2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
交通年パスの老人の味方
70歳以上の東京都民は都営の地下鉄・バス共有の年間パスポートを買うことができる。初期購入費を払えばその後はタダ。元を取るために乗ってやろうと出歩くことで健康を維持できるだろうとの都庁の親心だろう。
その気持ちはありがたいが、問題はバスや電車に乗ってどこに行くのかである。デパートは購買意欲をそそられるから慮外だし、日本の博物館・美術館は入場料が高い。無料あるいは低料金の公営庭園は同一季節に何度も行くところではない。
そうした中、「裁判所通いはどうか」との声が出た。それに至るやりとりを振り返る。
生きるに必要なのは衣食住だけではない
「今の日本は歳とれば国から年金をいただけるありがたい社会だわ」。今日は年金振込日。高齢者の共通話題を提供したのだが…
「それは間違いだ」と大きな声で叱責された。目の前の一人が〝年金博士〟のTさんだったのが迂闊だった。
「わが国の年金は〝社会保険方式〟。若いときに保険料を納付した見返りに支給されるのであり、グダグダ理屈をこねて保険料を未払いのままにしておいた者には一銭たりとも支給されない。キリギリスよろしく享楽に身を任せていた者の老後が保証されるのでは、健全な勤労精神が壊れてしまう。『歳とった者には国民の税金で無条件に年金支給を』と主張して日本の美俗を壊そうとしていた政党がどうなったか、ママだって知らないわけではあるまい」とまくしたてられればひとたまりもない。即座に降参。
国民皆年金の構想時に〝税方式〟を主張する政治勢力があったが、国民は支持しなかった。権利義務が明瞭な社会保険方式を選択したわけだ。ただ、国法に基づいて運営することになったから、「年金を国からいただく」という表現もあながち間違いではない云々に続いて、「年金の仕組みをわかったうえでそういう表現をするのであればよろしい」。
Tさんのお許しは出たが、相席のOさんが別の方向から絡からんできた。
「イソップ童話を現代風にアレンジすれば、『キリギリスが寒さと空腹で苦しむ冬の間、アリさんは年金で暖房費も食費も賄えました。メデタシ、メデタシ』というのだろうが、それで話は終わらないはずだ」
菜々子とTさんの怪訝そうな表情を確認してOさんが続けた。
「冬の後には春が来る。アリさんは巣から這い出して働き始める。だが、高齢者はどうすればいい。Tクンの新イソップ童話はそのことを教えてくれない」
高齢者のキョウヨウ
Oさんは古稀の70歳で、再就職先からも完全リタイアすることになった。
「花束をくれた女性社員から『これからはキョウヨウを大切にしてくださいね』と言われた。この意味、分かるか」
そこは目から鼻に抜ける物知りのTさん。「『今日(は)用(がある)』の略だろう。何もすることがなければ老ふけてしまい、要介護状態になりかねない。そうなるとせっかくの年金も役立たない。『年寄りは元気に動き、かつみんなの邪魔をせず』をモットーにすることだ」
TさんとOさんは学校仲間。つまり同年齢だが、Tさんは60歳で現役生活をキレイに辞めた。老後生活では先輩だぞと威張っている。
「そもそも年金を65歳から受給しようとするのが無計画。寿命の伸びを予測して75歳まで繰り下げるべき…」と演説を始めたが、今回の主題から外れるのでこのくだりはカット。
Oさんが女子社員に諭さとされた「今日の用」に関してTさんはどうしているのか。その口に語らせよう。
「人に使われるなんて定年までで十分。現役時代に通信制の大学で博士号を取っておいた。それを武器に売り込んで非常勤講師の口を見つけた。週二日にまとめて5コマ。夏などの長期休暇には集中講座。子どもが巣立ち、女房はパート。贅沢しなければやっていける。億劫になった時点で繰下げしておいた増額年金を受給開始するつもりだ。『用』のほうだが、週末に孫がやってくる。女房は手料理を食べさせ、オレは勉強を教えてやっている」
「さすがに計画人間だ」とOさんは感嘆し、質問している。「残りの週3日はどうしている? ゴルフではカネ喰うぞ」。
イヤイヤと手を振りTさんが答えるには、「カネ喰う遊びはやめた」。
家が区役所に近いことに目をつけ、区議会の審議傍聴をしているのだという。国会論議はテレビでも中継があるが、焦点が定まらないやり取りでつまらなさそうだし、国会までの往復時間も惜しい。その点、区議会の論点は地域生活密着型。
