2024/09/06
多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。
1952年4月28日は、サンフランシスコ講和条約が発効し日本が戦後独立を果たした日である。独立を果たしたことで、その4年後には国際連合にも加盟することができ、独立日本として歩み始めることができたという特別級の記念日である。
ただ、この時には沖縄、奄美、小笠原はアメリカ統治下におかれたままであり、特に沖縄が復帰するのが20年も後のことだったことから、沖縄に気を遣って1952年のこの日を祝うことにかなりの人が躊躇してきたことも事実である。
しかし、日本国の圧倒的部分が独立したこの日が、ほとんど祝われることもなく、あまりにも粗略に扱われて忘れ去られていることは問題だと考える。市販のカレンダーのどれにも、また有名手帳のどこの社のものにも、この日が戦後の再出発となるサンフランシスコ講和条約発効の記念日であることを載せてはいない。まさに現代日本のタブーなのだ。
まして、2022年はその「70周年」だというのに、NHKを初めとするすべてのテレビメディアも活字メディアもまるで報じなかったのだ。沖縄復帰50年は大々的に報道したのにである。これは「報道する・しない」に何か背景があると考えなければ説明がつかない。この背景に現代日本人が克服しなければならない問題が横たわっているのである。
このことが大問題と考えるのは一つには、「GHQ支配時代に日本はどのように扱われたのかを考えないようにしようとしていること」である。そのなかにGHQの時代に日本のメディアはどのような役割を果たしたのかを国民に知らせないままにしておこうという姿勢があるのだ。したがって、この日を祝わないことで利益を受けたり得をしたりしている者は誰なのかを追求しなければならないのである。
これを考えるためには、日本の敗戦後GHQ=アメリカがどのような意図で日本を統治しようとしたのかを素直に考える必要がある。
以前にも、石原慎太郎氏が戦後すぐのニューヨークタイムズの記事を紹介したことを引用したことがある。そこには日本を指して「この醜い化け物は負けはしたが、まだ生きている。われわれは徹底してこれを解体しなければならない」と書き、ドイツについては「この優秀な国民はナチスのせいで誤りを犯したが、きっと立ち直るだろう。われわれはそれを支援しなければならない」と報じたのだ。
何という違いだろうと憤りを禁じ得ないが、これが当時のアメリカの雰囲気だったのだ。それを背負って日本に来た占領軍は、「醜い化け物が二度とアメリカに戦いを挑む国にはしない」を第一使命としてやってきた。
そのために軍の存在と交戦権を否定し、戦費の元となる赤字国債(=戦時国債)が発行できないようにしたのだった。そうしてしまうと丸裸とならざるを得なくなった日本の安全保障確保の名目に、「平和を愛する諸国民を信頼する」との虚構を打ち立てるしかなかったのだ。
そしてその虚構を守るために「連合国最高司令長官は、日本に言論の自由を確立せんがために、ここに日本出版法を発布す」などと述べた法を制定したが、実態は焚書まで行うというトンデモ級の言論弾圧を行ったのだった。
その内容は大変に厳しいもので、新聞や放送は言論封鎖のもとで監視され、何社もが発行停止などの処分を受けたのである。「削除または掲載発行停止の対象となるもの」という言論統制の一例を示すと、
〇連合国戦前の政策の批判
〇連合国最高司令部に対するいかなる一般的批判
〇極東軍事裁判に対する一切の一般的批判
〇日本の新憲法の起草にあたって連合国最高司令部が果たした役割についての一切の言及
〇出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行われていることに関する直接間接の言及
〇アメリカ合衆国に対する直接間接の一切の批判
などといったものであった。
新憲法への批判を禁じるどころか、GHQが素案を日本に示したことを報じることすら「検閲・発行停止」の対象としていたのだから、報道は「新憲法は素晴らしい、万歳だ」ということにしかなりようがない。
1952年4月28日に、「実は27日まではそのような環境におかれていました。一切の憲法(批判)報道ができませんでした」との総括のないまま、この検閲の事実を隠し続けてきたために「この憲法は最高の憲法だ」と、今日まで言い続けざるを得ないことになってしまった。
その結果、戦後80年近くもなるというのに、そして日本近傍の安全保障環境が激変してきているというのに「独自の国家戦略の放棄」を謳う憲法護持をほとんど唯一のお題目とするような政治勢力が、いまだに政治のなかで一定の存在域を占めているのである。
このような状況の変化があっても、制定時の国民の価値観の集大成である憲法を変えるどころか、変える議論すら封殺しようとする勢力(超時代遅れの憲法学者を含め)がいまだにきわめて大きいことは「国家としての生存権」の放棄を堅持していることを示している。
この憲法を起草し、わが国にそれを制定させたGHQ支配時代との決別を意識することができない、否、意識してはならないとしているというのは、この国がいまだに占領時代にあることを意味しているし、日本人はそこから脱することを忌避しているとすら言える。
やはり大問題なのがメディアの姿勢である。『閉された言語空間』を著してこの時代の言論弾圧を詳しく紹介した江藤淳氏は、「あたかも計り知れないほど大きな力が、占領開始後間もない時期に、外部から日本の言論機関に加えられたかのようであった。そして、この時期を境にして、占領下の日本の新聞、雑誌等の論調に一大転換が起こったことも、そして実際にその紙面にあたって見ればまた明らかであった。」と述べている。
日本のメディアは、戦前の報道には反省したが戦後報道については沈黙したままである。
(月刊『時評』2023年2月号掲載)