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大石久和【多言数窮】

国の形を破壊する「10増10減」

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 一昨年の国勢調査の結果を受けて、衆議院議員の定数の10増10減が議論となっている。従来のルールを適用すれば、人口増地域の定数を10増やして人口減少地域から10を減ずることになるのだが、ベテラン議員から地方の声が国政に反映できなくなっていく改訂の繰り返しでいいのかとの疑問が発せられて議論となっている。

 10増10減を機械的に当てはめると、東京では5増、神奈川2増、埼玉・千葉・愛知ではそれぞれ1増となって合計10増となり、逆に、宮城・福島・新潟・滋賀・和歌山・岡山・広島・山口・愛媛・長崎の10県では1ずつ減となって合計10減という案になる。

 ベテラン議員の指摘するように、今でも衆議院の定数は小選挙区と比例代表の両方の合計定数(平成29年7月現在)を調べると、関東地方は北関東(茨城・栃木・群馬・埼玉)と南関東(千葉・神奈川・山梨)に東京を加えると148となり総定数465の31・8%を占めて、衆議院のなかで圧倒的なシェアを占めている(現案通り改定すると33・8%となる)。

 一方、朝鮮半島のフロントに存在して、ある意味で国防最前線とも言える北陸信越(新潟・富山・石川・福井・長野)の定数は30で、そのシェアはわずか6・5%しかなく、この地方の声が国政に反映しにくくなっていることは事実だ。

 議員の数が地域の利害を代表する力となっていると考えるのなら、北陸信越は関東の5分の1程度しか代表権を持たないことになる。安全保障を考えたり、国土全体の有効利用を図るためのインフラ政策を立案していく上で、このことは問題とならないのかというのが有力ベテラン議員の問題提起だったのではないか。

 こうして万が一の時が心配だとされた原子力発電所は、電力は関東で消費するのに多くが関東からはるかな遠隔地に立地しているし、多い人口の利便性向上のために交通インフラも他地域に比べて圧倒的な量が整備されて、生活や産業の利便性を支えている。そのことが、まるで集魚灯のように機能して地方から人材を集め投資を呼び込む結果となっている。

 ニューヨークやワシントンからはきわめて遠い場所にあるシリコンバレーだが、日本の地方にはアメリカのこのようなデジタル企業センターの存在はない。また、中国のシンセンは北京から遠距離にある香港の近隣にあってIT企業のきわめて活発な立地が進んでいるが、日本にこのような大規模で活発な投資が続く東京からの遠隔地都市は存在しない。

 この首都圏にしか立地先や投資先がないということが議員定数の偏りを生じさせており、その東京・関東圏の利害を代表する議員が圧倒的に多いという事実が、一極集中を助長することはあっても分散化に向かわせるようには機能しないのは当然だ。

 時々の政権はいつも地方の活性化や再生などを看板に掲げているが、何年経っても、またコロナショックでテレワークが進むなどといっても、首都圏への集中の傾向にまるで歯止めがかかってはいない。

 そして必ず指摘しておかなければならないのは、このような大集積地に大地震や大噴火の災害可能性を抱えているのは、世界のなかで日本国だけだということなのである。

 ところで、アメリカは上下両院から議会が構成されているが、上院はアメリカが州の集合体から始まったというUnited States(このStatesは州の意味)の伝統を受け継いで、各州は議会において同等の権利を有することとしている。

 アメリカ上院は各州から2名ずつ選出され、2年ごとに1/3が改選されている。そして、選挙は各州単位の単純比例小選挙区制を採用している。下院の定数は州ごとの人口比例となっているので、それと比較すると「1票の格差」という意味では50倍を超えていることになる。

 下院議員定数は、2010年の国勢調査を反映したもので見ると、州の人口によって大きな差があり、最大の選出議員数を持つのはカリフォルニアで53人であるの対し、モンタナ、ワイオミング、ノースダコタ、サウスダコタなどでは1人しか選出できない。そしてアメリカでは上下院に優越権は存在しない。

 これは見事な棲み分けというべきではないかと考えるのだ。建国理念から来る合衆性と国民の議会関与の平等性が調和している制度となっている。

 わが国は、衆参両院ともに1票の格差ばかりが問題視されているが、日本にも「国の構成論理としての合衆性」は存在すると考える。例えば、これだけ頻繁に開催されて、多くの人から支持されている県別対抗戦の存在をどう考えればいいのかということなのだ。

 われわれには「私は日本人だ」という部分(最近のアルファベットを用いた芸名の氾濫などから考えるとかなり怪しくなってきているとは思うが)と、「私は〇〇県人だ」という部分がある。だからこそ、都道府県代表による駅伝や野球などに人びとは興奮しているのだ。

 人口の多い東京からは5人の選手が出場できるが、島根と鳥取は二県で1人しか選手を出せないなどとはなっていないのである。われわれはそんなことを認めることは出来ないのだ。日本人の意識のなかには「都道府県合衆国民」という意識が確実に存在している。10増10減の議論はこの国民感情を無視しているのではないかと考えるのである。

 このことは廃藩置県以降に育まれた意識などではない。大和朝廷時代には五畿七道という大枠を定めた地方制度が定められ、そのもとに全国に68カ国が誕生した。ランダムに西の国々を紹介すると、長門、石見、出雲、伯耆、因幡、周防、安芸、備後、備中、備前、美作などという地域が行政単位である国として存在した。

 現在でも、いまだに島根県民のなかに「石見人」などという意識は完全にはなくなっていないし、愛知などでは「尾張」と「三河」に対抗意識が残っているといわれる。

 単純な10増10減の議論の推進は、この国の形を破壊していくと考える。東京首都圏は、電力も食糧も水供給も多くを圏域外に依存している。つまり、他地域に元気がなくなり、生産活動などが停止すれば存在を継続できないのだ。つまりは、国家は一つの有機体として機能しなければ存続不可能なのだが、この議員定数議論にはそれが欠けている感がある。

(月刊『時評』2022年3月号掲載)