2024/09/06
多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。
自民党に積極財政を推進するための議連が生まれている。安倍晋三元総理がその大将として率いていたのだが、残念無念にも凶弾に倒れてしまって積極財政推進のためには厳しい状況が生まれている。
しかし、この国はどの局面から見ても積極財政によってインフラ整備の成果を国民生活に及ぼすことや、教育の充実や科学技術研究の進化による果実を国全体で享受しなければ、もうどうしようもないところに来ていることを誰もが実感するようになり、その感度を欠いているのはメディアと一部の政治家だけという状況が生まれている。
プライマリーバランス黒字化や財政再建至上主義を30年近くにわたって叫び続けて歳出をさっぱり延ばしてこなかった結果、結局それが経済成長の足を引っ張り、経済が成長しないために税収が増えず、そのために財政再建を叫び続けなければならないという恐怖のというか悪魔のというか、無間地獄のサイクルに陥ってしまったのだ。
財政再建というのなら、それは「経済成長による歳入増加」にしか解はないことを何年経っても学べないという情けなさなのだ。
その悲しいというか、恐怖の実態を検証してみよう。
①国民の年収の中央値(令和4年賃金構造基本統計)
2022年374万円 参考:1994年505万円(直近は131万円の年収中央値ダウン)
②非正規雇用の全労働者人口に占める割合
2020年 40%1995年 17%
この国の政治はこの30年、国民のために何をしてきたのだろう。ひたすら貧困化する国民をつくり出してきただけではないのか。実は、この実態は憲法違反と言えるものなのだ。それは日本国憲法前文には次のような規定があるからである。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」
福利とは「幸福と利益(三省堂大辞林)」のことなのだが、この30年間に「日本国民の誰が幸福になり、誰が利益を得た」というのだろうか。まったく経済成長しなくなった国に暮らし、少ない上に伸びていかない給与と、いつ職を失うかも知れない雇用形態の中で「福利を享受する」ことなどできるわけがないのだ。
社会を支える若いコア層である15歳~40歳の死因のトップが自殺であるG7国は日本だけで、自殺率(10万人あたりの自殺数)も16・3とアメリカの14・1より高く、イギリスの7・4の倍以上なのだ。他のG7国は事故死がトップなのだが、日本のみが「自殺」なのである。
働き盛りの国民が自ら命を絶たなければならないと考えるこのような現実があるのに、日本政治全体に「これではいかん、なんとかしなければ」とこの状況を打開するための動きがまったく見えないというのは、どういうことなのだろう。
労働者は貧困化し、自殺に走るという哀れなことになっているのだが、経営者はどうしているのかというと、報酬が1億円を超えた役員のいる企業は、2010年には160社で役員数は298人だったのが、2021年には287社にもなり役員数も663人と大変な伸びなのだ。労働者には利益配分しないが、役員たちは所得を急増させているのである。
利益の配分でいえばさらに問題なのは、株式配当の急増である。資本金10億円以上の企業行動を見ると(相川清氏による)、1997年を100としたときの2017年値は、配当が573にも伸びているのに、設備投資は何と64という減少ぶりなのである。これが政府の歳出の伸びの少なさとともに世界で唯一今でも内需不足のデフレに沈んだ国のままである理由なのだ。
この企業に政府は何をしてきたのか。中央大学の富岡幸雄教授の研究によると、1989年から2019年までの間に、福祉の財源に必要だからと397兆円もの消費税(ここではすべて国税と地方税の合計)を国民から取り立ててきたが、同じ期間に法人諸税を298兆円も減税してきている。
その企業が社員の給与も増やさず、設備投資もしないでせっせと配当を6倍規模にも拡大してきたのだが、なぜ、こんな企業に300兆円もの減税が必要だったのだろう。企業は国民に何を還元したのだろうか。メディアはこれらについて何か批判報道をしたのか。
さらに最近では、自社株買いに精を出す有様で、2022年春の報道によると「自社株買いは過去最高だった2019年度の7・8兆円を上回る見通し」だというのである。主要国で労働分配率が最低のこの国で自社の株を買いまくる構図など信じ難い乱行ではないか。
さらに一般には政府が財政が厳しいのに支出を増やしているから、さらに財政が困難になっている印象が振りまかれているが、真実はそうではないのだ。2022年の政府支出の2001年比は、日本1・38、ドイツ2・36、フランス2・47、アメリカ2・74、韓国4・92、イタリア2・11、イギリス2・51と主要国で最低なのである。つまり、日本政府は金を使っていないのだが、これは「税収がまるで伸びていないこと」と「やるべきことをやって来なかった」という構図なのだ。
また、これも流布している情報から来る印象とまったく異なるのだが、「一般政府総債務」の伸びを2001年~2020年で見てみると、日本は何と2倍にも達していない。イギリスが約6倍に、アメリカが約5倍に伸ばしているのに比べると非常に小さいのだ。これも先のデータと同じで「政府が行うべきことを行ってこなかった」証明である。
こうして「引用される回数の多い質の高い論文数」も、人口が5100万人という韓国に抜かれて世界の第12位にまで転落したし、スイスのIMDがまとめている世界各国の競争力も、日本は近年では34位に転落し、23位にまで上昇した韓国の後ろ姿を眺めなければならない有様となっているが、ここにも政治の世界からは何の危機感も発せられてはいない。
こうして調べてみると、これだけのこの国の絶望的状況に対して、何の危機感もない日本政治に暗然たる思いを深くする。しかし、真に問われているのは、われわれ有権者なのである。
(月刊『時評』2022年12月号掲載)