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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第139回】

マイナンバーカードは抜本的に見直せ

~マイナカードはマイナスカード、小役人がラクするだけの仕掛け、データ漏れ以外の問題点も多い、国民とりわけ高齢者に重い負担~

マイナンバーカードをめぐるトラブルが噴出しているが、筆者は同制度に対し当初から徹頭徹尾反対であった。制度の必要性が全くないうえに、取得にあたって高齢者の負担が全く考慮されていない。岸田の小手先の実績づくりのために国民が振り回されるこの悪法を前後編にわたって検証する。

筆者は徹頭徹尾反対

 現行の健康保険証を24年度で廃止し、その機能をマイナンバーカードに統合するための法改正が、今回の通常国会で成立した。

 筆者はこの改正には徹頭徹尾反対である。改正の成否をかけた参院本会議では、立憲民主・共産両党などが反対したが、自民・公明の政権与党に野党の維新・国民民主が加わる賛成の前に、衆寡敵せず敗れた。筆者は反対した両党に対しては、かねがね基本的に賛同しかねる立場だが、この件に関する限り彼らの判断を是とし、この法改正をいわゆる閣法として国会に提出した岸田政権をはじめ、賛成して成立に導いた与野各党に対しては、その不見識を徹底的に問うものである。

 筆者はこの愚劣極まる制度をマイナカードという通称で浸透・定着させようとする政府側の企みに対して、これはマイナスカードと呼ぶべきである、と主張してきた。国民の側から見れば、いままで法律や当局が決めた諸手続きに従って毎度的確に実行し、慣熟し、国民も行政事務もそれなりにスムーズにできていたことを、なんで百害あって一利ない、ややこしいカードにまとめなければならんのか、というマイナス点ばかりだ。一方、中央・地方の役人、それも実務に当たる末端の役人にとっては、仕事が極めてラクになるだろうし、より大きく行政運営の見地で考えれば、現場の労働負担を軽減し、あわよくば人手不足の世の中で職員の勤務配置を合理化できるという、一方的なプラスのみを期待できる。そうした制度改革、国民の側から見れば改悪を、ポイント付与という国民を極端に見下したエサで釣って実施しようとした、姑息・卑劣で奸智に長けた企み、というほかないシロモノだからだ。

 いま世間を騒がせているのは、主にこの制度が抱えるさまざまな欠陥、およびそれに起因する多くの事務的ミスから生じる波紋の数々だが、それらはいわば大害悪の副産物に過ぎない。本質的な害、美名の陰に潜む危険極まりない要素から、国民をスポイルする低劣な行政手法の横行など、他にも考えるべき問題点は山ほどある。

既に制度設定は8年目に突入

 実はマイナンバー制度の設定とカードの発行は、決して新しい話ではない。安倍長期政権下の2016年に始まり、もはや8年目に入っているのだ。この仕組みは日本の国・地方自治体の行政事務のデジタル化が、欧米の先進各国に比べても、同じ東アジアに位置するいまや日本を遥かに凌駕する世界の軍事・経済大国になった共産中国や、国土や人口の規模から見て日本に較べて総合力では劣るとしても、少なくとも経済の多くの面で獲得したレベルに関しては、十二分に比肩しうる競争相手国になった韓国に較べても、著しく遅れているので、彼らの水準に早く追いつかなければならない、という至って単純な発想のもとに始まっている。そして菅内閣を経て、岸田内閣にそのまま引き継がれたのだ。

 しかしそのマイナンバー制度の普及度は甚だ低く、登録・発行から10年を経過したら新規のカードに切り替えなければならない、という所定期限の半ばをとうに過ぎているのに、カードの発行数つまり制度の参入率は、国民の50%に遠く満たない状態が続いていた。それには後述するようにそれ相応の、そして本質的な欠陥が最初から存在していたからであって、やっつけ仕事ででっちあげたシロモノだから、現実に機能させてみたら数々の難点が浮上してきた、という当然の帰結にすぎない。

 しかしそうした不首尾を引き継いで登場した岸田政権は、ここで局面を打開して一挙に目覚ましい成果をあげ、世論や有権者国民の喝采を博して安倍・菅政権より高い評判を得よう、という意図が働いたに相違ない。そこで浅知恵というか、幼稚な作為が働いた。

