2024/08/01
水野清(橋本内閣の総理大臣補佐官兼行革会議事務局長兼行革会議委員)はかつて「回想 行革会議」と題する長期の連載を本誌に寄せていた。橋本行革の当事者の一人として自らの体験もふくめて語ったもので、省庁半減という日本の行政史上初めての大改革の舞台の表裏を社会部出身記者らしく軽妙な筆で描写し行革の全体像を明らかにしたものである。いまや行革を研究する上で貴重な資料である。
本稿は、いわばその続編ともいえる。執筆の契機はふたつ。一つはメディアからの問い合わせ、ひとつは橋本行革の元調査員によるユーチューブでの「独白録」(インタビュー)である。
メディアからは、橋本行革を現在の政と官のあり方の出発点としてとらえたとき、行革の成果と課題をどのように捉えなおすことができるのか、と問われた。かつて上梓した『中央省庁改革 橋本行革が目指したこの国のかたち』を手掛かりにしたのだろう。同書は水野清所蔵の膨大な行革会議資料や橋本総理をはじめ行革関係者のヒアリングなども行い、橋本行革の全体像を明らかにしようとしたものである。
もう一つは橋本行革の事務局調査員として、行政改革会議の報告書「この国のかたち」を起草した、経済産業省出身で慶応大学教授の松井孝治のユーチューブでの発言である。行政改革会議の中間報告(平成9年5月1日)の場に「口頭要望」の形で突然に登場し、2週間足らずのちに閣議で了承された、「閣議人事検討会議」の設置経緯にこだわりをみせていたからである。ちなみに、閣議人事検討会議とは各省の次官、局長等の幹部職員人事の閣議了解にさきだって、正副官房長官の3名が事前に「審査」を行うというもので、行革会議の提言を受けて、梶山内閣官房長官から「閣議人事の運用について」(平成9年5月16日閣議)が提起され、了承されたものである。
行革から20年たった今、改めてこの人事検討会議の経緯を検証すると、「官邸主導で幹部人事を決める体制は橋本行革の流れで1997年から整備されている」との通説には疑問がある。橋本内閣と安倍・菅政権の姿勢とでは幹部人事の関与、行政と政権とのあり方は根本的に異なると確信させた、「幹部職員の人事への内閣関与について」と題するペーパーが現れたからである。すでに、橋本内閣の人事検討会議の設置の際には検討されていたもので、政権と官との関係、信頼の姿勢などは、現在のそれとは全く異なるものであった。
先ずは行革途上で橋本政権がうちだした閣議人事検討会議の意図から始める。
梶山内閣官房長官の牽制
人事検討会議が行革審議のさなかに登場したのは、相応の理由があった。行革に抵抗する官僚への牽制であった。梶山は1997(平成9)年5月16日の閣議後の記者会見でその意図を明らかにした。幹部人事は各省庁が「ちゃんと、選んで、出てくる訳で」あるから、と省庁の選考に信頼を示している。ただし、各省の幹部人事についての法改正を考えているのか、との問に対しては、「国家公務員法改正というのは、格別考えておりませんが、閣議の承認人事にするかどうかという問題は、検討事項として、残ろうかと思います」と含みをみせる。つまり、内閣の閣議了解人事の運用について、あえて閣議承認に切り替える含みを持たせたところに力点を置いた、人事に着目した各省に対する牽制であった。なぜなら梶山の霞が関に対する牽制は、橋本政権後に変わるからである。第二次森内閣は、2000(平成12)年12月19日に閣議了解にかえて、「次官、局長等の幹部職員の任免に際しては内閣の承認を得ることについて」を閣議決定した。これは、橋本行革の最終報告をうけて制定された、中央省庁等改革基本法第13条(国の行政機関の事務次官、局長その他の幹部職員については、任命権者がその任免を行うに際し内閣の承認を要することとするための措置を講ずるものとする)を踏まえたものであると説明されているが、梶山とは異なるベクトルが作用したことは明らかである。そして、2014(平成26)年5月の内閣人事局の設置にともなって閣議人事検討会議は廃止されることになる。
ところで、閣議人事検討会議設置の主役は行革会議事務局長の水野清であり、その相方は梶山官房長官であった。その狙いは、霞が関に対して本気であることを、メディアに対しては実現性を示すことで、橋本行革に勢いをつけるためであった。
