2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
長生きリスク
日本社会の高齢化はとどまるところがない。それはそうだろう。寿命が伸びて高齢者は増え続ける一方で、子どもは生まれてこない。ピラミッド型だった人口の年齢構成は逆三角形型に形を変えつつある。「日本人は敬老精神が高いと言われてきたが、いつまで続くか」と腕組みしたのはJさんとTさんの二人組。伝統の知恵が社会の基盤とされ、それを伝える高齢者が数少なかった時代では、長命者は貴重な社会資産だった。それが様変わり。
「今の政府は〝こども家庭庁〟を作って『子どもが社会のまんなか』を宣言している。施策が功を奏して出産倍増になれば救われようが、さらに少子化が進むようだと〝老びと対策庁〟を作って『老人は社会の隅っこ』を目指す政治傾向になりかねないわね」
菜々子の冗談に笑わない二人は子年(ねどし)生まれの75歳。後期高齢者になったのを機に声をかけあって人間ドックに行き、その結果を聞いての帰り道だという。
「ゴルフでも旅行でも存分に楽しんでと言われた」とTさんが言えば、「50代でも通用する健康体と太鼓判を押された」とJさん。
「ありがたいわね。ハッピーリタイアメントを楽しめば」の菜々子のコメントはまたも空振り。
老後生計費の三本柱
ママは楽天的でいいよなとJさん。平均寿命までの生計費ならば十分に準備しているが、もっと長くとなれば枯渇してしまうと憂い顔。聞けばJさんの父親は101歳、母親は106歳まで生きた。Jさんは長寿の血筋を引く一人っ子。しかるに婚期を逃したまま後期高齢者になった。わが子はおろか近親者もゼロ。自分でなんとかするしかないのだ。
「百歳までにはまだ25年ある。その間に社会状況がどうなるか」。数ある心配の中でも最大は物価の上昇らしい。
「ママは若いから(Jさんに比べての意味か)経験ないだろうが、日本でもかつて〝狂乱物価〟と呼ばれた時代があった。歴史は繰り返すものだからね」
菜々子としたことが迂闊だった。国民皆年金の定着以降、善良に保険料を納付した国民は〝満額〟公的年金を受け取れるけれど、それだけで老後の生計が成り立つと政府は約束していない。〝年金〟と〝自身の稼働〟と〝準備した個人資産〟の三本柱でやりくりすべきと巧妙な言い方をしている。
菜々子が老骨(主観的認識)に鞭打って久寿乃葉を続けているのは先の〝自身の稼働〟に当たる。だが長生きすれば体力の限界でお店を畳む時期が来るだろう。その後に備えた対策こそ〝人生百年時代〟に必要なのだ。親が短命でも安心は禁物。その子が短命とは限らない。自死の自由がない以上、何歳まで生きるかの計画は立てられない。めでたいはずの長寿がかえって終末期を台無しにする悲劇はご免蒙りたい。
高齢者の金融資産
Jさんは定年後も嘱託などで働き、企業年金の支給も受けてきた。割と恵まれていたが、そうした特典も75歳で打ち切り。これからは自分で積みあげてきた金融資産の取崩しで公的年金を補うことになる。おカネの天敵はインフレ。公的年金には物価や現役世代の賃金を自動反映する仕組みがセットされているが、金融資産にはそれがない。
Jさんが数値を示す。「物価が年平均5%上昇することになったとしよう。複利計算になるから10年で1・7倍。25年では3・4倍になる。7%の上昇だと10年で2倍、25年では3・4倍だ」。頷く菜々子に「いいかい。物価が上がった分だけおカネの価値が下がる。生活レベルを落とさないためには貯金の取崩し額を年々大きくすることになる。百歳まで持つはずの通帳が九十歳で空っぽになる…」とJさん。
口を利くチャンスを得たTさんが経済学の入門講釈を始めた。インフレはデフレよりもマシとの異説もあるが、歴史を紐解けば資本主義社会の長年の敵はずっとインフレだった。中央銀行の使命はインフレ防止。しかるに日銀総裁がこれを逆の意味で使ったから「異次元ターゲット」と形容された。
「インフレは無理やりに引き起こすべきものではない。経済活動が活性化すれば労働力不足、資材不足で自然にインフレ基調になる。その行き過ぎを制御するのが政府の役割。この基本線を今の政府はどう考えているのだろうか」
物価上昇は現役労働者にも影響する。岸田総理は〝インフレ率に負けない率での賃金上昇〟を企業に要求している。労働分配率を常識水準に引き上げさせるのは正しいが、企業の経営能力を超えたことを強要すれば、企業は商品・サービス価格アップで対応せざるを得なくなり、収拾がつかない悪性インフレになりかねない。Tさんは南米の国々での事例など、年率数千%インフレが現代でも起こっていることを紹介した。「商品よりもその代価の札束の方がかさばるんだぜ」とスマホで検索したベネズエラだったかの写真を見せた。
