2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
子どもは壁の子
外で遊ぶ子どもをとんと見かけない。少子化の進行で子どもの絶対数が減ったのは分かるがゼロではない。久寿乃葉界隈の小中学校はまだ廃校になっていない。ということはそこに通う子どもがいるはず。その子たちはいったい何をして遊んでいるのだろう。
「もっぱらテレビゲームだよ」と口火を切ったのはFさん。息子家族との三世代で暮らしていて現代の子どもの行動は詳しい。凧揚げをしよう、ハゼ釣りをしようと声掛けをするのだが、すぐに飽きて「じいちゃん、家で遊ぼうよ」となるのだという。
「子どもは〝風の子〟と言って、昔から外でワイワイ走り回って体力をつけるものだ」と言い聞かせていたら、「お義父さん、ご近所の迷惑になりますから大声を出さないように指導してくださいな」とお嫁さんに制されたという。屋内にとどまっていれば交通事故にも誘拐事件にも遭遇しない。だが家の中にこもってばかりでは社会性が身につかない。国の将来が思いやられると嘆くFさんは、実は元小学校の校長先生で道徳教育を推進する会の代表経験者でもある。
「心中をお察しします」と徳利を向けた相席のDさん。こちらは中堅の都立高校での校長職を退いてまだ3年。スマホにゲームアプリが入るようになってから生徒たちは指先以外を動かさず、休憩時間に外で遊ぶ姿など絶えて目にしなかったという。
「難しい漢字や英単語を知っている生徒に感心したら『ゲーム攻略に必要だったから』の答えでのけぞってしまいました」に続けて、「かるたの取り札も『子どもは〝壁の(中の)子〟』に変わるのですかね」
人生ゲームに導く
階段がミシミシ鳴ってYさんが現われた。手に大きな包みを抱えている。ハハンと手を打ったDさんが「やはり買いましたか」と声をかけた。
怪訝な顔のFさんにDさんが簡単にいきさつを説明している。Dさんの孫もテレビゲーム漬け。テレビゲームより夢中になれる室内遊びがないか思案しているうちに、昔遊んで面白かった人生ゲームを思い出した。少々高かったが買ってみたら大当たり。今ではこのゲームが目当てで遊びに来るようになっているという。テレビゲームと違い、基本は双六だから年齢差を超えて遊べる。その顛末をYさんに教えたという。
Yさんが包装紙を解いてゲームを取り出した。孫たちに披露する前にルールを覚えておきたいというのだ。そういうことなら実地にやってみるのが一番。他に客はいないことだし、お座敷の座卓にみんなで移動した。
菜々子も中学時代に友人の家で遊んだことがある。みんなが同額の金銭をもってゲームが始まる。しかし各自の選択と運で徐々に格差が生じる。例えば最初の選択として高校卒で就職するか、大学に進学するか。前者では先に進むのは早いが、後者は給料の額が高い。また大学進学しても思い通りの職業に就けるとは限らない。その運を決めるのがさいころ(ルーレット)の目数。止まるマスで不動産を買える幸運に恵まれたり、逆に火事でせっかくの家を失ったり、そうかと思えば心がけよく損害保険に加入していて交通事故での被害や賠償を免れたり。ゲーム進行で財産が減ったり増えたり、逆転したりするのだ。
「このゲームなら知っているぞ」とFさん。子ども時代に親戚の子たちと遊んだという。「大人数で遊べるのがいい」とも。菜々子の記憶では用意されていた駒(車)は八つ。Fさんの実家の正月に集まるいとこの数はその倍近くいた。二部制でゲームするグループと応援する者が交互だったという。菜々子もそうだったが、昔はどこも子どもが多かった。
脱サラ時代か?
Dさんの指導を受けつつ、Yさんがゲームの準備をする。このゲームでは大量の紙幣(もちろんニセモノ)が用意されていて、ゲーム参加者相互間のほか銀行との間でもしきりにやり取りがある。先に挙げた給料も銀行が支払う。そのほかにも宝くじに当たるなど銀行から参加者に資金が渡り、それを元手に家を買ったり、株券を買ったりして代価を銀行に支払う。ほかにも盗難に遭うなどの災難で銀行に支払いを求められることもある。
各自思い思いの色の車を選んでゲーム開始だ。まず学歴の選択だが、大人の知恵で「急がば回れ」と全員高学歴を選ぶ。ところがそこに落とし穴があり、たしかに高報酬の職業に就く確率が高いのだが、昔版と違い、フリーターになって定収を得られないこともある。
「学歴インフレの時代だから進路はよく考えてという警鐘とも受け取れる。文科省の監修が入っているのだろうか」。Yさんは独り言(ご)ちていた。
非婚主義者や同性婚論者に配慮?
