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大石久和【多言数窮】

気象の凶暴化事象頻発とソフィア基準

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す (老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 最近の気象の荒れ方を見ていると、まさに凶暴化というのがふさわしい感がある。わが国では、西でも東でも土砂の崩壊や河川の氾濫によって命が数多く失われ、多くの家屋・財産が消失していっている。

 これは日本だけの現象ではなく、アメリカではハリケーンが繰り返し猛威を振るい、この10月にフロリダを襲った強風は広範囲の家屋を完全に破壊したのだった。また、この月の下旬には、テキサスでも河川が氾濫して大きな被害が生じた。

 ヨーロッパも例外ではなく、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルと次々に河川の氾濫に見舞われている。フランスでは、広大なブドウ畑が水没して今後の作柄が心配されているし、イタリアでも、異常降雨による河川氾濫が20名以上の人命を奪い、ベネチアが11名の死者を出すほどの記録的水深で冠水している。

 これらの現象が地球の温暖化の影響なのかどうかについては、議論がかまびすしいが、近年、気象が荒れてきていることは間違いなさそうなのだ。

 わが国ではこれに、頻発する地震が加わる。地震は予測不可能だから安易なことは言えないが、一部の専門家はわが国は地震の活動期に入ったと言っている。

 熊本での震度7も、北海道厚真町での震度7も、それぞれこの地域では経験したことのない強さだった。厚真町での地震による山腹崩壊は、この世のものとも思えない奇っ怪な景観を生み出したが、砂防の専門家によると、この震度では、こうした崩壊がどこでも起こりうると考えなければならないというのだ。

 われわれは、このような強さを持った外力に、いつでも、どこに居ても、遭遇する可能性がある。凶暴化の度合いがますますひどくなり、かつそれが頻発する時代にわれわれはいかに備えていくのかは、この国が直面する最大級の課題である。

 何より優先すべき準備は、「自然の気まぐれから人命や財産を守る」ということでなければならない。簡単に言えば、防災であり国土の強靱化なのだが、今この国で起こっている議論は「いかに逃げるか。そのために危険情報をどのようにして確実に危険が迫っている人に知らせるのか」に収斂しているといってもいい状況だ。

 高齢化が進み、少子化となり、特に地方部では壮年層が減少している現状のもとで、災害から逃げ切ることは難しい。助けることができる人が減り、助けられなければ助からない人が増えている状況の下では、年を追うごとに逃げ切る困難さが増大しているのだ。

 危険情報の伝達にも困難が伴う。あらかじめ十分な時間をとって危険情報を届けようとすればするほど、情報の空振り機会が増加して情報の信頼度が低下する。ところが、だからと言って災害発生直前に避難を指示しても、今度は間に合わないか、間に合っても避難そのものが危険な行動となりかねない。

 やはり「逃げる」の前に「防ぐ」は必須なのだ。近年われわれは、東日本大震災で想定外の外力を経験し、防ぐ用意をしていてもそれを超える災害が起こりうることを経験した。それでも、「防ぐことはできなかったが、津波の到達時間を遅らせたり、到達波高を下げたりすることができた」という事例もいくつもあったように、「防ぐ努力は想定外の災害に対して無力だ」と簡単に決めつけることはできないのである。

 「防ぐ」に議論の中心が向かわないのは、わが国の財政は危機的であるとの誤った認識が人々に埋め込まれてしまったからである。そうではないのだ。防災のためのインフラ整備そのものが、デフレ経済下にあるわが国の有効需要となって経済を成長させるのである。

 経済が成長しない限り財政の健全化など絶対に達成不可能だという認識を獲得できていないから、このような倒錯した議論しかできないことになっているのである。

 ところで話が変化するが、これだけ災害が多発しているのに、避難所の環境が改善されていかないのは政治や行政の怠慢の見本のようなものである。

 国際赤十字には難民避難のための「避難所の基準」があり、それは、ソフィア基準といわれている。その基準は以下の通り。

 ・一人当たり3・5平方メートルの広さを確保する。
 ・世帯ごとに十分に囲いのある独立した生活空間を確保する。
 ・最適な快適温度、換気と保護を提供する。
 ・トイレは20人に1つ以上。男女別で使えること。女性のトイレは男性の3倍以上。

 わが国の災害避難所は、この難民のための避難所基準を十分に満たしているだろうか。世帯ごとの独立した生活空間は、日本の災害避難では確保されているのだろうか。

 災害があるたびに避難している人たちの様子が報道されるが、囲いもなく着替えもできない状況だし、堅い木の床に直接布団を敷いていて、これでは節々が痛むだろうなと同情を禁じ得ない。何十年も前の避難所の環境から何の進歩もしていないではないか。

 段ボールでできたベッドが好評のようだが、これが避難所の標準装備となっているというにはほど遠い状況だ。全国に装備レベルの高い避難所を数多く整備して、それを普段は「体育館に使ったり、集会所に利用したりする」という逆の発想が必要なのだ。

 そこには、安心して避難するための(避難したくなるような)用意が必要だ。

 ・プライバシーの確保された空間を簡単に用意できること。
 ・段ボールベッドのような体に優しい睡眠環境があること。
 ・煮炊き炊飯ができる空間があること。
 ・ソフィア基準を上回るトイレが装備されていること。
 ・臨時の医務室が設置できること。

 気象の凶暴化に対し、アメリカなどが防災事業費を倍増させてきたのに、ひたすら削減し続け、直近では20 年前の半減以下にした国に、こうした用意ができるのだろうか。
(月刊『時評』2018年12月号掲載)