2024/11/06
なにかと言えば米国をはじめとする民主主義陣営の対立軸に置かれて論じられる中国だが、そもそもその実態はバブルにまみれ対等に位置する存在ではない。独裁・強権主義の内部にはらむさまざまな矛盾が表出し、遠からず坂を転げ落ちるように凋落すると筆者は見る。
急速かつ一直線に衰退へ
習近平・共産中国の前途に関しては、日本のとりわけ財界やマスコミ、さらに世界の多くの自由・民主主義社会の中でも、まだ発展すると見る向きが少なくないようだ。そうした観測の根源には、昨今の習近平・中国の余りにも国際法や国際慣行を逸脱した傍若無人の独善専行に対する拒否感や脅威の意識が、用心するに越したことはないという判断につながり、ことさら過大評価に走る面があることも、あながち否定できまい。もちろん共産中国の威勢に便乗して、先のことはわからないが当面は彼らの勢いを借りて自分も多少の利益に預かろうと企む、利害打算も反映しているかもしれない。若いころ流行した共産主義信仰の余韻を残す隠微なイデオロギー的共感やそこから意識下に残った応援気分も、学界やマスコミ界にはあるかもしれない。
しかし筆者は、共産中国の前途を楽観的には捉えていない。いまの彼らの姿はバブルの様相、それも風船が膨れ切ったような絶頂の状況で、もはや弾ける寸前だと考えている。彼らは世界をアメリカと二分する一方の陣営の旗頭になるどころか、これから急激に、今まで自身も他国もまるで想定してこなかったさまざまな状況に襲われ、適切な対応策をとれないまま、事態が動く速度に足を取られて困惑・混乱する中で、急坂を転がり落ちるように一直線に衰退に向かう、と見るのだ。
世界は、とりわけ彼らの近隣に存在する日本や韓国など東アジアの国としては、いかにして彼らの急激な転落がもたらす巨大な渦に巻き込まれないようにするか。まずは破裂する予兆を的確に掴んで回避手段を周到に用意しておく段階にきているのではないか。一定の範囲内で余波を被るのは避けられないとしても、被害を最小限に抑える方策の用意は、いまや緊急不可欠だ、と思っている。
習・中国が権威主義的独裁政治体制を維持し、強大な軍事力を背景にアメリカを筆頭とする自由・民主主義国陣営と真正面から対峙して、米ソ冷戦の再現というべき姿を続けるシナリオは、現に世界の大勢がそう見ているように、当面は成り立つかもしれない。彼らはスターリン・ソビエトが持っていたアメリカに対抗しうる軍事力や、それなりの従属・同調国を擁しているのに加えて、スターリンが持てなかった生産・消費両面での強い経済力を獲得している。そして生産、とりわけ部品の製造で国際分業の役割を担うサプライ・チェーンの一角を確保するだけでなく、巨大な人口と豊かさを増す社会を反映する消費大国として顧客の立場からの強い存在感も示している。それゆえ自由・民主主義陣営にとって自らの平穏で安定した状態を維持するために、無視できない存在になったといえる。
あらゆる面がバブル症状
習近平・共産中国のバブル症状は、現にあらゆる面に及んでいる。そもそもバブルの本筋は経済成長の一つの局面が社会現象につながり、そこに政治的思惑や政策上の誤算も加わって生ずる異常状態といえるのだろうが、それには当然経済の発展段階とその基盤となる人口の在り方が背景になる。いまの習・中国には、急速な経済構造の変化、資金や資産の偏在が生む歪み、内外の不良資産や不良債権が突きつける難問、が頻発している。
アメリカや日本・韓国もさんざんやった失態だが、景気が上昇して世の中のカネ回りがよくなる勢いに乗って、超高層の凝った建物を企画・着工したら、建築中に景気も世間の空気も一変して空部屋を大量に抱える、という姿がいまの中国にはやたら目立つ。アメリカや日韓は過去になんども失敗した覚えがあり、一応は危険も考えて一挙に多くは建てようとせず、当てが狂っても当面は持ちこたえる構えをあらかじめ構ずるが、俄か成り金の悲しさ、威勢よく林立させて超豪華な〝町〟を魔法のように造ろうと考え、景気の風向きが変わる前に資金切れして、立ち腐れのまま投げ出した姿も珍しくない。
