
2025/02/06
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
ペットの法要
少子化と関連しているのかどうか。詳しい調査結果は知らないが、ペットを家族扱いする傾向が強まっているようだ。浮かぬ顔つきでAさんが封筒を取り出した。朝、出がけに奥方から郵便局での払込みを依頼されたという。何かの公共料金だろうと手続きしていたら、窓口の職員に「時代が変わったのですかねえ」と声をかけられて気がついた。〇〇霊苑のペット慰霊祭参加費用となっている。
どれどれと覗き込むと、慰霊祭、御札、供養札合計で1万2千円とある。「ペットにも法要が必要なのか」というのがAさんの疑問。振込みを中断して家に電話したところ、奥方にこう言われたとか。
「18年もいっしょに暮らしたのよ。息子みたいなものじゃないの。その子が私たちより先に旅立った。冥福を祈るのは〝親〟としての勤めでしょう。『ペットは死んだらそれで終わりだ』なんて、あなたはなんて冷たい人なの。用済みの家電や家具と同じ扱いでいいわけがない‥‥」と電話口で泣きだした。
同席のTさんは口あんぐり。犬や猫はしょせん動物。死ねば庭に穴を掘り、埋め戻しでできた土饅頭に「××の墓」と書いたかまぼこ板を立てるのが精いっぱいであろう。菜々子は中間意見。現代日本では土葬は葬送とは認識されない。それに都会のマンション暮らしでは庭がない。菜々子の猫が死んだ際には専門業者に委託して火葬にした。可愛い段ボール製の棺に入れて持ち帰り火葬にするとのことだった。それで区切りをつけた。
そうだよなとAさん。法的にはペットの遺骸は家庭ゴミとして出していいのだろうが、さすがに気が引け、自身で専門業者の焼却場に持ち込み、荼毘を見守ったという。
人間の場合の法要
気になるのはAさんと奥方の関係。感情の行き違いをそのままにしておいてはいけない。彼女がペットの法要にこだわるのであれば、費用を振り込んであげればいいじゃないの。夫婦の仲が壊れたのでは死んだペットの魂も救われまい。
菜々子はこの話題を早々に切り上げたかったのだが、Tさんが突っかかってきた。
「ダメダメ。人間と動物の間には厳然とした垣根がある。昨今はそうした倫理を壊すことを近代化と勘違いする傾向がある。例えば、ペットにも財産相続権を認めろとの主張。だがそれを認めるには、ペットに権利能力を与えないと法的整合性がとれない。そしてその先にはペットの住民票記載などとなっていく。ペットとの婚姻なんて議論も避けられなくなるだろう」。
AさんがTさんの議論に乗ってしまった。
「奴隷制が当然だった国々では、彼らは法的権利の主体として認められていなかったが、長年かけてその主張は論駁され、現代では人間である限り法的権利は完全平等の合意ができている。しかしこれは終着点ではなく、もっと先の思想進歩が必要とする者がいても不思議ではない。うちの家内はそうした〝進歩派〟かもしれない」
今度はTさんが親族内の不満を漏らした。何かの用があって実家の兄に電話した際のこと、亡き父親の今度の法要はいつになるのかと尋ねたという。コロナ騒動ではとにかく人と群れるなとの政府のお達しだったから、どこの家庭でも先祖の法要が滞っているはずだ。ところが返事は「もう済ませた」だったという。兄曰く、昔のように近縁、遠縁含めて法要に何十人も呼ぶ時代ではない。思い切って規模縮小し、自分たちだけですることにした。お前たちも交通費を負担してまで帰って来ることはない。お寺の住職の経読みは録画しているから、必要ならEメールで送ると言われたとか。その顛末を聞いたTさんの奥方が怒るまいことか。「実家を守る立場のくせに義兄さんはなんて言い草なの。『私たちも独自に法要をします』と分骨を要求しなさいよ」
再びAさん。同じように実家は遠方なのだが、Tさんと違って実家の兄弟から親の法要案内が来た。奥さんも同郷のことだし、夫婦で参加しようと提案したところ、Tさんとは逆で奥方に拒絶されたという。
「親が先に死ぬのは自然の摂理。孝行は生きていらっしゃる間にするものよ。関係は葬儀での見送りで終わっている」と言うから、ペットの法要での対応との違いを指摘したところ、「死んだ子の歳を数えてどこがいけないの!」と反撃されたという。
火葬料金が大変なことに
「ペットの火葬料金が1万円近いとさっき言っていたが、なんでそんなに高いんだ」とTさんが話題転換。彼はペットの死体は庭に埋めればいいとの考えだから、料金を払うことに抵抗があるのだろう。
「人間の遺体に比べれば安いわよ」と菜々子。東京区部の人間の火葬料金を教えてあげた。つい数年前までは5万円台だったが、このところ値上げに継ぐ値上げで9万円になっている。このことはAさんも知っていたようだ。
