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大石久和【多言数窮】

小選挙区比例代表制の破壊力

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す (老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 われわれの眼前には、この25年間以上にわたって政治が国民を豊かにすることに成功してこなかったという事実が存在している。「より多くの所得を得たい」「より豊かになりたい」と考えない国民はいないから、次に示すように日本政治はこの間国民の期待を裏切り続けてきたことを意味している。

 1995年には660万円であった家計の平均所得は、2017年には550万円と100万円以上も減少したし、先進国の実質賃金の推移の1990年頃から最近までを眺めてみると、日本だけが完全に横ばいなのに、スウェーデン1・55倍、アメリカ1・40倍、フランス1・35倍、ドイツ1・30倍にも伸びている。

 日本国憲法前文は「国政の権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と規定するが、示したように30年近くも日本国民は、福利の拡大を享受するどころか貧困化の進行に苦しめられている。憲法前文の規定からは、福利を国民にもたらさない国民の代表者は代表者たり得るのかという疑問を呈することができる。

 つまり、日本政治はひたすら貧困化していく国民と皮膚感覚を共有できていないのである。なぜこんなことになってしまったのだろうというのが今回のテーマである。

 日本の転落が始まった1995年の前年の1994年に小選挙区比例代表制が法制化され、これによる最初の総選挙が1996年に実施されたことは象徴的である。族議員が跋扈する政治をやめる、これからは政権交代が可能な二大政党制を目指すとの触れ込みで、あっさりと大きな制度改革が実施されてしまった。この制度改革は何をもたらしたのだろうか。

①「議員が選挙区民に選ばれているという感覚が持てなくなるとともに、選挙民の方からも議員を選んだという意識が消えていった」

 当然のことだが「議員は当該選挙区の選挙民に選ばれて」当選する。しかし、世論調査での政党支持率が選挙結果にほとんどそのまま反映されている状況から見ると、支持率第一党の候補者は高い確率で当選することができる。

 ということは、ある候補者が当選できるかどうかは、党がその人をその選挙区の候補者とすることでほとんど決まるといって過言ではない。「第一党のここでの候補者は私です」で当選してしまう。選挙民は候補者選定のプロセスになんの関与もできないでいるのだ。

 これでは、こまめに選挙区を回って、人びとが何に苦しんでいるのか、政治に何を求めているのか、社会の何に不満を持っているのか、といったことを丁寧に吸い上げる努力などほとんどしなくていいことになる。政治家と選挙民との距離が大きくなったのである。

 若者の投票率の低さは彼らの感覚や判断が政治に反映できないことから大問題なのだが、筆者の身近にいる若者も「行かなくても誰が当選するかわかっている」「行っても選択肢がない」から投票所に足が向かないと言うのだ。

 中選挙区制の時代であれば政権党は5人区では3人当選させる必要があり、そこでは候補者の個性と専門性という政治における得意分野の競争があった。選挙民はその選択に参加できたのだが今はそれを奪われ、つまりは当選者から「個人=個性」が消えたのである。

②「党中央が強くなりすぎて個々の議員が異論を主張できなくなり、選挙民に選択肢の提示ができなくなった」

 郵政民営化議論の際に、参議院では民営化法案の否決だったのに衆議院を解散したという暴挙というべき解散権の乱用と、自党の小選挙区候補者に刺客を送り込んだという小泉純一郎政権の強権政治はこの国の政治に大きな汚点を残してしまった。

 こういう事実を見てしまうと党が決めた方針に逆らうことが不可能となる。端的な実例が財政再建至上主義である。先に示した国民の貧困化は、財政破綻論におびえて必要な財政出動をせず、デフレ経済下では民間が投資拡大できないのに政府が需要の拡大を図らなかったために経済成長が不可能となったことで生じた日本政治の敗北というべき残念な事象である。

 コロナショックによって特にアメリカが莫大な財政出動によりインフラ整備などによる実需を生み出そうとしているが、日本にはそのような気配はまるでない。ほとんどの議員が党中央の認識を忖度して、アメリカ並みの積極的な経済政策を主張できない状況が生まれている。

 党内で甲論と乙論が激しく戦うことで議論が深まることがなくなったのである。政治が「沈黙は金」では政治にならないのは当然である。

③「議員が専門性や専門知識を獲得できず、真の意味で官僚と渡り合うことができなくなった」

 先の5人区の例では、政権与党の3人が同じことを言っていたのでは選挙民に個人を認知してもらえず当選できない。そこでそれぞれが選挙区事情に応じて、福祉、農業、インフラ、教育、税制などといった専門分野を持ち、その政策促進を訴えて当選してきたのである。

 こうして時間を経るとともに、なりたての局長では太刀打ちできないほどの専門知識を獲得した議員が生まれ、官僚と政策面での真剣勝負ができる人材が多く生まれたのだった。これを族議員として切って捨てたのが先の選挙制度改革だった。

 つまり政治家の発する政策に深みを欠くようになっていったのである。これは官僚の堕落を生むという問題が生じる。知識や理解力のない相手を説得することは簡単だからである。こうして官僚と政治の間に存在すべき真の意味での緊張が弛緩していった。

④「メディアに刷り込まれた選挙民が異なる意見を持つ議員を排除する」

 日本人は新聞テレビの主張を批判することなく無邪気に受け入れ、今では誤りの財政破綻論を信じ込んでいる。バイデン大統領のようにコロナ禍のいまこそインフラ整備が必要だと言いたくても、刷り込まれた有権者が「また公共事業か」と排除するから怖くて言えないのだ。

⑤「少数党の存在が極めて難しくなった」

 日本人の政治的な考え方はイギリスのように二分されているというよりは、もっと複雑に分化しているのだが、一人のみが当選する小選挙区ではそれを議席に反映できにくくなった。

(月刊『時評』2021年9月号掲載)