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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第126回】

世界は戦後の第4期に入った 米・中は二極の新冷戦体制へ/ロシアは大型北朝鮮に堕ちる/日本は基礎から根本的再建へ

プーチン・ロシアの侵略戦争は目算が外れて長期化しつつある。どのような形で収束するにしても、民主主義・自由経済国家群との関係は断絶したまま、延々と続くに違いない。世界は米国と、強権・中国の二極構造を軸とする戦後の第4期へ移行するだろう。そのとき日本は敗戦国の呪縛を清算し、米側の中核国となれるかどうかが問われることになる。

世界中がにわかに騒然

 春といえば、一般的には、雪が融け、梅や桜が咲き、暖かい空気に包まれ、一雨ごとに新芽が目を出し、町には新入生や新入社員が現れる、新鮮な季節のはずだ。ところが、世紀冒頭に突発した東日本大震災と、それに伴う大津波の惨害、そして福島第一原子力発電所の浸水に起因する事故に襲われたのが尾を引いているのか、21世紀に入ってからは、異常災害・異様な事故・陰惨な事件がやたら目立つ、荒れた季節に変わった印象がある。とりわけこの春は、3年続きのコロナ禍に加えて、プーチン・ロシアが隣国ウクライナに対して、奇襲的に地上戦を主体とする侵略戦争を吹っかけ、ヨーロッパだけでなく、世界中がにわかに騒然となった。

 コロナに関していえば、さすがに長く続いているだけに、欧米先進国では感染の大流行は収束に向かっている傾向にあり、ポスト・コロナのあり方・暮らし方のほうに社会の視線が移っているように思われる。逆に東アジアの、それも流行初期の時点では一定の抑止実績をあげているとして、文在寅前大統領が〝K(コリア)防疫の成功〟を誇示して見せていた韓国。そもそもこの悪疫の発生源・世界的大流行の源流と衆目が一致しているにもかかわらず、ゼロ・コロナを連呼し続けていた習近平・中国。世界中が感染者で溢れているのに、我が国には一人として出ていない、といい張ってきた金正恩・北朝鮮。この3国が、ここにきて大流行リレーの最終ランナーとして登場し、ウソつき強権政治体質をモロに出した強圧的な民衆の移動封止に、この春いっぱいを費やした。

 その中で、東アジアで唯一先行していた日本は、欧米のような強力な都市封鎖や移動制限も、まして中国・北朝鮮のような強権措置もとることなく、一定の穏当な範囲内で感染者数の上昇と下降を繰り返しながら、どうやら収束の気配が漂うところまで辿り着いた模様だ。これは、政府の施策と国民の抑制的な行動様式が調和した大きな成果といえる。

細々と鎖国か四分五裂の分断か

 〝プーチンの戦争〟に関していえば、もともとはロシア帝国の主要な一部、というより歴史的には源泉であるウクライナの地に古くから住み暮らしているロシア人の、立場と安全を守るための〝特別軍事作戦〟と称しているものの、彼の帝政ロシア時代の最大の版図を現代に引き戻そうとする特異な歴史観、というより妄想に始まった侵略戦争、と断ずるほかない暴挙であることは、明白だ。

 彼の目算では数日間。長くても1週間ほどで敵の首都キーウを陥落させ、コメディアンあがりのゼレンスキー大統領を殺害するか拘束するかして、代わりの傀儡大統領を立て、電撃的に収束するはずだったが、500年以上にわたってロシアにさまざまな因縁と怨念を抱えているウクライナの、国民あげての抵抗を受けて大外れし、長期戦になりかねない形勢に陥っている。

 目算違いの苦境の中で、バイデン・アメリカやジョンソン・イギリスを筆頭に日・独・仏なども加わる〝自由世界〟の先進国から、国際法・国連憲章に完全に違反する侵略戦争と認定する合意に基づいて決定された、貿易・生産から為替管理にまで及ぶ、徹底的な経済制裁の影響がじわじわ響いてきている。

