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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第247夜】

町内会で年金教室

写真AC
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私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

人寄せの年金講話

「昨夜の町内会は大盛会」とほくほく顔のHさん。いつもはガラガラの総会が嘘みたい。人いきれで、冬なのに窓を開けたとか。「ママのアイデアに大感謝」と大吟醸の酒瓶を差し出した。「町内会長が喜んでね。これを持って行けと言うんだ」

 下町の人は義理固い。でも飲み屋には売るほど酒はあるんですよ。個人的にもらうなら商品券の方がよかったな。なんて言葉は飲み込み、「よかったわね」とお酌する。

 参集者が少ないと活動に地域住民の不満があるのではないかと心配になる。地域包括ケアで高齢社会を乗り切るべく行政は町内会に期待するが、住民の参加がなければ意味がない。起死回生策として試みた「年金教室」が人寄せになり、講師をしてくれた年金事務所長とのやり取りで町内会総会が久々に盛り上がったというわけだ。

加給年金おかしくない?

 世界最速で高齢化が進む日本。古い商店街を領域とするHさんの町会はその縮図で、世帯主も住民も半数以上が高齢者。年金に関心があるはずとの菜々子の読みが当たった。どんな状況だったのか。

「講演者の声は朗々、言葉も歯切れよく、耳を通る。でも話が一段落して、『質問をどうぞ』と促されてもサッと出てこない。自分だけではなく、みんなが同じようなのだ。分かったようで今一つ腹に落ちないというか…」。Hさんの口述を文章起こしするとこんな感じ。

「制度の理念や考えが伝わらないってこと?」と菜々子。

「話の一つ一つは『なるほどね』と納得できる気がするのだが、それで全体はどうだとなると頭の中に像が結ばれないというか…」

 それこそ菜々子が日頃感じている社会保障制度への疑問点。テレビ、新聞、雑誌などで年金の解説がされる。個々の事例解説は分かるのだが、公的年金制度が目的とする社会像が逆に見えてこない。そして巷では、年金は「破綻するかしないか」「損か得か」などの感情のぶつけ合いに堕していく。

 Hさんが一例を紹介した。サラリーマンだった年金受給者に配偶者がいると加給年金という加算がつく。ただし条件があると年金事務所長。「加給年金が付くのは20年以上会社勤めをした人であって、その人の配偶者が65歳未満であって、なおかつ会社勤めは20年未満であることです」。高齢者の頭がクラクラしていたところ、中年女性が手を挙げて質問した。その質疑でようやくみんなの理解が追い付いた。

「対象となる配偶者とは内助の妻である思われる。片働きが普通で妻は年金加入していなかった昭和の時代には意味があっただろうが、昨今は共働きが当たり前で、奥様家業はごく一部の富裕世帯の話。加給年金は金持ち優遇に聞こえる。時代逆行ではないか」

「その指摘は正しい。基礎年金導入ですべての妻に基礎年金が支給されることになったことから、加給年金の必要性は薄れている。そこで加給年金は妻が年金を受給できる65歳で打ち切られることになった。全面廃止論もあるが、給付の見直しに政府は及び腰である」

「夫の年金も65歳から支給である。ということは年上女房世帯では加給年金はまったくつかず、年下の女房を持つ夫だけの特権ということか」

「結果的にそうなる。なお男女差別はないから、妻の厚生年金にも加給年金がつく。その場合、年上女房のみに加給年金の機会がある」

「現役時代に独身だった者が年金受給者になり、その直前に年若い者と同棲を始めていれば、その瞬間から数十年にわたって加給年金の加算がつく。相手の氏素性とか、同居生活歴とかはいっさい関係ないと聞こえる。社会道徳に照らして批判はないのか」

「年金は社会契約であり条項の文字解釈に沿って運営されるから、指摘のとおりになる」

 Hさんたちの視線は会長に。彼は町内最年長で90歳代。10年ほど前に糟糠の妻を亡くしてから一人暮らしだが、昨年あたりから30代と思しき若い外国人女性が出入りしている。彼がこの女性を「妻である」と宣言すれば、加給年金分の年金増額になるのか。会長は皆の疑念を感じたか、顔を赤らめ、うつむいた。所長の説明を聞き逃したとHさん。

 仮にそうなってもせいぜい5年かそこら? 所長がHさんたちの先回りをした。「加給年金は当人死亡で終わりだが、若い再婚妻がいれば遺族厚生年金が新たに支給開始され、これはその妻に生涯支給される」。Hさんは『後妻ビジネス』の本と映画を思い出したそうだ。「菜々子ママはどう思う」とボールを投げられた。

「質問者が最初に指摘した点が重要だと思うわ。厚生年金しかなかった時代では無職の配偶者には年金がなかったから、その人の生計費分を厚生年金で配慮する必要があった。会社が賃金に上乗せする「配偶者手当」の年金版というわけよね。でも専業主婦時期も基礎年金にカウントされるようになって以降は状況が違う。年の差婚の妻がいることでの加給年金、それから自身の老齢年金に加えての遺族厚生年金。皆年金哲学に合わないこれらの給付をバッサリやめれば、制度理解が簡単になるはずよ。年金解説者は困るだろうけど…」

