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大石久和【多言数窮】

「インフラ」の意味が理解できない唯一の国

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 筆者の専門領域であるから、インフラ(社会の下部構造)について説いて回っているのだが、不思議に感じるのは世界のどの首脳も、ことあるごとにインフラ整備の重要性や必要性を説いているのに、「日本では歴代のどの首相もインフラという用語を使ったこともないし、整備の重要な意味について触れたこともない」という事実である。

 これを理解するために、まず、アメリカの歴代大統領の発言を見てみよう。

 2023年2月の一般教書演説でバイデン大統領は「世界で最も強い経済を維持するためには最高のインフラが必要だ」と述べたし、その前年には、ウクライナ侵略の直後の3月3日というのにインフラ整備について、かなりの時間を割き「これからはインフラを構築するときだ。それは特に中国との経済競争に勝つための道筋をつけるものだ」と演説した。

 トランプ前大統領も、2018年1月には「アメリカ経済は安全で信頼性が高く近代的なインフラが必要であり、国民はそれを享受する権利がある」と述べたのだった。同様の発言は、オバマ氏も、ブッシュ氏も行っていた。

 アメリカ以外の首脳たちも、イギリスのジョンソン、ドイツのメルケル、イタリアのレンツィらも、それぞれ首相時代にインフラの重要性に触れ、整備促進を国民に約束している。

 こう見てくると、日本の政治、政治首脳(メディアも同じだが)がいかに世界常識からかけ離れているか、慄然とする思いなのだ。日本という国は世界の不思議に満ちているが、その一番地に位置するとも言えるのが「インフラ」の重要性認識の欠如なのだ。

 それでも公共事業バッシングの前までは、「社会資本整備」との表現でインフラ論が議論された時代もあったのだが、この国では経済学的にいう「ストック効果」を意味する社会資本よりも、フローを強調した公共事業という言葉が多用され、それには多くの場合、「無駄」という形容詞が付随していたのだ。

 日本では、政治でもメディアでも、海外の首脳が標榜するようなストックとしての効果が議論されることはほとんどなかったと言える。そのストック効果についても、わが国の場合次に示すように、一元的な狭い評価方式しか用いてこなかったのだ。

 わが国では、すべての事業評価にB/C、つまり事業実施によって生まれる便益、例えば道路であれば区間ごとの時間短縮効果などを計算し、それが当該区間の建設費を上回っているかどうかで、その区間の建設是非を判断している。

 これは一面合理的なようであるが、重要な投資効果を見逃すことになりかねない。道路でいえば「ネットワーク効果」である。例えば、東北のある区間の道路を整備することで、北東北と首都圏間の経路選択の代替性が増大し、大災害や大事故があっても連絡が途切れることがないという効果は、区間ごとのB/Cではカウントできない。

 したがって、道路の例えば最後のピースを埋めることによって、リダンダンシーが極端に拡大しても、その効果測定ができないことになる。リダンダンシーの拡大、つまり交通代替性の確保は、特に災害頻発国では道路整備が目指すべきものであるにもかかわらずなのである。

 改めて、日本が遅れていると感じるのは、EUのインフラ整備効果の測定方法との比較である。EUは発足の際、多くの国が一つの経済共同体を形成するに当たって、今後のインフラ投資をどう評価するかを、多分野の専門家が議論してまとめたのだ。次の三項目である。

①当該インフラがEU全体の経済成長に資するか。

②当該インフラ整備によってEU全体の環境改善に資するか

③当該インフラ整備によってEU市民の公平性を向上させるか

 ①は区間ごとでなく、EU全体という切り口であることはすごい驚きだが、これは理解できる。われわれにはこの発想はできるかなと感じるのは③である。連合体を作るということは、こういうことなのかと感じ入るのである。

 ところで、世界の中で日本の政治首脳(だけではなく、ほとんどの政治家とマスメディアも同様なのだが)は、なぜ海外首脳のようにインフラを理解することができないのだろうか。

 それぞれの民族には「先天的に埋め込まれた目を覆うフィルター」があり、それは脳の思考回路を制御している。長い歴史の過程での民族ごとの経験の違いが、それを生んでいるのである。さらには、それぞれの民族が預かってきた国土の事情、つまり広さや複雑さ、そこに住む民族の多様性(異民族の存在)なども思考回路の基礎となっている。

 ユーラシア大陸では、紛争に次ぐ紛争が長い歴史の真相であり、彼らの歴史観、宗教観はこの経験を基礎に構築されている。そこで着目したのが都市城壁なのだ。ユーラシアでは朝鮮半島からイギリスに至るまで、多くの都市が城壁を持っている。紛争が最も厳しかった中国が世界で一番強固な都市城壁を有していたことは、容易に理解できることである。

 ウィーンは史上二度にわたるオスマン帝国による包囲戦を経験している。1529年には12万人の軍に包囲されたが、ウィーンを守り抜いた。1683年には15万人が取り囲んだが、約2ヶ月の包囲戦を戦い抜き、なんとか落城することなく守りきったのだ。

 都市城壁なかりせば考えられないことだった。多くのヨーロッパの都市や古くはシュメールの古都市にも都市城壁があったように、ユーラシア人はまとまって暮らすための必須の装置として都市城壁という「社会の基礎構造=装置」、つまりはインフラを発明したのである。

 都市城壁というインフラに命を守られた経験が全くないのは、少なくとも現在の文明国では世界で日本だけなのだ。これがインフラを理解できない原因なのである。こうしてみてくると、インフラ認識が世界常識からズレていることを容易に理解できるのだが、われわれ日本人には「インフラの受け止め方が、世界からズレている」という認識が重要だということになる。

 このズレぶりは、上記の歴史経験の差から簡単に理解できるように、安全保障の理念を日本人がまるで理解できていないことと同根なのである。

(月刊『時評』2024年10月号掲載)