 局部的な戦況がどう推移していくかは必ずしも予見できないとしても、ウクライナが米英をはじめとする自由世界の武器・資金両面にわたる援助を得て長期戦を継続できればもちろん、仮にプーチン・ロシア側が所期の目的の一端を実現させ、拡大させた〝新領土〟に居座ったとしても、ウクライナを支援した多数の民主主義・自由経済国家群との関係は断絶したまま、延々と続くに違いない。

 ソビエト連邦を形成していたレーニン・スターリン時代にくらべれば、ウクライナを筆頭とする反ロシアの旧ソ連構成国は、いまだに衛星国的な存在である。しかし一応は主権国家として独立した国々を除外しても、ロシアは領土こそ広大だが、いまや人口はほぼ日本並み、GDPの規模はほぼ韓国の半分。強大な軍備があるといっても、核を除けばソ連時代からの超旧式兵器で水増しした数的優位倒れの体たらくで、兵器の電子化が進んだいまとなっては、案山子の行列のようなコケ脅しに過ぎない。その正体が、今回の〝プーチンの戦争〟でモロに露呈してしまった。さらに、多民族・多言語国家であることが大きく影響して兵力の統制・統率も容易ではなく、戦意も規律も甚だしく低いといわれている。

 そうしたロシア社会が、たとえエネルギー資源など、ソビエト崩壊後に旧西側からの資本・技術を受け入れて多少の発展を遂げたとはいえ、ここで再び旧西側との経済関係を断たれて、現に達成している水準を維持しながら、こんごも成り立っていくとは思えない。よくてもやや大ぶりの北朝鮮的な権威主義的・強権・閉鎖国家として、細々と鎖国状態を続けるか。悪ければ内部で諸民族が蜂起して、四分五裂の分断国家に成り果てるか。という運命に陥るのではないか。ひょっとすると、シベリア東部を目指して共産中国の、中央部を目がけてはモンゴルの、中東に接した部分では旧ソ連から独立したCIS(独立国家共同体)諸国の、弱体化したロシア軍の間隙に乗じた、領土のツマミ食い的侵略に遭うことだって、起きないとは限るまい。

中国へは依然、猜疑の視線

 そうした動きの中で習近平・中国は、〝プーチンの戦争〟初期の国連安保理事会・国連総会では対ロシア経済制裁に反対してロシア寄りの姿勢を示したものの、ロシアが戦争で消耗した武器・弾薬の補給を求めたとされる軍事的支援は、制裁国側の衛星を駆使する看視網に引っ掛かって制裁破りと非難され、自分まで制裁を食らったらとんでもない、と考えたのだろうが、はっきりした形で手を差し伸べようとはしていない。しかし彼らに対する旧西側の視線は、かつて中ソ対立を演じた時期はあったものの、そしていまではロシアは共産主義国ではなくなっているとしても元来はともに共産国で、いまも独裁的な強権支配体制をとる同質国家だから、いつ手を組んでもおかしくない、という猜疑に満ちた視線で見続けられているのは、確実だ。

 現に欧米資本は、ロシアからの逃避はもちろん、ここにきて中国との経営・通商関係の希薄化・停止や店舗・設備・投下した資金の縮小・引き揚げを、急速に進めていると伝えられる。この点で日本企業は、ロシアに関しても逃げ足が一歩後れた観があり、国際的に批判を浴びた大衆ブランドもあった。対中国姿勢に至っては、隣国という条件も、怒らせたらおっかないという事情もあるとしても、判断・行動ともより緩い状態を続けている。

 しかし中国も、半世紀も続けた少子・高齢化の当然の帰結として、すでに人口減少期に入っている。都市部の労働人口も減っているが、とりわけ農村人口の高齢化・減少は甚だしく、食糧生産は膨大な需要を賄う水準にはほど遠く、ここ30年ほどの〝近代化〟で獲得し蓄積したカネに頼って大量輸入で凌いでいるとされる。成金国家としていっときの栄耀栄華を誇示しているとしても、富は偏在し格差は著しく、もはやあらゆるモノの生産地としても、高級品から実用品までの消費財の売り込み先としても、かつての力は失われて回復も困難と見るほかない。

 彼らの国際的な信用度は、少なくとも欧米先進国では極度に低下していて、再評価される可能性はありえないだろう。日本の保守政界や言論界でもこうした見解は常識化しつつあると思われるが、財界の中にまだそれが徹底してようには見えないのは、欲目が勝っている面があるとしても、不見識の極みだ。

