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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」⑯

ヨーロッパの黄昏

(写真:pixabayより)
(写真:pixabayより)

 近現代における国力は、政治・経済・文化(科学・技術を含む)の面で「新しいものが出てくるかどうか」と「域外に影響を与えられるかどうか」ではないだろうか。
 人間は贅沢な存在で、いまの生活に満足していても、それがそのまま持続するだけでは満足できない。「これからもっとよくなる」という希望がないと、楽観的になることができない。その不満と不安が襲っているのが、現在のヨーロッパである。
 国力における政治は、世界から羨望される新鮮なリーダーの出現であり、相手に不快感を与えない程度に交渉で国益を勝ち取る外交力であり、または諸外国を屈服させられるほどの絶大な軍事力である。
 国力における経済は、海外がその国で商売をしたいと思わせるほどの成長を実現し、その国で操業したいと思わせるほどの人材力があり、その国のものを買いたいと思わせるほどの開発能力のあることである。
 国力における文化は、その国の芸術を競って輸入したいと思わせるほどの創造性であり(映画・音楽など)、その国の製品に殺到させるほどの技術力であり(新スマホ発売日のアップル・ストアなど)、人文・社会・自然科学すべてにおいて世界の優秀な研究者を集結させるような学問レベルの高さである。
 この視点で見ると、現在の混乱にもかかわらず、アメリカには希望があり、彼らは将来に楽観はせずとも、悲観する必要はない。しかしヨーロッパは、そのなかから「新しいもの」が出てくる気配はないし、世界がそのスタンダートを採り入れたいと考えるほどの文化的活力も感じられない。
 人間のエネルギーに限界があるように、社会にもエネルギーの限界がある。それは精神的なものであり、体力的なものである。社会が安定していて、合意形成のために労力を費やさずに済む社会は、余力を外に向けることができる。
 国内政治が安定していれば、海外の混乱を収めるために調停役を買って出られるし、それが成功すれば、平和条約を実現させた国として、世界から尊敬される(中東和平でのアメリカなど)。
それは善意からであって、必ずしも打算的な意図からではないが、それでも世界から尊敬されることで国の威信は高まり、それは結果的に、世界でその国のスタンダードが受け容れられることを意味する。そうなれば、その国は世界で自分の意向を通しやすくなり、自分のやり方で商売ができるようになる。それは軍事的な安全にも、経済的な繁栄にもつながる。まさに20世紀のアメリカである。
この視点で見ると、いまのヨーロッパを見習おうという国はないし、ヨーロッパ自身も、自分たちのやり方を輸出しようなどという余裕を失っている。社会が有するエネルギーには限界があるが、内部の混乱を収めるために体力を使い尽くしており、外に出ていくパワーが残っていない。
 代表がイギリスである。彼らはいま国力のすべてを消耗して、ブレグジット(英国のEU[欧州連合]離脱)だけに埋もれてしまっている。これがどれほど悲惨なことか、われわれには想像がつかないが、国のあり方の根幹に関わる話で、これほど国論が二分し、すべての英国人がこの件について強い意見を持ってしまっているから、妥協の余地も、譲歩の隙間も皆無で、ただただ全員が敵を罵るだけの、おそろしく醜悪な状況に陥っている。
困ったことは、国民の過半数プラス・アルファが強く離脱を求めているにもかかわらず、明らかに経済的には離脱が不利なことである。だからメイ政権は、財務省・金融界・製造業の働きかけに応じて、関税同盟には残留する「ソフト・ブレグジット」に舵を切ったが、これが国民レベルの不満をさらに高めてしまっている。
国民としては「離脱と決まったから、さっさと仕上げなさい」ということであるが、面白いのは離脱派だけでなく、残留派の多くもそう思い始めていることである。「もう過去のことだから、けりをつけて、先に進もう」ということのようだ。
 これに輪をかけてまとまらないのが、ヨーロッパ全体である。ブレグジットに限っても、英国政府と欧州委員会とのあいだで交渉が妥結しようと、次に欧州議会での承認が必要になる。ここで仮に可決されても、イギリスを含む28カ国すべての国内議会で、交渉内容が承認されなければ、離脱条約は発効しない。あらゆる分野でこの状態だから、決定の遅さがEU市民をいらいらさせている。
 加えて、いくつかの国で反EUのポピュリスト政権が誕生している。注目はイタリアの「五つ星運動」と「同盟」による連立政権であるが、とくにマッテオ・サルビーニ内相が国民的ヒーローである。同盟の書記長であるサルビーニは移民排斥で人気が出て、今年8月の橋の崩壊事故を含め、諸悪の根源をEUとすることで、国民の反欧州感情を煽っている。
 自由と民主主義を生んだ欧州が、その理想を捨て去ろうとしている。この地域から世界を動かす新しい理念や発想が出てくることは、しばらくないであろう。

(月刊『時評』2018年10月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。