水野清はのちに、「意外に霞が関に(行革会議は)手ごわいぞ、(閣議決定という)プロの手口で切り込んできたな、あの時かなり各省びびったんですよと言ってきました。よかったと思うんです。行革のムード作りにね」と語っている。
行革に抵抗する各省を牽制するために、当初から「プロの手口」を予定していたわけではない。水野の関心は総理大臣の権限強化にあり、そのためには内閣法第6条(内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する)の改正が必要であると考えていた。筆者は行革会議の事務局長室に呼ばれて内閣法の仕組みなどの説明をしたことがある。
水野は第6条の改正に動いた。案の定、事務局サイドからは違憲論が飛び出した。内閣は合議制の機関であり、総理はその首長である。内閣の意思は多数決ではなく、全員一致の閣議による。従って、閣議の方針に基づいて、となる。閣議にかけずに総理が単独でという法改正は憲法に反する、というものである。念のため、水野は後藤田正晴元官房長官のもとを訪ねたが、後藤田は持論を展開した。「内閣法第6条の改正なんて俺は反対だ」と。
やがて水野は「内閣法第6条の改正には非常にエネルギーを要する。これだけで憲法論議になって、時間を食うばかり。行革会議の議論を夏過ぎにまとめるなんてことはできない」、と断念した。これに代わって登場したのが、内閣法第4条の改正による総理の発議権の法定化と同12条の改正による内閣官房の調整権の強化、すなわち企画立案権の付与である。このアイデアは、「第4条と第12条ならば改正できるし、反対はない。両条の改正で内閣機能の強化はかなりできる」という水野のブレーンによるもので、内閣機能強化の方向に転換した。
2月頃か、この内閣機能の強化について、「目立たないが、いい手がある」とアドバイスを受けた。局長、次官の人事をこれまでの閣議報告から内閣の承認に直せばいいと。「これは各省大臣の人事権を奪うことではない。内閣法と矛盾をしない。閣議で決定されるということになれば、内閣の重みがでる」と。折しも、厚生省の事務次官の事件があり、世論が内閣の責任を追及する気運もあった時である。
もっとも、水野が独断で行革会議に提起したわけではない。当然ながら橋本総理の意向を伺っている。
「総理のところに行ったら、なかなか首を振ってくれない。こんないい案がどうしてだめですかと聞いたところ、『古川君(内閣官房副長官)がいいと言ったらいいよ』」と返ってきた。そこで梶山内閣官房長官にも相談したところ、彼の返答も総理と同じであった。「古川に相談しろよ」と。総理も官房長官も最終判断を霞が関の代表・各省の取りまとめ役の事務の官房副長官に委ねたのである。のちに橋本総理自身が、「おお、よく古川がうんといったね」と水野に語っている。
水野は古川のところへ相談にいった。「2度か3度行った。3度目についにうんと言ってくれた」とあるから、その間に各省の次官、官房長らと協議していたことは確かである。霞が関の了承のもとに閣議報告を改めたことになる。
4月頃に水野は梶山に「古川がうんと言ったから早速やってくれ」と催促した。「直ちに閣議で官房長官が提案してくれた。内閣に『人事検討会議』をつくって、この国会終了から始めるとやったわけです」。行革会議は手ごわいぞと霞が関を牽制する。これが人事検討会議設置の経緯ということになる。
ただし、水野が検討したのは、閣議報告の前に人事検討会議を設けるという一案のみであった訳ではない。同案に絞られる過程では、「幹部職員の人事への内閣関与について」の諸案が検討されている。
「幹部職員の人事への内閣関与について」
諸案とは五つの案のことで、これを提示したのが「幹部職員の人事への内閣関与について」と題するペーパーである。1997(平成9)年5月の「閣議人事の運用について」の閣議決定の3カ月ほど前にまとめられ、いわばたたき台となったものである。まず、「1、現行(平成9年)の公務員の任命における内閣等の関与の類型」を示す。 ①内閣自身が任命するもの(検査官、人事官、検事総長等)②任命権限は各省大臣にあるが、内閣の承認を必要とするもの、③任命権限は各省大臣にあり、発令前に閣議で了知を図るもの(各省内部部局長等)などである。次いで、「2、任命にあたって考慮すべき事項」で基本的な留意点を挙げて、「3、諸案」で5つの案を提示。そして、それぞれの「4、諸案の得失」(必要な措置、本案のメリット、問題点)を記している。周到かつ簡潔に論点を整理したことがうかがえる。