社会の基本単位は夫婦と子どもの核家族。人生ゲームでは各プレイヤーは「結婚マス」で一時停止する。「ルーレットの出た目によって祝い金の額が違うのだ」とDさんは言ったのだが、Yさんの新しいバーションではルールが変わり、出た目が悪いと結婚運に見放される。その確率はちょうど半々。男性3人は伴侶を得たが、菜々子は実人生同様、ゲームでも結婚運に見放された。いささかムっとしたが、顔には出さずにゲームを続ける。
めでたく伴侶を得たFさんが「乗せるピンクの人形はどこだ」と探している。「おかしいですね」とDさんも同調したが、説明書を読んだYさんによると同色の人形を乗せるのだという。菜々子が遊んだ数十年前のバーションでは人形は青とピンクの2種で男と女を示していた。Dさんも「わが家のも青とピンクの区別ですよ」というから変更はこの1年内ということか。運転手と同色の配偶者人形を乗せている3人に対して「3人のうち同性婚はだれ?」。これは配偶者を得られなかった菜々子からの嫌味。
「世の中はLGBT理解増進法で見るように一つの方向に流れています。ゲーム会社にも時流に遅れまいとの営業戦略があるのでしょうかね」とDさん。バージョン変化の激しさに驚いている。これに異論を唱えたのがFさんで「同性婚を受け入れるべきとの政治的メッセージにも受け取れる」と、ゲーム会社の節操を勘ぐる発言をした。
少子化を反映した?
ゲームは進み、結婚の次は子ども。昔のバージョンでは方々に設定されている「出産マス」に止まっては「男女の双子誕生」などで家族が増えた。ゲームでは子どもの数に応じて金銭受け取りが増えるから、5人の子持ちともなれば「子は宝物」を実感したものだった。車には人形用の穴が6つある。「7人家族は定員超過ではないか」。昔そんなやりとりをしたけれど、今のバージョンではその心配はないようだ。
「出産マス」が少なくそのマス目に止まったのは菜々子だけ。既婚3人はそろって子どもに恵まれない。唯一子どもを得た菜々子が人形を車に乗せようとしたらFさんが菜々子の腕を押さえる。「独身者には子どもは産まれないはずだ」。なるほどと納得する菜々子だったが、Yさんから意外な後押し発言。
「『子を迎える』とあって、『子を産む』とは書いてありません。新バーションのコンセプトが同性婚を是認する社会であるならば、同性夫婦でも子を持てる手段をゲームの中に組み入れるはず。独身者が子を持つのは今や常識という認識でしょう。〝産む〟ではなく〝迎える〟の表現を用いたゲーム会社の意図を忖度しましょう」。説明書ではどうなっているのかわからないが、面倒なのでゲーム所有者であるYさんの判定に従い、子どもを車に乗せた。
「ゲームの中だけど親になったよ」と孫の顔を見ずに世を去った両親に胸中で報告した。
Fさんの不満げな声が続く。「子を迎える」で浮かぶのは〝養子〟だろうが、実際の法律では養親になれるのは夫婦者に限られている。子を育てるには父親と母親がそろっているべきとの立法判断であろうし、その意味は男親と女親ということだ。いろいろな事情で片親になる事態の発生は避けられないが、それを標準にせよとの世論はない。この道徳律を時代遅れと言い募る者には「安易な時流に乗るのはたいがいにせよ」と言いたい。動物の種によっては雌雄同体のものもあり、別体ではあるが子育ては片方だけでする種もある。それらと違い、ヒトでは男女のペアで同居し、共同で子育てするように遺伝子設計されている。人生航路の基本ルールをゲーム会社ごときが独断で変えてよいテーマではない。
Dさんが遠慮気味に同調する。男女の無区別は高校の教育現場でも持て余し気味。出席番号をまぜこぜにし、男子生徒も「さん付け」で呼ぶ。ほんとうに意味があるのですかね。教育委員会がうるさいので口には出しませんが、ストレスがたまっている教師は多いです。
Yさんが頭を搔く。「御両所の見解はもっともです。日本社会ではもともと〝性癖〟には至って寛容です」と。バチカンのローマ法王が同性カップルへの理解を示しましたが、その真意は同性愛者を教会から追放しないという程度で、日本社会からすればキリスト教社会は同性カップルに非寛容。その〝先進的な〟日本社会でわざわざ法律で〝理解を増進する〟必要などありません。Fさんはちょっと機嫌を直した風で、「差別的発言ととがめられて更迭された総理官邸の幹部職員は、イランやロシアに行けばリベラル過ぎると逆の意味で刑務所行きのはずだ」。Dさんも「実質のない法律でもそれを根拠に補助金制度が作られ、群がる輩がでてきます。政府のお役人や議員たちには、社会の基本ルールへの明確な姿勢があるのでしょうか」。社会派元教員たちの時事評論に限りはない。
破産せずに4台の車すべてがゴールにたどり着いた。それぞれ資産は増えたが、子どもはシングルマザーに一人だけ。1回だけの結果だが、少子化を反映し過ぎていないか。
(月刊『時評』2024年4月号掲載)