2025/01/08
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
衆院総選挙 江東区の場合
「ママは選挙に行ったのかい」の声の主であるKさんと、「投票は思想信条自由の基本。みだらに問いただすものではない」とたしなめたMさんは50年前の元同級生。衆議院の総選挙明けのこの日は、どの飲み屋でも似たような会話が交わされた違いない。ではあるのだが、お店の立地によって微細な違いはあるはずだ。
門前仲町は江東区に属し、衆議院では東京15区。実は4月に補欠選挙が実施されたばかりだったのだ。「どうして?」と怪訝顔の両名。この反応には菜々子の方が驚くが、選挙区が違えば、無関心が相場なのかもしれない。かいつまんで事情を説明する。といっても2分やそこらで要約するのは至難の技である。
思いきり枝葉を端折れば、年春の区長選当選者に違反が発覚、その仕掛人として現職衆院議員(柿沢未途氏)がお縄になって辞職。それで補選になったというわけだ。
誰が当選した?選挙制度の怪奇さ
今回総選挙ではこの選挙区からは2名が議席を得た。
「小選挙区だから当選者は一人。だけど比例選挙区の敗者復活で生き返る候補者がいるからだね」とMさん。そうなのだ。最高得票者が小選挙区の勝者。しかるに比例選挙区との重複立候補が認められているため、惜敗率で当選できる。
「前からおかしな仕組みだと思っていたが、自民党執行部は比例名簿登載を党内振り分けの手段に使った。〝裏金〟逆風で小選挙区にて苦杯をなめた上に比例非登載で議席を失った者は『末代まで祟ってやる』と心中秘めているはずで、党の分解は避けられないかもね」。
政局のことは横において江東区の状況。自民党は25歳のイケメン(大空幸星氏)を立ててイメチェンを図り(ⅰ)、4月の補選で当選したばかりの立憲民主党候補(酒井菜摘氏)、さらに地元出身が売りの無所属候補(須藤元気氏)と三つ巴になっていた。そして最終状況では、自民党と無所属がトップ争いというのが大方のマスコミ予想だった。
「でも在籍数カ月とはいえ現職は強いね」。Kさん指摘のとおりだ。百票ちょっとの鼻の差で差し切った。次点の無所属候補は惜敗率98・3%で落選し、復活当選したのは3位だった自民党候補(惜敗率93・9%)だった。
「納得いかないわ」。近所贔屓ではないが、無所属候補の住所は町内会。彼が政党所属の参院議員だった頃と違って、たった一人で自転車を押して近所を運動しているのを見ると母性本能をくすぐられる。バスから見かけて「頑張れ!」と大声出して手を振ったら、目ざとく見つけて手を振り返してくれた。ほかの乗客も同調してくれた。
「候補者とママの年齢を考えると、母性本能ではなく弟を思う姉の感情ではないか」。フォローにもならぬコメントに続けてKさん。「国政政党の要件があって無所属や諸派では比例重複立候補が認められない」。
それへの反論の形でMさんが言う。「小選挙区での死に票をいくらかでも解消しようというのであれば、党派にかかわらず惜敗率で救済するのが合理的に思えますね。ただしそれでは比例区とはそもそも何か、という基本に戻りますけれど」
補選では何がポイントだった?
話はどうしても4月の補選に戻る。
Kさん。「立憲民主党のほかにどんな候補が立ったのか」。そしてあんたはだれに票を入れたのかと、その目が菜々子を見据えている。それで鮮明に思い出すことになった。9人もが立候補し、事前の有力予想は断然小池百合子都知事が推す都民ファースト系候補(乙武洋匡氏)。だが中途から政策の矛盾を突かれて急失速してしまった。団子状態になった中で抜け出したのが、共産党の協力を得てひたすら組織票に徹した立憲民主党候補。その直前の区長選に立候補して顔が売れていたことが幸いした(ii)。
Mさんがスマホで情報を取り出した。「今回ママが推した無所属候補も出馬していますね。「約3万票を得て2位になっています。3位は維新の会の候補(金澤結衣氏(iii))、4位は諸派(=日本保守党(iv)飯山陽氏)、そして乙武氏は5位に沈んでしまいました」
そうだった。あの選挙は異常だった。何が異常だったか。台風の目は日本保守党。『永遠のゼロ』の著者で『日本国紀』という教科書的歴史書を世に問うている作家の百田尚樹さんたちが立ち上げた新しい政治団体が候補者を立てたのだ。「日本を豊かに、強く」のキャッチコピーも分かりやすい。しかるに選挙戦中、彼らの演説を聞くことができないのだ。
黒川某などつばさの党を名乗る民主主義破壊論者の一派が、『自分たちも立候補者である(v)』という主張で執拗に選挙妨害を続ける。事前に演説場所を示せないから区民は会場にたどり着けない。ならばテレビが録画を流せばよさそうだが、ほぼ終盤まで完全無視状態で何も報じない。選挙後にようやく逮捕されたけれど、ほんとうに法治国家なのだろうか。
聞きとがめたKさんが指摘する。「言論の自由に関わることだから、直接有罪にできる罪状が法定されていないと妨害を止めさせるのは難しいのではないか」
これにMさんがすかさず反駁した。「妨害される側の思想の自由はどうなるのかね。民主主義の基本は各人の思想の相互尊重。それをわきまえない者は民主主義者ではない。つまり日本国憲法における主権者の資格がない。彼らが他人の思想の自由を妨害できないよう、無人島にでも流すべきです(vi)」
ところでなぜ総選挙になった?
