2023/10/27
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
昨日の今頃は
「お疲れー」。ビールが体内に浸み込む。でもそれはほんの一瞬で、反射的に汗が噴き出る。
夏前なのに東京は暑い。夜9時で西日の余韻が残っている。
ビールのお代わりを所望したA子さんは御年80歳。東京大空襲を生き抜いたのが自慢。「あの惨事を潜り抜けた命を暑気あたり程度で縮めてはつまらない」
「お義母さん、その話、聞き飽きました。あなたはそのときまだ乳飲み子。母親の背中に負ぶわれていただけでしょう」と口では負けていないのがB子さんで、A子さんとは姑と嫁。今どき珍しい三世帯同居である。
なぜ義理の母娘が久寿乃葉のカウンターに並んでいるか。そのいきさつを話すことにしよう。
B子さんの夫であるC夫さんは久寿乃葉近住の常連さん。家族で和菓子屋さんをやっている。切り盛りしていた母親が傘寿の祝いを済ませたのを機に引退してもらった。楽をさせてあげようという息子夫婦の気遣いだったのだが、歳の取り方に法則はないようで、A子さんは元気を持て余して問題を起こしているとC夫さんは言う。
「ゲートボールに送り出したのはいいが昼過ぎても帰ってこない。様子を見に行ったら、『もう1回ゲームする』と言い続けるので、仲間のみなさんが息切れ状態。『おふくろさんを疲れさせてから寄こしなさいよ』と苦情があるんだよ」。C夫さんは大げさに言っているのだろうが、半分に割り引いても元気老人のようだ。
菜々子が山歩きを趣味にしていると知り、「うちのおふくろを一日歩かせて疲れさせてくれないか」と依頼された次第。
昨夜はC夫さんの先導で、A子さんB子さんも久寿乃葉に集まり、壮行会。その時点のA子さんは殊勝だった。
「このお店の階段を登るのもやっと。高地歩きなんかできるかしら。座り込んでご迷惑かけそうだわ。どうしましょう」と見た目は控えめ。
「高原に行って『ヤッホー』と叫びたいとおふくろが言うからセットしたんじゃないか」とC夫さんに発破をかけられていた。
「歩けなくなったら私と菜々子ママとで担ぎますから大丈夫ですよ」とB子さんも請け合った。
夜行バスで一路上高地へ
そんな次第で3人の(元)娘は夜の9時に久寿乃葉を出発。C夫さんの万歳で送り出された。地下鉄で新宿に行き、上高地行きの深夜バスの人になる。A子さんはバスが発車するや眠り込んでいる。菜々子もB子さんも寝付こうとしたものの歳が近い者同士。小声でペチャクチャしているうちに日付が変わってしまった。
運転手の「着きましたよー」で起こされたのが5時過ぎ。朝食もそこそこにハイキング開始だ。バスターミナルから5分ほどで河童橋に着く。下を流れる梓川の清流は信濃川の大河となって日本海に注ぐという。
「このあたりのクマのオシッコを長野市や新潟市の人は飲んでいるのね」と言ったら、B子さんににらまれた。
気を取り直して遠くに視線を回せば穂高岳や焼岳を遠望できる。
「あの山にも登ってみたいわね」とB子さん。「そうねえ」と返す菜々子。
「あんたたち油を売っていると日が暮れちまうよ」とA子さんにせかされた。
「お義母さん、まだ朝の6時ですよ。それにペース配分を考えないとバテちゃいますよ」。続けて「お歳なのだから…」と言いそうになって飲み込んだ。でもそのときにはA子さんは10メートルも先にいた。声に出しても聞こえなかっただろう。
季節がよく、天気がよく、風は心地よく、おまけにコロナも2類から5類に格下げになった。条件が整い過ぎたせいか、道筋は人また人。
「門前仲町の歩道より混んでいるわね」
聞こえる会話は英語あり、中国語あり…。その人たちを追い抜き、追い抜き、A子さんを追いかける。
「菜々子さん急いで。義母はもうあんな先に行っている」
明神池を拝む
相手は80歳の老婆。すぐに足取りが落ちるだろう。そう思っていたのが甘かった。A子さんのペースは快調そのもの。
「ちょっとごめんよ」とか「お先にどうも」とでも声掛けしているのだろう。どんどん追い抜いて先に行く。B子さんと菜々子はおしゃべりをやめる。ひたすらA子さんが背負っている真っ赤なリュックを見失わないよう、懸命に追いかける。
「お義母さん、休憩しましょうよー」。B子さんが大声で呼びかけるが、聞こえていないようだ。それだけ離されているということだ。それともわざと聞こえないふりをしている?
