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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」⑰

ジャーナリストの命運

(写真:pixabayより)
(写真:pixabayより)

 われわれは海外の戦争について知るべきなのか、外務省が退避勧告を出している地域で誘拐された際、それは「自己責任」なのか。安田純平さんは様々な議論を巻き起こした。
 まず、日本人はシリアの真の姿を知らなくてもいいのか、という問いがある。日本のマスコミでもシリアの内戦については、それなりに詳しく報道されているが、実際は海外メディアの映像をそのまま流しているだけで、独自に取材したわけでも、輸入情報の真偽を自分で確かめているわけでもない。
 だからといって日本のマスコミを非難するつもりはない。NHKは米ABC、英BBCと報道内容を共有しており、NHKが自ら確認していなくても、BBCが信頼できるという前提があるならば、一概に独自取材の是非を論ずることはできない。
 では、海外の報道機関はシリアの実情を伝えているのかというと、これも最近はあやしい。かつてベトナムでも従軍ジャーナリストがいたが、本格化したのがイラクである。米軍は記者の安全に配慮したが、それでも死傷者が出た。有名なのが、米ABCの看板キャスターだったボブ・ウッドラフが2006年に即席爆発装置で脳にダメージを負う大けがをしたことである。私の知るかぎり、毎日テレビに出ている人で、再起不能の重傷になったのは彼が初めてである。
 しかしジャーナリストがテロリストに捕まって処刑されることは、それ以前からあった。その契機となったのは、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者だったダニエル・パールではないだろうか。彼は2002年に「シュー・ボマー」(靴爆弾犯)のリチャード・リードとアルカイダとの関係を調べるためにパキスタンに入ったが、テロ組織に捕らえられて、ユダヤ人であるという理由で首をはねられた。
 ダニエル・パールの事件が大きくなった理由には、父親が世界的な人工知能学者ジューディア・パールで、父が息子の遺志を伝えるために本を出し、財団を創ったこともある。
 とはいえ、ジャーナリストが処刑される一連の事件の多くはISIS(イスラム国)によるものであった。英語のウィキペディアには100人以上の名が連ねられているが、ISISの残虐さが世界を震撼させたのは、リストの中に何人かのアメリカ人がいたためである。それぞれ2014年8月と9月に処刑されたジェームズ・フォーリーとスティーブン・ソトロフが当時、西洋を揺るがした。
 二人ともフリーランスであり、今回の安田さんを含め、危ないところには大きな報道機関に所属していないジャーナリストが行っている。これは勝手な憶測だが、マスメディアは責任が取れないから、記者を危険な地域に送らないのではないだろうか。
 そのように想像させる事例が、アメリカの三大ネットワークそれぞれにある。一つは上記ABCのウッドラフの重傷だが、CBSとNBCでも問題が起こった。
CBSの外報部長ララ・ローガン(1971年生まれの女性)は2011年に「アラブの春」を現地から伝えるため、エジプトに入った。カイロの歓喜にわく群衆を取材中、何者かに拉致され、すぐに解放された。CBSは後日、声明を出し、ローガンが性的暴行を受けたと公表した。彼女はその後、アメリカ国内からのレポートを増やしている。
NBCでは、外報部長のリチャード・アングルが2002年にシリアに潜入した際、ISISとは別のテロ組織に誘拐されたが、5日後に無事に戻ってきた。彼はそれ以降も、何度かトルコ経由でシリアに入っているが、危険な地域の取材は差し控えている。
 シリアの模様はこれらの事件以降、シリア国内の反政府勢力によるレポートが中心になった。同国最大都市アレッポの惨劇は、がれきに埋まった負傷者を救出する「ホワイト・ヘルメット」という部隊が小型カメラかスマートフォンで撮影したものをユーチューブに乗せるという形で西側に伝えられた。
このように、われわれはシリアの現状を第三者的視点で知るすべを失った。その意味では、決死の覚悟で突入するフリージャーナリストの存在は大切かもしれない。
 しかしそう言い切るには、シリアの実相を知る必要がある、という共通了解がなければならない。自己責任論の裏側には「われわれはシリアのことなど知る必要がない」という認識が隠されている。
では、本当に知るべきなのだろうか。あるなら、われわれはフリージャーナリストに自己責任を押しつけてはならないが、ないなら、彼らには自分で自分の始末をつけてもらわなければならない。
ここには難しい問いがある。シリアの内戦は、彼らが勝手に始めたことであり、われわれの知ったことではない。確かにそこで爆撃にさらされて、担架の上で涙さえ枯れた幼児たちは気の毒である。しかしこれもすべて同国人の問題であり、われわれに関与する義務はないのかもしれない。
結局、自己責任論を問うならば、われわれは本気で、海外の戦争とどう向き合うかを問わなければならない。

(月刊『時評』2018年12月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。