2024/09/06
多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。
ジャニーズ事務所の喜多川氏による性犯罪秘匿事件以降、マスメディアは十分な反省ができたかといえば、形式的な反省を述べただけで、強力な事務所の締め付け力には抵抗できないのは当たり前だとすべてのメディアが考えていたことが明らかとなっている。
こうした強い力への異常ともいうべき忖度は、結局国民の多くから「権力への忖度ばかりのメディアは主権者が知るべきことを伝えていない」という確信的な実感を生んで来ており、 最近になるほどメディアの墓穴となってきている感がある。
近年の新聞の著しい発行部数減や人びとの地上波放送離れがこれを象徴している。かろうじて支えているのが日本人のメディアへの異常な信頼なのだが、このような「離反」状況が続き、ネットからの情報入手に長けた人びとが増えて旧来メディアからの情報に頼る人びとが少数化していくと、近い将来既存メディアの劇的な崩壊現象を見ることになるかもしれない。
世界の人びとのメディア信頼度を、最近の「世界価値観調査」で見ると、新聞雑誌に対する信頼度は、イギリス15%、アメリカ・フランス30%という状況なのに、日本は70%というのだから、これはもう異常値なのだ。日本人はメディアを盲信しすぎており、世界から見るとこれは異常な信頼の寄せ方で、自分では何も考えていないのだという認識が必要だ。
現在のような報道を続けていけば、メディアへの信頼度はやがて地に落ちることになるだろうが、ジャニーズ報道の敗北は、その象徴的先駆けだったのだ。
2024年5月10日に財務省は直近の「国の借金」という数字を発表した。最近は、政府短期証券も入れているが、国債、借入金との合計である。NHK、毎日、日経、読売、時事通信、共同通信は、揃って「国の借金・過去最大の1297兆円」と報じ、おまけに日経は「税収で返済する必要のある普通国債」と財務省への更なる忖度を付加していた。
この認識が、日本経済の成長を止め、G7の中でも税収がまるで伸びない国にしてしまったし、それが国民の貧困化を促進し、その貧困化が少子化を助長してきたのだ。しかし、このような単純な事実も、ジャニーズ事務所どころではない強力な権威・権力へのマスメディアによるこうした忖度が押し隠してきたのだった。
ここには「国債を償還しているG7 国は存在しない。償還しているのは日本だけである」という明確で単純な事実も、日本銀行の副総裁などによる国会答弁の「国債は、その金額分、国民の預金となっている」「国債は国の借金などではない」という事実もまるでかき消され、財政権力への忖度だけが文章化されているということなのだ。日本以外のG7国は、国債償還期限になると、同金額の借換債を発行しており、税金で償還などしていない。
この忖度による明白な間違い報道を全紙が続けていて、「横並びで皆同じだもんね」という安心立命の世界に綴じ込んでいる。その結果、この報道が経済成長を止め、名目GDPが世界の17・5%あった国から、わずか4・2%の国へと日本の転落を促進しているにもかかわらず、「みんなで一緒」という「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とのメディア世界にだけ通ずるデタラメ世界に安住して、日本の経済的地位を途上国並みに下げ、30年間で世帯あたり100万円も減収となるという貧困の底へと国民を導いている。
別の稿で丁寧な説明が必要だが、日本国没落の真因はもう一つあって、この財政再建至上主義に加え「抜本改革絶対主義」を信奉してきてしまったことがある。最もわかりやすいのが、小泉政権での「構造改革主義」で、その象徴として郵政民営化を最大の改革としたことだが、これがとんでもない間違いで、単純にアメリカからの要求だったのだ。
その結果、郵政民営化に反対する衆議院議員の選挙区に刺客を送るなど、小選挙区民主制を破壊しただけではなく、国民が何のメリットも感じることが出来ない民営化された郵政制度が残されて料金は上がるし、郵便貯金から多額の金が外資に融通されるなどしている。
一連の構造改革が、日本経営の三種の神器といわれた「終身雇用」「年功序列」を破壊し、これらを古い働き方だと糾弾してきて、今日の日本の敗北を生んでいる(他には、企業別組合)。特にアメリカかぶれの経営方式とかアメリカ型働き方などを、文化の違いをろくに把握も出来ていないのに持ち込んで、「さあ、これが世界標準なのだ」と強制してきたのだ。
そもそも日本人は、長い間の歴史的経験もあって「不安を抑える脳内物質セロトニンを受ける神経細胞のレセプターの量が西欧人などと比べて遺伝的に少なく、そのために不安に弱いが、それが慎重で責任感が強い日本人を生んだ(坂村健氏)」のが事実なのだ。
したがって、アメリカ流の「個人としての責任領域を明確にしすぎると、境目を意識しすぎて力が発揮できない。日本人はグループでの責任分担が助け合いを生む」というのだ。
これからの業績評価はジョブ型だ、短期の個人評価が重要だなど、未だに現政権内で述べる人がいるが、ギスギスした環境では力を発揮できないのが日本人なのだ。
コラムニストの福田恵介氏は、「(今の財界首脳には)人間的な魅力も言葉の説得力もなく、度量も教養もない。それが経営者か」とぼろかすに言っているが、人間、特に多数の社員である日本人のなんたるかについての経営者の理解力の無さは驚くばかりなのだ。
ところでキャリア官僚の離職が止まらない。人事院は、この5月に「国家公務員の人材確保策に関する中間報告」(森田朗東大名誉教授)をまとめたが、そこには、国会質問などで、特にキャリア官僚が政治家から異常に拘束されていることへの処方箋は何も含まれていない。
また、イギリスのように議員が官僚と接触するためには省のトップ(大臣)の承認が必要といった提案も含まれてはいない。離職の拡大は、時間ばかり意味もなく浪費させられ、本来の公務も自分の才能を磨いたり発揮したりする場もないと感じているということなのだ。
この報告を受け取った川本裕子・人事院総裁は「聖域なく、大胆に抜本的な改革を断行する必要がある」と、小泉政権で道路公団改革に関与した経歴にふさわしく、かつマッキンゼー出身者らしい「改革至上主義的感想」を述べていた。しかし、アメリカの上院議員のように、有能なスタッフを議員一人あたり何十人も公費で持つことができない日本では、公務員が政策の立案・執行に少人数で地道に頑張っていることへの理解が必要なのだ。
(月刊『時評』2024年7月号掲載)