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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第148回】

日・中・韓の「経済不振」 その共通点と相違点

~ここにきて久しく世界経済の推進エンジンの役割を果たしてきた日本・中国・韓国に、それぞれ経済不振の影が濃く落ちている その共通の要因とそれぞれに違う事情はどこか 不振に耐え、立ち直っていくには、なにが力になるか~

半世紀近い牽引エンジン

 東アジアの一角に並び立つ日本・韓国・中国3つの国が、揃って景気後退、経済の下降局面にあるといわれる。それには共通の要因もそれぞれの個別事情もあるのだろうが、そもそもこの3国は揃って世界経済を牽引するエンジンの主力を担った時代があった。20世紀末から最近までの50年近い期間だ。

 先陣を切ったのは日本。そもそも欧米列強がアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどで植民地獲得を競っていた17・18世紀のころ、鎖国体制をとって他国との接触を防ぐ一方、国内では狭い国土をさらに細分化して列藩が割拠し、それぞれ自前の武士を養って内外の敵に備える態勢をとり続けることで、結果的に国家・民族の独立を保ち続けた。

 古くは中世に遡って積み重ねてきた民衆レベルの識字率が、江戸時代にはすでに欧米列強を抜く域に達していたとされる教育水準の高さがある。産業革命に始まる機械工業でこそ彼らに較べてひけをとったものの、蚕の養殖から始まる絹の生産や繊細緻密な手工品の技術力などでは独自の文明を築いていて、早くから欧米に一目も二目も置かせていた。さらに明治維新による中央体制の確立と開国で、欧米から取り入れるべきものは素早く取り入れて近代化を進め、近辺の朝鮮半島や満州地域への侵攻を図った帝政ロシアを日露戦争で撃破。彼らの体制崩壊の引き金を引き、入れ替わって欧米列強に並ぶ国際的地位を得る。

 そもそも産業革命いらい発展したヨーロッパの工業水準は第1次世界大戦中に兵器生産を起爆剤として一挙に重工業化し、オモチャのようだった自動車は戦車や輸送車両として大型化・強化され、蚊トンボのような飛行機は戦闘爆撃機を生み出す段階に到達していた。それが第2次大戦までの戦間期に自動車や飛行機を典型として急速により進化させ、軍用だけでなく民間への展開も進んだ。さらに第1次より極度に大規模・広域化した第2次大戦中には、より高度・精密・強力化した兵器の大量生産と、急速に遠い戦場に届ける輸送技術の開発で、より大きく飛躍させた。

焦土からの復興、そして一服

 最初の段階の「近代化」の時期の明治末には朝鮮王国を「併合」、昭和に入ってからは世界大恐慌の荒波を被った経済の閉塞状況も作用して対中国をきっかけに「十五年戦争」に走った日本は、その敗北と徹底的な国土の荒廃・窮乏のドン底から改めて新規蒔き直しのスタートを切る羽目になったが、出直し期間は勤勉な国民性と、なによりも一度は通った道だという経験知が生き、また徹底的に焦土と化したことが却って古い生産設備を最新化することにつながったのに加え、ハイバー・インフレが復興融資の償却を結果的に軽く進める効果になった面も作用して、20年足らずで過去のピークを凌ぐ経済力を築いた。そしてかつての軍事産業から換骨奪胎した鉄鋼を機軸とする重化学工業を主軸とする高度経済成長によって、2度の世界大戦の勝者として世界に君臨するアメリカに次ぐ、世界第2の経済大国の地位にまで到達した。

 その勢いは波乱万丈の「昭和」の終わりに一段落する。代が替わって「平成」に入って間もなく、ニューヨークを中心に世界の株式市場を牛耳っていたリーマン・ブラザーズの破綻をきっかけにバブル崩壊が世界を襲い、日本もそこにモロに巻き込まれた。しかしたまたま世間の空気に一服感が出てきていた時期にぶつかった点も作用して、当時から最近まで続く「失われた30年」といわれる期間中も、ほぼ水平飛行というか、降下・墜落の危険はそう感じないが、さりとて上昇・制空といった勢いもまったく見えない、穏やかな状態で過ごしてくることができた。

