2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
老後では負け組になる?
《大学卒業と共に「よーいドン」でスタートした会社員人生。いつまでも横並びとはいかず、いつの間にか頂点と底辺には大きな格差が生まれます。しかし同期も羨む勝ち組も、いつまでもその調子でいくとは限らないようで…》
まだ間があるとカウンター席でスマホ記事を読んでいたら背後から肩を叩かれた。久寿乃葉名物ウグイス張り階段を忍び足で登ってきたか。
「ママが記事に没頭していたから聞こえなかったのだろう」。「何を読んでいたんだい」。DさんとRさんが交互に言う。読みかけ記事をそれぞれのスマホに転送、感想を交換する。記事は所得格差拡大を指摘している。賃金構造基本統計調査によると、大卒サラリーマン(正社員)の所定内月収は、下位10%の平均で26・6万円、上位10%の平均では73・5万円。ボーナスをともに4か月分として加えれば、月平均収入はそれぞれ35・5万円と98万円。格差は2・8倍、金額差は60万円を超える。
「ところが『老後になるとその格差が逆転するかもしれない』と記事にあるわよ」
どういうことだと二人。わが国の公的年金は基礎年金による再分配がある。基礎年金は全員同額が基本で、現役年齢で無収入であった専業主婦などにも支給される。
Dさんが暗算する。下位者Xの報酬比例厚生年金は月額7・8万円。これに夫婦それぞれの基礎年金6・6万円を加えて世帯収入は21万円になる。これに対し上位者Yの厚生年金では年金計算に条件があり、月額給与で65万円、ボーナスで一回150万円を超える部分は年金に反映されない。厚生年金19・8万円と夫婦の基礎年金で世帯収入は33万円である。
「21万円と33万円では格差1・6倍。現役時代では2・8倍だった収入格差がずいぶんと小さくなるんだね。金額差も60万円から12万円に縮んでいる」とRさん。
「金額の差ではなく、それぞれの現役時代との収入落差が重要なのよ」と記事を受け売りしつつ、皿に盛った料理を二人の前に並べる。Rさんがビールを満たしたグラスを菜々子に手渡しながら後を引き取った。
「そのとおり。下位者の場合は現役時代の収入35・5万円が引退後には21万円になる。15万円、4割ほどの家計縮減が必要だ。これに対し上位者家計はたいへん。98万円あった収入が33万円と3分の1への減少になる。65万円もの家計圧縮は容易なことではない」
記事は「長年維持してきた生活レベルは簡単には落とせない」と指摘している。ついつい見栄を張って現役時の暮らしを続けていると、行きつく先は〝老後破綻〟!
勝ち組はやはり勝ち組?
「おもしろい指摘だが、現実味がないと思う」。Dさんが異論。
「得た収入を全部使っているとする前提に無理がある。人は将来のことを想定して行動する。高収入者がぜいたくな暮らしをするといっても程度は知れている。むしろ高所得者は所得のかなりを引退後に備えて計画的に貯金するのではないか」
「なるほど、そうかも」と菜々子。Dさんが続ける。
「低収入者は現役時代の稼ぎがそっくり生計費に消えているから老後準備の貯蓄ができていない。記事の指摘のように〝生活レベルを落とすのが難しい〟のであれば、低位者の方こそ14万円の切り詰めができず〝老後破綻〟するのではないかい。年金での生計費不足を預貯金の取崩しで補うべしと政府も言っている」
勝ち組、負け組の差を縮めるには
現役時の高収入組、低収入組いずれも老後破綻しない社会を考えられないだろうか。Dさん、Rさん、菜々子で議論することになった。
高位所得者も低位所得者も夫婦者で夫のみの片稼ぎ。所得は新卒時からずっと同額とする。今の時代の標準モデルではないが、概算としてはこんなものだろうと勝手に設定。高位者Yは月平均所得が約100万円。60歳で退職した場合の65歳からの世帯年金額が33万円。他方の低位者Xは月平均所得が35・5万円で、60歳退職での65歳からの世帯年金が21万円との前提だ。
まず考えるのは、Xが現役時代に老後のための貯蓄をするのは難しいだろうということだ。菜々子から議論提起。
「貯金が難しいのであれば引退時期を後らせて長~く稼げばいいのでは?」
怪訝な顔つきの二人を尻目に具体案を示す。
「報酬が低い業務は軽易、定型的な仕事が相場だから、歳をとっても続けやすいはず。ならば60歳定年制など認めない。定年を80歳とか90歳に伸ばし、超高齢期まで働く。一方で日々の労働時間は短く、残業厳禁。歳に応じて週の労働時間も圧縮する。これで過労やストレスには縁遠くなる」
政府も年金受給の繰り下げを推奨している。もらい始めを遅くできれば年金額は大幅アップする。75歳受給では65歳からの受給に比べ8割4分も増える。80歳まで繰り下げれば2倍を優に超えるはずだ。現役時代にはかなわなかったYとの収入格差が年金では解消することになる。酔いが回りつつある頭でも理解できる。
