多言なれば数々(しばしば)窮す
(老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。
2019年は天皇の代が変わる年であり、これを機にあらためて「日本とは何か、日本とはどういう国なのか」という議論が深まることを期待している。というのは、わが国の成り立ちをよく考えていないために、国についての思考、つまり「日本国とは何か」が漂流しており、自国について考えのない人たちが現われているからである。
わが国は、独立宣言などのような建国精神を文章としてまとめてはいない。「国のあり方」についての規定を持たない世界のなかでも希有で特別な国である。
たとえば、アメリカは1776年7月4日の独立宣言を建国理念としている。そこには「すべての人は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含む、ある侵すベからざる権利を与えられている。これらの権利を確実なものとするために、人は政府という機関を持つ。」とある。独立宣言には、政府の意味、アメリカが国家としてまとまる意義が明確に文章化されている。
南軍のリー将軍の巻き返し作戦が失敗した後に行われたエイブラハム・リンカーンの1863年11月19日のゲティスバーグ演説も建国理念の一つである。
「私たちの祖先たちはこの大陸に、自由の理念から生まれ、すべての人が平等に創られているという命題に捧げられた一つの新しい国を生み出しました。」ここで有名な「人民の、人民による、人民のための政治」が宣言されたのだった。
1789年8月のフランスの人権宣言はどうだろう。
「いかなる主権の原理も、本質的に国民に存する。どの団体も、どの個人も、そこから明確に発しないような権威を行使することはできない。」
「すべての市民は、法の下に平等であるので、彼らの能力に従って彼らの徳や才能以上の差別なしに、すべての公的な位階、地位、職に対して平等に資格を持つ」
もっともこんなに格好のいい人権宣言もルソーなどの思想にかぶれただけの作文だったかも知れない。というのは、このフランス革命は厖大な人命を毀損したからである。革命軍は反革命分子と目された人々を次々と殺害し、革命軍の苛斂誅求の厳しさに立ち上がった有名なヴァンデ県の農民反乱では、革命側は「焼き尽くし、奪い尽くし、殺しつくせ」を合い言葉に、50 万人からの殺戮を行ったという。
このフランス革命では、Matthew White 氏の研究によると150万人が犠牲になったのである。「大江戸エネルギー事情」など「大江戸」シリーズを著わした石川英輔氏は、フランス革命での虐殺ぶりについて、「これほどの命をかけて実現すべき正義など、どこにもない」という意味のことを述べている。まさにこれがわれわれ日本人の感覚だ。
中国には「易姓革命」という論理が、国家や王朝の設立論理となっている。ブリタニカの説明では、「天命によってその地位を与えられて天下を治めるが、もし天命にそむくならば、天はその地位を奪い、他姓の有徳者を天下とするという思想」としている。
清王朝は、明が徳を失ったからその地位を奪って天下に号令したという論理である。現在の共産党政権も、この伝統の易姓革命論理に縛られており、現政権の施策やその結果について、天命にそむいていると民が考えれば天によって政権を失うことを心配している。
強力な言論統制も一個人への権力集中も、何千年にもわたるこの国の国風というべきもので、歴代がこうしてきたのだ。こうして圧力釜のように圧を高めて統治しようとすればするほど反発が生まれ、さらに圧を高めなければならないことになって、ついには臨界点に達し易姓革命という大爆発を起こすのだ。現代もこの例外ではあり得ないのである。
ところが、わが国には「そのために、われわれは日本国に結集し、この国を統治するのだ」という「そのため」が存在しない。「そのため」を議論する機会があっても、それは議論しないのだ。1868年(明治元年)、新政府は「明治天皇が群臣をしたがえて天地の神々に誓約するという形をとって」五箇条の誓文を発した。したがって、ここにはなぜ王政復古をしなければならなかったのかが示されなければならなかったはずなのだ。
ところが誓文の第一条は、有名な「広く会議を興し万機公論に決すべし」であり、第二条は「上下心を一にして盛んに経綸(国家を治めととのえること・広辞林)を行うべし」というのだった。
これを「江戸幕府は広く会議を興さなかったから倒れなければならなかったのか」と読むのは適当ではない。そのような理屈は、もともと不用なのだ。なぜなら、わが国の立国理念は、「いままでも存続してきたから、今後も存続を続けるのだ」という「存続の理念」というべきものだからである。
一万年も続いた縄文時代には、集団戦の痕跡もなく、この時代の遺骨には戦いで傷ついた跡がないといわれるように、わが国では殺戮をともなう紛争は少なかったし、まして虐殺や殲滅をともなう戦争とは無縁であった。
しかし、それでは命を失う危険とは無縁であったかというと、残念ながら「洪水・土石流・土砂崩落・火山噴火・地震・津波」といった災害に繰り返し見舞われ、ここで多くの命を毀損したのだ。また、気象の気まぐれによる厳しい飢饉などで、集落や家族の存続が危うくなる経験を何度もしてきた。
突然襲い来る、人間ではどうしようもない大自然の力によって、何度も破壊が繰り返されると、「存続すること、そのまま長く続くことこそが尊く価値あるもの」と考えるようになったのだ。ところが、人間による人間への攻撃が厖大な命の損耗をもたらしたユーラシアでは、「なぜ彼らを滅ぼしたのか」「なぜ彼らは滅ばなければならなかったのか」についての物語は必然であったのだ。これが建国理念なのである。彼らは、支配の論理を示さなければ支配者にはなれなかったのである。
(月刊『時評』2019年1月号掲載)