コの字に近い雰囲気さえ無く

 ここで例によっていささか脇道に逸れることになるが、岸田文雄という人物には、どうも軽躁というか、思慮が浅いというか、本人は宏池会―池田勇人直系の保守本流を自負しているようだが、1960年の〝安保騒動〟収拾後に成立した池田内閣の最初の番記者の一人であり、大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一の3人の池田後継の宏池会出身総理のすべてと極めて近い関係を保ち、何回もこの連載でも触れたように、大平からは膝詰めで政界入りを求められたことがある筆者には、岸田文雄には宏池会のコの字に近い雰囲気さえ感じたことはない。

 彼とは一言も交わした覚えがないのだが、彼の父親である文武とはしばしば顔を合わせていた。筆者は宮澤喜一が政権の座に辿りつくまで、そして政権の初期も、しばしば彼と古手の政治記者が懇談する場の纏め役を務めていた。その場に宮澤側近であり親族でもある岸田文武は常に出席していた。ただし文武はまったくの付き添い役であって、自ら意見を述べることはまったくなかった。

 たぶん今では池田の謦咳に接した経験を持つ新聞記者の中で、ごく少数の生き残りになった筆者としては、総理としての岸田文雄の言動に、極めて大きな違和感がある。早い話が池田や大平は、ともにのちに大蔵官僚の後輩を女婿にしたが、池田は伊藤昌哉という名秘書を中核に据え、政治的には大平・黒金泰美・宮澤の〝秘書官トリオ〟が固め、政策的には桜田武・永野重雄・水野成夫・小林中の〝財界四天王〟と呼ばれた経営者団体の重鎮が絶えず相談に乗り、池田に心服する吉田茂自由党担当いらいのヴェテランから若い番記者までが周辺を取り囲んでいた。大平は番頭型の名秘書木村貢が仕切り、盟友・伊東正義を中心とする日中戦下の蒙古で役人として苦労を共にした官僚OBたち、出身校である政治家こそ少ないが財界ことに金融界などに絶大の力を持つ一橋大学の人脈、日経の政治記者出身の田中六助代議士が束ねる担当記者群など、幾重にも張り巡らされた人の輪があって、それぞれが政治の場を離れた私的な集まりの席を設けてよく議論していた。

公邸内忘年会に顔を出す不見識

 岸田は安倍などに較べて破格に高級レストランで政界外の人との会食を重ねているようだが、相手はイマドキのテレビに常連として並ぶブンカ人をはじめとする〝時の人〟が目立ち、直言・諌言するようなウルサ型の政財界人や学者・言論人からは、かなり距離を置いているのか、置かれているのか、いずれにせよ遠い印象がある。息子、それも一見して出来がよくないと判別がつく息子を、こともあろうに〝危機対策上適任〟として公式の秘書官に登用して外遊先を連れ回ったり、総理官邸・公邸の中を勝手に徘徊させたりするようなことは、池田や大平には断じてありえなかった。公邸内にも私的スペースは存在する、そこを私的に利用するのは問題はない、と強弁しつつ、バカ息子が親族の若者たちを集めて忘年会をしている場に自身も顔を出すとは、不見識にもほどがあるが、それはマズいと考える頭脳の働きが、自身が政治家稼業三代目の岸田文雄にはなかったのだろう。

 親が指し示すケジメの基準が緩ければ、出来のよくない息子が付け上がるのは当然の成り行きだ。現在の公邸が総理官邸だった時代に閣議室だった部屋に従兄弟連中らを集め、円卓をずらりと囲んで忘年会を開いて、出席者が揃って閣議に臨む大臣のポーズをとった着席写真をメールで流す。かつて組閣・認証式直後に赤絨毯を敷き詰めたエントランスから2階に上がる階段で、総理を最前列の中央に配し、閣僚たちがその脇や上段に並んで公式な記念写真を撮る慣例があったが、それを真似て岸田の息子が総理を気取り、参加者が閣僚よろしく居並んで集合写真を撮る。たぶんその直後だろうが、1人残った若者が赤絨毯の階段の中央部に足を組んで寝そべって見せる。アホさらすのもええ加減にせい、と叱りつけるほかない醜態の極みで、さすがの甘い親も、息子を秘書官職から更迭という名のクビにせざるをえなかったのは、恥の上塗りそのものというほかない。

