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「ビジネスと人権」の取り組みの国際潮流/経済産業省 柏原恭子氏

ビジネスと人権の適切な関係はどう在るべきか

かしわばら きょうこ/東京都出身。東京大学法学部卒業。平成6年通商産業省入省。平成27年経済産業省通商政策局国際経済課長、令和元年特別通商交渉官、令和2年貿易経済協力局総務課長、令和3年大臣官房サイバー国際経済政策統括調整官、通商政策局通商戦略統括調整官等を経て、令和4年7月より現職就任。
かしわばら きょうこ/東京都出身。東京大学法学部卒業。平成6年通商産業省入省。平成27年経済産業省通商政策局国際経済課長、令和元年特別通商交渉官、令和2年貿易経済協力局総務課長、令和3年大臣官房サイバー国際経済政策統括調整官、通商政策局通商戦略統括調整官等を経て、令和4年7月より現職就任。

2011年、国連人権理事会において「ビジネスと人権に関する指導原則」が承認され、いかなる企業にも人権を尊重する責任があると明記され、具体的方法として「人権デュー ・ディリジェンス」が規定された。特にグローバル企業は国際的な基準等に照らし、その行動が評価される世界的気運が高まっている。その潮流にどう対応していくのか、ビジネスにおける人権尊重の考え方はどう在るべきか、柏原統括調整官に語ってもらった。

                経済産業省大臣官房ビジネス ・人権政策統括調整官
                                通商政策局通商機構部長
                                    柏原 恭子氏

経産省から見た人権問題

 近年、国際的に〝ビジネスと人権〟の問題に対する関心が急速に高まっており、各国が制度強化を進めています。  まず、国家に人権を守る義務・責任があるという議論が国際的に始まったのは1948年の国連総会で「世界人権宣言」が採択された頃です。その後1980年代に活発化した多国籍企業のビジネス活動による人権侵害が社会問題化してから、何十年も、国家だけでなく企業にも人権尊重の責任を課すべきだという議論がなされてきたわけです。

 2011年、国連人権理事会で「ビジネスと人権に関する指導原則(以下、国連指導原則)」が全会一致で承認されました。国際文書として初めて企業の人権尊重の責任を明記しており、一、まず国家に義務があること。二、企業にも責任があること。三、被害者への救済を用意しなければならないこと、と整理しています。さらに、企業に求める取り組みとして「人権デュー・ディリジェンス」を提示しました。人権リスクを特定し、防止・軽減を図って情報を開示する一連の対策のことです。

 国連指導原則は今やビジネスと人権の分野で必ず参照されるバイブルのような存在ですが、OECD(経済協力開発機構)の「多国籍企業行動指針」においても、2011年の改訂で企業が人権デュー・ディリジェンスを実施すべきという内容が盛り込まれ、その実施のためのステップ・バイ・ステップのデュー・ディリジェンスガイダンスも発行されています。多国籍企業行動指針は今年6月にさらに改訂され、具体化されています。例えば人権デュー・ディリジェンスは〝リスクベースで実施する〟と記載されました。企業は人権侵害リスク(負の影響)の深刻度と発生可能性を特定し、優先順位をつけて取り組むべきという意味です。デュー・ディリジェンスを行う際の対象となるビジネスの範囲については、サプライチェーンの上流から下流、つまり自分の商品が顧客にどう使われるかまで確認すべきと明記されました。さらに、ILO(国際労働機関)の「多国籍企業宣言」も2017年の改定でビジネスと人権に関する記載が追加され、国連指導原則・OECD多国籍企業行動指針・ ILO多国籍企業宣言の三文書を〝国際スタンダード〟と呼んでいます。

 経済産業省では〝ビジネスと人権〟への取り組みが日本の産業の国際競争力に直結するとみて、2021年7月に「ビジネス・人権政策調整室」を設置しました。日本産業界が人権保護の取り組みを適切に進めることのできる環境を整えることはもちろん、そのことを通じて、投資家や取引先から正当に評価されることも目的です。私はこの時から同時に新設された「大臣官房ビジネス・人権政策統括調整官」として、この新しい政策領域に取り組んできました。

国際潮流と日本の立場

 G7(主要国首脳会議)で初めて本格的に強制労働の問題が議論されたのは、2021年の議長国イギリスが立ち上げた貿易大臣会合においてです。経済産業省からは萩生田光一経済産業大臣(当時)が出席しました。サプライチェーンにおける人権侵害排除の重要性や、それに向けた国際協調の呼び掛けを発信すると共に、企業が萎縮することなく人権尊重に積極的に取り組めるよう、先行きが見通しやすい公平な競争環境の整備を提案して、各国から賛同を得ています。

