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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第127回】

参院選が端的に物語ったこと 自民の大勝は野党自壊の結果/安倍暗殺は票には影響少ない/ロシアの侵略が世論を変えた/改憲・自衛力強化は必然課題

先の参院選における自民党の大勝に対し、銃撃に倒れた安倍元総理への同情票の賜物、と偏向マスコミは取り繕っていたが、実態は野党の無知・無能・体質劣化による〝残念ながら 敵 弱し〟にほかならない。国際情勢の不安定化が岸田政権にプラスに作用した面は否めないものの、〝黄金の3年間〟において、この切迫した政治課題への対峙が求められる。

花相撲ゆえに読めない結果

 参院選は、いままではフタをあけるまで結果が分からない、という印象が強かった。

 総選挙は、なにぶんにも政権のゆくえと直結しているから、政党も候補者も、支持者も関係団体も報道する側も、それなりに気合を込めて態勢を整える。したがってある程度までは形勢も見通せるし、結果の予測も見当がつく。しかし参院選はもともと真剣勝負とは距離感がある、花相撲のような定例の政治行事といっても過言ではない。そこに有名・無名のタレント候補や売名候補が乱立して、ますます混乱し情勢が読めなくなる。

 国家体制や時代と適合しているかどうかは別問題として、学識経験者を簡抜した勅撰議員が存在し、それなりに権威も意義もあった貴族院とは違って、敗戦後にマッカーサー司令部の占領支配で押し付けられた参議院は、発足いらい売名先行の集票の場に成り下がってしまい、マトモな議員によるマトモな議会とは思われなくなっていったのではないか。 

 いまや参院選は、投票率が低いのが有権者国民の政治意識が正常であることを示すような、哀れな存在に成り果てたとしかいいようがなくなった。今回の投票率にも選挙結果にも、だれも驚かず。こんなもんさ、から、こうなってもおかしくないさ、まで、多少の印象のブレはあっても、出るべき数字、出るべき結果が出たというだけで終わったはずだ。

単純な図式ではない暗殺の背景

 ところが、そうした平々凡々たる参院選の中でもとりわけ平板だった今回の参院選の、まさに投票の前々日という時点で、奈良選挙区の応援に出向いていた安倍晋三元首相が、奈良市に隣接し、大阪とも京都とも電車で30分ほどの位置にある西大寺の駅前で、街頭演説中に背後から手製の銃を持ち歩いて元首相の赴く先を付け回っていた男に撃たれて、暗殺される事件が突発した。

 安倍元首相といえば、改憲・自衛力増強を唱え続けた自民党右派の中心的存在だ。それだけに、手製銃という左翼過激派に多い手口に照らしても、多くの人が反射的に思想的背景を持つ政治テロかと思ったのは、ありうることだったろう。しかし本人の自供を根拠に警察が流した情報に基づくと思われるマスコミ報道を見聞する限り、そんな分かりやすい話ではなかったようだ。

 祖父が盛大に営んでいた建設業の経営に、若くして父親が自殺したあと母親が加わり、祖父の老衰に伴って次第に事業を切り回すようになった。その段階で夫に死なれている母親は韓国をルーツとする旧統一教会系の団体の会員になり、幹部の多額の献金要求に応じ続けたあげく破産してしまう。

 その恨みから本家である韓国教団の教祖を狙ったが、コロナ禍の渡航制限もあるし、来日時の周辺警備も固くて、容易には手が出せない。そこでこの教団と極めて近い関係にあると思い込んだ安倍元首相に標的を変えて銃撃・殺害しようとした、という。

 新聞報道に関連して、過去に多額の献金強要や、会員男女の強制的な集団結婚式、さらに功徳があると称して壷や印章などを高価で売り付ける〝霊感商法〟などでさんざん問題になったことがある教団系の日本の団体が、たぶん一部の記者などから追及された結果だろうが、突然記者会見を開いて被疑者の母親が25年ほど前に入会しており、いまも会員である事実を認めた。20年ほど前に破産した事実も承知している、と述べる一方で、当時の関係者はすでに職務を去っているので献金の実態など個別の事情は分からないが、捜査には協力すると述べた。