望外の効果をもたらした「終戦処理」

 先頭走者・日本の勢いが鈍るのを横目に、韓国や共産中国の躍進が始まる。敗戦から今日までの日本のほぼ80年の「戦後史」を、敗戦処理の20年、助走期間を含む高度成長の30年、そして「失われた30年」の3つに大別すると、その第1期から第2期に入るころ、池田勇人内閣から佐藤栄作内閣に代替わりした当初に、明治の末から敗戦まで37年間「併合」してきた旧朝鮮王国の南半分を占める韓国の独立を認め、有償2億・無償3億・民間信用供与3億ドルの経済条項つきの国交樹立基本条約を結んだ。さらに第2期になって早々の田中角栄内閣で日中国交樹立を実現。このときは周恩来首相の側から「15年戦争」の賠償要求を放棄するという申し出を受ける一方で、日本はODA=政府開発援助を進めることを約束。2022年3月に終結するまでの40年間以上、それを続けた。

 こうした「終戦処理」の約定は、日本の高度経済成長化を背景に、単に資金面の順調な供与で相手方にとって一定の国家再建の支えになったという以上の、大きな経済的成果をもたらす。日本が自身の再建・成長・発展を遂げる過程でアメリカなどから得た最新の工業技術が、相手側に時には正常、時には非正規の手法も交えて急速に伝えられ、彼らの工業化・高度産業化を大きく助けた。その典型が韓国の日本海側・浦項に作られた巨大製鉄コンビナートであることはいうまでもない。

記憶にとどめるべき民間の資産

 そうした支援以外に、日本が敗戦・撤退に伴って現地に残してきた鉄道・港湾・道路・電力・治山治水・農地開発・医療・教育などの公共インフラ、さらに官だけに止まらず大企業から家内手工業に至る多くの民間企業が現地に残した生産施設や関連産業のネットワーク、民間の資産である大規模農場などが無傷で現地政府に「戦利品」よろしく分捕られて、彼らの統治当初の実力的背景になったという事実も、ほとんどの「学者」による歴史書や研究書、報道の分野では無視され触れられていないが、忘れられるべきではない。

 この典型的な例としては、「併合」時代の鮮満国境に日本の実業家・野口遵が主宰する日本窒素コンツェルンが築いた巨大水力発電施設と重化学工業施設群を一手に「接収」した金日成・北朝鮮が、「建国」当初に韓国はおろかスターリン・ソビエトも凌ぐ化学工業力を誇示し、世界もそれを認めざるを得なかった事実があげられよう。こうしたヌレ手に粟で掴んだ工業力も、その後は設備の更新・改良はもちろん保守・点検もままならず、短期間活用しただけでその能力を失ってしまい、いまでは水力発電施設以外はまったく廃墟と化したと思われ、一時の「栄華」が想起されることさえ、もはやまったくない。

日米の支援で成長した中韓

 日本から官民の資金流入・援助が始まった時期、朝鮮戦争の傷を抱えて立ち上がった韓国は中進国の中位、膨大な国土と人口を抱えて生活実態にムラの大きい中国は地域によってはまだ後進国レベル、平均でも甘く見て中進国の下位、といった経済力だったと思われるが、日本に加えてアメリカからの復興援助も少なくなかった韓国は、短期間で先進国の少なくとも下位に食い込み、躍進を続ける。

 中国も日中国交樹立に先行して国交を結んだアメリカ・ニクソン政権が、ソビエトとの米ソ対立に絡む戦略的計算に立った官民の資金・技術援助をためらわなかったのが、大きく影響した。日本の民間からの対中投資も活発で、まず戦前は日本の輸出品の主力だった安価な日用雑貨・繊維製品の大量生産・洪水的輸出で、豊富な労働力と低い賃金水準を武器に完全に日本に取って代わった。それだけでなく、より安い低賃金労働力の東南アジアに自ら工場を作って進出し、彼らが世界市場でより強い競争力を持つスタート台にした。

 韓国も同様だが、まずは欧米ブランドのニセものづくりで国際的に非難を浴びながらも急速により高級な商品の製造分野に進出。雑貨や軽工業品だけなく、中韓ともに鉄鋼生産を手初めに重工業や機器・機械の製造に手を伸ばし、短期間で日本に追いつき追い越す勢いを示すようになる。

