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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第223夜】

預託金商法

pixabayより
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私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

地券の価値

 明治新政府が行なった事業の一つに地券の発行がある。欧米列強の侵略の魔の手を振り払うには国家の財政基盤確立が必要。そこで津々浦々の土地の所有者と財産価値を設定し、その3%相当額を毎年徴収しようというのが明治5年の地租改革。それまで土地に税がかかるなんて知らなかった商工民はびっくり仰天。年貢という物納になじんでいた農民は、凶作の年でも金銭納付の地租は一定と知って大混乱。地租廃止、少なくとも減額すべきであるとの国民の声が自由民権運動に結びついた。

 このあたりのことは小中学校の社会科で勉強する内容だが、その〝地券〟がいかなるものであったのか見たことある人は手を挙げて!

 実は菜々子はそれを持っているのだ。質屋のようなことをやっていた叔父の家に行った際に、「大事にとっときなよ」と何枚かを渡された。証紙の上部には「大日本帝国政府」の文字(右から左への横書き)の両側に菊と桐の紋章と恭(うやうや)しい。武蔵国埼玉県○○村××番地字△△と地所、地目と面積(○畝○歩)、権利者氏名に続いて、地価とそれにかかる地租金額が明記され、「右検査之上授與之」とある。

 裏面には「日本帝国ノ人民土地ヲ所有スルモノハ必ラス此券状ヲ有スヘシ 何等ノ事由アルトモ日本政府ハ地主即チ名前人ノ所有ト認ムヘシ」とある。そして地券保有者、即ち土地所有権者の譲渡移転の状況が、日時とともに行政責任者によって裏書されている。要するに地券の正当な保有者がその土地の所有権者であると政府が宣言している。ということは菜々子の地券の現在価値は?

「残念ながら文化財的価値以外にはありませんね」。カウンター越しの冷ややかな声の主はIさん。地券制度は明治22年に廃止され、土地の権利関係は土地台帳(登記)での管理に移行され、地券は用済みになったのだという。でもそれでは菜々子が気の毒とネットでメルカリ情報を調べてくれた。

「保存状態がよければけっこうな値になるようですよ」と、スマホの画面を見せてくれた。ただし良くて1枚7千円。あわよくば戸建て住宅敷地ゲットの期待とは乖離が大きすぎた。

ゴルフ会員権証書

 菜々子の地券をしげしげと眺めていたKさんがつぶやいた。

「これ、ゴルフ会員権に似てないかい?」

 Yさんがカバンから取り出した千葉県では老舗とされるKゴルフ倶楽部の会員証。縦書き(地券)と横書きの違いを除けば様式はほぼ同じ。会員資格を証するものであり、譲渡移転の状況が倶楽部責任者の裏書承認によって確認できるようになっている。地券での地価金に相当するものとして〝お預り金証書(預託金)〟が会員証とセットで発行されている。地券保有者が毎年政府に納付する〝地租〟に相当するものとして、ゴルフ会員権保有者は〝年会費〟を納付することが義務づけられている。ゴルフ場経営者は地券を眺めて預託金制度を思いついたのだろうか。

「似ているのは表面だけで、実態はまるで違いますよ」とIさん。少し長くなるけれどと、前置きして説明を始めた。曰く。地券が表象するのは土地という実物資産であるのに対し、ゴルフ会員権は優先、割安でプレーできるという利用権に過ぎず、ゴルフ場という不動産資産に対する処分権にはまったく関与できない。

 ふーんと、Yさんと菜々子が頷いたのを確認して、Iさんが続ける。

「よって会員がゴルフしなくなったときには、脱退する権利がなければなりません。それが預託金の満期と言われるもので、『無利子で保管し、○○年経過後に請求あれば証書と引き換えに返金する』となっているはずです」

「そのとおりだ」とYさん。「発効日から10年経過後は請求あり次第返金するとなっている。ゴルフに行く回数も減ってきたし、預託金を返してもらって女房を連れて海外旅行にでも行くかと思ったのだが、ゴルフ場はいっこうに応じない」

「そうだろうな」。Iさんは先刻承知といった風情で首を振った。

ゴルフ場側の言い分

「期限が来たらいつでも返すと証書に書いてあるのでしょう。それを返さないのは詐欺だわ。警察に行けばたちどころに解決でしょうよ」と菜々子。

「ところがそうは行かないんだな」とIさん。これにはいかにも日本的な事情が絡んでいるという。つまり「赤信号、皆で渡れば怖くない」。

 日本中には二千以上のゴルフ場がある。その多くがKゴルフ倶楽部と同様の預託金制度を採っている。その仕組みは概ねこういうことのようだ。ゴルフ場造成には数十億円の資金が必要だが、銀行から借りると利子負担が大きい。そこで会員から会員預託金という名目で借りる。ここで巧妙なのが利子をつけない。そのことで出資法の規制外になるとの理解なのだ。しかし借りたカネは返すのが道理。それが据置期間経過後の返金請求権。