事の重大さに比して影響は極小

 この説明の真偽については、明らかに事実と違い、少なくとも教団の集金の実態はより悪辣だったという情報が乱れ飛んでいるが、一応それらの報道を前提とすれば、政治的背景のない、いわゆるローン・ウルフによる個人的なテロ行為、という様相になる。しかしこの種の事件の真相・深層が、こうした説明だけで腑に落ちるとも思えない。いずれ当局が徹底的に捜査したうえで被疑者を起訴し、公開の法廷で検察側が提出した調書や証拠を逐一吟味したうえで判決が下り、それが三審を経て確定した段階で、公表された範囲の裁判資料を調べた専門家が第三者的な見解を示すだろう。もちろんその過程で、週刊誌を中心に周辺事情に関してさまざまな〝事実〟も流れ出てくるだろう。それらを通じても真相は容易には判明しないと思われるが、事案が重大なわりには、これが参院選に及ぼした影響は、ほとんどなかったのではないか。

 筆者も日比谷公会堂の1階の中央、前から3列目の席で産経新聞政治部記者として目撃した、昭和35=1960年10月12日の〝浅沼事件〟。いわゆる〝安保騒動〟が収拾され、岸信介内閣から池田勇人内閣に代わったあとの総選挙を控えた、〝自民・社会・民社3党首演説会〟の場での、〝浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件〟だ。このあとの総選挙は、〝弔い合戦〟に決起した社会党が、145議席を獲得する躍進を遂げた。その一方で社会党を離脱して新党を旗揚げし、緒戦に臨んでいた民社党は、〝裏切り者〟扱いされて出足を挫かれ、それが尾を引き続ける。

同情票影響アピールの徒労

 そもそも今回の参院選は、もともと岸田・自民党の圧勝、昨年の総選挙で積年の野党間のタブーを冒して共産党と選挙強力を結び、反共労組や中道層の固定票に逃げられて惨敗した、立憲民主党の失速が広く予測されていた。それだけに、〝安倍暗殺〟が事前の予測を超えるほどの大きな影響は、生じなかったとみられるわけだ。反自民・左翼野党支持の偏向マスコミも今回はさすがに正面きって、自民党が〝弔い合戦〟で議席を大きく伸ばした、とはいいにくかったのだろうが、それでも立憲民主・共産党の不振には、感情としても黙ってはいられなかったのではないか。朝日新聞は政治部長の署名記事で、NHKは解説委員の動画つきテレビ配信で、安倍暗殺が自民党の、とりわけ比例代表の、予想を超えた議席の伸びに影響した、という見方を、社や局の見解から一段扱いを下げた、個人の見解として出していた。

 双方に足しげく出入りして、マスコミの業界で御用学者・御用ヒョーロンカ、と定評がある顔触れも、注文先の要望に従ったのか忖度したのか、そこは分からないが、筆を揃えて同様の印象をなんとかして世間に刷り込もうと努めていた。しかし彼らの作業は、徒労に終わったようだ。これからも彼らは、テレビのワイドショーや雑誌などで、執念深く安倍暗殺による自民党議席カサあげ説を唱え続けるかもしれないが、そうした行為に対しては、お役目ご苦労、大変だったね、と慰めてやるほかには、懸ける言葉もあるまい。

極めて有利な立場の確立

 今回の参院選は、議員総議席数248の半数の定例改選に、任期3年の補欠議員1を加えた、改選総数125で行われた。このうち改選議員数55の自民党は、単独で改選過半数の63議席を取った。非改選の56議席を加えると119議席に達する。

 連立与党の公明党は、比例区で改選議席数から1つ後退する13議席に止まったが、自公連立与党体制としては、改選125議席のうち76議席を取る結果になった。公明党の非改選議席は14だから、計27議席。自民党の全議席との合計では146議席に達し、参議院の絶対多数を楽々クリアしている。

 さらに野党の立場にあるものの、今回は改選議席数6を倍増させる12議席をとる躍進を遂げ、非改選と合わせて21議席に伸ばした日本維新の会。改選議席数7を下回ったものの5議席を死守し、非改選を合わせると10議席を確保した国民民主党。この二つに、いわゆる諸派のうちで改憲派と目される新旧の3議席を上乗せすると、改憲推進勢力の合計は発議要件である総議席数の3分の2の166議席ラインを軽々と突破し、180議席に達する。現に議員総数の3分の2を確保している衆議院と合わせて、衆参両院で改憲を発議して国民投票に問う条件を、改めて確立したことになったわけだ。