ではYも負けずに引退時期を遅らせるべきか。
「ストレスフルの仕事に従事するYが高齢になっても働き続けるなんてありえない」とRさん。「高報酬にはストレスの代償の意味合いが大きい。それに会社が求める日進月歩の技能にYの大半はついていけない。過労で若死にしては元も子もない」。
「該当はキャリア官僚とか、大企業の幹部社員、ハイテク企業の最先端業務などが典型だろう。こうした人には能力の限りを尽くしてガムシャラに働いてもらう代わりに高賃金と早期の引退・自由な生活の選択を可能にする。現役期間を太く短くする代わりに、早期引退とその後の自由な生活を可能にすることだ。稼ぎがよくて遊ぶ時間がなければ、必然的に貯蓄はドンドン貯まる。それを引退後に生かして使う」
「ただし使いっぷりが荒いと長い老後が持たない。〝小人閑居して不善を成す〟社会はまずいから、彼らが得意能力を生かして社会貢献になる業務を社会が提供する。遊興時間が減れば貯金を崩す速度を遅らせることにもなる。現役時の権威を振りまく〝老害解消〟にもつながる」。以上はDさんの補足。
年金支給開始は全員一律であるべきなのか。昔は50歳とか55歳だったが、今は65歳が支給年齢とされている。しかし引退意向時期は人さまざま。それが年金制度に組み込まれて60歳への繰り上げ、75歳までの繰り下げが制度化され、最大15歳の選択幅がある。現役労働者としての生産活動を「太く短く」(Yタイプ)とするか、「細く長く」(Xタイプ)とするか、各自の処世哲学でもっと主体的に選べるように仕向けることだ。
長生きした者が勝ちの点では共通。その長命者は死という終末時点では共通して「自分の人生はまずまずだった」と得心、納得できる。それが目指すべき高齢社会だ。
子育て者への年金制度の対応
人生の選択ということでは、「伴侶を求めるか否か」、「子を持つか否か」も選択事項になる。少子化の原因は、各家庭の子ども数が平均して減ることよりも、結婚せず、子を作らない〝無子〟を選択する者が増えていることが深刻ということで3人一致。
「子を作るのは国民としての義務である」なんて強制は許されないし、仮に法律で罰則を設けたとしても、子どもは増えず、違反者で刑務所が満杯になるだけだろう。
「馬を水飲み場に連れていくことはできるが、水飲みを強制することはできないということわざがあるわ」と紹介したが、「ちょっと論議を呼びそうな例えだな」といさめられた(ⅰ)。
「子どもを産み育てるのは苦役なのか。違うだろう。生物の本能に基づく喜びだ。政治家は本質の問題提起をすべきだ」。Dさんが続ける。「子どもにアレルギーがある人もいようがそういう人は好きにすればよい。大半の人は産み育てたいのに、日本社会はそれを推奨する構造になっていない。そこが本質。歴史を踏まえた目で問題点を洗い出すことだ(ⅱ)」
Rさんが呼応した。「適齢人口の8割が子ども好きと仮定し、それぞれが3人子どもを生めば、合計特殊出生率は2・4人。少子化は解消に向かう」
子どもがいない菜々子は大きなことを言えないが、想像できることは幾らもある。稼ぐ第一歩は就職だが、子持ちが独身者より優先採用されるようになるだけで、若者の考えが変わるだろう。就学にかかる費用も、子どもが多ければ無償を通り越し、逆に家庭にお手当が支給されるようにする。住宅ローンも無子家庭の利率を引き上げて、多子家庭への金利補填に回すなど…。
「子育て世帯に経済的支援をする」程度の発想がミミッチイ。子どもを持たない人に目が飛び出る負担をしてもらうことで国民の意識を変える必要がある。「少子高齢社会を乗り切るための社会正義とはなにか」。その議論を経ない限り事態は動かないとDさん。
「〝子育て〟と〝長生き〟をリンクさせるわけね」
少子化がこれ以上進めば、年金制度の維持も、日本経済の活力も維持できない。そして長寿は人類の恒久課題。この二つは大いに関連する。〝善〟とか〝公平〟の評価はその社会の価値観に依拠するのだから、少子高齢社会では政策的正当性があるはずだ。
お酒の勢いで結論しちゃったけれど、少子高齢社会への対応は、憲法9条をどうするか並みの国家、民族の存亡に関わる重要事項のはず。しらふで発言するとバッシングを浴びちゃうだろうか。お酒に強い岸田総理。〝酔った振り〟でもかまわないから、国民が目を輝かせるような演説を願います。久寿乃葉に隠しマイクを仕掛けてご招待しようかしら。
ⅰ わが国ではセンシティブに取り上げられることが多く、子どもを産めるのは女性だけという意味で「機械」という言葉を不用意に使った政治家が厚生大臣ポストを追われた。
ⅱ 明治以降、身分制度による婚姻禁圧がなくなったことで人口が急増することになった。以後、わが国では人口政策とは「人口抑制」と同義になっている。それがいまだに制度の隅々に及んでいるのだが、普段は意識されることが少ない。
(月刊『時評』2023年11月号掲載)