 岸田は、池田の高度経済政策にならったつもりなのか〝新しい資本主義〟を唱え、大平の田園都市構想をいいかえて〝デジタル田園都市〟を打ち出した。しかしどれも〝表紙〟をパクっただけで、中身はなんにもない。

二人の先駆に比べて・・・

 池田にはごくたまにだが、私邸の勝手口の手前に置いたプレハブの〝番記者小屋〟に深夜、一升ビンをぶら下げて一杯機嫌で現れ、お前ら、無学な政治記者どもに経済というものを教えてやる、といって、下村治らブレーンに仕込まれた高度成長戦略を、例えばお前らが定年になるころには日本は世界最大の自動車輸出国になる、ぺーぺーのサラリーマンでも自家用車に妻子を乗せて高速道路で旅に行ける、と噛み砕いてくどいほど繰り返し教え込もうとする、親分肌で熱心な教師といった面があった。初の訪欧でフランスのドゴールから、実はパキスタンかどこかの政治家の受け売りだったとバレたが、現地記者に向けてトランジスタ・ラジオのセールスマンが来たと、当時売り出されたばかりで早くも世界を席巻していたソニーの〝ウォークマン〟をもじった皮肉をいわれ、外電によって新聞の大きなからかい半分の記事にされたころだ。付言するが当時の池田の〝番小屋〟での〝講義〟内容は、その後すべて実現している。

 大平は、第一線の論客を網羅した9分野の小委員会をつくってポスト高度成長の施策体系を精緻に構築しようと試み、具体的に課題を諮問して、論議を始めていた。急逝によって中途半端に終わった憾みは残るが、その一応の成果は後継総理の鈴木善幸が内閣の名で公表・公刊している。そうした公の場以外にも、大平は多くの若手学者や政治記者などがつくるいくつものシンパ的なサークルに顔を出し、政治・経済に限らず、さまざまな分野で議論を戦わすことを楽しんでいたものだ。ことに新しい知見・所見を盛り込んだ内外の新刊書をめぐる議論には、目を細めて上機嫌で加わるのが常だった。

 岸田には、在任1年半に及んでも、そうした気配はトンと見受けられない。ひょっとすると彼は、マイナンバーカードによる個人別の行政情報のデジタル化による総まとめと、それに基づく中央から地方末端に至る行政事務の効率化を、〝デジタル田園都市〟の具体像として描いているのかも知れない。その早期実現を図るために、紙の健康保険証を廃止してマイナンバーカードに組み込む機能に一本化する法改正を進めることで、加入率が伸びないカードの加入を国民に強制する〝ムチ〟と、健康保険情報・銀行口座番号を含む多くの個人情報収載に同意したカード保有者に限って最大2万ポイントと称する要するに2万円相当のクーポンを付与するという〝アメ〟と、その両方を国民につきつけて一気にカード化を徹底するのが、〝デジタル田園都市〟の中身のつもりなのかもしれない。

欠陥だらけの急増システム

 そうだとしたら、お粗末もここに極まれりというほかないが、本題のマイナンバーカードの話に戻ると、この制度はそもそも緻密な計画に沿って企図され、長期間の検討を重ねて練り上げられたというたぐいのものではない。安倍政権の政治的性格を露呈した号令一下、国と各地方自治体による多種多様な行政分野から、社会保険関係の公的・私的な機関の実態まで、極端に管掌元が分散した多彩な事務手続きの、具体的な細部事情に精通しているとは到底思われない、中央の若手官僚がまったくの机上の発想で思いつき的に並べ立てた、現実離れした杜撰極まる欠陥だらけの急造システムに過ぎない。具体に即した検証はおろか、最低限の現場処理の問題点の洗い出しや検討もしないままの、絵にかいたモチにさえならない欠陥だらけのシステムを、末端現場に垂れ流しただけのシロモノなのだから、制度が動き出した7年間に詰み上がった誤記載・誤操作は、間違いのまま放置されて罷り通ってきた。