国家レベルでは、一帯一路という、尤もらしく聞こえはするが要するに己れの勢力圏を思いきり拡大しようとする侵略主義的・誇大妄想的、まさにバブル的発想というほかない〝政策〟が国是化している。発展途上国にわが国の羽振りのよさを見せつけよう、仮に回収できなくなれば形ばかりの手続きだと甘言を弄してつけておいた抵当を抑えればいい、という目論見で貸したカネが焦げ付き、国際社会の目が光っているからそう簡単に抵当権を行使できるわけもなく、自分のほうが手元不如意に陥っている、という状況もある。
国内では急激に膨らんだカネが生む大きな格差の定着とその拡大。過剰消費や浪費・享楽に由来する大衆心理の不健全化といった、仮にも共産主義国にあるまじき現象が、経済成長の反射として表面化している。国際的には過剰なまでの軍備という、維持にも巨額のカネがかかり労働力としては完全に無価値な存在が、財政的にも国民経済面でも重い負担になる。この二重の罠が、共産中国のバブル化の根源にあることは明らかだ。
多産化社会会期はありえず
これはだれしも気がつくことだが、中国の人口減少、ことに人口構造に歪みが生じていることは明らかだ。中国の人口が2021年から出生より死亡が多い純減状態に陥り、長く世界最大といわれた総人口は、現に14億人台をキープしているものの、国連推計によれば2023年半ばにインドに追い抜かれることは、広く知られている。かつて中国の人口は、世界人類20億人の2割だった。いまは14億人だが、国連推計で世界人口は80億を超えたとされるから2割をかなり割っている。比率が相対的に減っただけではなく、別勘定だった旧満州やチベット・新疆ウイグルを版図に組み込んだのにこれだけ落ちたのだ。
中国の大人口は共産体制の確立後、長く巨大な生産労働力として大衆消費財の大量生産と世界に向けた洪水的な輸出で経済を支え、国力発展の基礎を築くうえで最大の力になった。しかし前世紀の末まで30年近く続けた〝一人っ子政策〟が年を追うにつれて多くの歪みを生み、その影響が表面化した。
当然の話だが人間は一定の歳月が過ぎれば一定の年齢を重ねる。〝一人っ子〟の親の世代はやがてトシをとって生産現場を去り、代わって数的に少なくなった子の世代が労働力の中心を担うことになる。現にそういう状況になっていて、中国政府もそれを認識して将来の労働力低下・消費規模縮小を避けるべく、数年前から〝一人っ子政策〟を転換して子の数は3人以上を推奨するようになった。
しかしいったん少子化が定着した社会が多産社会に帰ることは、習・中国のような強権的権威主義独裁国家でさえ、ありえない。少子化がもたらす家庭規模の快適さ、生活感の安定度や暮らしのゆとり、早い話が住宅の広さからさまざまな設備までが、〝一人っ子〟家族に見合うようにできあがっていて、もはや元に戻れなくなっている。これはいくら強権を振るっても変わりようがない。
奨励制度をよほど大胆に整備しても、現に親になった〝一人っ子〟世代の大半は、自分たちが育った生活レベルを落としてまで、国の将来のために我が子を増やそうなどとは、考えないに決まっている。そしていくら習の強権をもってしても、女性に対して子供を産むことを強制するのは不可能だ。
18世紀後半から既に定説あり
人口動態については、マルクス・エンゲルスが経済社会の発展段階を定義付けたのより半世紀も前の18世紀後半からの、定説がある。未開・未発展の社会は多産多死で、平均寿命は40歳台。発展するだけの力が備わっていないので人口的には横ばいが続く。それが食糧生産を基本に軽工業も生まれて経済が一定の発展段階に達すると、環境も整備され衛生状態も向上して、多産少死・平均寿命50歳台の社会になる。そうなれば人口が増えて経済規模が飛躍的に拡大・成長し、近代的な機械工業経済にテイクオフ・離陸して少産少死・平均年齢70歳台の社会になる。