梓川に沿った道をひたすら前に進む。景色どころではなくなった。どれだけ歩いただろうか。
分かれ道のところでA子さんが大きく手を振っている。ようやく追いついた。
「明神池はこっちみたいだよ」
湖畔に降り立つ。小波一つ立っていない。透明な湖面に向こう岸の風景が鏡写しになっている。
「来てよかったわー」。B子さんはスマホでパシャパシャ風景を撮っている。菜々子は目で見た風景を胸に納めようと黙想する。でもそれもほんの一瞬で中断だ。
「穗髙神社にお参りしようじゃないか」とA子さん。「伊邪那岐(いざなぎ)の命-綿津見の命-穗髙見命と連なる由緒正しい系譜のお社だ」と説明してくれた。
バスの中で早く目が覚めたのでスマホで予習したという。本殿前で腰を90度、うやうやしくお辞儀し、乾いた大きな音で両手を叩く。作法も堂に入ったものだ。
「なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」は西行法師が伊勢神宮に参拝したときに詠んだ歌だそうだが、これからは社殿の故事来歴をしっかり勉強しなければ。反省したら腰がすっと伸びた。
徳沢で折り返す
「さあ、歩くわよ」。A子さんの号令で梓川沿いにまた歩き始める。
B子さんが「お義母さん、無理すると腰が張ってゲートボール仲間に迷惑をかけますよ」と注意したのが功を奏したか、一人でどんどん先に行くのはなくなった。そうして1時間、折り返し点の徳沢に着いた。針葉樹林を抜けると原っぱになっていて、白い花びらで背丈が足首ほどの可憐なニリンソウが一面に広がっている。
針葉樹林越しには日本アルプスの山々が見える。急峻な稜線の谷間に溶け残りの雪が白く太陽光線を反射している。このまま切り取って額縁に入れたい自然の美しさ。昨夜まで人工物でゴチャゴチャの東京の喧騒にいたのが噓みたい。
「お茶にしようかね」
A子さんが赤いリュックから重厚な魔法瓶を取り出した。「こんな重い物を背負ってスタスタ歩いてたのですか?」。
紙コップでインスタントコーヒーをご馳走になった。バックミュージックは小鳥のさえずり。鳴き声を聴いて鳥の種類を当てるゲームをした。飽きたら瞑想する。ゆっくり流れる幸せな時間。このままずっといたいなあ。
「お昼食べましょうか」とB子さん。それぞれリュックから出すが、なぜかそろっておにぎり弁当。「日本人だものね」と言いあうが、作るのが面倒だっただけ。
一路帰京
しっかり運動してお腹がいっぱいになれば眠くなる。うつらうつらしていたら蹴り飛ばされた。
「たいへん、バスに遅れるわ」。B子さんが時計を指さしている。「急げ、急げ」だが、帰りは下り道と油断する心があった。リュックは弁当やお茶の分だけ軽くなっているはず。登りよりもずいぶん早く感じるが、足腰への負担は大きい。B子さんの膝がふらつき始める。いわゆる「笑う」という症状だ。
「仕方ない嫁だねえ。手を引いてやるからしっかり歩きな」とA子さん。菜々子も反対側で支えることにした。「でもこのことは息子には言うんじゃないよ」と念押ししている。
午後のバスに間に合い、夜8時前に新宿に着いた。地下鉄で門仲の久寿乃葉へ。出発から帰着までほぼ24時間の小旅行だった。
お疲れ会のビールになったのが冒頭の部分。C夫さんが二人を迎えに来て加わった。
「おふくろはちゃんと歩いたかい」とB子さんに聞いている。
「ええ、なんとか。私と久寿乃葉のママとでちょっと押したり引いたりしただけ。そうよね、お義母さん」
「お世話かけましたね。歳相応に体にガタが来てるところをお見せしてしまって」とA子さん。笑いを噛み殺すのに苦労した。
今日の久寿乃葉は定休日で料理の準備はない。C夫さんが持ってきた和菓子が肴になった。あれだけ歩いたのに体重増えちゃうよ。
(月刊『時評』2023年7月号掲載)