 いまテレビや新聞が騒ぎ立てるマイナンバーカード・システムの〝問題点〟は、制度発足いらい日常的に発生していて、事案ごとにその場でなんとか処理してきたものが、ムチに戦きアメに群がった、多数の新規登録者が出現する中で、悪目立ちした姿に過ぎない。登録してある銀行の口座番号が違っていて、自分に給付されるカネがどこのどいつのフトコロに入ったか、見当もつかない状況になっているとか、公的機関にきちんと登録されているはずの個人情報を、必要があってコンビニでカードから読み出そうとしたら、見も知らぬ赤の他人の情報が現れたとか、という報道が騒ぎの中心になっているが、自分の端末から赤の他人の情報が出てきたのなら、自分の情報もどこのどいつのところに漏れ伝わっているのか、そこでどのように悪用される危険があるのか、保証の限りではないと思うのは、自然の人情というものだろう。そうした間違いが健康保険と直結していれば、自分の遠い昔から最近までの病歴が知られてしまうし、戸籍とつながっていれば、氏素姓や係累関係はもちろん、人によっては破産歴や犯罪歴までの、戸籍に記載されている一切の事実が、どこに流れ、だれが見て、どう悪用されるか、不安だらけだ、ということになりうる。 

 このような間違いが生じる原因の一部は、カード取得を申し込んだときに本人が記入した届け出項目の記載ミス。大部分は膨大な申し込みを処理しなければならなかった市区町村役場の、臨時雇いを含む勤務者や、健康保険組合など関係機関の事務員の転記ミスなど、ささいなヒューマンエラーだろう。いままでならカード取得手続きも散発的な形だったから、受付機関もじっくり時間をかけて、誤記入がないように処理できた。

 しかし何月何日までに手続きを完了しろ、一日でも遅れたら2万円の金券はやらない、と迫られ、泡を食って手続きのために役所に殺到する人間が突如降って湧いたように出現すれば、そんな悠長な話にはならない。処理すべき事務量が極度に増えるのだから、特別の人員体制を取らない限り、処理は極端に停滞するか、極度に粗雑にならざるをえない。いつまでに手続きを終えなければエサはやらない、と政府が決めているのだから、とりわけ日ごろから地域住民と密着していて、互いに顔見知りの仲である地方の末端行政組織は、停滞・遅延を起こしたりするわけにはいかない。となれば緻密点検・審査するどころか、ロクに目も通さず、エイヤ、と気合を込めてOKすることになるに決まっている。

高齢者の事情を一顧だにせず

 そもそもこのシステムがうまく機能できなかったのは、手続きの繁雑さ、常識を外れた幼稚さ、官僚的独善の権化というべき無責任さにあった。申請には市区町村の役場か、彼らが指定した場所にいかなければならない。そのときには3カ月以内に撮った写真と、自分が自分であることを証明するものを2点、持参することになっている。若いヤクニンとしては、写真くらいスマホで自撮りしてだれかにメール送信し、どこかで紙焼きして貰えばいい、自己証明は自動車の運転免許や、関係を説明できる職場か地域の集合写真があればいい、というくらいのつもりかもしれないが、高齢者の場合は写真は然るべき店で撮って貰うものだし、スマホは持っていない、運転免許はとらなかった、という人も少なくない。なんでオレをオレだと証明する証拠がいるのか、ふざけるな、という気分で、それだけで手続きするのを止めてしまった向きもいたろう。

 それに、高齢者にはそもそも手続き場所にいくことが困難だ。宮崎県の都城市では、それを考慮して即席カメラの装置一式を積んだバスを造り、事前に告知して各集落ごとに家々を回り、写真撮影から地域住民による本人証明、さらにすべての書類手続きをバス内で完結できるようにして、普及率100%を実現したという。その報道に接して見習った地方自治体もあったようだが、すべて農村部の小規模自治体。大都市ではまったく聞いたことはない。