「聞くところでは区部では民間企業1社のほぼ独占状況になっている。そして中国資本に買収されてから値上がりが始まった。営利企業で競争相手がいなければ料金設定は自由自在。高いから『火葬はやめます』とはいかないからな」。
怪訝顔のTさんが二つ指摘した。まず、隣県の彼の住所地では火葬料金は無料。次に火葬場は自治体(市)が運営。どうして東京は違うのか。火葬場の料金に直面するのは親族が死んで喪主になったときだけで、何回も経験することではない。それに葬儀社への料金に込みで含まれるから、特段気にすることもなかった。だが葬儀社を通さず、会葬者をごくごく身内に限定する家族葬が一般的になり、喪主が直接火葬料金を払うようになると地域ごとの料金格差に目が行くようになる。火葬の経費がゼロのわけはない。Tさんの市で無料なのは自治体が負担しているからだ。それが論理的に正しいのだとすれば、東京の民間企業経営の独断的な料金引上げがおかしいことになる。
みんなでスマホを検索する。火葬場は地域の実情を踏まえて行政庁が許可する制度になっている。そして運用方針として、①自治体、②寺院(宗教法人)、③公益法人等以外には許可しないとなっている。「等」が曲者だが、営利事業化を認めないということだろう。そこで外国資本による運営は許されるのか。
「東京では寺院による火葬場運営の実績を考慮してその系譜の会社に火葬場を認めた経緯がある」とAさん。「そうした沿革に照らせば営利本位の外国資本に買収された時点で特例扱いする理由はなくなっているのではないか。改めて再許可の当否を考えるべきだ」。自治体又は公益団体による運営が望ましいとの考えのようだ。
菜々子も報告する。東京23区でも西南5区(品川、太田、港、目黒、世田谷)が平成年間に公営の臨海火葬場を共同設立している。独立採算原則で運営され、しかも料金は先の民間企業の半分以下に納まっており、増設計画もある。「他の区も参加させてもらい、火葬料金負担を半額以内に抑えるべきだわ」。江東区内の埋立地など適地もふんだんにある。
営利火葬場の料金引き上げへの苦情を受け、区長さんたちが対応を協議しているとの記事もあるから現実性は高いはずと感想を述べたTさん。彼のスマホ情報では、施設の減価償却や将来の建て替えなど費用の一切合財を含めて火葬料金を6万円程度に設定すれば、火葬場への公費持ち出しはいっさい不要との専門家の声があるという。それもあってか、無料だった自治体でも、火葬料金有料化で火葬場運営の透明化を図る傾向らしい。
社会保障での位置付け
ペットの法要から始まった今夜の議論だが、要約する時間になったようだ。「生あるものは必ず滅びる」は、『平家物語』でおなじみの一節で日本国民にはおなじみ。それが自然の摂理だが、死者に対して縁者が弔意を表すのも、現生人類誕生以来の文化である。
「ネアンデルタール人の洞窟からも葬儀の痕跡が発見されているからね」とTさんが、スマホの関連記事を紹介した。親が亡くなったのに「弔う気がしない」心情のケースでも「それでは世間を渡れない」のが人の道。それが葬儀であり、その延長に死後に続く法要があるわけだが、その方法はそれぞれの文化や宗教観により、確定固定の方式はない。葬儀の必須ハイライトは遺体の処理でその方式は歴史的にも技術的にも多様だ。鳥葬、風葬、水葬、土葬、火葬。そして現代日本では火葬に収斂しており、実施率は99・97%以上。
「葬送方式を規制するのが『墓地埋葬法』だが、土葬が多数であった時代であればともかく今では誤解を生む元になっている。いっそ『火葬納骨法』に名称替えしてはどうだ」とAさん。諸外国と違って火葬したお骨を遺族が自ら拾い上げ、後日墓所などに納めるのがわが国の風習。『火葬』と『納骨』がポイントなのだと強調した。法改正は国会の仕事。今日の議論が議員諸先生の耳に届くといいのだが。
さて火葬をメインイベントとする葬儀は社会保障の上でどう位置付けられているか。Tさんが「うちの市の火葬料金無料は間違っている」と言い出した。彼が示したのは健康保険法の条文。「死亡に対しても保険給付をするとなっていて5万円が支給される。火葬料金無料だったら不当利得にならないか」。思い出したが、健康保険からの葬祭給付、以前は月収(標準報酬)の一か月分だった。これが復活すれば家族葬では健康保険からの現金給付で十分賄える。
「繰り返しだが、人間ならぬペットはこの限りではない」とAさんがつけ加えて今日の久寿乃葉は閉店時間。菜々子は家に帰ってネコちゃんの遺影にお水を供えようか。
(月刊『時評』2025年1月号掲載)