが長くなったが、NHKの国際放送のうち中国向けニュースの、中国人の委託出演者が犯した意図的な不正〝放送〟と、それをめぐるNHK中枢の無責任・不誠実極まる対応の問題だ。この事件に関して、新聞は朝日も産経も、基本的な報道・論評の立ち位置の違いを超えて、数次にわたり相応の紙面を割き、問題点を捉え適切な報道をした。しかし一般に〝新聞離れ〟が定着してニュース受容がもともと娯楽機関に過ぎないテレビ中心になり、自己主張を顕示したいハンパなヒマ人の偏見の固まりであるネットの勝手気ままの〝情報発信〟を興味本位でチラリ見するのがそれに続く、という現状だ。これではニュース価値の正当な評価・判断が示されず、多くの重要問題が看過されることになる。それだけでなく怠慢・横着・安易・無思慮が骨絡み染み付いているテレビに、ニュースはこんなもんでいいんだ、という間違った認識をより強めさせる惧れもある。ここは歯に衣着せず厳しく論断するのが仮にも70年、報道・言論の世界に身を置いた者の責務だろう。

 そもそもこの問題は実のところ、前代未聞の大事件というべきなのだ。放送法はテレビ事業に対し、NHKだけでなく全民放も通じて報道・言論に関し不偏不党・中立を求めている。そうはいっても、それぞれの局の姿勢の相違もあるし、局の責任で制作するニュースや評論とは別に、有識者・論客に出演を求めて所見を開陳して貰うのも、番組の編成上当然の手法だ。その場合、出演者個人の意見であることを明らかにする一方、一定の社会規範・良識の範囲内で自由な言論を発揮して貰うのは当然だが、そのときも出演者の選択や番組全体の編成に当たっては、局として全体的なバランス上の配慮が求められる。

NHKは口先だけの弁解に終始

 それにしても今回の事案はその所在や重要性が世間に広く認識されていないのだから、一定の説明は避けられまい。そこでここでは9月11日付朝日新聞の朝刊に頼り、事案の概略から述べることにしたい。

 この紙面は1面に簡略な事実報道を置き、いわゆる社会面の27面でトップから3段通しのリードつき本記、そして要領のいい記事と、新聞やテレビをよく見聞きしていても実地の事情には疎い素人が多い読者に配慮した4つのコラムを別途に添えている。必ずしも朝日にとって好ましい読者ではない筆者が、日頃から共産党一党支配下の中国に対して遠慮・忖度のない、今回も十二分に紙面を割いて適切に報じている出身元の産経ではなく、わざわざNHKと並んでリベラル、左翼偏向といわれることも少なくない朝日を引用したのは、行き届いた紙面もさることながら、報道に関わる権力側・行政権者側からの批判に対して、いつもは言論表現の自由を盾にとって決まって擁護に回る朝日でさえ、この事案の記事は軽視せず大きく扱うべきだと評価した点と、日ごろの体質に照らせば瞠目せざるをえない公正な姿勢に立ち、連日関連記事を載せるほど重視していた点、があるからだ。

 この問題は報道・言論に関わる者なら見逃せないはずなのに、当のNHKは口先だけの弁解に終始した。民放テレビ各局も、同じ業界の汚点と考えてのことか、なるべく取り上げないようにしていて、それが世間の関心の薄さの根源になっている。具体的に言えばNHKの国際放送には国の対外姿勢を正確に示すという見地から国の補助金、要するに国民の税金が投入されているという事実に関する言及だ。当のNHKは至って曖昧な、ことさら取り上げるのを避ける姿勢に終始していたし、一部の民放テレビは、たぶんNHK上層部から日ごろの業界内部の付き合いの場などで、よしなに、と頼まれたからだろうが、国際放送全体として若干の国庫からの補助はあるが、中国向けニュースの問題の部分には使われていない、と正体・出所不明の〝解説〟をつけたところさえあった。

 これはまことにとんでもない心得違いで、当事者のNHKが監督権者である理事の退任と直接の制作スタッフへの社内処分で対応したとして、会長を筆頭とする経営幹部の責任問題は、役員手当50%1か月削減で済ませたのが、そもそも大間違いだった。

日頃から責任感を放棄

 NHKは、もともとは逓信省の一機関として始まった〝官業〟つまり国の直営事業だ。いまは民営化されているが、税金まがいの聴取料の負担を全国民に強いている実態が示すように、ただの民間事業ではない。政府関連機関の一翼として、その立場に沿い国益に関わる事案に関しては的確・厳正に対処しなければならない立場にある。ことに国から補助金を受けている国際放送に最大限の厳格さが求められるのは、当然のことだ。

