
2025/03/04
多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。
2024年8月19日にNHK国際放送の外部スタッフの中国人が、突然「尖閣は中国の領土」と語って問題となったのだが、その後、NHKは「ニュースと無関係の発言が放送されたことは不適切」と謝罪した。これを聞いて、謝罪すべき内容が違うのではないかと多くの人が感じたのだ。「日本の主張と正反対の中国の主張に沿った内容が、多額の国費で運用されている国際放送で流されてしまったこと」が問題なのだ。時間が経つにつれ、この中国人は南京虐殺などとも叫んでいたことが明らかとなった。
ネットでは、NHKの電波を停止せよなどという激しい非難も続いたが、NHKの報道姿勢も含め厳しい改善策が早期に構築されなければならない。今回の事件に中国政府の関わりは不明であるから軽々なことは言えないが、靖国神社への執拗な嫌がらせなども見ると、隣国であり異質の超大国でもあり、尖閣への関心をますます強める隣国について、われわれは感度の高い隣国関係を模索しなければならない。
外交官だった山上信吾氏は「戦略的互恵関係」などという意味不明の用語を使うべきではないと指摘しているが、確かに普通に互恵関係と言うのと何がどう違うのかというのだ。そもそも中国人は日本の土地を自由に買えるが、日本人は中国では土地購入ができないというのに、何が互恵関係なのだろう。それにしても岩屋大臣の訪中とは何だったのか。
兵庫県知事にからむいろんな報道が飛び交い、失脚した知事が再選され、それはSNSのパワーだったと総括されると、既存メディアは「SNSにはデマが多い。これに振り回されるのは危うい」というメッセージをしきりに流しはじめ、自民党などの政治家や大学教授などにもこれに同調した意見を述べる人も出てきた。
なるほどSNSに流れる情報は個人の自由に依存しているから、千差万別であり真偽もそれぞれという状況だ。しかし、その中には本質を突いたものも含まれているのも事実なのだ。SNSの選挙の際での興隆は、オールドメディアから発せられる情報にあまりにも財務省などのバイアスがかかったものが多いことが見透かされてしまったことがある。例えば、最近国民民主党が主張した「103万円の壁問題」である。
このことで地方財政に穴が空くとの反論を積極的に流していたのは、オールドメディアであった。知事連中の財源が心配だとする声も大きく報道したのだが、もしそうなら今税収が大きく上振れしている政府が地方交付税の増額措置を執ればいいのだ。
そもそも1995年までは最低賃金の上昇にあわせて上げてきた壁の水準を、財政が危機だと言い始めてからは、これを固定し、最低賃金が1・7倍(東京)にも伸びてきたのに、そのまま固定していたことが問題で、自分の税金が増えることなどを心配する学生や主婦が働き止めをしてしまい、労働意欲を縮小させてきたことこそが問題の本質なのだが、低賃金層の労働参加機会の剥奪になっていることをオールドメディアは指摘しないのである。
国民の労働参加機会が税収減の恐れによって奪われているのだが、これを指摘しないから財務省の走狗だと言うのである。しかし、最大の問題は財政認識にあると考える。
すべての既存メディアは「国債は国の借金だ」と言うが、「国の借金であるといえるメカニズム」を説明して欲しいのだ。国は政府と民間からなり、政府は中央と地方から出来ており、民間は個人群と企業群からなっている。そしてこの全体は海外収支以外はプラスマイナスゼロで均衡し閉じているのだ。これのどこに借金が積み重なっているというのか。
もう答えは明らかで、「国債は中央政府の負債であり、民間の債権である」ということなのだ。国会における財務省答弁の「1000兆円の国債があるということは、民間の預貯金が1000兆円増えたということです」なのである。これをどう捻くり回せば「国の借金」となるのか。問題は些末な間違いを犯すSNSなどなんかではなく、大間違いを流し続けて国民の認識を誤らせているオールドメディアなのだ。
また、日経新聞は国債を「将来の国民が返すこととなる」と、将来への債務の先送りのように頻繁に報道するが、G7国で国債を償還しているのは日本だけという事実をどう考えるのか。G6は償還時には同額の借換国債を発行しているだけだし、野口悠紀雄氏なども指摘するように「もし将来世代が償還金を負担するにしても、その償還金は将来世代が受け取ることになるから、将来世代の中で閉じており『行って来い』でチャラ」なのである。
自民党の税調などが繰り返してきた「103万円の壁は財政の事情から壊せない」としてきた論理が、それが特に「若年層や主婦層の労働機会の剥奪として機能しているのはおかしい」という基本的人権にかかる問題として非難されている。
また、財政の事情というが「国債は国民の借金でもなければ、将来世代の負担ともならない」という事実の前に、この論理は崩壊しているのだ。つまりオールドメディアが護符のように大切にしてきた論理がまるで成立していないことが明確に露顕したのである。
SNSには注意深く対処する必要があるとしても、ここで流れる情報は世論の流れともなってきている。ガセが多いからと切り捨てることはできない時代が始まったのだ。これと如何に上手に、如何に賢く付き合っていくのかが問われる時代となったのである。
東京都知事選や兵庫県知事をめぐる報道と知事選、名古屋市長選などが生んだ状況はもう否定できる流れとはならないだろう。ガセも含んで不特定多数が流す情報が一つの流れに収斂して世論を形成する時代が始まったのだ。
もう多くの国民はSNSなどにより知ってしまったのだ。以下の情報がオールドメディアからは皆無であることを。「この10年間で世界は70基の原発を稼働させてきて、そのうち38基が中国にあり、それは日本の偏西風の直上流の東シナ海沿いがほとんどであることを。家計所得は財政危機宣言以来(この宣言のために)100万円以上も減少し、G7国で唯一国民が貧困化したことを。そのために税金と社会保険料の合計(=国民負担率)が収入の50%近くにもなり、それは江戸時代の百姓並みだと多くの人が嘆いていることを」。
(月刊『時評』2025年2月号掲載)