 新しく選ばれた参義院議員の任期は当然憲法が定める6年だが、このうち神奈川選挙区の補欠当選議員は、今回の非改選議員とともに3年後には任期が切れて改選になる。衆議院議員の総選挙は、昨年秋に岸田首相の初仕事として行われたばかりだから、解散―総選挙にならない限り、参議院の次期改選のほうが衆議院議員の任期切れより3か月前、という巡り合わせになる。岸田首相は当面は政治の世界で〝黄金の3年間〟といわれる、党内抗争によるよほど激しい混乱や、とんでもない不祥事が突発しない限り、国政選挙を気にせずに政権を安定的に運営できる、極めて有利な立場を手にしたことになる。

過去2回の〝黄金の3年間〟

〝黄金の3年間〟は、過去に2回、出現している。最初は昭和55=1980年からの3年間、2度目は昭和61=1986年からの3年間だった。いずれも衆参両院ダブル選挙の結果だったから、総選挙と参院選が別々に行われた〝黄金の3年間〟は、初めてだ。

 最初のケースは、大平正芳内閣に対して社会・民社・公明の3野党が通常国会会期末のいわば恒例行事的感覚で出した不信任案に、数年前から続いた自民党の党内派閥抗争である〝角福戦争〟の一方の福田赳夫・三木武夫一派が、衆議院本会議場からの退席戦術という、仮にも与党議員としてはありえない暴挙に出て、ハプニング的に不信任可決―解散―総選挙になって、あらかじめ決まっていた参議院の定期改選との、ダブル選挙になった。

 このとき野党の内閣不信任案の採決に際して、福田・三木派の議員が退場戦術で不信任案成立に導こうとするのに、福田派のプリンスと衆目が一致している安倍晋太郎議員、いうまでもなく安倍晋三元首相の厳父が、仮にも与党の議員として内閣不信任に加担するわけにはいかない、として議場からの退出を拒否した。福田御大の命を受けた若手の森喜朗議員らが、議席にしがみついて動かない安倍晋太郎先輩と、若手の塚原俊平議員を、椅子からはぎとるようにして担ぎ上げ、強引に外に引き出した情景を、テレビ・ニュースの取材で目撃した。いまもあのときの安倍晋太郎の無念の表情は、よく覚えている。

 このダブル選挙の激戦中に大平首相が急逝し、図らずも〝弔い合戦〟となった自民党が両院ともに大勝し、福田・三木は面目丸つぶれになって、初の〝黄金の3年間〟が始まる。大平の後継者の鈴木善幸内閣と中曽根康弘内閣の滑り出しが、この〝3年間〟の中に入るわけだが、ここで鈴木は、師匠の池田勇人が着手したもののすぐガンに倒れ、後を継いだライバルの佐藤栄作によって投げ捨てるように放棄された、臨事行政調査会方式による行政改革を復活させた。実力者・中曽根を中心に据え、いわゆる〝土光臨調〟を発足させたのだ。これが中曽根内閣の国鉄・郵政・電電の3公社の民営化として結実する。

2度目は〝消費税〟として結実

 2度目は中曽根内閣の末期から竹下登内閣にかけての時期だ。やはりロッキード事件の田中角栄裁判に絡む自民党内を中心とする政情不穏が反映されていたが、中曽根が提起していた〝売上税〟が、後継の竹下登内閣による3%の〝消費税〟となって実を結んだ。

 これで、欧米先進国が消費税制を本格的に導入してからほぼ20年遅れの醜態ながら、自由経営の企業が自主的にきめた価格のうちの製造・流通・販売それぞれの段階の付加価値つまり利益の一端から広く薄く課税する仕組が、やっと日本でも整ったわけだ。

