2024/08/01
私の父は税関の職員でした。仕事熱心でしたが、時折、自分の人事や公務員制度について不満をこぼしていました。子供の頃の事ですから、その内容は良く分からず、漠然とそんなものかなあと思っていました
1966年大蔵省(現・財務省)に入省後、67~69年にかけて英国オックスフォード大学に留学したのですが、その間68年にいわゆる「フルトン・レポート」、すなわち英国公務員制度改革についての報告書が発表されました。各国の制度を比較検討し、自国の制度に落とし込んだ内容で、その後英国は同レポートに則って公務員制度の大改革を行ったのです。私は、これはわが国にとって参考になると思い、帰国後に同レポートの内容を大蔵省広報誌『ファイナンス』(1970年7月号)に紹介しました。
そして後年、国土庁の官房長、事務次官を務めた90年代後半、政府は省庁再編を軸とする〝橋本行革〟に突入し、国土庁は運輸省、建設省、北海道開発庁と共に統合の対象となり、これらは国土交通省の一部となりました。私の官僚人生の最後の3年間は、それへの対応にかなりのエネルギーを割かざるを得ませんでした。2000年夏に退官しましたが、この省庁再編は2001年1月に実施されました。2002年に上梓した書籍『役人道入門』、18年に刊行した同新装版でも公務員制度に触れています。ある意味私にとって公務員制度改革は、50年以上追い続けてきたテーマであると言えるでしょう。
霞が関の地盤沈下、機能低下は、よく言われるようなここ数年の傾向ではなく、もっと長期的なものです。これは1990年代半ばからほぼ四半世紀にわたり徐々に進展してきたものであり、それが近年の内閣の人事権の強化などの制度改革もあって一層顕著になってきたものだと捉えています。
象徴的なのは94年6月に誕生した「自、社、さきがけ政権」です。この時期から、政党のいかんを問わず「官」と「政」との関係で、「政」が優位に立つとした考え方が強くなりました。本来、両者の関係は上下の関係ではなく、役割分担の関係のはずです。役所によっては、この問題をめぐって大臣と事務次官が著しく対立することもありました。その頃盛んに報道された「公務員の接待」問題もこの傾向に拍車をかけました。
あまり言及されませんが、96年11月から発足した橋本内閣による省庁再編が、いろいろな意味でわが国に大きなダメージを与えたと思います。
一連のいわゆる橋本行革は幅広い分野にわたりますが、そのうち、大学改革や特殊法人の独立行政法人改革などはそれなりの成果を挙げたように感じます。しかし、省庁再編はそうではありません。当時、われわれに与えられた命令は、「行政の仕事の内容についてはそのままにして、省庁の数を減らせ」ということでした。われわれ、即ち当時の省庁の幹部達は反対でした。その理由は、もし省庁の改編に着手するというのであれば、必要なのは放置されてきた省庁による行政の内容であって、省庁の数の話ではない、これではコストがかかるだけであり無駄であるということです。省庁のプレートの書き換えだけでも70億円か120億円の予算が必要という試算があると言われていました。
しかし、それが政府の方針だというのですから仕方ありません。自分の組織がなくなるかもしれないということであれば、誰でもその保全に努力します。結果として90年代後半、霞が関のトップ達は約3年にわたり省庁再編の仕事に忙殺されました。1997年夏に国土庁の官房長となり、99年夏に同次官となった私は、2000年夏に退官するまで、まさにその渦中にいました。後で考えてみますと、実はこの時期、わが国の金融制度は大きく揺らいでおり、政策課題としてバブル崩壊後の経済立て直しや当時発生した金融危機への対処に全力を挙げるべき時期でした。政治としては、この大変な時期に、省庁の数合わせではなくわが国の最大のシンクタンクである霞が関の官僚の知恵を最大限に活用して今後に備えるべきだったのです。現在に続く日本経済の停滞の原因は、この時期の失敗にあるとも言えます。
次の小渕恵三総理の時代に、再編により消滅する予定の省庁の次官11名が官邸に呼ばれ、何故合併後の新しい省庁が望ましいのか、それに伴うメリットは何なのか、その為にどういう作業をしているのかについて、新しい省庁ごとに一枚のメモにまとめるようにという宿題が官邸から出されました。多分、この単なる数合わせの省庁再編に、小渕総理自身が疑問を持たれたからであろうと思っています。この宿題の申し渡しの場で、ある省の次官が「そんなこと(何故これが望ましいのか)はあなたの前任者(橋本総理)に聞いて欲しいと言いたいですナ」と発言しましたが、これは当時の雰囲気を良く表していると思います。
省庁削減は、国の政策決定において重要な機能の低下を招くことになりました。経済企画庁、国土庁など、国の基本的な政策を企画する独立した官庁が無くなったことは国のこの機能を低下させ、長期的な観点から経済政策や国土政策がいかにあるべきかを考える人材の育成を難しくしました。専門分野に特化した官庁があったということは、専門の知見に秀でた官僚が育ったということです。例えば国土庁は国土交通省に吸収され、その機能は形の上では残ったことになりましたが、建設、運輸といった現業を担当する部門に注目が集まり、相対的にわが国の国土の望ましい姿や土地や水資源のありようなどを長期的に計画する政策の企画機能が軽んじられる傾向がみられるようになったように感じます。
