2024/09/26
高等教育への公財政支出が乏しい日本
今現在、科学技術イノベーション政策における人材育成に携わる立場として、研究者・技術者の育成につながる大学での理系の人材育成、また初等中等教育における理数教育という観点で、背景と文部科学省の取り組みをご紹介したいと思います。
日本の少子化・高齢化は周知の通りで、18歳人口の減少も顕著です。大学志願者のうち入学者の割合は95パーセントまで上がり、選り好みしなければほぼ全入できる時代となりました。一方、25歳以上の学士課程入学者や30歳以上の修士・博士課程入学者の割合は低く、一度社会に出ると大学に戻って学ぶ機会はほとんどありません。実際、企業の有業者のリカレント教育の実施割合は13パーセントと少なく、大学は高校の次の教育機関であり、社会人が行く所ではないと認識されています。大学研究費の民間負担率も世界最低レベルで、企業の研究開発を担う相手とは思われていません。高等教育の公財政支出もOECD平均に比べると最低レベルで、国としても大学に投資しておらず、その差は個人や家計が埋めているのが現状です。
これは日本の税金の国民負担率が比較的低いことに関係しています。社会保障の負担が大きい国は支出も多いのですが、日本は国民負担が低いのに社会保障支出が中程度。1990年から2019年にかけて全体予算は約33兆円増えていますが、公共事業や教育、防衛などの予算は大体同じです。30年もの間、教育や人材投資への予算が増えていないのです。
世界各国が科学技術への投資を増やす中、日本は現状維持に留まっているため相対的に日本の地位は低下し、企業の国際競争力も落ちています。そこにコロナショックが起き、従来からの社会課題が顕在化・加速化しました。ワクチンの開発・製造や社会のIT化への対応など、最新の科学技術をいかに社会に適応・実装していくかという競争が激化する世界において、日本の後れが指摘されています。
特に科学技術・イノベーション力、論文力の低下が見られ、危機感が高まっています。論文数のランキングで近年日本の順位は著しく低下しており、論文のシェアも各分野で順位を下げ、特に計算機・数学などエンジニアリングの分野で顕著です。デジタル教育についても、GIGAスクール構想等が始まる前のデータでは、デジタル授業の十分な準備期間の有無等、環境整備面すべてで世界最低レベルです。
一方で日本の教員が教鞭をとる年間平均日数は世界と比べて最も多く、時間内に仕事が処理しきれないという教員が6割以上もいます。教員は〝ブラック〟であると認識され、採用倍率も下がっています。環境整備にも人材育成にも投資が足りていないことの表れでしょう。
厳しい状況ですが、期待できる面もあります。15歳段階の国際的学習到達度調査(PISA)では読解力や数学的リテラシー、科学的リテラシーの分野で日本はかなり上位にいますし、国際成人力調査(PIAAC)では世界トップです。大人も子供も読解力や数的思考力に優れており、日本の人材力はまだまだ強い。その人材をどう使うかが飛躍の鍵だと考えます。
少数ながら活躍している博士課程修了者
社会課題や環境問題に取り組む企業で働きたいという若者は多くいますが、社会課題解決には最先端技術を使ったイノベーションの創出も必要です。そこで注目されるのがSTEM(Science, Technology, Engineeringand Mathematics) 分野ですが、大学入学者に占めるSTEM分野、いわゆる理系の割合は20パーセント未満です。中3の進路選択では文系理系が半々で、高校1年の時点では科学的・数学的リテラシーの高い生徒が全体の約4割います。それが高3になると文系が増え、結果的に理学工学農学系の割合が諸外国に比べると非常に低いという状況になっています。
学位取得者数は修士も博士も圧倒的に低く、諸外国では人口100万人あたりの博士取得者数が増加しているのに日本では減少傾向にあります。米国と比べると、米国では経営者の最終学歴は7割近くが院卒なのに対し、日本はほとんどが学士卒です。上場企業の管理職では米国の上場企業の5割前後が院卒ですが、日本企業だと1割ほどです。
一方で日本の大学発ベンチャー企業は人材の2割前後が博士人材です。また博士課程を卒業した人は学士卒と比べて特許出願件数とその被引用件数が高い傾向にあります。現在、博士課程修了者を採用している企業は少ないながらも、その人材が非常に活躍していると実感している企業が多いという実態もあります。単純に高学歴がいいのかとか、今の大学教育が社会ですぐ役立つのか等の議論はありますが、深い知識のある人とすぐ社会に出た人とでは差が出てくるのでしょう。
若者の多くは自己肯定感が低く、自らの行いで社会を変えられると思っていないというデータがあります。彼らが大人になり、働きがいを持って社会で仕事をしていけるようにするためにも、状況を変えていくべきです。ところが解決策の一つである大学側は充分な教育を提供しているとは言えません。教育効果や、教育が労働市場のニーズに合致しているかという指標では、日本は世界最低レベルです。今まで大学は、先の見えない社会を創る、社会を変えるという機能を期待されていなかったため、人やお金の投資が十分でなく、体制を整えてこなかったのです。
「教育・人材育成ワーキンググループ」
日本の科学技術・イノベーション政策は、科学技術・イノベーション基本法に則って進められており、5年に一度、科学技術・イノベーション基本計画を策定しています。昨年4月に開始した基本計画はコロナを受けた社会状況の変化等も踏まえ、『国民の安全と安心を確保する持続可能な強靱な社会』と『一人ひとりの多様な幸せ(wellbeing)が実現できる社会』を目指す社会と設定し、Society 5.0の実現を目標としています。
具体的には、探究力や学び続ける姿勢など人材育成の抜本的強化が必要であるとして、『一人ひとりの多様な幸せと課題への挑戦を実現する教育・人材育成』を重要な柱の一つに位置付けています。これを受け、総理をトップに関係閣僚や有識者で構成される総合科学技術・イノベーション会議のもとに「教育・人材育成ワーキンググループ」(座長:藤井輝夫・東京大学総長)が設置され、議論を進めています。年度内に最終取りまとめを行う予定で、政策パッケージをまとめ、今夏の予算要求に入れ、再来年度から本格的に開始される予定です。中間まとめでは、これまでの大量生産・大量消費中心の工業化社会から、新しい価値やイノベーション創出を求められる現在という社会構造の変化を受け、探究力と学び続ける姿勢を強化する新たな教育・人材育成システムへの転換のための具体的な検討を進めています。
また、多様性への対応という問題も取り上げています。小学校の1クラス35人中、発達障害を持つ人は約2・7人、特異な才能のある子どもは約0・8人、不登校の子供が0・4人、不登校の傾向のある子どもは4・1人いるという分析結果が出ています。また、家庭にある本の冊数や、家で日本語を話す頻度が子どもの学力に影響を及ぼすことがわかっています。本が約10冊しかない家庭は35人中10人、家で日本語を話さないという子どもは35人中に約1人の割合でおり、すでに非常に多様な子どもたちが教室にいるという現状です。教員は個々の子どもに合わせた対応を求められ、結果としてさらに忙しくなっています。今までと同じ授業スタイルでは限界がきており、対応策が必要です。