 それにもかかわらず20年も正体不明の中国人を、しかも直接雇用した職員でなく、出入りの関連会社の非正規雇用という安易な形で局舎に出入りさせ、ニュースのアナウンスまでさせていたということ自体が、大失態だ。日ごろから立場を弁えぬ増長した言動が目立ったという、スパイ的潜入者を疑っても当然の人物を漫然と放置し、問題の〝犯行〟があったときも、複数の正規のNHK職員がその場にいたにもかかわらず、緊急停波というのだが放送ブースに繋がる管制室のスイッチ一つ切れば事態を最小限に収められるのに、全員呆然としたままそれさえしなかったというのは、いかに己れの業務・立場に対する責任感・注意力が日頃から放棄されていたかを、証明している。

 この一点だけでもNHK会長の即時罷免、NHK組織全体の徹底的粛正が図られて当然なのに、その声が報道・言論に関わる団体・企業・個人のどこからも出てこず、すでに辞意表明後で死に体の状態にあったとはいえ、一応はまだ首相職にあるキシダをはじめ、閣内や担当行政機関、さらに党首選挙中とはいえ与野党政治家のだれからも、この大失態を追及・糾弾、そして与えられている職責を行使して処断しなかったのは、奇怪を通り越した政治的・行政的大問題というべきだ。

要点まことに簡にして明

 この点は時期遅れの感はあっても今からでも追及されるべきだと指摘して、9月11日付朝日新聞の紙面に立ち帰ると、社会面の

『NHK、リスク対応後手 国際放送問題、「兆候」あったと認める』という大見出しのトップ記事の本記につけられたリードは、「「いわば『放送の乗っ取り』とも言える事態」――。NHKのラジオ国際放送などで中国人の外部スタッフが沖縄県の尖閣列島を「中国の領土」などと発言した問題。(9月)10日に公表された調査結果からは、リスクを把握しながら対処せず、事後の対応も後手に回った実態が浮かび上がった」だ。

 それに本記が続くが、別に問題の要点がまことに簡にして明を得た、主にゴチック体活字を使った横組みの一覧表式コラムがついている。縦組みの通常字体で転写すると

「NHK国際放送をめぐる経緯と発言」
 8月19日 生放送中
 中国語のニュース番組で、原稿にはない発言

『釣魚島と付属の島は古来中国の領土です。NHKの歴史修正主義宣伝とプロフェッショナルではない業務に抗議します』(中国語)
『南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな。彼女らは戦時の性奴隷だった。(筆者注 かつて満州で起きたとされる日本軍衛生部隊による中国軍捕虜を使って薬物実験したとされる)731部隊を忘れるな』(英語)

「靖国神社で落書きが見つかった」というニュースで、文言を付加

『”軍国主義””死ね”などの抗議の言葉が書かれていた』(中国語)

 その下に、イラストで黒の人間と白の人間が2体。(筆者注 ともに中国人スタッフ。黒は問題の発言者、白は付き添いか)、やや離れて白の人間2体(筆者注 いずれも中国語を理解 としてある。1人はNHK職員 1人は外部ディレクター 立ち会いと説明してあるが、国籍の明示はなし)
 さらに 黒の人間の一人と線でつなぎ

『40代男性スタッフ 順番に原稿を読み上げ 2002年からニュース原稿の中国語への翻訳と、読み上げ業務を担当』

とある。若干の余白を取って

『問題発覚後 業務委託契約を結んでいる関連団体を通じて 本人に厳重に抗議するとともに、21日付で契約解除した 副会長をトップとする検討体制を設置し、原因究明を行う(筆者注 ラインを引きNHKと説明)』 という内容になっている。

最後の最後が一連のキモ

 本記に戻ると、こちらはむしろゴチック体の横組コラムの周辺事情説明で、

① 問題の中国人が自分が読むニュースに対する本国当局の反応に関し、近年不安や懸念、さらに自分の処遇に対する不満を、NHK側に伝えることが、最近増えていた。

② 問題の事案発生の直前、靖国神社の落書きに関するニュース原稿に反発してスタッフと口論。一応は沈静して放送ブースに入ったが、ナマ放送開始後に原稿からの逸脱を始め、スタッフが突然の事態に周章狼狽する中で22秒間、不規則発言を放送し続けた。

③ 放送終了後に現場幹部が説明を求めたのに対し、〝日本の国家宣伝のために(筆者注 中国人である自分)個人がリスクを負うことはできない〟といい放ってNHKを出ていった。

 と書き、NHK側の事後対応に関して述べる一方、別項で本人は事案発生後に逃亡・出国していたようで、9月7日の中国のSNS微博に〝日本のメディアは私の22秒を『愛国流量』の問題として捉え、矮小化した〟と投稿したのに加えて、さらに連日日本批判を続け、いまや彼のアカウントは6万人のフォロアーが付いている、という記事がある。

 またさらに別項で『NHK国際放送』という記号つき見出しのコラムで

「外国人向けのテレビ国際放送は英語で放送し、ラジオ国際放送は17の言語で放送。特徴は国内放送にはない要請放送が行われていること。総務相が〝邦人の生命・身体・財産の保護〟〝国の重要な政策〟などのテーマを指定して、NHKに放送の要請をしている。要請放送の費用は国が一部を負担。24年度の予算は240億円で、国からの交付金が計35・9億円出ている。NHKが自主的に放送する番組との区別はなく、予算も一体化している」と書いている。