ヨーロッパ先進国はすべてこの経過を辿って安定した社会を構築すると同時に、人口面では弱含み横這いの成熟状態に達した。いまは、第2次産業という製造業・ハード産業主役の経済社会から、第3次産業と呼ばれる金融・サービス・情報が主役のソフト産業時代に入っているわけだが、抜本的な新技術の登場や主役産業の交替に応じたミニ・バブルは景気循環の副作用としてときに起きてきたものの、大きなバブルは各国とも多産少死から少産少死に転じた初期に起きている。
ヨーロッパ以外では米国は、裏庭的存在に多産多死、せいぜい多産少死の発展段階の諸国があり、そこから合法・非合法の移民流入が続くうえに彼らが持ち込む多産の慣習も作用して、依然人口増が続いている。景気循環に伴うバブルや、その反動である恐慌は繰り返しているが、経済の基本的体質を揺るがすバブルはまだ未経験とみるべきだろう。
日中韓の少産少死社会過程
東アジア諸国は、社会構造や技術発展の面で欧米の後を追う立場だけに違う展開を辿った。先陣を切る日本は、近代工業化社会になる前にヨーロッパに先んじて江戸時代初期からいったん少産少死・人口横這い状態に到達し、鎖国政策を続けて特異な社会体質を維持してきた。明治開国後の急速な工業化の過程で多産少死状態に逆戻りしたうえに、17・18世紀のヨーロッパ諸国に倣って海外領土の獲得を狙い、自ら太平洋戦争の引き金を引き敗戦。主要都市や産業地帯を米軍の無差別爆撃で焼土化される憂き目に遭った。
しかし敗戦の荒廃は急速な古い設備の更新と新しい産業社会の構築につながったし、戦争による労働力の損耗は戦地からの復員兵と海外領土からの官民の引き揚げ者計300万人が補った。若い兵士たちの帰還で生じたベビーブームと呼ばれた一時的多産現象は、占領軍司令部が命じた産児制限と、彼らの後押しで生まれた社会党首班連立政権の幹部で戦前から著名女性運動家だった参院議員が主導した優生思想・妊娠中絶の推奨で抑制され、すぐに少産少死国家になった。
勤勉で努力を惜しまぬ国民性が最大限の効率で機能して高度経済成長につながり、僅か20年ほどで敗亡の廃墟から米国に次ぐ世界第2位の経済大国を築いた。高度成長の頂点でバブルが起き、成長が止まって安定状態になった前世紀末のほぼ4半世紀にわたって続いて、さまざまな困難をもたらした事実は、ここで改めて指摘するまでもなかろう。
古くから労働を軽視し君子人風の生活を理想とする民族性を持つ朝鮮のうち、敗戦時にスターリン・ソビエトの介入で共産化した北朝鮮は別として、南半分の民主主義・自由経済国家となった韓国は、ソビエトと毛沢東率いる共産中国が仕掛けた北朝鮮による奇襲侵略を在日米軍の支援で退けたあと、独立回復に伴う国交樹立協定で日本から提供された、無償つまり現金3億・有償すなわち借款2億・経済協力1億、計6億ドルと、浦項の最新鋭製鉄所が象徴する最新の先端工業生産技術の提供などで急速に産業国家化し、日本との併合時代に伝わった実学重視・勤労を厭わぬ感覚のもと、半世紀足らずで少産少死の先進社会を実現した。その副産物としてのバブル発生は免れず、いまは治まりつつあるが、まだ多少の余波は残している。
孫文・蒋介石の共和体制から戦後に共産党一党独裁国家になった中国は、この時点では大都市部はともかく、主体の農村部は多産多死の後進国的様相を色濃く抱えていた。しかし日本が事実上の戦時賠償の性格も含んで半世紀を超えて与え続け、昨年秋にやっと終了したODA・政府開発援助に加え、豊富低廉な労働力に着目した日本をはじめ欧米企業による工場進出や、さらにその場で獲得した基礎的知見に基づく官民の適法・不適法な技術と経営ノウハウの取得、といった要因を利して、急速な経済発展・技術力向上を遂げた。いまや彼らは日本を引き離して世界第2位の経済大国となり、少産少死の超先進国となりおおせたが、その直接的な反映として現に激しいバブルの頂点に立っている。
意外な〝西洋化〟の影響も