選挙方法を考え直す必要があるのではないか。論点が移ったところで日頃の疑問を述べてみた。そもそもの発端は「政治とカネ」の闇問題。政党や政治家は無税での政治献金受け取りが認められる。ただしそれは浄財でなければならず、見返り(利権分配)目的の汚いカネであってはならない。この辺りは民主主義の常識。
ところが現下の自民党には自浄能力がなさ過ぎた。と判断した岸田前総理が「自分が責任を取って党のトップ(総裁)を辞める」ことになった。それで総裁選が行われて石破茂氏が選任され、その勢いで国会での首班指名を受けて総理大臣になった。まさに憲法が定める手順である。
ところが彼はいきなり衆議院を解散した。「衆議院解散は天皇陛下の国事行為であり、天皇陛下の政治意思は内閣(内閣総理大臣)の助言と承認次第」が根拠とか。7条解散権と呼ぶそうだが、ちょっと待ってよ。あなたを総理に選んだということは「国会はあなたを支持する」ということだ。その翌日に「あなたたち衆議院議員全員をクビにする」は筋が通らない。それは正しい解散権ではないと菜々子の直感。
「ママが認めるのは69条解散権だね。内閣と議会が対立してどうにもならない。このとき内閣には『辞めるから後継総理を選べ』と『わが内閣の政策は正しいと思うので民意を問おう』の選択権があり、総理が後者を選ぶと衆議院解散になる。69条解散は憲法に規定あるが、7条解散権は普通の頭では理解困難です(vii)」。Mさんはさすが法学士。
「7条解散権は司法も支持する解釈だが、不変というわけではない。アメリカでは連邦最高裁自ら過去の合憲判断を覆すとか、違憲判断したものでも議会が新たに法改正すれば『これからは合憲だよ』と判断が柔軟だ」。Kさんも法学士でしたね。
右翼か、左翼か
この際だから法学士たちにもう一つ聞いちゃえ。「マスコミは右派・保守陣営対左派・リベラル陣営と区分するけれど、どういう定義になっているの?」
「暴力革命による共産主義化は必然」を素朴に信じる脳弱な人はもはやいません。政治的見解の違いをグループ分けする線引きの分かりやすい表現法と思えばいいですよ」とMさん。彼の場合、世の中は男と女でできていると考える者が右派で、第三の性があってもいいとの新生物学信奉者が左派なのだそうだ。これに対し「政治の至上価値を国民主権に置いて主体である国民を中心に政治行動をすべきと考える者が右派で、国家とか国籍は捨て去るべき古い概念とするのが左派である」とKさん。
ならば次の分類も成り立つだろうか。例えば論争の別姓論で、家族は一体性が重要であり親と子の姓は同一であるべきと思えば右派であり、家族は不要な社会制度であるから夫婦間のみならず親子間も別姓であるのを自然とすべきと考える者が左派。
世襲はダメです
ほかに今回の選挙で注目された点に関して、まずKさん。「なんといっても自民党での世襲の因習。和歌山で元幹事長(二階俊博氏)の息子が落選したのは例外中の例外。地盤(利権でつながる強固な組織)、看板(個人抜きで通用する信用力)、カバン(忠実な金庫番と豊富な中身)があるのだから、徒手空拳での立候補者とでは、富士山登山を9合目から始めるくらいのアドバンテージがある。これを非民主主義的としない政党は民主主義国にそぐわない。この点では右派も左派もないはずだ」
続いてMさん。「個人がその政治信条を期待されて押し出されるのが民主主義での政治家のはず。歳費は一般サラリーマン並みに抑えて政治の家業化、世襲化を防ぐ。政治資金寄付を受けやすくするべきであり、使途は問わない代わりに受け入れ先を透明に。投票権がない外国人から寄付を受けたら一発アウトで議員罷免させるくらいの仕組みが必要」
いちいちごもっとも。さてこれから政治の流れはスムーズになるのか、それとも…? 秋の夜長だ。話題を変え、お酒もビールから熱燗に変えよう。
ⅰ 自民党系からは中国利権がらみで起訴有罪の元議員(秋元司氏)が補選に続いて立候補意欲を示していたが、公示直前に撤退している。
ii 2023年春の区長選勝者が選挙違反で辞任した後の出直し区長選(同年12月)に立候補したが、このとき都知事が推す都庁落下傘候補相手に善戦した。
iii 今回総選挙には無所属で立候補。何年もの辻立ちが実らず落選。
iv 今回の総選挙で全国得票を伸ばして国政政党資格を得ている。
v 彼は1千票を得た。少数とはいえ公正な選挙否定論者がこれだけいた。
vi Mさんは彼らを尖閣諸島に置き去りにし、政府の矯正機関がヘリで定期的に生存物資を届けることにすれば、世界の民主主義同盟国に日本政府の姿勢をアピールでき、同時に中国にも領土の実効支配を示す有効策と論じたたが、これには法務当局や外務省の見解が必要かもしれない。そして何よりも国政政党すべてによる民主主義を護る固い決意の表明が求められる。
vii 石破さん自身が過去にそう主張していたはずともMさんは付け加えた。
(月刊『時評』2024年12月号掲載)