疑問が残る米国のインド過剰評価

 尤もその欧米、ことにアメリカのバイデン民主党政権が、ここにきていままで必ずしも好ましい相互関係にあったとはいえないインドに対する過剰評価、過大期待を目立たせているのには、疑問が残る。アメリカもインドがロシアとはソ連時代から武器の購入を含む交易関係を基盤に友好的な関係にあったことは、当然のこととして承知しているはずだ。しかしそれよりも、インドがネールの娘のインディラ・ガンジー首相時代に、大きな規模ではないとしても中印戦争を起こして以降、中国との緊張関係を依然として続けていること。同じ旧イギリス植民地で、隣国とはいえ宗教対立をはじめ、常に睨み合いを続けているパキスタンと中国が、極めて親密な関係にあること。なによりも三角形にインド洋に伸びた国土の鼻先に位置するスリランカが、中国からの借款に過度に頼って利払い・返済不能に陥ったあげく、インド洋の中核を抑える主要な港の権益を、99年間も中国に委ねざるをえなくなったこと。こうした状況に照らして、中国の進出に対してインド・太平洋の制海権を確保する観点から、日本やアメリカと手を結ぶ必要を急速に感じはじめていることは、間違いあるまい。

 それが、中国の覇権主義に対応しようとする日米豪印のクアッド(QUAD)や、日米豪韓印にニュージーランドやインドネシアなどを加えた新しいアメリカ主導の経済圏構想のアイペフ(IPEF)の急拵えにもなったわけだが、果たしてインドは日米がどこまで信を置ける国と見るべきなのか。

 日本にも無抵抗主義のガンジー、非同盟・中立主義のネールに対する、信心にも似た不思議な過大評価が、一部に存在している。対インド感情は、対ロ・対中・対韓国のそれにくらべれば、はるかにいいといえるだろう。しかしカースト制度の残るインドが、ホントに自由と民主主義、法の支配が貫徹している国といえるかどうか。中立主義が伝統のインドと同盟的な国際関係が成り立ちうるのか。〝プーチンの戦争〟に対処する彼らの姿勢に照らしても、筆者には強い疑問が残る。

日米共通のお人よし視線

 アメリカには伝統的に、豊かで制約がゆるい生活を実現させれば自由・民主主義・法の支配の価値観が自然に育っていくという、性善説的な楽天主義があり、それが教会中心の地域社会から、共和・民主を問わず政治・外交姿勢にも染み込んでいる。そのお人よしの視線が、毛沢東の〝文化大革命〟後の〝改革開放〟の中国に対しても、ゴルバチョフ・エリツィンによる〝連邦解体〟後のロシアにも示されている。そうした甘さのツケをいま中ロから突き付けられている面があることは否定できまい。日本にも平和主義とか非同盟・中立とかという看板に、インド相手に限らずコロリとだまされる、建前主義のワナともいうべきお人よしの面があり、注意が肝要だ。

 日本のお人よしは、国連重視・国連中心主義が典型的だ。UNつまり〝連合軍〟の略称をそのまま流用した国際連合は、いまも日本とドイツを差別する〝旧敵国条項〟を憲章に残す、第2次大戦の戦勝国クラブが本質だ。〝プーチンの戦争〟は、国連憲章が一見尤もらしいが、よく見ると中身は日本国憲法前文とも共通する寝言の羅列に過ぎず、悪党国家が侵略を始めたときにはなんの役にも立たないことを、強烈に実証した。自分の力で自国を守ろうとしない国は、他国の善意に基づく武力・資金などの支援を受けられるわけもない、という当然の道理を改めて認識させる結果しか、示さなかった。国連安全保障理事会とは、ロシアとか中国とか、国際法も法の支配も無視する独善・強権・凶暴国家に、他国に対しては干渉の限りを尽くすことができる地位を与える一方で、自国の行為の是非が問われたときには拒否権という特権を振り回して一切を無視して暴挙を押し通すという、無法者集団的機関に過ぎない正体を曝した。

