2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
わが国が世界最低である事項
カウンター席にはOさんとTさん。お酒も好きだけれど、議論がそれ以上に好き。クラブ活動の同級生で、そのクラブというのが雄弁会。歓談がいつのまにかディベートになる。そうなると収拾に苦労する。適当に「そうね」「ほんとうだね」と相槌をしていると「ママはどっちが正しいと思うのか」と迫られる。気を遣わせる客なのだ。
最初はたわいもないクイズをしていた。「日本が世界順位で最低なのは何か」
「愛国心の低さかなあ」とTさん。「外国から攻められたら戦わずに降伏するのがよいと政党や学者が堂々と主張する国なんてないからなあ」
「それもあるだろうが、経済成長率ではないか。30年間もGDPが停滞したままの国はないだろう」とOさん。
「先進国では日本のゼロ成長は特異だが、発展途上国のなかには政情不安などで経済システムが瓦解した国もあるのではないか。そこではマイナス成長になっているはずで、ゼロ成長の日本はビリではない」。TさんがコメントするとOさんがただちに逆襲に出た。
「キミの説にも難がある。まともな独立国家のなかではたしかに日本人の愛国心は低い。だけど国内で民族問題が勃発して事実上分解している国では、〝愛国心〟はゼロ以下かもしれない。現に最近国家が分裂したアフリカの…」
まずい。割って入る。
「もっとたしかな世界最低のものがあるでしょう。子どもの出生数。あなたたちの世代は年間230万人くらい生まれていたはずよ。それが昨年は78万人だっけ。しかも年々減る度合いが大きくなっている印象だわ。これでは日本社会が持たないというので、岸田総理が年頭記者会見で〝異次元の少子化対策〟を講じると決意表明したわ。これについて二人の学識を示してよ」
少子化は国民が認識を共有する国難のはず。二人も乘ってくるだろう。
日本は低出産数で世界一
各国の出生数を比較するのによく使われるのが合計特殊出生率。15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計して算出する。ありていに言えば出産可能者の出産性向。率が変わらなくても、出産可能者が増加傾向にあれば出生数は今後増えるが、減少傾向にあれば悲観的な見通しになる。
「頭数が多い第二次ベビーブーム世代は1970年代前半の生まれ。40歳台になってくるからほぼ出産しなくなる。出産数を反転増加させるのは容易なことではない」とTさん。
「従来の方策ではダメ、よって常識にとらわれない突拍子もない対策を打ち出そうということなのだろうね。その決意はよし。課題は国民が『その方法は思いつかなかった妙案だ』というものが岸田総理の胸の中にあるかだね。自分は聴く力があると常々公言しているから、秘策を胸に秘めていて時期が熟すのを待っているのだろうと思いたい」。Oさんが同調した。ここまではいいムード…。
「出産適齢期の女性が減っているとはいえ、当事者たちが産む気になれば出産数回復は不可能ではない。現状では産まない指向の女性が出産に向かい、一人で十分と思っていた女性がもう一人、さらに三人と考えを変えれば、出生数は2倍、3倍になっていく」。Tさんに続けてOさんも「一昔前には6人兄弟、8人兄弟はざらだった。今でも人口千人あたり年間50人という高い出生数の国がある。人口1億2千万人では600万人。人口構成が違うから単なる参考にすぎないが、悲観し過ぎるべきではない」
少子化の原因は
「どうして史上最低の出生数になってしまったのかしら?それは同時に講じるべき対策にもつながるわ」。ビールグラスを下げ、日本酒のお猪口を渡しながら先を促すと、二人とも同時に手を挙げた。まずOさんの分析を聞こう。
「ボクがということではなくて」と彼は前置きした。
「出産の最適齢期にある20代の若者が子育てできるだけの十分な所得を得ていない。だから企業の年功賃金制を改めること、非正規と正規の賃金格差を解消すること、子育て休業者への手当を抜本増額することなど、労働政策を根幹から変える必要がある。岸田総理が〝異次元〟というからには、そのくらいのことを大胆にやるということではないか」
次はTさん。「それだけでは不十分だろう。子どもを産み育てる者が経済的に優遇されるくらいのことをしなければ、人の行動様式は変わらない。社会保障が充実して子どもをもつ経済的意味がなくなり、子どもを産むことをマイナスと考える傾向が高まっている。〝子育て罰〟とか〝親ペナルティー〟と表現する社会学者もいるようだぜ。そうした思考を覆すには、国民がびっくりするほどのバラマキ給付をすることだ」