中国のバブルの様相には、もちろん過剰生産に起因するさまざまな歪みだけでなく、急発展した工業地域と伝統的な農業地域との大きな格差、環境汚染や雇用構造がもたらした地域に深く禍根を刻んだ問題など、世界に共通する難問も大幅に残っている。一方で、日本でも高度成長前夜ともいうべき時期に高米価政策も手伝い農業者でバブルが先行し、農協の団体旅行客が欧米の大都市のホテルで深夜の廊下をスリッパ姿で歩き回って嘲笑されたり、遅れてバブルを迎えた韓国人団体が日本各地で大きな買い物袋を手に大声で会話してヒンシュクを買ったりしていたのに通ずる、突然豊かになった中国人のマナー違反行為や故郷から持ち込んだ非衛生な生活感覚が、世界各地で問題化している。武漢原発のコロナのパンデミック化も、その典型だ。
もっとも共産中国には、一億総中産化といわれた日本や、それにほぼ近いレベルに達した韓国とは比較にならない、階層間・地域間の格差がまだ大きく残っている。経済が近代化し成長して、国家・民族が総体として豊かになったことは事実だとしても、その結果生まれた民衆の意識の根底には、日韓とは段違いの感情的な対立が、鬱積しているようだ。
筆者は韓国の実情を知らないが、中国の日本と較べて明らかに劣悪な社会保障、とりわけ年金制度や医療保障の未整備があって、バブルの裏側で深刻さの度を増しつつあるようだ。コロナ禍への対応をめぐって、上海などの大都市だけでなく、中国各地の地方都市や農村部でも、大規模で自然発生的な大衆デモが頻発したという情報がしばしば流れた。
さらに日本ではあまり知られていないが、中国には現に共産党員とほぼ同数の9000万人を超えるカトリック信徒がいるそうで、特に最近は後者が若い高学歴層で急増しているとされる。現在3期目に入った習独裁体制の2期目の当初、つまり5年余り前に習が宗教の中国化を提唱したのに応じて、一部のハネあがり的な地方党幹部が教会の破壊、特に屋根に聳える十字架の取り外しに走って、草の根の信徒の反発を強めたともいわれる。バブル的な〝豊かさ〟がもたらした一種の〝西洋化〟の流れが、14億の民衆の底辺に及んでいて、意外な契機で体制を揺さぶる可能性が広がっていることも否定できまい。
覆水盆に返らぬデジタル化
中国は韓国とともに、最新のデジタル化の普及で日本より遥かに先んじているといわれる。デジタル弱者もいいところ、ワープロでは物書き業界で先行したもののそれが逆効果でそこで停止した筆者は、漢字仮名まじりで世界の言語の中で最も東西の学習に適した日本語には到底太刀打ちできない、要するに仮名文字だけのハングルの韓国語、簡体文字を導入したとはいえ漢字一色で欧米文化の移植に甚だ適さない中国語より、デジタル言語が便利だったからだ、といってきたが、そのデジタル通信も、最近の習・中国では厳しく規制・統制されているという。
万国一色のデジタル情報の波が、経済成長とバブルのおかげで中国全土に普及したSNSのネットを通じて広く拡散し、習の権威主義的独裁政治に大きな風穴を明けることを惧れての措置だが、いったん開いたパンドラの箱はもはや閉じようがない。規制で多少の防波堤効果はあるだろうが、そうなればもともと彼らに備わっていた口コミ社会の特技が党官僚の耳目を掠めて広がっていくだけだ。一国だけで情報閉鎖社会を続けようとしても、もはや覆水盆に複らず、この面でも習・中国の民衆を締め付けるタガが緩み、彼らの体制崩壊につながることは避けられまい。
いまの共産中国には、他国のそれとは異質の固有の異形バブルもある。なによりも習の権力バブル。国家主席として、さらに中国共産党の主席として独裁的地位に就き、主要ポストを側近一色で固めたが、いうまでもなく人間には体力にも思考力・判断力にも、そもそも当然の話として寿命にも、自ずからなる限界がある。古来多くの国家指導者はほぼ20年で治績に区切りをつけて、一定の実績を確保した。一方で地位に執着して惨めな末路を遂げるに至った無数の例もある。
ロシアよりも経済制裁の影響大
現に最高独裁権力者として20年を超えたロシアのプーチンが、いい加減でおとなしく身を処しておけばよかったのに、最後の集大成になる事績を遺すつもりか、突然のウクライナ侵略という暴挙に出て、世界中の嫌われ者になって自滅の道に転落している。習もそこから教訓を得て善処すればいいのに、もともと〝共産主義の子〟として育った共通の出自に囚われているのか、嫌われ者のプーチンに擦り寄っているのだから話にならない。
