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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第115回】

不定期シリーズ2 ジャーナリズム最後の段階としてのテレビ〝情報番組〟 テレビの情報番組は不平・不満と不安を売って視聴率を競う悪徳商人の目玉商品である

 お前ら、何様のつもりだ。いつからそんなにエラクなった。これが、イマドキのテレビに対する、新聞記者16年余、ラジオとテレビのキャスターが都合17年半、その後は講演と政治評論中心のフリーのもの書きとしてジャーナリズムの世界で生きて、69年目に入った筆者の、率直な印象である。
 
 レーニンの著作の一つのタイトルに「資本主義最後の段階としての帝国主義」というのがあった。昭和戦前に、端株片手に大会社の株主総会に出て難癖をつけまくるのを端緒に総務部から役員にまで食い込み、根も葉もない攻撃記事や見え透いた提灯記事を書いて協賛金をせしめる手法で、ビルを建てた経済誌の主宰者がいた。彼の〝商法〟を評論家の大宅壮一がレーニンの著作のタイトルをもじって、「ジャーナリズム最後の段階としての××イズム」(××は当の雑誌主宰者の姓)と酷評したことがある。その顰みに倣えば、日夜垂れ流されるテレビの〝情報番組〟は、いまや「ジャーナリズム最後の段階としての」番組、というほかない状態になったといっても過言ではない。この惨状に対して、長く報道ジャーリズムの全分野で働いた経験を踏まえ、折々の問題、時には昔話にも及びつつ苦言を呈するのが、この不定期連載の趣旨だ。

偏向メディア常套句の投げ返し

 と、ここまでは毎回登場させるつもりの前書き。連載意図の表明だ。そこで今回のテーマは、テレビは不平不満、なによりも国民の不安を煽り立てることで商売を成り立たせている〝不平不満・不安の商人〟と断ずるほかない状態にある、という点だ。

 いうまでもなく、〝不安の商人〟も〝死の商人〟のもじりだ。武器弾薬を製造する企業はもちろん、陸軍の戦車をつくる特殊車両メーカー、海軍の艦艇をつくる造船所や、場合によってはそれらの調達に係わる商社までを〝死の商人〟と呼んで憚らない左翼政党や偏向新聞、その強い影響下にあるテレビの常套句を、そのまま投げ返そう、というわけだ。

 イヌが人間に噛みついてもニュースではないが人間がイヌに噛みつけばニュースだ、という〝教訓〟が、昔から多くの新聞社で、記者生活の出発点となる社会部の、さらにその初歩であるサツ回り見習いをする新人教育などで語られてきた。もっとひどい例では、さすがに表向きの新人研修には出てこないとしても、泊まり勤務のヒマ潰しの雑談の中で先輩が新入りに講釈するキマリ文句の、火事と出入り(ヤクザ集団の凶器を使った命がけの大ゲンカ)はデカイほどいい、という社会部記者の〝常識〟もあった。事件・事故であれ自然災害や社会現象であれ、万事につけ規模が大きく状況が苛烈なのを期待する体質は、なにも新しい映像メディアであるテレビに初めて登場したものではない。古い活字メディアである新聞や雑誌にも存在していた。

クオリティ・テレビ?

 大衆レベルの話題と関心がこのあたりに集中していて、商業マスコミとしてはそこに焦点を合わせないわけにはいかない、という面もあるのだろう。とはいえ新聞は長い歴史を持つ文字メディアだ。創刊意図や営業方針によって、社会全般の出来事を興味本位の視点で捉え、その日限りの立ち売り部数を追う新聞もある。しかし、国際的な視野も併せて政治・経済の情報と分析を売り物にしようという新聞もある。前者は夕刊専門が多く、色物記事やきわどい写真も盛大に載せていて家庭に持ち帰るのは憚られ、ざっと目を通したあとには電車の網棚か駅のゴミ箱に捨てられることが多く、イエロー・ジャーナリズムと呼ばれて軽視される反面、大衆世論に対して一定の隠然たる影響力を持っていた。

