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大石久和【多言数窮】

国会と政治の問題

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 日本の国会の、つまりは政治の無様な姿をイヤになるほど見せつけられているが、インドで開催されたG20外相会合への林外務大臣の欠席はその象徴のようなものだった。予算委員会での基本的質疑には全閣僚が出席するとした国会慣例が優先されたというのだ。

 しかし、先進国と発展途上国の中間に立ち、また意識して民主主義国家群と全体主義国家群の仲立ち国家になろうとしているインドという国を日本は軽視したというメッセージを、インドに対してはもちろんのこと、G20すべての国に送ったことになってしまったのだ。

 これによって著しい「日本の発信力の低下」「日本国の存在感の毀損」が生まれてしまった。全閣僚拘束という国会慣例の存在そのものも問題だが、もっと問題なのは、政府が「ウクライナ騒動の中で行われたG20会合に外相が出席することに挑戦しなかったこと」である。

 総理大臣は国会と「外務大臣を出席させる」という話し合いをすべきだったのだが、何もしなかったのではないか。党内に助言する人もいなかったのか。

 この国はいつも「重要な決定をする人がいない」国で、先の大戦でも指導者の誰もが「もはや対米戦に反対できる雰囲気ではなかった」と言って、300万人を超える日本人に死をもたらしたのだ。だから原爆を落とされても敗戦の宣言を覚悟する人も出なかったのだ。

 ニューズウィークにフランス生まれのジャーナリストである西村カリンさんが、「国会で『議論』がないことにがっかり」と寄稿していた。彼女は各党の代表質問を聞いて「完全に無駄な時間だと思った」「首相の回答にはがっかりした」といい、「質疑の内容もほとんどがすでに発表されている内容で新しい情報はなにもない」と厳しいのだ。彼女は「首相の代わりに文章を読み上げるロボットを使ってもあまり変わりないだろう」というのである。

 フランスでは、このような決まり切ったやり取りは厳しく批判され、フランスのメディアからは「政治に関心のない国民が増える一つの原因だ」と言われるのだというのだ。

 このようなやり取りに対しても、日本のマスコミは議論が交わされたと書くが、彼女は「議論や討論の意味は問題を解決するために意見を論じたり、批判をしあったりすることだ」と述べ、議論など交わされていないと述べている。彼女の指摘の通り、言葉は発せられているが、そこには対論を通じて物事の本質に迫る努力など、どこにもない。

 国政の失敗から国民の貧困化が進み、男性自殺者が13年ぶりに増加し、小中高生もが過去最高の自殺数を記録した直後の国会では、ひたすら高市大臣への追求に終始していたが、国会がいまやるべきことは、そんなことではないだろうと考えるのだ。

 この国権の最高機関とされている国会のこうした実情について、わが国でももっと厳しい世論が必要ではないかと考える。以下に、いくつかの国会の不思議を見てみたい。

 ①総理大臣は通常国会の開会にあわせて、両院でそれぞれまったく同じ内容の施政方針演説を行っている。これは5分や10分で終わる演説ではない。これだけの長時間演説をなぜ二回もやらなければならないのか。同じ頃に、アメリカでも大統領が一般教書演説を行うが、そこには上下両院の議員が一同に会しているのである。

 アメリカ流が当たり前ではないか。どういう理屈でまったく合理性を欠くこのような慣例ができているのか。戦後80年ともなれば、もういい加減に世界に恥ずかしくない仕組みに改めていくべきではないか。

 ②予算の採決など重要案件の採決には、今でも議員が木札を係に渡して採決している。これもいつの時代の話なのだという気がするのだ。

 このために、牛歩戦術と称して投票にやたら時間をかけたりする抵抗が見られるが、結局、これはすべての議員から時間を搾取し税の無駄遣いをしているだけなのだ。このような世界には見せられない恥ずかしい戦術が生まれるのも木札方式が残っているからだ。

 ITだのDXだなどと言っている時代に、この木札プラス徒歩方式は、あまりにアナクロニズムなのだ。

 ③世界中の政府記者会見は広報官が行っているのに、なぜ内閣の中心にあるべき官房長官が一日二回も会見に臨まなければならないのか。アメリカも中国も担当官で大丈夫と考える業務を、日本は忙しい長官にさせているのだ。与野党はこれを問題だと考えないのか。

 ④大問題なのが国会質問である。2023年1月21日の読売新聞は内閣人事局の調査結果として、「国会答弁の作成に平均7時間を要し、作成が終わるのが質問当日の午前3時頃になる」と報じた。実は、与野党は質問通告の締め切り時間を「本会議や委員会の前々日の正午」と申し合わせているのだ。ところが、調査結果によると864件の質問通告のうち、申し合わせ通りの通告は、わずか19%に過ぎず、通告が前日の午後6時以降が6%もあったのだ。

 平均して7時間もかかる答弁作成なのに前日の勤務時間以降の質問通告では、深夜・明け方までかかるのは当然だ。時間切れ質問通告の議員名を公表すべきなのだ。

 実は、これが大きな原因の一つとなってキャリア公務員指向者が激減している。最近の若者は自由時間の確保を、昔のわれわれの時代より、はるかに重要視している。政策を前に進めるような質問ならともかく、揚げ足取りの重箱の隅をつつく質問に対応させられ、自身のキャリアアップに役立たない答弁作成などのために、青春時代を浪費したくないのだ。

 象徴的なのが東京大学などからの公務員志望者の激減で、財務省を初めとする各省で国を動かす仕事をしたいと考える若者が激減している。その大きな背景が国会の負担なのである。公務員に多様性が生まれるのはいいことだが、能力不足の人材増では問題だ。

 国会が公務員制度を毀損しているのだ。質問の締め切り時間を守らない質問には、政府は答弁作成せずを貫くべきだ。加えて定員の問題、給与の問題などもあるのに、宿舎などを取り上げてメディアが物言わぬ公務員たたきに精を出してきたこの30年で、国家の基本インフラである公務員制度はすっかり毀損されてしまったのである。

(月刊『時評』2023年5月号掲載)