でも地方議会では、国会よりも会期が短いのではないか。さすが元国家官僚のOさんだ。Tさんも素直に認めた。会期はほぼ2週間。しかも年に4回ほどしか開かれない。隣の区の議会に足を運ぶのかとOさん。それはしないとTさん。
「区議会は親切で、過去の議会審議がすべて保存され、ネットでも傍聴できるのだ。開会中に聞けなかった分を閉会中に後追いで視聴する」
これぞ情報公開
これにOさんが反応した。現役官僚時代、都道府県に出向して議会対策を担当した経験があるという。
「国会同様で地方議会にも委員会が組織されている。おもしろいことにすべての委員会が同一時間に開催される。熱心でうるさい記者もすべてをフォローできない。問題になりそうな案件をいかに委員会で分散させるか。議会前には作戦を立てたものだ」と述懐している。知事中心のオール与党体制だったとかで、議会運営に苦情を申し立てるのは札付きの記者とわずかの市民団体だけ。
「それじゃ民主主義は形骸というわけ」と突っ込んだが、「ママは世間知らずだから」といなされた。そのときの知事は、演説は好きだが聞くことは嫌い。本会議でも答えにくい質問には露骨に嫌な顔をする。
「『その質問はさせるな』。『こんな答弁はしたくない』。『反対票なしで議案を通せ』。こんな調子だからねえ」とOさん。学校で習った民主主義とはずいぶん勝手が違ったようで、学級委員やら生徒会役員の経験を積んで議会人になったはずなのにと疑問だったと、古くを思い出す風だった。
ネット配信で議会運営は民主的方向に改善されているのだろうか。
「議会は民主主義の実践場。憲法57条でも議会の会議は公開と定めている」。Tさんがスマホで検索した条項を読み上げた。各自スマホをいじる。
裁判の公開原則
「公開原則があるのは議会だけではないわ」。憲法37条が菜々子の目に留まった。「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な〝公開裁判〟を受ける権利を有する」とある。
「国民の人権保障としての条項だね」とOさん。「そういえば元同僚で裁判の傍聴が趣味だというヤツがいる」
霞が関の地方裁判所に行くと、「今日はどこそこの部屋でなになにの事件の審理がある」と掲示されているらしい。勉強になりそうな案件を傍聴する。世間の関心を呼ぶ裁判以外、傍聴者はほとんどいない。閑散とした食堂で傍聴事件の要点をまとめ、それを題材にコラムにする。Oさんの元同僚は「文筆業」に転身しており、お小遣いを稼いでいるという。
それは面白そうだとTさんが手を叩いた。
「学生時代にボクが書いた小説をキミは面白いと言ってくれたよな」と話しかけたが、「そうだったっけ」とOさんは記憶の隅にもなさそう。それにめげずTさんは「裁判では人間の業ごうがあからさまになる。小説の題材は豊富にありそうだ」。
「テレビドラマや映画では検事と弁護士が法廷で丁々発止のやり取りをする。その緊迫感がたまらない」
Tさんは区議会に加えて裁判所を生きがい対象場所と見定めるつもりかも。都営交通の年パスで裁判所に行く最短ルートをスマホ検索しているが、東京メトロ路線に比べて時間が倍になるようだ。
メトロの通勤定期を買えばと茶化すOさんをにらみつけ、「裁判所が区議会のように、ライブと録画で法定中継をしてくれればいいのだが」とつぶやく。
それはどうだろう。公開原則といっても、当時者のプライバシーのネット拡散には人権問題が絡む。「来場する者に限定公開」が常識的判断だろう。
腕組みしたTさん。「被告が同意すればどうだろう。冤罪を主張する被告の中には全国民に訴えたい者もいよう。ネット閲覧した国民が陪審的意見を述べることになる」
考えは分かるが諸刃の剣の要素がありそう。裁判官が法曹有資格者となっているのは専門家による冷静な判断が必要だから。国民の多数目線で黒白つけるなら裁判も議会の議事案件にするのと変わらない。
「うーん、難しい問題だ」。Oさんも腕組み。その格好では盃を持てない。お酒が進まないと菜々子は困る。
「裁判傍聴の年パスを国民に配り、出席回数を記録するのはどう?出席一回で所得税の還付百円など。裁判を自分の目で見て司法を実感する。裁判公開の意義に沿うと思うわよ」
年パスの活用は多角的にありそう。久寿乃葉も年パスを考えようか。
(月刊『時評』2023年6月号掲載)