2024/10/07
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
コロナと体質
〝コロナ感染動向に一喜一憂する国民〟と〝コロナ対応に注力する政府〟。この二つ、同じ目的で動いていると思いたいが、はたしてそうか。
趣味の踊り教室で知り合った同じ区内のY子さん。歳が近いこと、出身地が九州の同じ区域ということもあるが、双方に交友のメリットがあることも二人を近づけた。彼女は家で料理をしない。理由を見つけては菜々子の部屋に食べにくる。見返りは房総半島の半ばまで隔週に通う教室への送迎。彼女は車を持っているのだ。
その彼女がお店に電話で欠席を告げてきた。車なしでは電車を乗り換え、バスに乗り継ぎ、さらに峠道を歩くことになる。
「なんで休むのよ!」。菜々子の非難への回答は「だってコロナに感染したのだもの」。この一言は、黄門さまの印籠よりも効果がある。「ハハー、それならば致し方ございませぬ、どうぞお大事に」と返すしかないのだから。
「それがね、まったく症状はないの」と彼女。いきさつを聞いて唖然とした。通りかかった無料PCR検査所前で手持無沙汰の職員が「コロナ陰性証明が必要な人はどうぞ」と呼び込みをしていた。急ぐ用事もなかったから「人助け」のつもりで検査を受けたら、陽性判定が出て、「自宅隔離」指示を受けることになった。
「なんで必要性がない検査を受けるのよ」。菜々子の憤激は高まるが、彼女は「だってタダだったのよ」。彼女の家に大きな段ボールが配達されてきた。東京都からの支給品で即席麺などがたっぷり詰まっている。「家でじっとしていても気詰まりだからオートキャンプにでも行こうかしら。あんたもついてくる?」。
季節的にキャンプ場は閑散としているだろうからパンデミックの発信源になることはないだろうが、ならば一人で行くべきであり、なぜ菜々子を誘うのか。「1年前に自分を含め、教室仲間がバタバタとコロナ感染したとき、あんただけ最後まで陰性だったじゃないの」
生き物には相性がある。散歩中のイヌが擦り寄ってくる人もいれば、吠えられ、噛みつかれそうになる人もいる。ウイルスだって同じではないのか。菜々子はコロナにはおろか、生まれてこの方インフルエンザにもかかったことがない。その点、Y子さんは二度目の感染で、ずいぶん相性が良い。コロナもインフルエンザ同様に変異するから、罹りやすい体質の人は何度でも感染し、周り中が感染しても一人だけ陰性の人もいる。
コロナの今後
世界的にはコロナは収束の方向のようだ。さんざん危機を煽っている感があったWHOの事務局長すら「日常に戻る時期」と発言を変えている。コロナの猖獗(しょうけつ)で先陣を切っていたヨーロッパやアメリカではマスクなしで出歩く姿が普通になってきている。「日本ではいつまでマスクを必須にしているのか、そんなに感染リスクが高いのであれば、日本に行くのはよしておこうとならないか」。Y子さんの話はどんどんそれていく。
流行の初期以来、「日本は感染数では一桁、死亡者数では二桁少ない」とされてきた。その理由として日本人の遺伝子構造が言われたりしたが、どうなのだろう。先に挙げたようにこのウイルスへの感度での個人差はあるだろうが、民族レベルでの差となるとどうだろうか。うがい、手洗いの習慣に加えて、マスク着用率の高さを、国内感染の低さの理由とする意見もあった。感染確率は下げるだろうが、長期的に見ればどうだろう。
「難しい問題だな」。目の前にTさんが立っていた。菜々子がY子さんと電話でやり合っている間に、久寿乃葉の60度階段を上がってきたようだ。ウグイス張りのミシミシ音を聞き逃してしまったのは迂闊。女同士のとりとめのない話をどこまで聞かれたか。
「ウイルスは人から人に感染する。感染者の国内流入を抑えていれば大流行しない。少数の感染者がいても、免疫を獲得してウイルスを退治するから、感染は下火になる。これを徹底しているのが中国共産党のゼロコロナ政策。成功するかどうかは、コロナウイルスの毒性の持続にかかっている」
いきなり専門的なことを言われても…。とりあえずビールを勧め、菜々子もお相伴にあずかる。
「コロナは変異のたびに毒性を弱めている。もはや健康に影響なしと見極めたところで、コロナ解禁というか、ワクチンも隔離もすべてやめるつもりだろう。だがうまく行くか。それと違って毒性が社会全体として受忍できるレベルに下がったならば、もはや感染を恐れても仕方がないと割り切るのがウィズコロナ政策。欧米はこの方向に舵を切っている」
