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【末松広行・トップの決断】塚本恵(キャタピラージャパン)

日本に適した社風と先端技術で建機産業をけん引

つかもと・めぐみ 早稲田大学大学院公共経営研究科修士。昭和60年日本アイ・ビー・エム株式会社入社、平成7年同社政策渉外/IBM Corporation Governmental Programs Global Leadership Team兼務、27年キャタピラージャパン株式会社入社、29年キャタピラージャパン合同会社代表執行役員/渉外・広報室長。
つかもと・めぐみ 早稲田大学大学院公共経営研究科修士。昭和60年日本アイ・ビー・エム株式会社入社、平成7年同社政策渉外/IBM Corporation Governmental Programs Global Leadership Team兼務、27年キャタピラージャパン株式会社入社、29年キャタピラージャパン合同会社代表執行役員/渉外・広報室長。

油圧ショベルからブルドーザーなど、建設機械から発電機まで、幅広く世界で展開し、日本に油圧ショベルの開発拠点およびマザープラントを持ち、世界に輸出するキャタピラー。日本における同社は60年近くの歴史を有し、日本の高度経済成長を建機の面で支えてきた。そして現在も、明石の製造拠点からは日々、多くの建機が輸出されている。国内の担い手不足が深刻化する中にあって、デジタル活用と多様性の実現のために女性の参入を目指し、幅広に活動する模様を、塚本代表執行役員に語ってもらった。

キャタピラージャパン合同会社
代表執行役員 渉外広報室長
塚本 恵

実直な社風で日本に定着


末松 キャタピラーさんのお仕事と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、世界各国で油圧ショベルなどの各種建設機械を製造・販売する、グローバル企業としての姿です。世界のビジネス環境は刻々と変化していきますが、御社を取り巻く直近の状況はいかがでしょうか。

塚本 キャタピラージャパンはご指摘の通り、キャタピラーグループにおけるグローバル企業の一つとして多様な展開を図っています。1963年から2012年まで、三菱重工さんと50%ずつ(2008年以後比率を変更)の合弁会社を形成していました。そのため、企業カルチャーとしてはかなり日本的、と言っても差し支えないと思います。
 キャタピラーは米国イリノイ州のピオリアという人口11万人ほどの都市が、2018年に本社をシカゴに移すまで、90年以上本社となっていました。そのため、東西両海岸の企業と違い実直と言うのでしょうか、社内的にもチームワークやコンセンサス、インクルーシブルを重視する社風です。三菱重工さんと早くから長きにわたって良好な関係性を構築してきたのも、日本の製造業と感覚的に近しいものがあるからかもしれません。
 今回のコロナ禍に対しても社員とその家族、そしてお客さまの安全を第一に考えました。が、工場が止まるわけではありません。現場で働く人々をエッセンシャル・ワーカーと捉え、グループ制を導入するなどしてラインを維持し、その一方、オフィス・ワーカーは本社を含めできるだけ在宅勤務を徹底しました。

末松 それはキャタピラージャパンにおいても同様に?

塚本 はい、横浜に本社を、明石に事業所を設けているのですが、オフィスでは昨年2月末段階から在宅を推奨してきました。一方、工場は本社同様に製造ラインを止めることなく機能を維持しています。ただ、グローバルに見ると例えばインドなどロックダウンに踏み切った国・都市ではやはり工場もストップせざるを得ず、その場合、州ごとに許可を得て調整を図る等の対応に迫られました。そうした厳しい措置に比べると、日本政府のコロナ対応は、ビジネスにも配慮をしていただいており、私どもとしては大変助かっています。

末松 サプライチェーンへの影響はいかがでしたか。部品の供給などに支障があったのでは。

塚本 日本においてはコロナ禍以前から、神戸港等に台風が襲来するなど自然災害への対応が迫られていたため、緊急時のサプライチェーン維持については平素から備蓄を用意しておくなど一定のノウハウがありました。今回はそうした危機対応の経験が役に立ったと思います。

(聞き手)末松広行
(聞き手)末松広行

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