遺産を譲る相手がいないJさんのケースでは、〝ご臨終〟と〝資産使い切り〟の同時期化が理想形。同じ独り者の菜々子には理解できる。その希望を阻むのが、第一に自身の寿命、第二に金融資産の価値の維持が意のままにならないことなのである。
高齢資金運用に必要な視点
「おカネ自体に自己増殖能力があることを見落としていないか」。Tさんの現役中の勤め先は信託銀行だった。国民が金融機関におカネを預けるのには、保管以上にそれを運用して増やす目的がある。
「金融資産が物価上昇率並みで運用されれば老後の生計費ショート問題を回避できる。郵便局の定額貯金から離れ、投資家になれと政府が呼びかけている。政府を信じて投資を研究してみるのもいいのではないか。銀行や証券会社の話を聞き、自分で投資先を勉強するのはボケ防止になりそうだ。生きた経済学の勉強にもなるし」
「そうではあるが…」。Jさんは積極的ではない。資金運用は自己責任分野。わずかばかりの老後資金しか持たない者が、海千山千の賭場勝負で勝負できるのか。Tさんの表情から気持ちが窺える。資金運用の鉄則は規模と期間と分散。個別投資に損はつきもので、大きくリスクを取れば10%を超えるゲインが上がる可能性もあるが、投資先が破綻することだって皆無ではない。分散投資で総合利益率を高めに保つのが成功のポイントというが、個人高齢者のわずかな保有額で分散がどこまでできるか。高齢者の資産では生計費として残高がどんどん減っていくのだ。さらに認知機能が衰えるのに合理的判断が可能か。
ここでJさんは利子課税への疑問を口にした。元本が増えた分をそっくり所得とみなして課税する利子課税制度は、身寄りのない超高齢者に向いていないのではないかと。
「物価上昇5%が10年続いたとしよう。その間の資産目減りを運用で補うには、10年後に7割増になっている必要がある。証券会社などに支払う手数料を除いてだ。当座用に郵便局に置いておく分もあるから、積極運用部分の利回りは5%ではまったく足りない。達成自体が至難の業だが、名目増分の2割を利子税として政府が無慈悲にも取り上げる」
このスキームでは、年金補完資金の実質価値を維持しようと精一杯のリスクを取り、かえって元本そのものを棄損する者が続出しかねない。その大きな要因の一つが政府自身の管理する税制という不合理。高齢者の資産運用目的は利殖ではなく、目減りの防止。サラリーマンをインフレから護る一方で、高齢者を突き放す政府って何だ。
「でも運用で儲ける富裕者には課税しないと格差が拡大するわ。有効な策はあるの」
「後期高齢者に限定した税制を考えるのさ。金融庁推奨の商品では投資期間中のインフレ率を加味した額を元本とみなし、課税はそれを超えた運用益のみに課す。代わりに税率を50%とか80%に引き上げる。その税収の一部で運用失敗者への補填措置を設ける。単に利子課税を外して税収減になるNISAなどより国家財政にとってもマシだと思うぜ」
問題は高齢者の金融資産が思惑どおりに投資市場に出て来るかどうか。
不動産投資
Tさんの老後対策はどうなのだろう。Tさんは結婚を機に背伸びして家を購入した。その後、何度も家を建てては転居したが、前の住まいを売らずに賃貸に出した。ローンが重なって大変な時期もあったが、家賃収入を注ぎ込んで対応し、先般完済した。Jさん同様75歳で完全引退するから、今後は家賃が公的年金の補完になる。Tさんの計画では、子どもに一軒ずつ家を残し、形式的に廉価で売り渡す形にして、代価を月々受け取って年金の足しにすれば、親子がウインウインに納まることになっていた。
そんなTさんに計算違いが生じた。3人の子どもがそろいもそろってアメリカ、カナダ、オーストラリアで仕事と伴侶を得て戻ってこないのだ。東京の近居で3人の子ども家族と「スープの冷めない近居暮らし」どころではない。孫1人と会うにもパスポートや英語が必要だし、それ以上に旅費がたいへんだ。貸している数戸を売り払い金融資産に変えようと思わないではないが、「インフレには不動産の方が強いからなあ」。ただし不動産の欠点は相続手続きがややこしいことだ。しかも子どもたちは承継を望んでいない。
「高齢者の遺産不動産を国か自治体が買上げ、処分する制度ができないかな。購入代価を市況の2割程度に抑えれば、売値との価格差で行政は大きく儲かる。代わりにこの部分に限って相続税をなしにすればうちの息子どもは大喜びだろう」
Tさん、Jさんの願いが政治に届くことはあるだろうか。
(月刊『時評』2024年3月号掲載)