 筆者の住む東京・杉並区など、当初しばらくは区内の2桁に届かない数の出張所で受付業務をしていたが、それも間もなく止め、区役所だけにした。結構広い区内の外れから、電車の路線もなくバスの便もよくない区役所にいくのは、地方の僻地の村役場より容易でない。クルマでこい、というつもりかもしれないが、職員用はあるらしいが区民用の駐車場がどこにあるのか、さっぱり分からない。そもそも筆者は92歳半のいままで、運転免許は取ったことがない。クルマを買って家内や息子たちに運転して貰っていたことはあるが、息子たちもいまは働き盛りで、役所が空いている時間は勤務中だ。家内もトシで運転はとっくにやめ、年内に書き換えになる運転免許は失効させることにしている。そもそも老人が行政手続き一つとってもクルマで動かざるを得ないような仕組みにしているから、老人の運転ミスによる大事故が起きるのだ。あれの責任は当然運転者にもあるが、行政にも反省すべき面があるといわざるをえない。

偽装口座開設の温床に

 マイナンバーカードの利用手続きのトンチンカンは、他にもある。河野デジタル担当相は分かっていないようだが、給付される公金の受け取り口座は本人名義でなければならない、というのは、アホも休み休みいえ、というほかない。最も給付対象になるケースが多いと思われる、生まれたばかりの赤ン坊にも本人名義の預金口座が不可欠、ということになるが、これはいい換えると偽装口座の開設や現金贈与の奨めだ。

 金融機関は一般的には本人以外の名義の口座開設を認めていない。仮想口座や架空口座は往々にして詐欺や犯罪で得た資金の洗浄、脱税に直結しているからだ。生まれたばかりの赤ン坊が自分で銀行にいって、口座開設手続きをとるわけがない。それが明白だから、本来なら銀行は、親なり家族なりによる赤ン坊名義の公金受け取り口座の開設など、応じないはずだ。ま、せっかく河野はんが奨めてくれよるんやから、この際早めの相続対策も兼ねて預金の名義分散をしといたろか、なんて考え、孫の口座をつくって大金を預金して、贈与税の脱税事件に発展しても知らないよ、ということにもなりうる。

 いま金融機関は事務経費圧縮の狙いで、複数の口座を持つ預金者に対する口座統合の働きかけ、低額の新預金者への通帳交付のときの通帳発行料の請求、といった試みを進めている。そういう状況にも河野発言は逆行している。これは不見識というほかないし、金融行政を所管する財務省・金融庁に対する、場違い筋による不当な権限の侵害行為だ。現に銀行や金融庁から、河野大臣に対して、なんということをいってくれた、と強硬な苦情がきているとしても、筆者は全然驚かない。むしろ鈴木財務相は河野デジタル相に対して公式に抗議し、発言の撤回・是正を求めるべきだし、マイナンバーカードによる公的給付金受け取りのルールの是正措置を、強く求めるべきだ。こうした制度的・法的矛盾を放置していることは、岸田政権の行政指揮能力・統治能力の根幹にも拘わる、大問題のはずなのに、あらゆる新聞・テレビが沈黙しているのも不可解千万というほかない。

責任の所在が全く不明

 複雑多岐にわたる個人情報を一枚のプラスチックカードに仕組んだ細工に満載させる必要がどこに存在し、それを全国民に対して強要する根拠はどこにあるのか。筆者はあるとは到底思わないが、仮にあったとして、その意図を一つのシステムにまとめ上げ、現に実施に移してしまった以上、そのシステムの実施でミスが生じて国民生活を混乱させれば、その責任はいったいだれがとるのか、という問題が生じうる。政治責任はいまの時点では岸田首相が取ることになるのは当然だが、個々のミスが個々の国民に対して損害を与えた場合、個別の求償責任に応ずる必要が求められよう。そうしたときに、責任の所在はどこになるのか。管理する機関の、どの地位の役人なのか。それともミスの行為者なのか。そのための苦情・紛争処理機関が設置されたという情報を、筆者は聞いた覚えはないが、どうなのか。行政に起因する争訟に特化した行政裁判所が独立機関として存在していない日本では、一般の民事裁判にならざるを得まいが、極端に過密で判決が確定するまでに大変な時間がかかるのが常の現行の民事裁判で、個々の国民が国・地方自治体の行政事務のために生じた損害に関して適正な補償を受けるという当然の権利が、そのような不透明な状態に放置されて、果たして国民主権・民主制度のもとにある法治国家として許されるものなのかどうか。議論しはじめたら際限がなくなるほど、欠陥だらけなのがマイナンバーカード・システムの現状だ、といわざるを得まい。(このテーマ 続く)

(月刊『時評』2023年9月号掲載)