「電力」から「電脳」への過程で

 日本の成長は、テレビ・携帯ラジオや電気洗濯機・電気冷蔵庫・クーラー、あるいはオート三輪トラックや排気量360ccのミニ乗用車に始まるマイカー・ブームなどの、生活密着型電化製品や機器大量供給に始まり、大型の製造システムやクロヨン・ダムから原子力発電に及ぶエネルギー産業、あるいは新幹線や高速道路網といった公共事業などに広がっていった。すべてエネルギー・動力を最高度に活用する戦後世界の潮流の中で、その目覚ましい経済・産業面の展開と市民生活の質的向上を同時並行的に、しかもだれの目にも見えやすく進めるものだった。それを一言に集約すれば動力、その典型として「電力」が象徴するものだったといえるだろう。

 そうした流れの中で、世界はハード・ソフト両面の「電脳」が主役となる新しい局面に徐々に進んでいく。そうした動きは情報としては当然日本にも入っているし、その将来性も他国と等しく認識されてはいたが、その反面日本の場合は、敗戦後の荒廃から急速に復興した満足感も作用して、現在地点から未来を見るというよりは過去の実情から現状を評価する心情のほうが、政治・政策にも経済・経営の側面でも、マスコミに集約される官民の感覚としても、強かったように思われる。

 勤勉に手先を動かし、身を粉にしてモノをつくり上げていくほうが、アタマの中で理屈をこねあげて珍奇な発想でなにかを生み出そうとするよりも尊い、とされてきた日本民族の勤労倫理の反映もある。それが先行する日本を追いかける韓国・中国の激しく旺盛な問題意識に比べて、現に「失われた30年」に入りつつあり、そのぬるま湯的な安逸さに自己満足ぎみに浸っていた、日本の官民の感覚との微妙な温度差というか、方向転換の感度の鈍さにつながったのではないか。

 世紀の変わり目のころから、科学技術でも経営技法でも、あいかわらず世界の先端をいくアメリカの主要な理系大学や官民の研究機関で、日本人留学生の姿が韓国人や中国人の学生にくらべて目立たなくなった、という話がマスコミをはじめビジネス社会にも流れはじめる。それが「電動」社会から「電脳」社会への動きに反応する敏感度の差の一端だったのかもしれない。「失われた30年」の前半ごろからまずは一般への普及度、ついでソフト開発、さらにハード製造の側面にまで、長らく追いつくべき遠い目標だった日本に韓国、そして中国が追いつき、さらに追い越していく姿が見られるようになった。

中国、インド躍進の背景

 それだけではない。日本の高度経済成長を象徴する世界第2位の経済大国というタイトルさえ、「失われた30年」の後半には、もちろん一般的消費財の洪水的輸出がその最大の背景なのは明らかだが、中国に奪われてしまう。彼我の差は年を追って開く一方で、いまや奪還などは到底考えられない状態になってしまった。日本は昨年第3位の座もドイツにも奪われ、こちらのほうは相手もそんなに強力ではないから1年で奪回することも必ずしも不可能ではないが、より下位から急上昇してきたインドの勢いは侮りがたい。いまや人口でも中国を追い抜き世界のトップに立ったインドが、ドイツや日本を凌いでいずれ第3の経済大国のタイトルを手にすることは、必至と見て間違いあるまい。

 そうした中国やインドの躍進は、必ずしも驚くことではない。なんといっても相手の人口は当方の10倍を遥かに超えているし、生産年齢人口、平たくいえば単純労働力の数では、その倍率はさらに大きく開いている。とりわけ中国は、いまや消滅国家となったソビエトを継ぐ世界最大の核兵器保有国のロシアを、総合的な軍事力では完全に追い抜き、アメリカと世界を二分して対峙する軍事超大国になっている。世界貿易に占める比率でも、高度な工業製品から生活消費財まで、日本の加わる自由主義政治・資本主義経済大国のクラブであるG7諸国すべてを通じて、輸出入両面で最大の貿易相手国となっている。

自然現象の日韓、政策的帰結の中国

 それにもかかわらずその中国が、いま日本や韓国と並ぶ経済困難にあると伝えられるようになっているのはなぜか。そして、論議の余地のない基礎的な国力や軍事面の差はさておくとして、今後の経済面の展望にしぼってみた場合の、それぞれの未来像はどうか。そこは一考に値するポイントではあるだろう。