「Y君の場合、とっくに10年経過しているから当然返金請求の権利がある。だがゴルフ場はこう言っているのではないかい。『ゴルフ場の経常収支はすれすれの黒字。ここであなたに預託金を返すとたちまち赤字転落。返金請求者が多数出るとゴルフ場は倒産する。ほかの会員に迷惑になるようなことはよしましょう』とかなんとか」とIさん。

「担当者にはこんなことも言われた」とYさんが付け加えたのは、「倒産すれば会員権は紙くずで預託金はゼロになる。その引き金を引いたオレは損害賠償請求の対象になると。そんなことがあるのだろうか」。Yさん、相当にやり込められたみたいで顔が引きつっている。

「あり得ない、こけおどしだよ。さっきも言ったように、日本のゴルフ場の会員は、ゴルフ場経営会社の株主でもなんでもない。開き直りもいいところだ」とIさん。

「ゴルフ場は『預託金据置期間は会員の理事会で延長が議決されている』としたうえで、順番待ちだから早い者勝ち。今すぐ手続きすれば25年後には返金できるだろうという」とせかされた。それにはこういうやり取りもあったそうだ。退会は会員理事会の承認が必要であり、その承認を得るには会費を滞りなく納付し続けていなければならない。Yさんが思案している最中に、ゴルフ会員権業者から電話があり、こう告げた。「預託金返還を待つためだけの年会費は馬鹿馬鹿しくないか。Kゴルフクラブの会員券相場はゼロであるが、今なら1万円で引き取ってもよい」と。そんなこんなで弱気になったYさんは『退会届』を出したのだという。

 だが、考え直すとどうもおかしい。25年後になる前に再度延長の理事会議決をするのではないか。それに自分の寿命は無限ではない。相続はどうなるのか。ゴルフ場の回答は、基本は通常の譲渡と同様に名義書換手数料をいただくことになるが、代替案として預託金放棄を条件に名義書換料を免除してもよい。

まるでボッタクリ

「傍から聞いていてもゴルフ場側の主張はずいぶんね」。法律方面はからきしの菜々子でも納得しがたい条件だ。「会員の代表者である理事さんたちはよくもそのような決議をするものね。Yさんが理事に立候補してみればよかったのに」

 Iさんが口をはさむ。「理事の選定条項を見てみるといいよ。Y君が理事になる道は開かれていないと思うよ」。理事はゴルフ場経営者が選ぶようになっているのがほとんどらしい。よってYさんは理事会の議決に拘束されないというのがIさんの見解。

 預託金の本質に戻ろうとIさん。ゴルフ場造成に必要な資金を会員は用立てたのであり、出資した訳ではない。出資と貸付の違いは、返済の有無。ゴルフ場側がどのような詭弁を弄しても、この基本線は変わらない。返済時期の猶予はあり得るが、それは貸主が判断することであって、借主が宣言できることではない。

 バブルに浮かれて庶民もゴルフ場に押しかけていた時代、会員権保有者でなければプレーの予約を取れなかった。それで会員権相場は高騰し、預託金の何倍もの価格で取引されたから、預託金の返還を求める者はいなかった。それに味を占めて、造成済みで新たな工事資金が必要ないゴルフ場までもが新規に会員権を増発した。まさに濡れ手に粟。ではその資金はどこに消えたのか。Kゴルフ場の場合、親企業の運営資金に回ったと噂されるが、真偽のほどは分からない。はっきりしているのは預託金は返金すべきものとの意識が業界にはなかったということだ。そして今の共通認識ができたという。一つ目はゴルフ場の経営主体が変わったことにして預託金を無効化する。二つ目が償還期限の延期を繰り返す。いずれにしても返金はしない。「だって業界全体がそうなのだから、自分だけ〝いい子〟にはなれないという論法。言い換えれば、非道が常道に取って代わる」

「退会の際に期限延期を承知したはずだから、訴訟しても裁判所は門前払い。費用を損して恥をかくだけだ。現時点では1円たりとも払う法的義務はない」。Yさんはそう言われたという。

「それでどうするの?」

「ここまでコケにされれば立つしかない」。多分、お酒の勢いだろうが、Yさんは力強く宣言した。さてその後日談。Yさんが窮鼠猫を噛む覚悟で訴訟を提起したとたん、それまでけんもほろろだったゴルフ場が、とにかく和解してほしい。判決だけは勘弁してほしいと言ってきたそうだ。

「親会社はれっきとした上場企業。この国の企業はこの程度のものなのですかね。」Yさん、そっちの方でがっくりきたそうだ。 

(月刊『時評』2022年6月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。