2022/02/02
NCGM(国立国際医療研究センター)は、明治元年以来の長い歴史を有し、現在はナショナルセンターとして病院の他、研究機関、国際協力、国立看護大学校と多彩な機能を併せ持つ。その総合的かつ広範な活動範囲を集約し、対外発信する上で、國土典宏理事長は〝三つのG〟をスローガンとして打ち出した。その要諦を解説してもらう。
かつては森鴎外も在任
―――こちらNCGMは、非常に長い歴史を有するそうですね。
國土 はい、1868(明治元)年まで遡り、一昨年に150周年を迎えました。もともとは戊辰戦争の最中、傷病軍人を多く診療するため、現在の日比谷公園・帝国ホテルのあたりに兵隊仮病院を開設したのがNCGMのルーツとなります。
以後、1873年には現在の千代田区隼町に移転し、名称も陸軍本病院と変更されました。ドイツ留学前の若き森鴎外が奉職していたこともあります。戦後の45年には厚生省に移管され、国立東京第一病院として再出発、今でも〝東一〟という略称の方をイメージされる方も少なくないと思います。さらに74年に国立病院医療センター、93年にナショナルセンターとして組織統合され国立国際医療センターとなり、2015年に国立研究開発法人として現在に至っています。
この間、1954年にはわが国初の「人間ドック」がスタートします。これは当時の坂口康蔵院長が、受診に来た代議士に検査することを「船がドックに入るようなもの」と説明したのが始まりで、以後「人間ドック」の呼称が定着しました。また87年にはエイズ医療情報センターが開設されました。感染症対策は、当時の国立病院医療センターにとって国際協力とともに大きな柱の一つであり、現在もNCGMの主要な役割となっています。
―――時代の変遷とともに、多様な機能や役割を付加していったのですね。
國土 戦後から現在まで、医療の観点から象徴的な社会事象にもたびたび関わってきました。
例えば……(続きはログイン後)