 国家が直接経済を支配し、素材・エネルギー・生産・流通などの各段階で料金・価格を決定し、その中から好きなだけ財政資金を収奪する社会主義国家方式とはまったく違う、高度生産・大量消費社会では最も合理的で民主的な収税の仕組で、アメリカでは州によって6から9%を州税として取っている。EUでは最低18から最高25%の範囲で徴収していなければ、共通通貨ユーロを使うための同盟に参加できない。仮にいまなお10%の日本がヨーロッパに存在していれば、ユーロを使う資格は得られないのだ。

 この事実は、少なくとも政治の世界にいる人間なら、常識の範囲内のはずだが、今回の参院線でも、全野党が消費税の廃止・休止、多少は程度がよくても引き下げを主張した。それを咎め、問題視する空気は、電気紙芝居のテレビはもちろん、新聞にさえなかった。この無知・無恥さには呆れ返るほかない。

要するに、〝敵 弱し〟

 今回の参院選は、足掛け4年も続く世界規模の悪疫の大流行であるコロナ禍に加えて、直前にプーチン・ロシアによる核兵器使用の脅迫までチラつかせた突然のウクライナ侵略が、世界中の人が目を覆ったに違いない凶悪無残な住宅破壊・無差別殺人・略奪・婦女暴行を、これでもか、というほどロシア兵が続ける姿がテレビで放映されている中で行われた。さらにそれに起因する小麦価格やドルの高騰、という特殊な条件もあった。

 そうした中で立憲民主・共産・社民などの左翼野党は、物価上昇という結果だけを捉えて〝岸田インフレ〟と呼び、もっぱら自公政権の責任であるかのようにアピールする選挙戦術をとった。この時点で欧米の消費者物価の上昇率は8%前後、日本もそれは2%台に止まっている。シロウトでも、アホらし、と呆れるほどのデマ、フェイク、無責任な誹謗中傷体質丸出しだ。野党支持に結び付くどころか、お前ら、有権者国民をなにも世界情勢を知らんと嘗めとるのか、と逆に反発を招いて、もともと弱いのにさらに信用を失墜し、総崩れに輪をかける始末になった。つまるところ、岸田・自民党の勝因をあげれば、安倍暗殺の影響などなく、要するに、〝残念ながら 敵 弱し〟というほかない。

 例によって以下は蛇足だが、敗戦直後の昭和26=1951年3月の卒業生を最後に、占領政策に基づく〝教育改革〟によって廃止された旧制高等学校の間で行われていた各校間の対抗競技戦の中でも〝華〟と謳われた、東京の第一高等学校と京都の第三高等学校の三高の応援団が歌った、〝ここはお国を何百里〟の軍歌「戦友」の替え歌だ。

 旧制高校の対抗競技は、陸上・水泳の各種目から柔剣道、さらに野球やラグビーなど、いくつもの団体競技が加わる大きな規模で、東京・京都交替で行われる。しかし、どこかの高校に入りさえすればどこかの帝国大学のどこかの学部には必ず進学できる、とされていた旧制高校は、生徒数が少ない。最大の一高でも、3学年全員で1500人そこそこ。とてもすべての種目にちゃんと練習を積んだ選手を揃える状態にはならない。

 だが選手がいないから不戦敗する屈辱は、意地と意気軒昂を最高義とする旧制高校生として、絶対に避けたい。そこでなんの素養も素質もない〝選手〟が出てくることになる。その結果、例えば陸上の1500米走、400米のトラック3周と4分の3を走る競技でさえ、トップを走る敵の競技部員に対して、周回遅れをするヤツがしばしば現れる。一高側にそういう選手が出たら、三高応援団がタイコを叩いて蛮声を張り上げ、〝ここはお国を何百里〟のフシで声を限りに、〝残念ながら 敵 弱し〟とやるわけだ。

かつては〝名物議員〟の存在も

 閑話休題。かつては自民党と2大政党対立を呼号していた社会党は、今回も後身の社民党が、全国区に立てた党首・福島瑞穂が唯1人当選しただけ。政党として国庫から交付金を受ける要件である、全国区の得票率2%を辛くも保って、党員が高齢化・激減しているために、看板を上げ続けるカネにも事欠く中で、なんとかゼイキンの助けでぎりぎり店を続けられるという、皮肉な結果になった。