一方で、現状を見ると新たな官庁や委員会が次々と設立されています。新しい組織を作ればそれでうまくいく、と考える人が増えているようですがそうではありません。大事なのはそれが何故必要なのか、そこでどういう仕事をするのかということであり、それを十分検討することが大切だと思います。
このような過去四半世紀にわたる政治の優位、官僚の軽視の結果、わが国は三つの大きな問題を抱えているように思います。
一つは政策の質の低下です。官僚組織という日本における最高のシンクタンクが活用されていないのですから、当然の結果です。聞くところによると、政府の審議会の委員などに各省庁の幹部を経験した官僚OBを任命してはいけないという、2009年のルールが未だ運用されているそうです。例えば、国の税制のあり方を検討する税制調査会に、何十年もの間わが国の税制はいかにするべきか考え、検討し、研究し、実施してきた者の知見を活用できないということではどういうことになるのでしょうか。
二つ目は、国会における議論の質の低下です。「政府委員」が廃止され、国会での正式の答弁者が大臣、副大臣、政務官といった政治家だけとなってしまいました。これによって、国会における議論がかなりあいまいになったように感じています。これは国民が、国の政策の内容やその考え方を厳密に知る機会が減ったことを意味します。この制度の変更は、与野党を問わず幅広い政治家の支持により採択されたと記憶しています。帰結として国会での議論がかなりアバウトなものになりました。
三つ目は、国のリーダーの発見と育成機能の低下です。役所は国のリーダーの重要な供給源という側面を有しています。霞が関の軽視は、そこで働くことの魅力を減少させ、政策を立案する公務員の質の低下に繋がったように思います。この機能が低下すると国の指導的立場に就く次代の人材が途絶えてしまいます。
これら三つの問題点の背景として、次のような点が考えられます。
第一は、霞が関がわが国最大のシンクタンクであることへの認識が不十分ということです。前述のように官僚OBを会議の委員に任命しないというのは、所管業界への癒着の回避ということかもしれませんが、国としてはむしろその有する知的蓄積を十分に活用することを考えるべきでしょう。
第二は、根底に政と官の役割分担に対する理解不足があります。政は政治的決断を下し、官はより良い決定に資する方策を提案するという役割分担のはずですが、両者の関係は主従、上下関係にあると捉えられがちです。近年は政治は官に指示する、官は政治に従うだけという傾向が強くなっているように思えてなりません。そうではなくて、官は多角的な観点で検討したさまざまなプランについてそれぞれメリット・デメリットを明らかにし、その内容を政に説明するなど、むしろ政に対し積極的に意見具申すべき立場です。決断を下す政の側が、自分の気に食わない結論を言う者の意見に耳を貸さない、そういう人物には人事をもって報復するというようなことになれば、この機能は働かなくなります。
第三は、政官関係の実態が広く知られていないことです。特に、政権政党と官との関係です。私も国会議員や党の委員会でいろいろな要求をされたものです。私の次官時代に、国会等移転審議会によるいわゆる首都機能移転先の候補地に関する答申が出されました。その際、ある地域を候補地に選定するよう政治の側から強い働きかけがありました。ある有力な政治家からは、「答申にこういうことを書かないと、今後国土庁の法案は絶対に国会に提出させないぞ」と脅されました。専門家による長年の検討、審議の結果を枉まげるわけにはいきません。どうしてもそうせよということであれば、その要求を拒否してその事実を公表して次官を辞める覚悟をし、秘かにその準備をしました。これは官房長であった時の話ですが、ある省の大臣が自己の過失で国会の答弁に失敗しました。その翌日か翌々日の大雪の降った朝8時に全省庁の官房長20人余りが与党の国会対策の関係者に党本部に集められて「最近、役人の大臣への説明の仕方が悪い」といわれなき叱責を受けました。われわれの説明が不十分だからそういうことが起こったというのです。八つ当たりであり、一種の「いじめ」だと思いました。霞が関の幹部は、こういう状況にあっても、法の適正な執行、国民の法の下における平等といった目に見えない「国益」の確保の為に汗をかいているのです。こういうことについてもう少し国民の理解があって良いのではないかと思います。
前記のように、政と官の関係性についてマスコミ報道が実態を正しく伝えてないことが、国民から官僚に対するイメージ形成に大きな影響をもたらしたと言えるでしょう。私は、2002年7月、当時都市基盤整備公団の副総裁としてその任期途中でしたが、思うところがあってヘッド・ハンティングに応じ、これを辞して民間部門に転じました。そしてこれを機に経済同友会に入会しました。そこには比較的新しい会員だけの「創発の会」というのがあり、それぞれが順番に思っていることを発表することになっていました。