ウクライナ侵略の誤算の責任を問われ、国内の批判勢力による暗殺を惧れて疑心暗鬼になっているといわれるプーチンと較べれば、習の独裁体制は当面は遥かに強固にも見えるが、行き詰まりつつある経済の動向によっては、それが一変する可能性も否定できない。
習・中国が世界経済の中で直面している困難は、ウクライナ侵略戦争の当然の帰結である経済制裁、とりわけドルを機軸とする世界の決済システムから排除されたプーチン・ロシアが直面している苦境とも共通する側面を持っている。というより、あれほど包括的な制裁を食っても、経済規模が韓国の半分程度という貧困国家で、生産のレベルも民衆の生活水準も、国営の軍事企業体やモスクワを筆頭とする大都市中心の共産党官僚を別とすれば、極めて低いロシア。とりわけウラル以東のシベリア・極東地域などでは、制裁なんかあってもなくても同じ貧しさだ。格差がひどいといっても、全体として急速に底上げされた新興成り金の中国とでは、影響が違う。
半導体規制ひとつとっても、ロシアでは最新鋭電子兵器生産には響くだろうが、そんなものはごく例外的。ウクライナ前線でさえ第2次大戦の使い残しの兵器が主力の実態だ。それにひきかえ中国では、輸出産業にも民生品にもモロに響く。主要部品が調達できなくなったから別のローテク生産に戻ろうとしても、そんなものの生産主体はベトナムなど東南アジアかインドに移ってしまっている。軍事だけでなく家電でも、いままで容易に手に入ったものが市場から消える反応は大きい。
独裁バブルが尽きたあかつきに
〝戦狼バブル〟と呼ぶべき様相で、粗暴な独善性を剥き出しにした、そこまでいっちゃおしまいよ、という下品・低劣な表現を対外発言の場で他国に向けてぶちまけてきた報いで、習・中国に対する国際社会の視線は厳しさの度を増している。中国という国の品性の低さを示すだけで、外交的には逆効果もいいところだったのだが、それが一向改まらず、むしろ激しさを増していけば、国際的に孤立するのは当然。自業自得というほか、いいようがない。現状以上にプーチン・ロシアに深入りしても孤立の度を増すだけだし、最近流行語と化したグローバル・サウスに肩入れしても、世界のビンボー長屋のボス顔ができるだけの話だ。ロシアと違って世界の中で生きる道を選び一定の成果をあげてきた中国が、衰えたりといえどもそれなりの富強度を持つ世界の民主政治・自由経済の国家群との距離を広げたら、まず中国からの生産設備の引き揚げ、新規投資の中止につながることは必至で、中国の途上国向け金縛り融資の回収不能とも相俟って彼らの資金力・資本調達力が急落すれば、経済、そして国家が、成り立っていけるとは到底思えない。
今後、中国がある程度の理性的判断ができる状態を回復し、ウクライナ戦争で調停者として立ち回ろうというような野望を捨て、プーチン・ロシアと明確な一線を引き、国際社会との関係調整を図ろうと試み、そこそこの信用回復に達すればともかく、その途上で、あるいはそうならずに孤立状態のまま、習が急な病に斃れることもないとはいえまい。その可能性は一応は無視するとしても、習の寿命が尽きるときは、いずれ遠からぬうちに必ずやってくる。そのときは自分に極端に権力を集中させ、側近だけで党と国家の中枢を固めた習の独裁バブル体制は、木っ端微塵に消滅するに違いない。そして習に代わる強権構造がスムーズに成立するとも考えにくい。極度の混乱のうちに共産中国という国家体制、さらにシナ大陸の統一的な統治構造が体をなさなくなる危険性も、十二分に考えられる。
やたら図体が大きく、民族的に複雑で、互いに抗争した過去を持ち、現に激しい格差が生む矛盾を抑圧一途で押さえつけてきた中国の正体は、想像以上に脆弱なのではないか。共産中国の化けの皮は剥がれつつある。こういっても決して過言ではないのだ。
(月刊『時評』2023年7月号掲載)