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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」④

世界を知る方法

(写真:pixabayより)
(写真:pixabayより)

 夏の国際的話題はシリアの内戦で、特にアレッポでの政府軍と反政府軍との衝突であった。この時点でこれが浮上してきたのは、反政府軍のメディア戦略がある。彼らが組織的に政府軍の空爆の模様をビデオ撮影して世界に発信し、西洋各国でそれをテレビで流したため、アレッポの荒廃ぶりが明らかになった。
 集中的に放映されたのが「アレッポの子どもたち」というシリーズで、映画の一場面かと思うくらいの破壊された建物から、コンクリートの噴煙で全身真っ白だが、自分の血で顔の一部だけが赤い少年少女が救出される映像が公開された。
 私が見たのは英国チャンネル4ニュースで、数回にわたりアレッポの病院での献身的な医師の活動や、爆撃を受けた街中での英雄的な救出劇が映し出された。その際、必ず入るナレーションが「アサド軍を支援するロシア空軍による爆撃」という説明である。これをそのまま信じると、プーチン大統領の命令でアレッポの子どもたちが死傷していると理解できるが、果たしてこれを額面通りに受け取ってよいのだろうか。
 インターネット時代の驚くべきところは、著作権の問題がクリアされれば、外国のニュースが自宅のコンピューターで見られるということである。20年前ならば郵送してもらわなければならなかった英字新聞も、今ではタブレットで外出先でも閲覧できる。
 日本の報道だけでなく、海外の報道に接することができるとしても、われわれは世界の真実の姿を知ることができるのだろうか。テレビならば、イギリスの場合、前出のチャンネル4ニュースは現地で流されたのと同じものが、ネットで視聴できる。BBCは地上波の定時放送は見せてくれないが、個別のビデオはサイトで公開している。
 アメリカの場合、三大ネットワークのニュースでは、CBSとNBCは無料で世界に配信している(ABCは地元プロバイダーに接続しなければならず、海外では見られない)。新聞はむしろネットに比重を移しており、紙媒体から撤退しているところさえある(英紙インディペンデント)。ニューヨーク・タイムズは一定記事数以下なら無料、それ以上なら少額で、ワシントン・ポストも低料金で購読できる。イギリスではタイムズやフィナンシャル・タイムズは有料だが、ガーディアンは広告だけで賄っており、完全に読み放題の状態になっている。
 とはいえ、これらを毎日追っていても、英語圏の偏向報道に汚染されており、_客観的な_世界情勢をつかんでいるとは言えない。そこで四半世紀前に置き忘れてきた貧困な語学力を駆使して(グーグル翻訳に助けてもらい)、仏紙ル・モンドや独紙ディー・ツァイトをオンラインで開けてみるが、ほとんど理解できないながらも、似たような論調であると感じられる。
 今回の「アレッポの子どもたち」でロシアが本当に悪役なのかを知るためには、やはりロシア国内でどう報じられているのか、または第三国、例えば中国ではどう伝えられているのかを知る必要があるだろう。
 しかし、国際問題を研究する者としては恥ずかしいことに、ロシア最大のメディアが何か、中国で信頼できるニュースはどうしたら手に入れられるかが分からない。
 ただ私のように英語圏バイアスが心身の隅々にまで染み込んでいる者からすれば、そもそもロシアの国営放送が信頼できるのか、中国の通信社が流している情報を信用してよいのか、と最初から腰が引けてしまう。
 ということならば、われわれは何を信じればよいのだろうか。私は二つの方法を採用している。一つは暫定的懐疑主義で、もう一つは間接的信頼性である。前者は英語圏と日本語に限定されるものの、複数のメディアに接して、その間で一番ズレが少ない情報を一時的に真実と見なして利用するという方法である。
 もちろん陰謀説の好きな方は、アメリカ全土が偏っており、ヨーロッパはそれに隷属しているため、ニューヨーク・タイムズとガーディアンとル・モンドが同じように伝えていても、すべて影の権力者が操っているから信用できない、と言われるかもしれない。だからこそ〝暫定的?な〝懐疑的?立場で接すればよいと思う。
 第二に、各国の報道に長年接していると、それが事実と合っていたかを後で知ることがある。確かに〝事実?も加工されたものかもしれないが、おそらく欧米全体とロシア、中国あたりが認めたものなら、それを「事実」と認めてよいだろう。そしてそれを事前に伝えていた報道機関は、信頼のおけるところと間接的に受け入れてよいだろう。
 英米のテレビ・新聞では、看板記者が得意分野を長期的に追跡している。正しい報道をしてきた記者の名前を覚えて、その人が伝える内容は情勢を的確に捉えていると見なして、それを材料に分析するようにしている。
 いずれにせよ、極東で世界を論じるのは暗闇を手探りで進むようなものだから、その分、自己反省と、間違いをすぐに正す柔軟な姿勢が求められる。

(月刊『時評』2016年10月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。