保険料収納協力

「そうだよな」とHさん。「既得権擁護のような形で給付を残すから説明が複雑になり、理解が追い付かなくなる。年金が難しいのはボクの頭がよくないからではないのだ」。Hさんは年金解説書を買ったが、読めば読むほど混乱するという。年金職員がスパッと説明できなければ、加入者は疑念を抱く。加入者に本を買って勉強させるなど言語道断。皆年金は簡素をもって旨とせよ。サルでもわかる仕組みが理想。

 年金事務所長が強調したのは国民年金保険料の納付促進だったそうだ。皆年金の基盤だから当然なのだが、町会の大半が納付年齢を過ぎた高齢者。知人や親戚の現役世代に納付を徹底してほしいのが趣旨ならば、説得ポイントを合わせて伝授しなければ効果なし。例えば「滞納を放置したらどういう目に遭うか」。財産差し押さえがあるのは税金と同じ。運よく納付を逃げ切れば税では時効で放免だが、年金「無支給」という恥辱が待っている。

「そうなってしまったら胸を張っていられるか? わが息子にはそう言って保険料未納を解消させた」とHさん。菜々子も甥っ子に説教したことがある。

 新年度の国民年金保険料と基礎年金額の紹介があったそうだが、引き上げ率が微妙に違う。準拠数値が物価か賃金かで差異が生じるというのだが、そもそも準拠数値がいろいろあるのが問題点。「ごまかされていないか」の疑念の元になるとの質問があったそうだ。これには「理屈で正しいことと、理解されることは別問題」とHさんが同感していた。

障害年金の事務は合理的に

 障害年金の説明でもHさんは混乱したという。支給要件は、①初診日に被保険者であり、②障害認定日に障害等級を満たしており、③初診日に保険料納付要件を満たしていたことの三つ。この三要件について、事故で片腕失ったといった〝外部障害〟が受給者のほぼすべてだった時代の旧弊ではないかとの質問があったという。今では、血液疾患、心疾患などに起因する 〝内部障害〟やうつ病を含む〝精神障害〟が多い。そして障害年金認定で揉める事例が増えていると報じられている。

 素人でもわかるが、〝内部障害〟や〝精神障害〟では、初診日から障害程度になるまでに何十年もかかることが少なくない。実務の面から見れば、障害年金請求者は本人すら記憶が怪しい大昔の初診時医療記録を当時の主治医から取り寄せることになる。ところがここで「初診日」とは障害の直接原因となった傷病ではなく、それの前原因となった症状についての初めての受診日とされる。例えば頭痛で近所の内科に行ったが原因がわからず、かなり先に認知障害を発症した事例では、その頭痛受診が初診日とも解される。理屈ではそうでも、実務的にどうなのか。医院のカルテの保存期間はとっくに過ぎている。個人情報保護法は余分な情報は処分せよと指導する。診察した医師はとっくに墓の下かもしれない。この場合に「証明できなければ支給しない」で貫徹されるなら簡単だが、世論やマスコミは請求者に有利なように工夫せよと責め立てる。

 菜々子とHさんの推量が一致した。初診証明の困難性を逆手に取り、請求者側による初診日の操作の可能性があるのではないか。そしてそれを否定する年金事務所の側で反証を出せとなれば、結果は見え見えだ。例えばほとんどの期間で保険料滞納であったケースでも、たまたま納付していた期間の直後に初診日があったことになれば、受給権につながる。説明会では「皆年金なのだから、障害年金では保険料納付歴を問わなくてもよいのでは」との意見が出されたそうだが、ひょっとして質問者は手続きで苦労した経験者だったのかも。

 障害年金の二つ目の要件である初診から1年半後の「障害認定日」も問題含み。内部障害や精神障害ではほぼ無意味。「事後重症」という制度が作られ、実際に障害固定が確定してからの請求が可能になり、遡らずに将来に向けてのみ年金が支給される。障害認定日は絶対の基準ではなくなっている。

「障害認定日」の設定自体をやめて制度を簡素化してはどうか。公的年金の基本は老齢年金。障害年金は早期に老齢状態になった者への支給と考えられる。ならば「早期老齢」についての客観基準を作り、その状況の継続期間に限って年金を支給する。受給者にはリハビリ義務を課し、症状改善以後は不支給にする。なるほどねえと感心した。

「老齢年金の繰り下げ請求と同じだ」とHさんがつけ加える。将来に向かっての増額年金と65歳まで遡って数百万円の遡り一括受給を選択できるなんて任意保険ではないか!

 掘り始めればキリがない。今夜はもう飲もう。あなたが持ってきた大吟醸だけれど。

(月刊『時評』2024年6月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。