Tさんが挙げたのはおおむね次の事項。まず出産時の健康保険給付。現行42万円を50万円に上げることになっているようだが、そんな中途半端はダメ。最低でも100万円。次に児童手当だが、月額1万5千円とか、小池都知事の追加5千円では出生増にはつながらない。現に子どもを育てている家庭の福利向上ではなく、子どもを産む気がなかった人に心変わりさせるのだから、生半可な金額では効果は薄いのだ。少々の児童手当増額では出生数増加につながらないことは多くの研究で証明されている。
「ではどのくらいの金額が妥当なの」との菜々子の問いへの回答は、里親への報酬並みの月額9万円に子育て費用5万円を加えて、およそ月額15万円という。子ども4人ならば60万円。政府給付金だから非課税。このくらい出せば子ども生育業をしてもいいかなと思う者が出てくるだろう。その前提として結婚し、子どもを産む選択をすることになる。
ずいぶん大盤振る舞いだけど財源はどうするの。お酒が回ってきてTさんの計算もずいぶんアバウトになっているのだろう。
「そうでもないぜ」とTさん。「兄弟をたくさん産んでわが家で子育てするから保育所や学童保育は必要なくなる。子育て期はしっかり休業して、職場復帰はその後というライフサイクルモデルを作るのだ」。
Tさんはさらに続ける。「子どもが多いと家が広くなければならない。また移動には10人乗りのワゴン車ということになるだろう。子育て中の者がそれらを手に入れられるようにする必要がある。岸田総理が例示した対策には住まいなどはなかったと思う」
「わが国は家余りになっていて空き家がいっぱいある。空き家を政府が収納し、自治体がリフォームして子育て世帯に無償で貸し与える。家賃分を貯金できるから、子育て終了後にその資金で夫婦用のマンションを買うことができる。先憂後楽の実践になる」
「政府は新築住宅購入者のローン金利を税控除しているけれど、これは即座に止めた方がいいわね。そうすれば税収増になってTさんがいう子育て給付の財源に回りそう」と菜々子。「でもまだ財源不足よ。まさか子育て赤字国債を言い出すのではないでしょうね」
子どもを産むのは個々の国民である
Tさんの長広舌をいらいらしながら聞いていたOさんが身を乗り出して、「オレにもしゃべらせろ」。Tさんが丸めたおしぼりを渡す。マイクに見立ててどうぞと順を譲った格好だ。
「まず財源だが、国債発行など論外。ならばどこを削るか。基礎年金、高齢者医療それに介護保険。これら社会保険は本来保険料で運営すべきだから、政府財政からの国庫負担廃止で財源ねん出だ。かなりの給付カットは避けられないが、将来に向かって出生数が増加していけば、保険料収入が増えるわけで無茶苦茶なことにはならないと思う」
ずいぶんと荒療治だが、全国の高齢者が納得するのだろうか。Oさんの説明を聞こう。
「世代間の対立を煽る声があるけれどそれがおかしい。高齢者の多数派は子や孫がいる。自分の老後よりも子や孫の先行きを心配するのが普通の心情。生涯独身、子なしのいわゆる〝おひとり様〟の要求に引きずられるべきではない」
Tさんが口を挟もうとするのを制してOさんが続ける。
「さらにTクンは子ども一人に付き月額15万円といったけれど、その半分でもいいはずだ。子育て者の持ち出しをゼロにする必要はないのであって、子育て者が社会的に優遇されていると実感できることが重要なのだと思う。そのためには彼らが心から子育てを意義あることと自覚できるようにすることだ」
どういうことか。Tさんと菜々子は顔を見合わせた。Oさんはスマホをいじって万葉集の一歌を示した。
「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」。山上憶良の一首だ。わが子は無条件にかわいい。目の中に入れても痛くない。そういう歌だけれど、こういうふうにも解釈できると思うとOさん。
「自分はちょうど100歳。配偶者あるいはパートナーはとっくに先立っている。老衰の終末期にあるが、意識はしっかりしている。医師から、お別れに呼びたい人を集めなさいと指示が出た」
老若男女を問わず、全国民にそうした情景を思い描かせる。子、孫、ひ孫がずらり並んでいるか、それともだれもいないか。あなたはどちらがいいですか。中立の立場で『老後』という短編映画を政府が作成し、国民の感想を募ってはどうか。
OさんがおしぼりのマイクをTさんに返した。「国民の声を集約するのが先かもしれないな」。Tさんは反論演説をせず、お猪口のお酒を静かに飲んだ。今日は平和に終わるぞ。
(月刊『時評』2023年5月号掲載)