 無能を絵に描いたような、聞いたこともない小国から出るのが常例の事務総長はじめ、WHOのWTOの、ユネスコのユニセフの、と名前だけは尤もらしい関連組織があって、加盟国から分担金を吸い上げ続けるだけでなく、学童・生徒に街頭募金をさせたり、最近はテレビCMでカネ集めをしたり、厚かましくも死んだら残った資産を寄付しろと宣伝したりしているが、どれもトップに座る小国出身の〝元外交官〟や〝元外相〟などがファースト・クラスのシートに踏ん反り返って世界中をゼニ集めに飛び回る以外に、なにをしているのか、さっぱり見えてこない。

 WHOに至っては、コロナ流行の初期、中国・武漢が発生源という世界の医学者たちの定説を否定し続けたばかりか、日本の厳しい感染防止施策を異様だと非難がましくいっていた。かねて中国とのクサレ縁が噂されるアフリカ人の事務局長が、〝プーチンの戦争〟いらい世界の視線がロシア・中国に対して厳しくなっているのを意識してか、あるいは中国の支持も作用して無競争再選が固まったので安心したのか、急に習・中国のゼロ・コロナ政策批判を口にして笑いものになっている点も、記憶しておく必要があるだろう。

珍事の背景に行政の旧態依然

 話題をこの春に戻して、まだ彼岸の前なのに最高気温が25度を超える〝夏日〟が出現したり、5月の半ばになっても最低気温が1桁前半しかない日があったり、天候不順が激しかった。いずれも大規模な災害には至らなかったが、東日本大震災の余震と見られる南東北・北関東の沖合いの海底や、東京湾周辺から千葉周辺の陸海で頻発したのをはじめ、京都を含む近畿一帯、能登中心の陸海、奄美から沖縄の近海など、気にせざるを得ない地域で地震が多発した。世界的にも、トンガやインドネシアの東部など、赤道周辺で大規模な地震が起きた。

 アメリカの西部や南部、そして豪州は毎度のこととして、ヨーロッパでも大きな山火事が報じられたし、アフリカでは連続豪雨・洪水、そうかと思うと旱魃報道が絶えない。そうした中で、カーボン・ニュートラルとかエス・ディー・ジーズとか、これを信ずるものだけが救われる、といった調子の呪文のようなコトバが、これも国連機関の旗振りで世界を席巻し、メディアが流行語化させている。しかし、これにもなにか裏かありそうで、不信感・不快感だけが募る。

 安倍内閣がコロナ禍対応を名目に始めた、全国民に1人当たり10万円をバラ撒く超愚策の二番煎じ、三番煎じを繰り返す中で、山口県の小さい町で対象の町民463人全員に計4630万円を振り込んだあと、職員がカン違いして金融機関に対して総額を一括して1人の若者に送金する手続きをとるという、珍事が起きた。町当局があわてて回収に乗り出したが、モタモタしている間に、誤送金を受けた若者が海外に胴元があるネット賭博でこの大金を流用して一稼ぎしようとしたあげく、全額を費消してしまったと言い張り、混乱が拡大した。結局大半は回収されたが、事件の背景には中国・台湾・韓国などにくらべて大きく後れをとっているデジタル化を進めようとする政府の掛け声が、尤もなようにも空虚にも聴こえてくる、行政現場の旧態依然たる姿が露呈されたというほかない。

 春から梅雨に移る時節に、愛知県下で国が監理する一級河川に設けられた取水堰が突如大漏水して機能を失い、田植え時期の農業用水の給水路や、地場産業というよりも日本の基幹産業である周辺の多くの自動車生産工場の稼働にも、大影響を出す事件が発生した。治山治水は明治維新以前の幕藩体制の時代から治世の基本とされてきた。取水堰が故障して田植えできなくなった、ということになれば、よくて藩主の国替え、悪ければ領地召し上げ、お家断絶になってもおかしくない。今回はさしあたり工場用水を優先し、数日間の調整を経て田植えのための農業用水も、とりあえず別の水系から回すことで当面は収拾したが、その名も〝明治堰〟というこの取水堰は、日ごろの点検・整備にぬかりがあったからこそ、こんなことになったのだろう。