 現に直面する経済困難に関して、この三国には共通した要素もある。それは極端な少子化、そして労働力の急激な減少だ。但し日韓と中国では、そうなった理由が大きく違う。

 日本・韓国は成熟社会の必然の帰結というほかない、いわば自然現象のようなものだ。部族・氏族・姻族・大家族ではじめて成り立つ共同・協業の農耕社会から、自由経済の発展に応じた自由選択・自己規律・自己責任の競争社会になれば、養育・教育の負担を抑制する点からも、少子のほうがいいに決まっている。その選択が浸透・定着して現在の姿になっているのであって、その姿を変えようという声や動きは、政治家や企業人の間では出てきても個々の国民の間からは出てこない。

 親として当面の負担は確実に増えるが、仮に成果があったとしても、それはあとからついてくる話だし、自分とは関係ない可能性も高い。それでも国家・民族の発展のために甘受するという考え方は当然成り立つが、そこは国民が個々に判断すべきもので、国の「政策」として決めるものでも、決まるものでもない。戦時下の大政翼賛会の「産めよ 殖やせよ」ではないが、いまどき政治家や政府が「少子化対策」などといって笛を吹いても、だれも踊らない。自由国家なら当然の話だ。

 しかし中国はそうはいかない。彼らの少子化は前世紀後半に30年余間続けた「一人っ子政策」の結果だ。そこには国民を都市戸籍と農村戸籍に峻別し、戸籍移動の禁止、つまり居住地移転の自由の否定という極度の人権侵害が重なっていたのだ。

当初の効果と、その後の弊害

 この施策は共産政権成立前は4億といわれていた人口が、短期間に10億を超える域にまで達したのに対応した、非常手段の面が明らかにあった。まず切迫した食糧難の抑止、次に労働人口の効率的利用という面で効果があったことも確かだ。建国早々の、まだ貧しい共産中国の統治を担った毛沢東独裁政権としては、やむをえない選択だったろう。

 旧来農法の農業なら、少なく抑えた孫を抱える高齢者でもできる。若い少年や女性を含む労働力を地元の軽工業や大都市圏の出稼ぎ労働者として使えば、都市戸籍の労働力が中心の生産は格段に強化され、輸出も飛躍的に伸びる。当初はその通りになった。

 しかし歳月を経るうちに、高齢で生産人口から脱けていく人数がふえ、新規に参入する若年労働力を上回るようになる。要するに労働力が枯渇に向かう。もともときちんとした計画に沿った資金の積み立てなどの準備がなかった社会保障、ことに高齢者に対する医療を含む処遇に対する不備が露呈してくる。一方で、厚遇されるポストに就職できると期待して進学競争に挑んで卒業した一人っ子の若者は、就職競争に敗れて本人や親が期待していた待遇を受けられないケースや、そもそも学力不足で急速に進化する技術社会の企業人として通用しないものも現れる。さまざまなミスマッチが噴出してきて、とても絵に描いた餅のようにはいかなくなった。 

監視強化で深まる経済の孤立化

 中国の政治は共産党一党独裁の強権統治でいまは習近平独裁体制が確立したとされる。国策の大方針、そして軍事・外交は習とその腹心スタッフが仕切り、内政はそれぞれ地方党委員会下の地方政府に丸投げされ、それぞれがてんでばらばらに動いていくらしい。経済面で見ると、習の号令一下、全速力で思い思いの道を走っていたクルマがそう簡単には急カーブを回れないように、欧米を尻目に拡大一途でやってきた経済を、世界的な不況に合わせて小さい規模に抑制しようとしても、すぐそうなるものではない。地方政府が一部に投機的な先買いがあったとはいうものの、大半は売れる見込みも不確かなまま、競争で造ってきたタワー・ビルが林立するニュー・タウンなど、都市もそれを支える工業地帯もないまま、あちこちの荒野に工事中止・廃墟化の姿を曝すようになって久しい。不動産不況が引き金を引いた金融不安は、外資撤退とも結びつき中国経済を根底から揺さぶる。

 そうした中での国民の不満・不安の爆発に備える治安対策も兼ねた、表向きはスパイの惧れのある外国人に対する監視・規制の強化という名の締め付けが、さらなる外資の撤退や新規投資の中止に直結して、中国経済の孤立化をより表面化させた。