 一方後者は朝刊紙が多く、朝夕刊セットの場合でも主に朝刊で決まった紙面構成をとって、それぞれその分野で活動する読者の要求に応え得る情報や解説、分析記事を載せ、相応の影響力を持ってクオリティ・ペーパーを自称して、それなりの評価を得ていた。

 もっともクオリティを自称していても、それは羊頭狗肉の類いであって単なる商売上のキャッチフレーズに過ぎない、という冷評もある。ソビエト崩壊以降それまでの垣根が崩れて、自称クオリティ組は総じてリベラルという名のもとに左翼偏向を強めた、という批判も成り立ちうる。しかしこの際そうした視点を脇に置けば、新聞が報道・言論機能を果たす存在として社会的に認知されているのに対して、テレビは一般的に報道・娯楽の機能を持つものとされていて、この間に明らかに落差があることもまた事実だ。

 テレビにもそれなりに社会的な視野に立って意義があると認められる部分や、文化的な価値を評価される番組もないわけではない。しかしそれらは個々の特異な番組に対する評価であって、クオリティ・テレビという表現もクオリティ・テレビ局という組織があるという話も、聞いたことがない。語るに落ちるとはこのことで、やはりテレビはテレビで、自業自得、身から出たサビの観がある。

〝電波利権〟と〝目白詣で〟

 ただ、これは日本に限った話なのかも知れないが、テレビは新聞社の縄張りに沿って生まれた。にもかかわらず、いまの新聞は完全にテレビに屈服した印象がある。

 日本のテレビはアメリカより10年以上も遅れて、敗戦・被占領支配が終わったころ動き出した。主導力は元来は警察官僚で、大正末期に摂政を務める皇太子が公務乗車中の自動車に向けてピストルが発射された事件の警備責任をとり退官。古い小新聞を買収して始めた読売新聞を、10年とたたずに東京で大衆紙のトップクラスに育てた正力松太郎だ。

 正力は、敗戦後に日本テレビを創設して民放テレビに進出、さらに政界にも進出して岸信介内閣で科学技術庁長官になった。そして政治家としては原子力平和利用の推進・新しい電波ネットワーク・システムの国内の完全カバー、といった政策目標を推進するとともに、事業家としては読売新聞の全国紙化、日本テレビのネット構築に取り組んだ。

 その影響で、新聞各社は中央では政治部記者、地方では支局員がそれぞれ実動部隊として、ローカル・テレビ会社の設立機運に乗じて各地で動き出している計画を自社の系列に組み込み、ネットの充実・強化を競う状況が出来した。電波を所管するのは郵政省で、岸によって30代で郵政相に登用された田中角栄が、叩き上げ政治家の本領を発揮して、都道府県知事や市長などの首長、地方議員や地元実業家、もちろん地元選出の国会議員も巻き込んで、その後も長く〝電波利権〟を握ることになった。そのため各社とも〝田中番〟の政治記者が自社系列への電波割り当て工作を兼ねる形になり、〝目白詣で〟で本来の政局取材に当たる一方で、地方の系列テレビ会社の設立準備と電波の獲得、その進捗状況に応じた系列会社の体制整備にも奔走するという、異常な勤務を強いられた。

 1960年台半ばから70年台に至るこの期間に、各県でローカル・テレビ局が続々誕生した。まずそれらを傘下に組み込んだ読売=NNN、フジ産経=FNNのネットワークが生まれる。明治の創刊いらい本社機構を大阪に置いていた朝日・毎日の両シニセは、東京中心のネット工作に立ち遅れ、大阪には早くから新日本放送ラジオと毎日テレビを持つ毎日は、東京では朝日・毎日・読売・電通・三越などが共同出資して発足したTBSの支配権を独力で握り、毎日=JNNネットのキー局に据えた。朝日は大阪の朝日放送を足場に、東京では教育出版社などが集まって教育専門テレビとして出発した日本教育テレビ=NETを支配下に組み入れ、テレビ朝日と改称して朝日=ANNネットを形成した。さらに大きく遅れて日本経済新聞が東京12チャンネルを支配下に置き、大阪・福岡の系列局もネット化し、中央紙5社がそれぞれ系列テレビ・ネットを持つ体制を完成させた。