 日本が議長国をつとめている今年のG7でも貿易大臣会合を開き、改めて相互協力の強化を確認しました。G7各国政府の「ビジネスと人権」に関する専門家のネットワークを通じて、関連規制や政策についての情報交換を加速させていくことにしたのです。

 このような方針の一環として、日米間では、今年1月、西村康稔経済産業大臣とキャサリン・タイ米国通商代表が「日米タスクフォースに係る協力覚書」に署名しました。日本の経済産業省と米国通商代表部(USTR)が議長となって、関係省庁が加わる体制をとります。覚書には、この枠組みを通じて日本産業界と米国規制当局とが対話できる機会を作っていくという展望も書きこみました。

厳しさを強める米国

 従来、強制労働の排除を目的とした輸入規制は北米を中心に進んできました。2020年7月に発効したUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)に同趣旨が含まれており、米国・カナダ・メキシコでは強制労働由来の製品の輸入を規制しています。

 米国では、古くは1930年の「関税法」で強制労働由来の製品を輸入禁止していましたが、〝消費需要例外〟条項により、国内需要を賄うための製品については禁止対象から除外していました。人権保護の気運の高まりによってこの例外規定が2016年に撤廃され、政府による輸入差し止めが急増しています。また、同年には標的型人権制裁の一種である「グローバル・マグニツキー法」が制定され、人権侵害や汚職に関与していると判断される外国人・組織の入国禁止や米国内の資産凍結という措置がとられるようになりました。

 さらに2022年に施行された「ウイグル強制労働防止法」は、ビジネス活動を遡って製品のごく一部でも新疆ウイグル自治区において採掘・生産・製造されたものは強制労働に依拠しているとの〝推定有罪〟で米国への輸入を原則禁止するという内容です。米国政府が今年3月に公表したウイグル強制労働防止法の執行に関する統計データによれば、2022年6月に同法が施行されてからの輸入差し止めは既に5000件近くに迫ります。主に電気・電子・繊維・工業材料の差し止めが多く、特に太陽光発電製品に使われるポリシリコンなどは重点ターゲットになっているようです。輸入貨物を差し止められた場合、企業側が人権侵害に該当しないことを立証するまでは通関されません。過去に日本企業でも間接的にウイグル人権問題に関わっているという理由で差し止めを受ける事案が発生しましたが、日本企業側の異議申し立ては却下されました。サプライチェーンは長く複雑なのでビジネスにおける守秘義務や契約における義務がある中、最上流まで遡って立証することは難しいケースも多いでしょう。そもそも〝ないこと〟の証明は容易ではありません。差し止め対象となってしまった企業は相当重い証明責任を負うのです。

 さらに、輸入だけでなく輸出の制限をする動きもあります。米国のジョー・バイデン大統領が主催した「民主主義のためのサミット」では輸出管理が議題の一つとなりました。第1回が2021年12月に、第2回が2023年3月に開催され、参加国で製造された製品や技術が輸出先で深刻な人権侵害に使われないように管理体制をつくろうという政治的コミットメント「輸出管理と人権イニシアチブの行動規範」が合意に至っています。これには日本も賛同し、国際議論の行方を見ながら今後の対応を考えていくことにしました。

ヨーロッパも規制を強化

 2022年2月に欧州委員会が公表した「EU企業持続可能性デュー・ディリジェンス指令案」は、EU市場で一定の利益を上げている企業等に人権デュー・ディリジェンスを義務化する内容です。現在はトリローグと呼ばれる欧州理事会・欧州議会・欧州委員会との3者協議が山場を迎えており、2023年中には合意に至る可能性もあります。

 続いて同年9月には「強制労働産品禁止規則案」も公表され、欧州理事会・欧州議会でそれぞれ議論が始まりました。強制労働に間接的にでも関わる製品は輸入も輸出も流通も禁ずるという法案です。これまで企業に人権尊重の取り組みを義務付ける手法が中心だったヨーロッパが、米国のように政府による水際での規制を新たに取り入れるという変化は注目に値します。

 EU全体での動きに先行して、メンバー各国では国連指導原則をベースに独自の法を制定する動きがあります。今年1月に施行されたドイツの「サプライチェーン法」は、企業に対して人権・環境問題への取組実施およびその開示を義務付けており、違反した場合には罰金や公共調達に入札できなくなるなどのペナルティが科されます。

 他方、イギリスの「現代奴隷法」は人権デュー・ディリジェンス実施状況の開示を義務付けてはいるものの、デュー・ディリジェンス実施義務は規定されておらず、違反した場合の罰則もありません。フランスが施行した「企業注意義務法」は、人権デュー・ディリジェンスの実施を義務付けてはいますが当局による罰則はなく、ドイツとイギリスの中間形と言えます。

(資料:経済産業省)
(資料:経済産業省)