このうち、2の任命にあたって考慮すべき事項では、各省大臣の任命権と公務の政治的中立性の担保を挙げている。すなわち、「各省大臣に付与されている任命権の意味(各省大臣は、各省事務の統括および職員の服務の統督の責任を負っており、これを担保するものとして任命権が付与されている)を考慮する必要がある」こと。それに「内閣の関与の度合いが強い場合には、一般職公務員の人事に党派性の強い人事が行われるおそれが生じやすくなり、公務の政治的中立性を制度的にどのように担保していくかも考える必要がある」ことである。
「3、諸案」は、次のようなものである。
・1案 現行の閣議了解人事の運用を実際上強化し、単なる了知ではなく、内閣として不適当な人事と判断される場合には、任命権者の大臣に再考を求める取り扱いとする。
・2案 任命権は各省大臣に存置するが、発令前に閣議に諮り承認を得た上で、発令する(事実上、内閣に拒否権を与える)
・3案 各省大臣の任命権から内閣の任命権に変更するが、内閣任命の前提として各省大臣の推薦に基づくこととする。
・4案 各省の幹部級の人事については、戦前の勅任官(親任官を除く。次官、局長クラス)と同様内閣任命とする。
・5案 各省の幹部級の人事について、合議体たる内閣ではなく、内閣総理大臣あるいは内閣官房長官の関与とする。
「諸案」のメリットと問題点
幹部職員に対する「内閣の関与」という表題からすれば、5つの案はすべてが「閣議にかかる」はずだが、第5案はその閣議を外して、総理大臣あるいは内閣官房長官の関与としている。任命権の関与を内閣総理大臣とするもので、内閣人事局を設けた現行の制度にもっとも類似したもので、「内閣の関与」を超えた案である。
全5案の中で唯一「国家公務員法の改正を要するもの」ではないのが第1案である。そのメリットは「内閣限りで実現可能な措置であり、現行制度上の枠組みの変更をきさないため、速やかな実現が可能。また、主任の大臣の任命権との間で無用の法律論を避けることが出来る」とする。同時に問題点としては、内閣による運用基準が不明確となりやすく、「国家公務員法の定める任免の根本基準である成績主義の原則をどう確保するのかという疑問あり」と指摘している。
第2案は事実上の拒否権を与えることから、国家公務員法を改正し、「特定の官職については、内閣の承認を得た上で、任命権者が任命を行う手続き規定を設ける」ことが必要であるとし、メリットとしては、各省庁の幹部クラスの人事に関する内閣の関与が制度的に担保されること。また、任免権の所在に基本的な変更を与えないこと、従って「制度的に仕組みやすいか」とする。他方で、内閣の承認にかかるため、「閣僚の一部に異論があれば任用されない結果となり、人事の公平性の確保の点で疑問あり」とする。成績主義の原則(第1案)に次いで、人事の公平性(第2案)の問題が指摘されている。
第3案は任免権を各省大臣から内閣に変更するものである。幹部人事が各省大臣から基本的に切り離されるために、「各省大臣において各省事務の統括及び服務の統督が機動的に図られるか疑問」とされる。さらに任命権者の大臣が行ってきた懲戒をはじめとする服務管理を「法令上誰が行うのか等任免権に伴う任免以外の諸権限について整理を行う必要あり」としている。また、第2案と同様に閣僚の一部からの異論、という問題も抱えることになる。
第4案も内閣の任命とする。「内閣の人事への関与は強度のものとなる」とメリットをあげるが、戦前の制度をモデルとするだけ、以下のように政治任用を危惧している。
「各省大臣の任免権を完全に否定するものとなり、各省大臣において事務の執行を担保する手段を奪うことになる。政権交代に伴い、大幅な幹部級人事が行われることとなり、行政の継続性の観点、人事の公平性の観点から問題あり。また、各省において長年にわたり当該省の職務に専念してきた職員について、将来の処遇への不安が拡がり士気が低下するおそれが大きい」。戦前の弊害そのものを記している。