 そうした経緯を反映して、テレビも初期段階では、特に報道面では新聞支配がはっきりしていた。ニュースは系列新聞社からの出向者が制作の中心になり、画面も論説委員あるいは社会部出身の編集幹部が登場した。座談会形式を取ることが多い討論番組も、系列新聞社の編集幹部が司会し、それぞれ紙面と連動する論議を展開していた。

80年代に変容した三つの理由

 その姿が変わりはじめたのは、昭和の終わり、1980年代に入るころからだったと思う。理由は主に三つ、まずエレクトロニクスの進化で撮影・編集・送信の様相が一変し、技術に弱い新聞系は制作現場で発言力を低下させ、育っていたテレビ局が自ら育成した局員に主導権が移るようになった。第2に、映像的に即時性と迫力を増したテレビ・ニュースの視聴率が上がり、それまでは娯楽主体のテレビの体面を飾る衣装として、スポンサーも個別企業はオミットして電気事業連合会や銀行協会などの業界団体で固め、それなりのマスコミ経歴を持つ男性キャスターが、1人でカメラの前で担当していたニュースに、流通や日用品・食品などの企業が共同提供者として加わるようになった。そしてニュースとしての正確さや項目選択の妥当性より〝親しみやすさ〟や話題性を求めはじめた。男女2人のコンビが進行役を務め、時にはそこにゲストが加わるバラエティ仕立てが定式化し、中身が変わっていった。さらに第3に、フジとTBSで〝親元〟の産経・毎日両新聞社の経営が不振を続けて、傘下のテレビの好業績に圧倒され続けた結果、いわゆる〝親不孝現象〟でテレビ側の発言力が強まり、経営面だけでなく、編成方針・報道姿勢も、新聞がテレビに引きずられる形勢になった。

 新聞社優位だった読売―日テレ系と朝日系列も、テレビの報道スタイルの変化やそれに伴うニュースの捉えかたの変質に逆らえず、ニュースの〝軟派化〟に加わらざるをえなくなった。逓信省直轄という官業ラジオから始まっているだけに、民放と一線を画して報道では新聞ジャーナリズムに沿う姿勢を取っていたNHKも、民放の二番煎じで視聴率を確保し、視聴料収入の確保につなげる姿勢になって、テレビ全体が低俗化・イエロー化の色を濃くした。平成の長期不況の中で、娯楽番組だけでなく報道的要素も含むテレビ番組全体が、制作経費をかけないでも格好をつけられるバラエティ調一色に、安易に塗り固める方向に走った面も、否定できまい。

 事実と論理に依拠する新聞とその影響下にあったテレビ報道が、テレビの持つ気分的・感情重視のショー・ビジネス的要素に引きずられて変質・変節していった例として、〝60年安保闘争〟の混乱に際し、最終段階で新聞・通信7社が冷静な行動を求める共同声明を出し、事態の沈静化・収束に導いた事実が挙げられるかもしれない。これとまったく逆に、〝学園紛争〟が先行した〝70年問題〟では、テレビは刺激的な映像を漁るだけ、新聞はそれに追随して騒ぎを騒ぎとして伝えるだけで、事態収拾に関して、なんの指導性も発揮できない状態に陥っていたのだ。

 〝田中金脈・人脈問題〟も、新聞の政治記者の間では、労組資金の出身議員への流出、特定宗教団体信者の選挙労力の特定政党候補への大量無償提供など野党側の問題点や、半公然化していた自民党から野党への資金供与を含めて、〝政治とカネ〟の問題を多面的な構造の中でバランス感覚をもって見ようとする気分があった。〝田中角栄〟一点だけを、極言すればワイセツ物陳列的に標的にした雑誌記事との違いが、決定的に存在していたことは明白だ。そうしたところに、〝ニクソン征伐〟で新流行になった〝調査報道〟好きの外国特派員が、雑誌に追随・同調し、テレビも付和雷同して、騒ぎが大きくなった、そこに日ごろ政治部と対立することが多い社会部を中心に新聞もひきずられた。