 一応はかつての社会党の立場にある立憲民主党を見てもいえることだが、野党議員の劣化は言うべき言葉もない実情にある。品性・知性、人格・識見。それらの点では、公明党はもちろん、自民党も胸を張っていられるほど結構な状態ではないが、それにしても野党議員の体質劣化は、目に余る。

 かつての社会党には、たとえば河上丈太郎のように、首相・閣僚はじめ与党を通じて全国会議員も、野党からの国会質問攻撃にさらされるすべての幹部官僚も、よほどシニカルな社会部の若造などを別とすれば政治記者を中心とするほとんどの新聞記者も、テレビの〝ニュース芸人〟やタレント〝学者〟などに関しては保証の限りでないが、河上の品性・人格に関して敬意を抱き、国会の廊下などですれ違えば自然と先に頭を下げるような、実地の能力はともかく、特別のオーラを備えた議員がいた。貧しい人たちに無料の往診を厭わなかった医師の議員。若いころはヤクザの仲間に入っていたが、キリスト教に入信してからは人助けに奔走し、牧師になって周囲の面倒を見て、地元有権者に推された人物。いろいろの〝名物議員〟がいた。

 松本治一郎のような、非差別部落の解放運動を主導した存在。西尾末広のような、労組といえば無差別に官憲の弾圧対象になった時代も、敗戦後のマルクス主義に立つ労働運動の全盛時代にも、民主社会主義に徹した労組の理論的・組織的指導を続けた人物。浅沼稲次郎のような、理屈抜きに大衆から親近感を持たれた人柄。獄中17年の徳田球一・志賀義雄、12年の宮本顕治は、浅沼にも通ずる大衆性、親しみやすい表情と口調、理論家らしい自信に満ちた説得力と、それぞれの持ち味に加えて、共通した楽天性とユーモア感覚があった。そうしたビッグ・ネームほどには知られていないが、地元の有権者ならだれもが知っている人間性、人情味溢れるエピソードを持っていて、労組票などではなく個人票に支えられた議員が多かった。

 蔵相・首相時代の池田勇人、外相・蔵相時代の大平正芳や愛知揆一が、夜回りの記者に対して、明日の国会論戦は楽しみだ、と相手の出方を記者から探ろうという下心などではなく、本当に楽しみにしている、と感じ取れる話をしていたものだ。週刊誌の切り抜き片手に〝テレビ桟敷〟への意識丸出しの、詰問調の声を張り上げるだけ、中身のない質問ばかりの当節の野党議員と違って、自分の足で徹底的に調べあげた〝自前ネタ〟で鳴らす、〝爆弾男〟と呼ばれる議員もいた。

 女性議員には、大正デモクラシー時代からの婦人運動家、占領軍の後押しがあったとはいえ産児制限や優生思想を長い実践を踏まえて主張する顔触れが、何人もいた。一部の偏向マスコミが持ち上げた市川房江など、戦時下の軍部や大政翼賛会への接近が、まだよく知られていた時代だっただけに、相手にする向きは少なかったものだ。

明白な、有権者の意識変化

 92歳が目前のトシになり、現役の国会議員には長く付き合ったメンバーはほぼいなくなり、現場取材はおろか、電話で話すこともなくなった身だから、確かなことはいえないが、ここに列挙したような優れた野党議員の姿は、絶えて久しいのではないか。これでは政権交替などまったく不可能。マトモな国会論戦も期待薄、というほかない。

 ロシアのウクライナ侵略と世界に向けた核恫喝、中国の南アジア・大洋州海域での国際秩序を無視した行動の反感が、岸田・自民党にとってプラスに作用したことは否めまい。改憲と自衛力強化に向けた有権者国民の意識変化は明らかで、〝安倍路線の継承〟などという次元とは関係なく、これら必要性が切迫している政策課題について、秋の臨時国会以降、〝黄金の3年間〟の最初に取り組むべきことは、自明の話だ。

 連立与党の公明党の中に不透明、というより不誠実な空気が見え隠れしており、看過できない状況にある。彼らがヌエのような態様を続ける場合には、維新や国民民主、さらに諸派の改憲勢力を視野に入れた連立の組み替えも、考えられていいのではないか。

(月刊『時評』2022年9月号掲載)