インフラ老朽化とバラ撒きの対比

 明治まで古くなくても、日本が高度経済成長軌道を驀進していた時代に一斉に整備された多くのインフラが、現に老朽化して並んでいる。昔と違って敗戦後は、川といっても管理責任は国、都道府県、市町村に、規模に応じて細分化されている。利水計画も、それにつながる堰をはじめとする多様な施設の設置も、必ずしも行政面で統一して扱われているわけではなく、許認可の権能も、予算の出所や管理計画の建て方・実施方法も、それぞれ違う。もちろん地域や農家の暗黙の合意のもと古くからのしきたりの中で自然に利用されていて、格別問題ないケースもある。

 しかし道路・鉄路・港湾などの公共インフラから都市を形成する多くの官民の建築物や商業施設・工場まで、改築・改修ずみのところが大半でも、手付かずのところも少なくないはずだ。住宅にしても1950年代に鳩山一郎内閣で生まれた日本住宅公団の団地や、60年代に入って佐藤栄作内閣時代に建物の区分所有法ができて一挙に建設が進んだ民間マンションも老朽化して、ちょっとした修繕ですむ時期はとっくに過ぎている。敷地が広く木造が多く、鉄筋コンクリートの集合住宅でもエレベータのない低層が主体だった前者は、公社公団仕事だからかなり容易に公共投融資資金が投入され、高層化して建て替えが進んだ。その半面、当初からの入居者を中心に高齢化が甚だしく、追加負担を覚悟して不十分な積み立て金では到底間に合わない大規模修繕をするか、いっそ取り壊して高層化して増えた戸数を売ることで負担を軽減して建て替えるか、二者択一せざるをえなくなった民間のマンションで、区分所有者の意見がまとまらず社会問題化している例も多い。

 一方では、人気取り以外の意味があるとは到底思えない財政資金の総バラ撒きが、繰り返される。その中で公金の扱いが雑になり、なにも山口の小町に限らず、多くのミスが起きる。国債の残高が1000兆円を超え、財政再建が急がれる半面で、財政で手当すべき公共インフラの整備が遅れたゆえの不測の事故も尽きない。〝プーチンの戦争〟がもたらす教訓のもと、国際比較で対GDP比率が極端に少ない防衛費の増額と最新兵器の整備が求められているのに、いまだに現ナマのバラ撒きに固執する政党が与党の一角にいる奇怪さは、もはや国益に照らしても見過せまい。

問われる、敗戦国呪縛の清算

 昭和が平成になったのが1989年。この年ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦構造を形成していた東側諸国が続々とソビエトから離反し、ソビエト国家体制は91年末に解消した。いま思えば、それを受けた1990年代は、戦後世界の第3期に当たる時代だったろう。第1期が戦後処理の時期、第2期が東西冷戦と日本の経済大国化の時期とするなら、第3期はロシアと日本の弱体化、そして中国が経済・軍事大国化へと歩み出した時期だった。そしていまは、第4期の入り口に立っている、ということなのではないか。

 第3期に日本は、少子高齢化、韓・中の低賃金につられた企業経営者の生産施設と技術の移転のツケ、その双方が招いた担税力の低下・財政の劣化が進んだにもかかわらず、高度成長期の放漫財政と〝甘えの構造〟を漫然と続けて、ますます経済体質を悪くした。プーチン治下のロシアは、一方ではこの国に固有の狩猟民族的な攻撃性と、多民族による権益拡大のための闘争本能が育てた凶暴性を隠しつつ、とりあえずは自由世界の風に当たって、一定の富と力を回復した。

 そしていま、日本の国力の衰退と劣化がようやく日本国民にも認識され始めたタイミングで、敗戦・被占領以降、4分の3世紀にわたって続いてきた、平和憲法の、国連中心の国際平和の、という幻想が、乾坤一擲のバクチ的侵略に出たプーチン・ロシアと、その陰の同盟者である習近平・中国の脅威のもと、崩壊しつつある。この第4期には、日本がやっと敗戦国の呪縛を清算して、米中が対立する新冷戦下で、米側の中核としてどう貢献するか、そこが問われることになるのではないか。

(月刊『時評』2022年8月号掲載)