第5案のメリットは「合議体たる内閣に任命権の関与を認めることのデメリットを回避し、実質的に内閣総理大臣あるいは官邸の人事面の関与を強めることが可能」であるとされる。内閣の関与ではなく、総理・官邸の関与に転換させる案である。全5案の中ではもっとも強力である。それだけ法的問題点を抱える。合議制の内閣を出し抜こうとするからで、問題点の指摘は明確である。
「法制度的には、内閣総理大臣に各省幹部級の人事権を付与することは、内閣の国会への連帯責任及び内閣総理大臣の内閣法上の位置づけからみて、困難。したがって、一旦、内閣に任命権を与え、それを事実上内閣総理大臣あるいは内閣官房長官に付与する形態をとる必要がある(事実上の任命権の付与はやはり法制的な問題を生むおそれはある)」。
超絶技巧/任免協議
さて、霞が関の読者は気が付かれたであろう。第5案が安倍・菅政権の黄金の錫杖となって政官関係を壊し、忖度に走らせ、萎縮、指示待ちにさせた、幹部職員の任免協議ときわめて類似であることを。水野清が「ムズカシイ」と記したのみで放擲していた第5案が、「関与」を「協議」に差し換えて姿を現したのである。
自民・民主・学者らの政治主導の混声大合唱のもと、法制度的に困難と指摘されていた第5案の壁をいかにスルーさせ、合議制の内閣を超えて官邸が人事権を掌握したのか。それが巧妙かつ狡猾に組み立てられて公務員法におしこまれた「任免協議」である。
任免協議とは、各省大臣は任免権をもつが、「あらかじめ内閣総理大臣及び内閣官房長官と協議したうえで、当該協議に基づいて行う」(国家公務員法第61条の4)もので、幹部人事の協議が整わなければ任免できないという、事実上の拒否権を与えるものである。
ところが、法案審議では拒否権ではないと政府側は否定した。当時の後藤田正純内閣府副大臣は「任命権者と内閣総理大臣及び内閣官房長官の合意を形成するプロセスである」といい、「拒否権のようなものを持っているものではない」単なるプロセスで、権限ではないと強調した。総理の権限なら同輩の各省大臣の任命権を超えるが、権限ではないと第5案の「関与」をバイパスする。内閣の意思を決するのは閣議であるから、閣議の前段のプロセスであると説明して、閣議をバイパスする。加えて、手続きならば協議責任は問われない。下位規範の法律が憲法の合議制の内閣を出し抜く。かくして幹部職員の人事権を事実上掌握する、官邸の黄金の錫杖となる。「任免協議」は超絶技巧である。
もっとも、公務員制度改革基本法に議員修正で挿入されただけに「建付け」が悪い。幹部職員の降任規定(国家公務員法第第61条の4第4項)も盛り込んで、勤務成績良好でも降任できるとした。ところが、公務員法は成績主義、身分保障を定めており、勤務成績不良、心身の故障などの分限理由(第78条)がある場合に限られる。内閣法も歪んだ。任免協議は総理の権限だが、総理の発議権(内閣法第4条第2項)、中止権(同第8条)と同列ではない。合議制の内閣の「閣議にかけて」の文言がない。故に内閣法にはなじまない。とすれば特別法が必要になる。案の定、行革担当大臣を務めた渡辺喜美らが、幹部国家公務員法案を提出した。廃案となったが、立法技術的には至当である。内閣法も特別法も拒んだ、あるいは拒まれた結果、公務員法に駆け込んだのではないか。人事院にとっては迷惑なことだ。
なお、実際の運用も国会答弁とは真逆である。「同期3人が事務次官! 総務省と財務省で起きた『超異例人事』の内幕」を産経新聞が報じているが、当時の稲田大臣(公務員制度改革担当)の答弁は「同じように同期ばかりを採用するというようなこと、同じ省から同じポストというようなことがないように、そもそも内閣人事局で、人事を、内閣総理大臣、官房長官が検証するということ」(2013年11月27日、衆院内閣委)、「協議である以上、任命権者である大臣の意向を無視して人事案について成案を得るということはない」(2014年4月8日、参院内閣委)というものであった。
「責任」も嫌いのようだ。総理・官房長官の任免協議の責任を質されても、「さらに適切な人事配置を進めていくことで対応していく」(11月27日)
トリッキーな任免協議を「発明」したのは何者か気になるが、これが「黄金の錫杖」を振りかざして法の整合性や弁明責任を軽んじる政治主導・官邸支配の「狼藉」ぶりである。では、いかなる策を拵えるかが次の課題である。
(月刊『時評』2022年1月刊行)