決定的だった消費税導入問題

 新聞が持つバランス感覚・総合的な視野が喪失して、意図的・一面的に演出された〝騒動〟の横行が顕著になったのは、消費税導入問題が決定的なポイントになった、といえるかもしれない。テレビは、出す話は舌を出すのもイヤだ、といった調子の感情論一本槍で反対を煽る。それに対し新聞は、本来なら先進各国の消費税制や税率を紹介したうえで、少子高齢化時代の社会保障を維持するためには消費税制は不可欠だ、という論陣を張るべきだった。しかし新聞はその姿勢を放棄し、テレビの感情論に呑み込まれた。

 筆者は当時、新進から中堅にさしかったころのビートたけしが1人で司会者・聴衆・質問者を兼ねる〝講演大王〟というフジテレビの深夜の長時間番組で、米英仏独の専業主婦の妻と学齢児及び幼児を持つサラリーマンの、年収日本円換算300万、500万、700万、1000万の所得税・社会保険料・可処分所得・消費税率の一覧表を掲げ、いかに日本の所得税が中堅所得者までは異様に低く高額になると異常に高くなっているか、を縷々説明した。さらに、遅ればせながら導入しようとする3%の消費税が、諸外国でとっくに実施している率に比べて異様に低いことを説明した。この説明に対してビートたけしは、腕組みして唸るだけで、持ち前の毒舌の吐きようがなかったのをよく覚えている。

 当時テレビは、消費税を導入すれば重税に圧迫され国民の暮らしは成り立たなくなる、と視聴者の不安を煽っていた。しかし日本銀行が定期的に公表する金融統計によると、当時の日本の個人金融資産のうち現・預金は40兆円前後だったと記憶するが、それから30年余、平成の時代を通じて日本のGDPは横這いを続け、平均給与額は上がるどころかやや減少したにもかかわらず、個人金融資産に占める現・預金は増えに増えて、2020年末には1056兆円に達したとされる。消費税に関して視聴者の不安を煽ったテレビは、要するに偏向したデマのバラ撒き屋、無責任なアジテーターに過ぎなかったのだ。

コロナ禍、〝不安商法〟が猛威

 不安は煽りに煽るがそれを打ち消すデータは一切無視する、というのは〝不安商法〟の極意といって過言ではなかろうが、この商法はなんといっても、現に進行中のコロナ禍に対処するテレビの情報番組で、猛威を振るっている。そこに東京オリンピック・パラリンピック反対キャンペーンが乗っかっている。オリ・パラ反対論の愚劣さに関しては、次号の本欄で徹底的に解剖する予定だが、共産中国の武漢で初めてヒトに感染して重い肺炎を引き起こす新型のコロナウイルスが出現して1年8か月。この6月末時点の世界の感染者数は1億8000万人を超え、死者は400万人に迫っている。しかし世界人口の1・5%強を占める日本は、感染者数でも死者数でも、世界全体の0・04%前後に止まっている。憲法に戒厳条項がなく、非常事態法制も不備で、私権を公けに制限して防疫措置をとることが法的に許されない悪条件下でのこの実績は、世界が驚嘆し称賛する見事さだ。

 しかしテレビはNHKも含めて、日本のコロナ対策はなっていない、これでは疫病の封じ込めなどはできない、と決めつけ続ける。菅首相は二言目には安全・安心といっているが、このままでは2週間後に感染者はいまの3倍になるというシミュレーションがある、といった調子で、視聴者の不安を煽る競争に走る。不安を煽れば、見えないウイルスの脅威に対して不安を抱える視聴者の耳目は、とりあえず引きつけることができる。その耳目をチャンネルを回して他局に移らないようにするためには、よりどぎつく不安を煽り続けるしかない。その連鎖が無限に続くのだ。

不安を煽るには〝たら〟〝れば〟

 テレビの〝情報番組〟には、二つのモン切り型というか、決まり切った論法がある。そのひとつは、〝たら〟〝れば〟の連呼だ。

 〝たら〟〝れば〟ほど不安を煽るために適した手法はない。勝手に最悪の地獄絵図を示して、こうなったときどうする、と迫られても、だれも答えようがない。それを承知しているのか、いないのか、滅多矢鱈〝たら〟と〝れば〟を連発して、さあ、どうだ、答えを出せ、と畳み掛けるのだ。