それで欧米ではマスク姿が少なくなった。ゼロコロナとウィズコロナ。わが日本はどちらに政策の軸足を置いているのか。Tさんはそれには答えず、今の日本の感染状況を知っているかと聞く。さて新聞、テレビは惰性のように、感染者数、死亡者数、重病者数を報じているが、いつものことと目や耳を素通りしている。
「実はね。今では日本の新規感染者数が世界一。死亡者数でもアメリカに次いで2位なんだ」とTさん。へぇーと驚く菜々子に「今まで少なかった分を取り返していると考えればいいのさ」
「インフルエンザを日本でだけは流行させないなんて無理だろう。コロナも同じ。適度に流行させ、その都度、国民が必要な免疫を獲得していく。社会的にはそれが一番合理的で、無理がない方策だと思うね」。Tさんの持論だ。
地方にコロナを広めるな
そう言っても進んで罹りたくはないのが感染症。多くは無症状で終わるが、体質、体調によっては重篤化する。自分がそうなるのは嫌だし、周囲に感染させて迷惑をかけたくない。この点はTさんも同意した。アメリカ駐在から帰国した娘さん一家がTさんの故郷の支社に転勤になり、引っ越した。住むことになった家がしばらく無住だったため100坪ある庭が草ぼうぼう。その処理等で応援に呼び出されている。ところが田舎の人は情報が古いのか「コロナは東京人の病気」と信じている。町内会長から「Tさんの帰郷は大歓迎。飲み会をセットしよう。ただしコロナ陰性である証明書を持参せよ」と釘を差されている。
Tさんはコロナワクチンを接種していないという。インフルエンザは毎年ワクチン接種しているのにどうして?1回目は受けたが、副反応の高熱が出て寝込むことになった。感染して発病するのに比べてどうかと考えた結果、2回目以降を遠慮しているという。「社会全体のことを考えれば打つべきなんだろうが、強制ではなく任意であると告げられれば、『では私は打ちません』と言ってしまう。民主主義者の宿命だね」。
困った人だ。閃いたのがY子さんの受けた無料PCR検査。
陰性証明を自分で
だがTさんは首を横に振った。その理由がすごい。「陰性と出ればいいが、万一陽性だったら田舎に行けなくなる」。当然でしょう。そのための検査なのだから。だがTさんはそれでは困るという。娘とは約束済みだし、婿殿や子ども時代の級友たちとも酒を酌み交わしたい。それには陰性証明が必要だ。
TさんはポケットからPCR検査キットを取り出した。国内でネット販売されているものと同じタイプというが、表記や説明書が英語になっている。アメリカでは公共施設に山積みになっていて、無料でいくつでももらえるのだという。それを娘さんが持ち帰り、Tさんに送ってきた。これで自己チェックせよというわけだ。
箱にはセットが二つ入っていた。菜々子に一つ渡し、一緒にやろうとTさん。菜々子は陰性証明を必要とする事情などないのだが、面白そうだから付き合うことにした。説明書の手順に従って綿棒で左右の鼻の穴を順にグリグリグリと三度こする。それを移した試薬を検査皿に3滴落とす。そして15分間、ビールを飲みながら結果を待つ。二つのマーク線があり、左だけ着色すれば陰性、右側も着色すれば陽性。
「ほら私はコロナにはかかりにくいのよ」。菜々子は陰性の検査皿を見せた。Tさんは見せようとしない。奪い取ってみると右側の線に色がついている。ということは陽性。
「簡易検査だから間違いもあるわよ。明日、検査所に行ってみたら」と形式的に慰める。
PCR検査の結果
「ママに頼みたいことがある」とTさん。菜々子の検査皿に手を伸ばし、譲ってほしいと言い出した。他人の検体を自分のものと取り換える。ロシアのスポーツ選手のドーピング手法を真似ようというわけだ。
でもそれでは検査の意味がない。自分が陽性と知っていながら、娘さん家族に会いに行くのはさらに罪が重い。歓迎してくれる田舎の純朴な人たちをだますことにもなる。感染させて重い症状が出たら、モラル感や人間性を疑われるだろうし、傷害罪に問われるかもしれない。そして菜々子はその共犯になる。とんでもないことだ。
Tさんは渋々自宅謹慎を受け入れた。ただし保健所には届けないし、医者にも行かないと言う。「いずれ陰性に転じるはずだから、それをアメリカ性キットで確認してから田舎に出かける」
菜々子に浮かんだ疑問。Tさんのような人は政府発表の感染者数に含まれないはず。自己検査でこうした人が多くなっているのではないか。だとするとコロナ感染防止に力点を置いた政策の基本が揺らいでくる。国民に外出抑制を強いた結果として必要になった休業補償、旅行支援補助金などの事業費の正当性にも疑問が湧いてくる。その総額は元首相の国葬儀経費支出の何十万倍のはず。野党はなぜ国会でそこを突かないのだろう。
(月刊『時評』2022年11月号掲載)