 習の一枚看板の「一帯一路」も完全に行き詰まっている。インド洋・アフリカの一部や本来は圏外のはずの南太平洋にまで手を伸ばし、一部の小国の政権を抱き込んで勢力圏に加えたまではいいが、逆に日米韓、あるいは日米豪印などの新しい対中包囲網的国際合意を引き出すことにつながり、新規の貿易関係の開拓どころではなくなってしまった。確立された国際海洋法・国際通商慣行を無視して独善的に自国の利益だけを追求しようとする彼らの行動様式は、いまや到底許容できないものと世界の多くの国が認識し、嫌悪し、無視し、排除するようになってきた。

 中国政府の公式統計によると2023年の経済は、衰えたりといえども5%台の成長を達成しており、今年も5%台には達し得るとしている。しかしスターリン・ソビエトいらい、計画経済を呼号する共産党政権の経済統計が信ずるに足るものだった例はない。

前途に明るい兆しは見えず

 それとはいささか別次元のことになるが、かつて中ソと並び称されて東西冷戦の一方として西側、いまのG7各国と対峙する東側の盟主のスターリンのソビエト―ロシアは、いまは当時の秘密警察組織の末端幹部から成り上がったプーチンの、30年前のソビエト解体で独立を認めざるを得なかったウクライナを再びロシアの版図に取り込もうとして突如起こした侵略行動が国際的に批判され、制裁措置の対象となって経済が疲弊し、再び貧困の淵に沈もうとしている。

 習近平・中国もこのままでは国際的に孤立し、経済面で低迷していくことが避けられまいが、中国の経済はソビエト―ロシアの経済とは違ってG7諸国が主導する自由経済に組み込まれて大きく成長してきた過去がある。独断専行のハネ返りで経済面で遮断・制裁の措置を受けるようなことがあれば、その分だけ強烈な打撃を蒙ることにならざるをえまい。

 そのことを習が意識して自制していくか。それとも中国や、ついでにロシア指導部の内部でも、トップ人事を伴いそれなりの軌道修正を図るのか。いまは成り金気分で世界の盛り場をほっつき歩きマナー違反の行動と無思慮な浪費であちこちの笑い者になっている大衆の、急激な生活苦に直面した暴発で、かつて彼らの支配する土地で暴政をほしいままにした王朝が民衆蜂起で倒された例を「人民の政府」も辿るのか。前途は不透明だがいずれにせよそう明るい要素は見当たらない。

 それはともかく中ロは核兵器大国だ。まさか独裁権力者が君臨してきた国が経済破綻し権力喪失の危機に直面したとき、地球全体を道連れに核兵器を使った自爆に走ることはあるまいな、と祈るだけだ。

「こんなもんだ」で過ごすのも

 政治が最大の不安定要因だという面は、韓国も変わらない。最近の議会選挙で日米韓路線をとる現大統領の与党が大きく後退し、北朝鮮に媚びへつらい続けてきた文在寅前大統領の余韻を引きずっている勢力が大幅に議席を伸ばしたのには、呆れ返った。

 北朝鮮の金正恩の最近の言動を見れば、彼が一方ではプーチン・ロシアとの係わりを深める一方で、トランプの復活を見越してかアメリカとの関係調整を模索し、その流れに外交を得意分野と自称するキシダもたらし込んで韓国への下からの浸透を意図していることは、見え見えだ。仮にもそうなれば自分自身がとんでもない痛い目を見ることははっきりしているのに、そこには視線が届かずに反日感情と反米感情に走ることに政治的快感をむさぼっている韓国民の相変わらずの能天気ぶりには、困ったものだというほか声もない。

 尤も日本の現状も似たようなもんだ。岸田内閣も自民党もかつてない低支持率が続き、政治の安定度は薄氷の上を歩くに似た状況にあるはずなのに、世間の空気にはそんな危機感も漂っていないし、そもそも経済不振なんてどこの国の話だ、という感じだ。超円安もマスコミが騒ぐほどには政治も経済も反応はそう強くない。そもそも岸田の如き超暗愚の首相で世の中が納まっているのはたいしたことがない証拠だ。成り金も成り貧もなんども経験している、波乱の民のしたたかさだ。

 おそらく韓国も実情は似ているのだろう。過去になんども不景気を経験してきたし、貧困も難儀もよく知っている。それにくらべていまが格別ひどい状態だとは思っていない。こんなもんだ、という調子で過ごせているのはそう悪いことではない、と筆者は考える。

(月刊『時評』2024年6月号掲載)