 そんな手合いは、世間の付き合いでは、鱈やレバーは酒のツマミだろ、と嘲笑されるのがオチだが、テレビの情報番組は、一見〝科学的〟なシミュレーションなるものを持ち出す。だが多くは算術計算を使った占い同然のレベルで、結果を見れば間違いだらけだ。

 1年以上前のコロナの最初の〝波〟のときに、この対策の甘さでは感染者は近く80万人に達する、といった〝学者〟がいた。ケンポーの私権制限禁止も、そこに起因する非常事態法制の欠如も無視して、他国並みの都市封鎖を求めて厳かにご託宣を垂れたのだが、実際に80万に達したのは2波、3波を経て4波もヤマを越した、1年後だった。

 それでも80万に達したのは事実じゃないか、と彼らは思っているのかもしれないが、テレビ情報番組の〝ニュース芸人〟たちは当時、〝すぐにも80万〟といっていた。視聴者もそう思って聞いたはずだ。こうしたコトバ遊びのようなインチキを繰り返して止まないのが、テレビ情報番組の常套手段だ。筆者のような擦れっからしは、こんどもどうせ外れるさ、と聞き流していると案の定外れる。しかし、彼らはこの手口を繰り返してやまない。これでは狼少年ならぬ、狼プロフェッサー、狼ドクターが常時出演する狼テレビだ。

 〝たら〟〝れば〟がテレビに登場しない日はないが、新聞にはまず出現しない、しかし政局は一寸先は闇、というのは常識だし、テロや災害はいつ起きるか、予測できない。だから新聞は例外なくそれこそシミュレーションを重ねて、それなりの心構えをし、応急訓練もしている。とっさの場合の出稿のため、最低の予定稿のひな型も常備している。テレビにはそうした準備はないのではないか。そもそも彼らは〝絵〟がなければ話にならないし、その〝絵〟をあらかじめ準備しておくことは不可能だからだ。

二言目には責任追及論

 テレビの情報番組のキマリ文句、黄門様の印籠ごときセリフは、もうひとつある。責任を取れるか、責任を取れ、ということだ。彼らはとりわけオリ・パラの開催問題で、強行してコロナ禍がより深刻化すればどう責任を取るのか、コロナ対策の失敗の責任はだれがどうとるつもりか、と語気強く迫り続けてきた。コロナによる自粛営業の補償金に関しても、予防接種のワクチン調達についても、遅い、責任者出てこい、と怒鳴り続けた。

 しかし、国民の税金を支給するのだから、申請にウソがないか、調べるのに一定の時間はかかる。実際に、調査を甘くしたために詐欺請求が頻発した。ワクチン接種が遅れたのは、日本は生産しておらず、輸入に頼らざるを得なかったからだ。日本は久しくワクチンの生産大国だったが、どうしても避け難い一定の副作用の発生に関して、偏向新聞が製造者を叩き、裁判所も巻き込まれて、巨額の賠償責任を負わせた、このために生産者がいなくなって、輸入頼みになったのだ。

 いずれもテレビの情報番組が代表的な、叩くだけで対応策には目が届かない、一方的な〝報道〟が作用しているわけだが、こうした放言もどきの姿勢がもたらす弊害に対して、テレビや新聞が責任を取った気配はない。

 キャスターと称する、報道・言論についてなんの訓練も受けておらず、職業的な素養も成熟した社会人としての標準的な見識さえも持ち合わせていない〝ニュース芸人〟も、エレキ井戸端会議の常連に過ぎないコメンテーターと称する〝学者〟〝専門家〟も同じだ。

 しかしそもそもテレビ会社は、国民の共有財産である電波を私的に商業利用する放送免許を、国から受けてショーバイをしている。他人の〝責任〟を追及する以上、自らの言論責任はどう取るつもりか、不平不満・不安を煽る反社会的な商法がいつまで許されるか、出演者・制作者・スポンサー・テレビ会社ともども、問われる段階にきたのではないか。

(月刊『時評』2021年9月号掲載)