 NHKの組織責任を踏まえた対処論や、会長らトップの責任追及も論じていれば、記事として完璧だったと惜しまれるが、ここまででも、テキながらアッパレというほかない記事だ。そして本論とは別の、この長い引用部分の最後の最後の別項コラムが、実はこの一連の記事のキモなのだ。

 ここには、国際放送の経費は国庫から出た国民の税金を使った助成金とNHKの自前の予算とが、「一体化」して使われている、と明記してある。これを別の表現でいうと、厳密に区別せず、ドンブリ勘定というか、国費も税金まがいの視聴料も、さまざまなNHK独自の営利事業の収益金も、ごちゃまぜにして番組制作に費消している、ということだ。

〝裏金〟を生む構造の正体

 これが、実のところ〝裏金〟を生む構造の正体なのだ。なにも国民の税金、公金が投じられる諸官庁やNHKを含むさまざまな形と性格の政府関係機関、あるいは公共事業などに直接関わる企業などだけでなく、巷の零細な商店から筆者のような文筆業者に至る、規模の大小を問わずあらゆる経済活動で生活しているものにとっても、同様な側面がある。

 この仕事のコストがこの収入源からこう割り振って使われたということなど、わかるわけがない。所定の仕事をして、さて、手持ち資金のなにをどう使ったか、一連の作業のどの部分にどこから得た資金を充当したか、などと考えても始まらないし、そもそも見当もつかない。そんな細かいことに関係なく、無言の了解事項として、各官庁はテキトーな予算執行報告を会計検査院に出しているだろうし、それよりさらに大まかな虚実一体のドンブリ勘定の束を、決算書として国会議案に出しているだろう。大小の企業も同様の感覚・手法で部門ごとにツジツマ会わせた書類を大ざっぱに整理し、決算書にして株主総会や税務当局に出しているし、個人の零細事業者やそのハシクレの小文筆業者も、作業の方法・手順に基本的には大差はないはずだ。

 表裏一体の、しかし一応も二応も世の中に通用している常識的な処理法だが、マトモな世間知を備えたオトナばかりなら、それがそのまま通る。実際それで世は何事もなく回っている。しかし、世事をロクに知らないなりたての検事補・警察官僚の新米・新聞記者で研修の初歩として地方支局に配属されたり、それ以前の見学目的で中央の記者クラブでもあちこち見て回っただけの新兵などには、その辺の機微は思いもつかない。大学でこれも世間知らずの教員に教わった浅知恵だけでそこらを回り、重箱の隅をつつくような目で日常的な実務処理を見て、問題だ、と意気込んで記事やニュース原稿にする。新人の振り出しポストでまず体力と〝自民党の裏金問題〟報道フットワークが試される社会部には、このクチが多い。

 たいていは先輩のキャップやデスクが黙殺してボツで終わるが、デスクにも外信や学芸育ち、テレビならむしろ本流の制作畑出で報道現場、ことに政治・経済情報報道の仕切り方を知らないのも人事の常でいくらもいる。新米記者と畑違いのデスク、年末年始や夏休みなどでヴェテランの監督の目も出稿量も乏しい時期には、経験を積んだ古手の記者の目から見るとトンチンカンとしかいいようのない奇怪な〝政財界事件情報〟が記事化・オンエア化されやすい。これとは別に、どこかの大手マスコミの新米が引っ掛かるのを狙った政党・各種の運動組織が意図的に流す〝マキエ〟的な半ガセ・ネタもないわけではない。

受賞の裏に感じられる努力不足

 今回の〝自民党の裏金問題〟報道にも、そうしたニオイが付きまとっている。共産党機関紙アカハタの意図的な告発記事に、まず地方テレビが引っ掛かって地元の類似事案を見つけ出して流し、朝日の支局社員が自分のヒマネタに使った。それをたまたま当番だったこの種の事件に疎い支局・地方部のデスク、社会部デスクが安易に目立つ扱いの記事に仕立てた。

 今年の新聞協会賞は、朝日の〝裏口〟報道に与えられたが、新聞記者を振り出しに70年政治報道を見続けてきた筆者としては、この受賞の裏側に、いまのマスコミの安易・安直な建前論の横行と、それを生む現役記者のニュースとして取り上げるべき〝事実〟の実態に対する踏み込みの浅さ・弱さ、つまるところは〝記者の仕事はアシから始まる〟という古典的な大原則を逸脱した、日頃からの克明な勉強不足、そこに起因する検証不足、つまり努力の欠如を感じないではいられない。

 朝日の目立たない、しかし痛烈な〝解説〟コラムの出現は、昔気質の硬骨のヴェテラン記者が仕掛けた一石だった、と思っている。

(月刊『時評』2024年11月号掲載)