2023/02/21
末松 近年では多くの大学が多様性と包摂性を掲げていますが、貴学はこの点いかがでしょう。
千葉 ユニバーサルデザインの観点から大いに問題なのですが、歴史が長いぶん建物が古くて3階建てでもエレベーターの無い棟がいくつかあります。後付けするより、いっそ全部建て替えることも検討しています。あらゆるコンディションの人たちが力を発揮できるような環境を整備していくべきであり、大学が先導して整備することが対外的に広くメッセージを発信することにもなります。
また、農学部の学生は男女比がほぼ半々、工学部としても在籍する女子学生比率の高さは日本でトップレベルなのですが、問題は教員に女性が少ないことです。これは、そのうちだんだん増すだろうというような考えでは解決できないため、採用に特別枠を設けて意図的に女性を増やすよう制度改革を行い、管理職登用の道も広げています。多くの女性が研究者や教職員になるとどのような効果がもたらされるのか、そのイメージを大学全体で共有していかないと単に数合わせで終わってしまいますので、変革によって得られる効果を想定することが重要です。この課題を乗り越え、そもそも数や比率などの観点は不要となる社会の実現を目指すべきでしょう。
末松 「ディープテック産業開発機構、イノベーションガレージの設置」という取り組みが進められているとお聞きしました。これはどのような内容でしょう。
千葉 理系の国立大学の多くが産学連携を行っており、大学内にいくつも部門・分野別の組織や基金を立ち上げていると思います。本学も以前は5カ所ほど分散設置していました。しかし外部の企業から見ると、どこにアクセスすべきなのか曖昧で判然としません。また研究開発から特許取得、人材養成からベンチャー育成までプロセスは多岐に分かれますが、本来は一気通貫であるべきです。
そこで22年度から、学長直下に教学統括副学長を置き、そのもとに全ての機能を一元化しました。この組織体系が「ディープテック産業開発機構」です。教学統括副学長には全部のプロセスが見えています。
末松 学部の枠、垣根を超えたわけですね。
千葉 はい、例えば私が民間企業の社長さんと新しい事業のアイデアを得ると、それを副学長に下ろし、さらに副学長の下に各種専門的部門を背負ったチームを揃えています。言わば学部の別なく、全学マターに関わることが一元的に集約される仕組みになっています。
必然的に建物も必要になることから、小金井キャンパスにイノベーションガレージを設置しました。アイランドキッチンや飲食スペース、意見交換の場としての掘り炬燵なども設置して、皆で談論風発するという場を用意しました。機械の試作室もあり、企業関係者も自由に来てもらってアイデアを出し合う空間になっています。農学部のある府中キャンパスにも個性あるフィールドを設ける必要があります。こうした空間から新しい発想が生まれ、人材も発掘できるのではと期待しています。
学生もこの仕組みを活用することができて、スタートアップに向けたトレーニングの専門家もおります。既に外部のコンペなどで優勝するケースも出始めており、そうすると資金供給のチャンスも広がってくるので、さらにその先、大学と民間企業による認定ファンドの組成までもっていくつもりです。今その申請を行っているところで、認定されればおそらく日本最初のケースになると思われます。
末松 この取り組みこそ、まさに公益性と事業性の両立の体現とも言えますね。
千葉 そうですね、事業性が無いと社会に広まりませんし、携わった人には正当な利益がもたらされる構図にしないと民間企業も動きません。ただ、方向性としては公益性が重要で、そのための事業モデルや社会システムを作るのと連動してサイエンスが存在する、そういう枠組みを私は想定しています。従って社会システムが構築されていないと、サイエンスをいくら深堀しても公益性や事業性につながりません。
自身の起業経験を生かして
末松 千葉学長がこうした新機軸を次々と打ち出していく背景についてお聞かせください。
千葉 私自身、有機化学の研究者としてスタートし、長年フラスコを振る世界で生きてきました。その後17~8年前にペプチド医薬の合成に関するスタートアップ企業を立ち上げたところ、これが私自身にとっても大きな転機となりました。ベンチャーが成長するプロセスを一通り体験したのはもちろん、人様から投資をいただくということは大変な責任を負うのだと改めて実感しました。しかし自分の目指す事業を実現するためには、そうした責任を負うことも不可欠な一部なのです。他にも仲間の大事さや外部的信用の重要性なども学びました。こうしたプロセスや思考は、国立大学においても必要だと強く認識しています。それが今回、学長就任という機会をいただいた以上、この経験を生かして大学もかくあるべきだという考えから、本日お話させていただいた構想を形にしてきた、という次第です。
末松 千葉学長から見て、学内の先生方に対し起業家の視点からアドバイスを送るとしたら、どのようなことを伝えますか?
千葉 新たなシーズを得ると、すぐにベンチャー指向へ走りがちですが、「そう簡単なものではない」とお伝えしながら、自分自身の経験を生かしてさらなる磨き上げを行います。また、結局のところ自分自身に人間力と言いましょうか、人を惹きつける力が無いと成り立ちません。そして、当人の覚悟や責任感も不可欠です。技術課題も重要ですが、むしろそういうところからアドバイスしています。ちょっと出過ぎている感もありますが(笑)。
末松 間もなく迎える創基150年に臨んでご所感をお願いします。
千葉 創基の舞台となった新宿御苑で150年前に思いをはせるイベントを企画しています。とくにOB、OGがそれぞれ産業界で取り組んでいる事業や製品について、さらなる拡大を目指しながら学生とOB、OGのつながりを深めようと考えています。食品でもお酒でも本学らしい分かりやすい製品をシェアし、さらに世に発信する取り組みを行う、それを150周年事業として実施する予定です。
末松 本日はありがとうございました。
学長自ら、社会に有用・有益な研究を提供する、そのためには資金を集めて研究に役立て、成果を還元するという明確な方向性を掲げておられるのは、これからの国立大学に求められる姿を先取りしているように思います。そのために大学内外の関係者と対話を重ねるプロセスが必要と文中で解説されたように、やはりトップ自ら理解を得るための努力を払うことが不可欠です。いかに崇高な理念もトップ一人だけで抱えていては実現は難しく、それを支える多様な理解と目標の共有が重要だと改めて実感しました。
また国際展開を継続する一方、地域に目を向ける姿勢も注目すべき点です。地域経済においてもイノベーションを創出する知の集積が地元にあるのですから、産学が協同して地域の未来を考えていく姿勢は素晴らしいと思います。
そしてCO 2 の吸収源としての土壌の活用は非常に実用化が期待されるプロジェクトです。この構想は産業界においても潜在的なニーズが高いと想定されるので、今後の産学連携における重要なテーマに位置付けられることを願ってやみません。今のカーボンクレジットは排出企業が量を抑制することによってクレジットが生じる仕組みですが、抑制はいずれ限界が来ます。したがって吸収系のクレジットを新たに確立するのは世界的な意義があると言えるでしょう。
大学では研究に没頭しがちな先生もおりますが、常に社会還元を念頭に公益性と事業性の両立を明確に掲げている千葉学長が次に打ち出す構想が大いに楽しみです。
(月刊『時評』2023年1月号掲載)
すえまつ・ひろゆき 昭和34年5月28日生まれ、埼玉県出身。東京大学法学部卒業。58年農林水産省入省、平成21年大臣官房政策課長、22年林野庁林政部長、23年筑波大学客員教授、26年関東農政局長、神戸大学客員教授、27年農村振興局長、28年経済産業省産業技術環境局長、30年農林水産事務次官。現在、東京農業大学教授、三井住友海上火災保険株式会社顧問、等。