私は、そこで政と官との関係が正確に報道されていないということを、私自身が1年間そのメンバーであった次官会議を例にして説明しました。新聞では、次官会議で翌日開かれる閣僚会議で決められる案件の内容を全て決めてしまっているなどと報道されていましたが、事実は全く違う、同会議は、既に合意された各省庁の法案の間に齟齬がないか、国の各種の政策に漏れがないかどうかチェックしたり、各省庁の政策の情報を共有するという場である、といったことなどです。驚いたことに私はほとんどの参加者からそれは間違っていると激しい反論を受けました。新聞に書いてあることと違うと言うのです。間違っているどころか、私が当事者の一人としてそこにいたわけですから間違えようがありません。私は文字通り開いた口がふさがりませんでした。
また政と官の関係について関連することですが、当時の政治家は良く勉強していたように思います。かつて田中角栄元総理は自身で多数の議員立法を取りまとめました。それはこの人に政治力があったからだと言われていますが、それだけではなく法案を作れるだけの勉強をしたからだと思います。田中さんから、この件に関してこういう立案はどうか、と素案を持ち掛けられ、官僚の側からはその合理性や既存法制との整合等を指摘し、それを受け取ってまた考え直すということの繰り返しだったようです。そうして出来上がったものの一つの例が自動車重量税です。私は1997年の夏まで30年余りを大蔵省で働きました。その間、国際金融、税、関税、経済政策等幅広い仕事をし、歴代の大臣にはさまざまな局面で御指導をいただきましたが、私が大蔵省時代に接した政治家の多くは与党であれ、野党であれ、よく考え、勉強しておられたように思います。東京から遠く離れていて申し上げるのもいかがかと思うのですが、最近そういう傾向が薄れてきているのではないかと案じています。
官僚サイドにも問題があります。政治家に直言しない、正面きってモノを言わない等、〝闘わない官僚〟が増えているようでなりません。もちろん私の現役時代も〝闘う官僚〟〝闘わない官僚〟それぞれいましたが、現在はおしなべて〝闘わない官僚〟が増えているのではないかと思われます。客観的な状況の変化もあり、やむを得ないところもあるでしょうが、道理に合わない要求をされたらそれは間違っているとはっきり意見を言える人材が少なくなっているのではないでしょうか。特に国の方向を大きく左右する予算を司る現・財務省の責任は重大です。
現役時代、自ら身体を張って筋を通してきたOBからは、不十分な証拠や議論の下で、年々膨張している予算を前に、現役諸君は何をしているのだと糾す声が時々聴かれます。また、個々の予算措置の内容も、これは私のように地方にいても分かりますが、随分あらっぽいものが見受けられます。ただ、その責を現役の諸君にだけ問うのは酷ではないかと思います。このところ、財政状況の深刻さを訴えた財務次官の記事が話題になっています。本来、こういうことは自らがその責任者である財政政策の中にその考えを実現させるべきものであり、昔からの常識に従えば、公に表明すべき筋合いのものではないということになるでしょう。財務省もこれだけ力が無くなったと言う敗北宣言でもあります。とは言え、事態はここまで深刻化している、これで本当に良いのでしょうかという問いかけを、やむにやまれず行ったと見るべきではないでしょうか。
官僚も人間ですから、精神面で負担の重い大変難しい仕事をしているにもかかわらず、世間から正当な評価が上がらない、自分がこれが正しいと考えた政策を採用してもらえないし、検討の対象にもしてくれない、という状況ではやる気を失っても仕方ありません。その働く環境の悪化を放置しておきながら、公務員としての矜持を保持しろとだけいうのも無理な話です。聞くところによると、東京大学法学部の卒業者でも優秀な学生は公務員を選ばず、弁護士になったり外資の会社を選ぶ人が増えているそうです。
待遇面も悪化しています。記憶が違っているかもしれませんが、年金の受給額など、以前は役所における最後の1年間の額がベースだったものが、今は一生涯の平均がベースとなっています。もともと公務員の給与は低いところから始まりますから、これは幹部の公務員にとっては相当厳しいことを意味します。退職後の身の振り方も自ら考えねばなりません。私が現在の学生でしたら、果たして国家公務員を志望するかどうか(笑)。霞が関の公務員の質が落ちたとか、正論を直言できる気骨のある官僚が減ったとか言われるのは、自身の生活基盤に影響しかねないような処遇低下も影響しているはずです。
現状はまさに危機的状況です。わが国では霞が関は、国の最高のシンクタンクであり、過去の貴重な教訓の蓄積の場であります。その質の低下や機能不全はわが国の将来を危うくします。霞が関のあり方や「政」と「官」との基本的な関係ついて、色々な人を巻き込んだ国家的な議論をすべき時期が来たように思います。
(月刊『時評』2021年12月号掲載)